小熊英二の「単一民族神話の起源 <日本人>の自画像の系譜」

小熊英二の「単一民族神話の起源 <日本人>の自画像の系譜」を読了。この本も「移民」問題への意識から購入したものですが、それ以上に学生の時から「日本人は単一民族」という説に嘘くささを強く感じていたというのがあります。この本を読む前は「単一民族」神話は、戦前の大日本帝国の時代に主流だった考え方だと思っていたのですが(著者も最初そう思って研究を始めたそうです)、実は戦前は「混合民族国家」説が主流で、教科書にすらそう記載してあったそうです。つまり戦前は台湾と朝鮮が日本の一部であり、「混合民族国家」というのはその事実を解釈する上で都合が良かったということです。戦前から「単一民族」思想を持っていたのが、津田左右吉、和辻哲郎、高群逸枝らで、更に人類学の長谷部言人らが加わり、戦後になって多民族状態が解消し、軍事的だった戦前への反動で「平和な単一民族国家」という幻想が強化され、それがピークに達したのが何と1960年代だったということに、大変驚きました。
私が日本が「単一民族ではない」と思っている根拠は、アイヌの存在なんかよりも、弥生時代前期の土井ヶ浜遺跡(現在山口県下関市)で発見された人骨が、それまでの縄文時代の人とは明らかに顔つきや背の高さが異なる、ということです。つまりここで明らかに朝鮮半島か大陸からか分かりませんが、それまでの人とは異なる人種が入ってきて、その後混合が起きている事実です。
通して読んだ感想として、この本に登場するすべての知識人が「非科学的」だということです。はっきり言って日本人の起源も日本語の起源も未だに解明されていませんが、それをいいことに多くの人がきわめて勝手な空想で奇妙としかいいようのないストーリーを作り上げていきます。その中でも罪が重いのが長谷部言人で、部分的には科学的な人類学の知見をある意味悪用し、「明石原人」は旧石器時代の日本人の祖先だ、みたいな嘘を作り出していきました。
後、金沢庄三郎の「日鮮同祖論」が登場します。この論は、日本の朝鮮併合に都合の良い論理として悪用されたので有名です。私は「日鮮同祖論」自体は信じていませんが、弥生時代から古墳時代にかけて、九州と朝鮮半島に活発な人の行き来があったことは否定できない事実だと思っています。以前、九州の「原」を「はる」「ばる」という地名の起源を調べた時にそう強く思いました。その時に金沢庄三郎の本を参照しました。部分的に評価すべき事が多く含まれているにも関わらず、戦後は金沢庄三郎の主張はタブー扱いされて、まったくまともに研究されることはありません。また朝鮮-韓国側ではご承知の通り「反日」史観で凝り固まっていますから、こちらからも客観的な研究が出てくる可能性は薄いです。
通して読んで、個々の先人の主張について、突っ込みが浅くて散漫な印象を受けますが、全体的には極めて刺激的な本でした。学生時代に社会学から始まって、文化人類学、日本民俗学、考古学、朝鮮民族誌みたいな学問をつまみ食いしていた私には坪井正五郎や鳥居龍蔵といった名前はとても懐かしかったです。