白井喬二と佐渡金山

白井喬二は、佐渡金山にかなりの関心を持っていたようで、佐渡金山やその佐渡奉行が登場する作品を私が知る限りでは3作書いています。

1.「金色奉行」 報知新聞 昭和8-9年
2.「国を愛すされど女も」 内外タイムス 昭和32-34年
3.「維新櫻」 東京日日新聞 昭和14年

1.の「金色奉行」では、2人の主人公が登場しますが、そのうちの一人の猿楽太夫の川勝三九郎が後に出世して大久保岩見守長安となります。この長安は実在の人物で、1603年に佐渡奉行になり、佐渡金山を本格的に開発して徳川幕府に莫大な富をもたらして出世します。

2.の「国を愛すされど女も」の主人公は塩谷一木之助ですが、物語の早い段階で名前を大鳥逸平に変えます。この主人公自体は架空の人物なのですが、「大鳥逸平」というのは1588年生まれで江戸時代の前期に「かぶき者」として有名だった人物で、その名前をそのまま借りています。この「大鳥逸平」が最初に仕えていたのが「金色奉行」の大久保岩見守長安なのです。また、この物語で逸平の父を殺し、逸平が仇と付け狙う来迎寺(大須賀)獅子平は、佐渡金山奉行となって出世し、逸平も佐渡に渡って前半では話がほとんど佐渡で進行します。

3.の「維新櫻」の主人公は、元禄時代に貨幣の質を落としてインフレを招いて新井白石に糾弾された荻原秀重の子孫である於木奈照之助です。この荻原秀重も1960年(元禄3年)に佐渡奉行に任命されています。そして金山の坑内にたまった地下水を排水する仕組みを作り、当時落ち込んでいた佐渡金山の金の採掘量を見事に復活させます。秀重は結局21年もの長きにわたって佐渡奉行を勤めました。

このように、白井喬二の佐渡金山へのこだわり、それを題材として取り上げるのが好きだということは、以上の3作品を見れば明らかです。この理由が今一つよく分かりません。自伝である「さらば富士に立つ影」を読んでも、佐渡島に住んだこともなければ、旅行したという記述もないのですが、「国を愛すされど女も」の佐渡島での話についてはどのような情報を元にして書いたのか不思議です。

大日本雄弁会講談社の「キング」

今回、白井喬二作品を追い求めて、大日本雄弁会講談社の「キング」を十数冊入手。キングは大正14年に創刊され、創刊号から大々的な宣伝で70万部を売り、全盛期の昭和3年には150万部にまで到達します。日本に初めて「大衆社会」というものを形成したのはこの雑誌「キング」だと言われています。内容は、小説が大半で、他に講談、新作落語、漫画、エッセイなどの本誌にさらに、豪華な附録がついていました。例えば昭和10年1月号の附録は、(1)御仁愛(絵画)(2)絵ばなし世間学(3)東亜太平洋地図(非常時国防一覧)(4)東郷元帥の名書、というものでした。ちなみに、「キングレコード」という会社名はこの雑誌の「キング」から取ったものです。昭和18年にはキングという名前が敵性語ということで「富士」に名前が変わります。(元々大日本雄弁会講談社には「冨士」という雑誌が別にあり、用紙統制で一緒になり、さらに「富士」の名前が残ったものです。{厳密に言うと、「冨」と「富」の異体字で字体が変わっていますが。})戦後も発行されましたが、雑誌の多様化の波についていけず、部数が30万部程度と低迷し、1957年で廃刊になりました。