マックス・ヴェーバーの「ロッシャーとクニース」(松井秀親訳)

マックス・ヴェーバーの「ロッシャーとクニース」(松井秀親訳)を読了しました。ヴェーバーの本は大体において難解で有名ですが、この本は特にそうで、一回読んだだけではさっぱり頭に入らず、二回目に注釈を飛ばしてなおかつマーカーで線を引きながら読んでようやく少しだけ理解できた感じです。私には「ヴェーバー的倒錯」と呼んでいる現象があって、それは何かというと、たとえば「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」であれば、本来であれば「プロテスタンティズムの倫理」について多少は知識がある人が読むべきと思いますが、大抵の日本人はヴェーバーの著作によってプロテスタンティズムを知る、ということになります。「古代ユダヤ教」なんかに至ってはさらにそうで、クリスチャンでない限り、旧約聖書の世界に精通している人は日本にはそうはいません。「儒教と道教」ぐらいなら、日本人であれば多少はヴェーバーよりも理解しているかも知れませんが、それだって実は怪しいのではないかと思います。(「老荘思想」は知っていても、道教の実際を良く知っている人がどれだけ日本にいるでしょうか。)
この「ロッシャーとクニース」もまさにそうで、ヴェーバーは「ドイツ歴史学派の子」として、その親にあたる二人の学者を批判して自分の拠って立つ学問的基礎を固めようとしている訳ですが、この「ドイツ歴史学派」というのが、今日の日本ではほとんど知られていないと思います。この歴史学派は、経済学での「合理的な人間」(自分の利潤を最大限にしようとして行動する人間)の考えや、法学における「自然法思想」に対する批判として起こり、そういう普遍性の追究よりも、歴史的な経緯というものを重んじる学派です。それはドイツ自身がプロイセンによって国民国家としてやっと統一された「遅れてきた国民国家」としての立場主張と考えられます。その創始者はフリードリヒ・リスト(1789-1846)で、国民国家を最高のものとし、ヘーゲル的な発展段階説を唱えます。その後に来るのがブルーノ・ヒルデブラント(1812-1878)、ヴィルヘルム・ゲオルク・フリードリヒ・ロッシャー (1817-1894)やカール・グスタフ・アドルフ・クニース(1821-1898)になり、ヴェーバーがこの本で批判の対象にしているものです。
マックス・ヴェーバーの生涯はご承知の通り、1864年-1920年ですから、ロッシャーは47歳、クニースは43歳年上で、ヴェーバーから見ればいわば父親から祖父の世代になります。
そこでこの二人の批判ですが、ロッシャーに対する批判は比較的理解しやすいです。もっとも私はロッシャーの著作は一切読んだことがないので、片手落ちではありますが、ヴェーバーは、ロッシャーが「因果性」と「法則性」をごちゃごちゃにしていて、というか最初から「民族共同体の発展の図式」のような素朴な「信仰」がバックにあり、つまる所は宗教的な信仰へと行き着きます。19世紀に宗教から科学が分離をし始めますが、ロッシャーの段階ではそれはまだ混ざり合ったものであり、科学的な歴史の解明としては問題が多いことをヴェーバーは批判しています。
これに対して、クニースへの批判は非常に錯綜しており、分かりづらいです。私はクニースの著作もまったく読んでいませんが、ヴェーバーによればそれ自体がかなり晦渋なもののようです。しかもヴェーバーはクニース批判に入る前にそれと関連あるものとして、まずは実験心理学のヴィルヘルム・ブント(1832-1920)の方法論を批判し、さらには同じく心理学のヒューゴー・ミュンスターベルク(1863-1916)をも批判します。ヴェーバーが自分の社会学を心理学とははっきりと区別していることは例えば「理解社会学のカテゴリー」にも出てきますが、ここではかなり詳細に立場の違いが論じられます。
さらには続けてゲオルグ・ジンメル(1858-1918)の説も取り上げられます。ヴェーバーが歴史における現象の「意味」を客観的に「理解」することを、主観的な動機の解明(心理学的なアプローチ)からきちんと区別したことをジンメルの功績として挙げ、ヴェーバーの立場がそれに近いことを示しています。
ここで一言言っておかなければならないのは、私は保城広至の「歴史から理論を創造する方法 社会科学と歴史学を統合する」への書評の中で、保城がヴェーバーの理解社会学を「解釈学」として表現することに異を唱え、「ウェ-バーの方法論のテキストの中に「解釈学」という言葉が出てくるのを私は記憶していません。」と書きました。しかし、この私の書いていることは間違いで、この「ロッシャーとクニース」の中には、「解釈」や「解釈学」という言葉は何度か登場します。しかしヴェーバーは、「解釈学」が扱う「解釈」の問題は、彼がこの著作で問題にしている認識論的な問題とはまったく別のことを扱っているので、シュライエルマッハーやベックの研究は考慮しないとはっきり言っています。またディルタイの論説についてもその先入観ともいうべき部分を批判しています。私はこの「ロッシャーとクニース」によって、再度ヴェーバーの「理解社会学」は(いわゆるシュライエルマッハーやディルタイからハイデガーにつながる)「解釈学」とは理解されるべきでないことを再度確認できたと思います。
そういう風に延々と回り道をして、第三論文でようやくクニース批判にたどりつきますが、しかしこの論文は未完であり、途中で終わってしまっています。結局クニースの考え方は人間は統一された有機体であり、さらにその考え方を国民国家にも適用し、国家もそのような有機体として理解されるべきと考えているとヴェーバーは批判します。その「統一的有機体」というものが定義も歴史的な解明もされず所与のものとされて最初から前提とされている所にヴェーバーはクニースの学問の非科学性を見ています。
といったような私の理解がどこまで読めているのかはまったく自信がありませんが、ヴェーバーが精神疾患からの回復過程でかつ「プロテスタンティズムの倫理と資本主義」を書く前にこの方法論的考察を行ったという所が非常に興味深く感じます。