佐藤卓己の「『キング』の時代 国民大衆雑誌の公共性」

佐藤卓己の「『キング』の時代 国民大衆雑誌の公共性」を読了。白井喬二の未読作品を求めて、「キング」の戦前のものを十数冊買い込んだことがこの読書につながりました。出版元は岩波書店で、戦前は「岩波文化と講談社文化」という形で対比された両出版社の片方である岩波が講談社の雑誌についての本を出すというのがまず面白いです。
色々事実関係で知らなかったことが多くありました。まずは大日本雄弁会講談社の出す9つの雑誌が、戦前の一時期の全雑誌の部数の実に8割を占めていたという驚きの事実です。講談社は今も一流の出版社でしょうが、今は一流の中の一つぐらいの存在感しかありませんが、戦前はもう圧倒的だったということです。もう一つは、大日本雄弁会講談社が「キング」を創刊するにあたって、婦人雑誌を真似したということです。創刊当時、一番部数が出ていたのが婦人雑誌だからです。その婦人雑誌がファッション小物などの高価なものを附録につけるということを既に大正時代にやっていました。割と最近女性誌がブランド小物を附録につけることをやっていましたが、それは大正時代から行われていたことでした。「キング」はこれに学んで毎号豪華な附録をつけます。特に色々な地図は中国大陸で戦っている兵士にも重宝がられました。もう一つ、これは白井喬二を理解する上で重要ですが、昭和一桁の頃は、キングの誌面のかなりの部分が大衆時代小説で占められていました。白井喬二も多くの作品を「キング」に発表しています。これに対し昭和10年代に入り、国民総動員体制が進んでいくと、掲載される文芸作品の多くが「現代物」になっていき、時代小説がどんどん減っていきます。国家の緊急時に、時代物は悠長すぎると思われたのでしょう。白井喬二は昭和14年に自身初めての現代物である「地球に花あり」をサンデー毎日に連載しますが、そういう時代の要求を受けて、敢えて慣れない現代物に手を染めたのでしょう。白井喬二を含む時代小説作家にとって不幸だったのは、戦争が終わったら今度はGHQから「封建思想を助長する時代物はけしからん」という圧力がかかったことで、結局白井喬二は戦後十分に活躍できなかったと思います。これに対し、吉川英治は戦前に書かれた「宮本武蔵」を戦後は書き直して出版して、国民作家になるのですが…
白井喬二に話が逸れましたが、この本は雑誌キングの性格を多面的に捉えて、かなり読ませるし情報量も豊富です。もっとも私からすると左翼から見たキングの章はなくてもいい感じでしたが。