落語、今度は志ん生と並んで昭和の名人と讃えられた桂文楽を聴いてみました。「素人鰻、よかちょろ、かんしゃく、夢の酒」です。桂文楽と志ん生は野球でいうなら文楽が王、志ん生が長嶋、文楽がアポロンなら志ん生がディオニュソスです。4つのネタはいずれも大ネタではなく小ネタですが、文楽らしさがよく現れていると思います。とくに「かんしゃく」は、文楽自身が大変なかんしゃく持ちだったそうで、どなる親父が昭和の親父という感じで絶品です。
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古今亭志ん朝の「愛宕山、宿屋の富」
古今亭志ん朝の「愛宕山、宿屋の富」を取り寄せて聴きました。「愛宕山」は、太鼓持ちの一八が旦那と一緒に愛宕山に登ります。一八は山登りなんて朝飯前と強がりますが、いざ登ってみると息も絶え絶えになります。この一八の情けない様子の描写が噺家の見せ所です。また旦那が山頂からのかわらけ投げでかわらけの代わりに小判を投げたのを、一八がもったいながって、斜面を傘をパラシュートのように使って下って取りに行きます。そこで首尾良く小判を拾い集めたのですが、今度はどうやって元の所に戻るかが問題になります。一八は自分の着物を破いてひもを作り、それを竹に結びつけて竹の弾力でまた上に戻ってきます。このように非常に大きな所作が要求される話です。これはCDじゃなくてDVDで観たかったです。志ん朝の太鼓持ちは調子の良さが最高です。
「宿屋の富」は旅館で金持ちを装っていた旅人が、富くじに大当たりする話です。
古今亭志ん朝の「三枚起請、お若伊之助」
古今亭志ん朝の「寝床、刀屋」
落語、今度は古今亭志ん朝の「寝床、刀屋」を聴きました。志ん朝の「寝床」は、柳家三語楼-古今亭志ん生バージョンが混じっています。このバージョンは元の噺をより過激にスラップスティック化したもので、義太夫を語る旦那が嫌がって逃げる番頭を追っかけ、番頭が土蔵の中に逃げ込んで中から鍵をかけます。旦那は土蔵の回りをぐるぐる回って義太夫を語り続けますが、そのうち土蔵に出窓を見つけ、そこから義太夫を「語りこみ」ます。旦那の義太夫は狭い土蔵の中で渦を巻いて番頭に襲いかかります。これが三語楼-志ん生バージョンですが、サゲは番頭はたまらず逃げだし、「今はドイツにいます」というものです。さすがにサゲだけは志ん朝は普通のバージョンのにしています。
刀屋は、自分のことを放っておいて結婚しようとしているお嬢さんと相手を斬り殺そうと、主人公の徳三郎が刀屋で刀を求めようとするのですが、それをじっくり話して止めようとする刀屋の旦那の語りが見事に演じられています。
古今亭志ん朝の「居残り左平次、雛鍔」
古今亭志ん朝の「唐茄子屋政談」
落語、志ん生の「唐茄子屋政談」が前半だけだったので、全体を通して聴きたくなって、志ん朝のを取り寄せました。前半部は奇しくも親子の聴き比べになりました。全体にぞろっぺえの感じがする志ん生に対し、志ん朝のは噺の内容が細かく補足されていて、私には志ん朝の方が好ましく思いました。噺の内容としては、遊びが過ぎて勘当された若旦那が、身投げをしようとしていた所を叔父に見つかって止められ、叔父の家に居候して唐茄子(かぼちゃ)を売る行商として働くことになりますが、唐茄子の売上げを不幸な女性にあげてしまいます。そのお金を因業な大家が取り上げてしまったのを、若旦那が知って、大家の所に乗り込んで大家を殴ります。このことがお上の知る所になり、大家は罰を受け、若旦那にはお褒めの賞金が出て、勘当も取り消されるという、「情けは人のためならず」の噺です。通して聴いて、人情噺の傑作と思います。志ん朝は自身が落語界の若旦那的な存在だったせいもあると思いますが、若旦那を演じさせると本当にいいですね。