安斎伸彰7段の「決定版!囲碁9路盤完全ガイド」

安斎伸彰7段の「決定版!囲碁9路盤完全ガイド」を読了しました。私は、囲碁の基本トレーニングとしてずっとAI(最近は「天頂の囲碁(Zen)」)との9路盤対局を繰り返してきました。9路盤で19路盤の布石の勉強をするのはほぼ不可能ですが、接近戦や死活のトレーニングとしては9路盤は非常に優れていると思います。最近、「トライボーディアン」という、囲碁9路盤、将棋、オセロの3つの異なるボードゲームを同時に行う大会が行われており、以前より9路盤への関心が高まっているようで、そこにこの本が登場しました。黒の初手を「天元」「星」「高目」の3つに限定し、初手以降の変化手順を研究したものです。しかし、9路盤とはいえ、一つの図の手順はそれなりに長く、私の棋力ではちょっと変化を追い切れない感じです。また「完全ガイド」となっていますが、AIが打ってくる手を全て網羅しているものでもありません。19路盤に比べて石が置ける場所はわずか81箇所に過ぎませんが、それでも変化は膨大であり、この本一冊で全てがカバーされたりはしません。
一つ嬉しかったのは、私が以前からAIに対する有力な手として打っている、星の対抗布石で、付けて跳ねた時、引くのではなく突っ張る手が、この本(右側写真右上の図)で「こういう風に忙しく打ちたい」ということで推奨の手になっていることです。この手については、以前このブログの中で紹介しています。

NHK杯戦囲碁 結城聡9段 対 山田規三生9段

本日のNHK杯戦の囲碁は黒番が結城聡9段、白番が山田規三生9段のほぼ同世代の対決です。布石で右下隅で黒が下辺で厚みを築き、白が隅で大きく実利を取るという分かれになりました。しかし白は本手では2線に下がって隅を取りきるべきなのをある意味欲張って右辺に一間に飛びました。局後の感想戦で示されたことは、黒からすぐにでも劫にする手があり、白の一間トビは失着でした。しかしこの劫は結局決行されず、局面が大きく動いたのは、白が左辺の黒に対して左下隅からツケふくらんで利かしに行った時でした。白からすれば黒に一手守らせてから右辺に回る予定であり、それが実現していれば白が優勢だったと思います。しかし黒は反発して中央を一本出てからハサミ付け、白に継がしました。この結果中央の白と左下隅の白の連絡に不備が生じ、黒から両ノゾキを打たれてしまいました。この結果中央の白は左下隅から切り離され独自に活きなくてはならなくなりました。黒は下辺に厚みがあり、こういう展開になるとその厚みが100%働いて来ます。黒は更に中央の白を攻めながら右上隅から右辺を大きくまとめることが出来、黒の理想的展開になりました。更には序盤の白の借金である右下隅の劫も残っており、結局中央の白は活きるだけの手はあったと思いますが、それでは右辺が大きくまとまって勝てません。なので白は右辺になだれ込んで黒地を消しながら活きることを目指しましたが上手く行きませんでした。最後は左辺の黒との攻め合いを目指しましたが、これも眼を取ること自体が大変で手が長く、ここで白の投了となりました。

Kyoji Shirai: Shinsen-gumi

Heibonsha: the first volume of the complete set of public romacnes (Kyoji Shirai)

The current available version of Shinsen-gumi published by Kodansha.

Let me introduce today another great work of Kyoji Shirai, namely “Shinsen-gumi”.
Shinsen-gumi was serialized from 1924 through 1925 on a weekly magazine “Sunday Mainichi”. Sunday Mainichi was published by Mainichi Newspapers Co., Ltd as the first weekly magazine in Japan. As the name shows, the magazine was first published as a Sunday issue of Mainichi newspaper. Since the distinction between normal newspaper and this weekly magazine was not clear for many readers, the number of prints remained stagnant in the early stage. The publisher then tried to make the contents of this weekly magazine clearly different from daily newspapers and it placed Kyoji’s new romance on the top of the magazine. It was a kind of gamble for the publisher, but very interesting stories of Kyoji’s novel attracted many new readers and the financial status of the magazine was thoroughly stabilized.
Another important topic related to this romance is that it was put in the first volume of the Heibonsha’s complete set of public romances, to which Kyoji committed himself very much. The fact that 330 thousands copies were sold for the first volume brought a big success to this set.
Shinsen-gumi was a group of Samurai warriors who guarded Kyoto under the authority of the Tokugawa Shogun regime from around 1863 through 1867. Many members of Shinsen-gumi took rather violent and brutal ways to guard Kyoto and killed many pro-Imperialists by their Japanese swords. Shinsen-gumi was one of the most favored topics for many novelists of public romance at that time.
Kyoji, however, did not write an usual story related to Shinsen-gumi. The story of the romance was mostly of battles between three different schools of spinning tops. Spinning tops were not only toys for kids but also a genre of street performance in Japan. A school of spinning tops here means combination of street performers and meister-level artisans. The first battle was between Orinosuke of Tajimaryu school and Monbee of Kinmonryu school. In this battle, two beautiful ladies were the prize of the battle, and the lady of the lost side had to be gifted to a foreign merchant. The second battle was between Orinosuke and Inosuke of Fushimiryu in Kyoto. In the second battle, both participants tried to get the heart of a lady.
These battels of spinning tops described in this romance were technically very deep and enthusiastic. For example, the both sides selected very special types of wood for their tops and the battle started from guessing which type of wood the counterpart selected. Orinosuke used one very special wood growing on the Nokogiri-yama mountain in Chiba, while Monbee selected one growing on Ontake mountain in Nagano. The Monbee’s top could generate strange wind while it spins trying to weaken the rotation of the counterpart’s top. The Orinosuke’s top, however, was not affected by the wind from the Monbee’s top, since he used a special wood growing on Nokogiri-yama mountain. (It means that Monbee failed to presume the type of wood used for the Orinosuke’s top). This kind of “professional” battles between two craft-persons attracted the then readers much and made them excited.
On the contrary to the battles of tops, Shinsen-gumi plays only in the background of the stories. Orinosuke witnessed the famous Ikedaya incident in which Shisen-gumi killed many famous pro-Imperialists. Kyoji developed a new way of fights between appearing characters in a romance other than sword battles (Chambara). This can be compared to the fact that he adopted a battle by debates in Fuji ni tatsu Kage.
The impression of this romance to the readers was tremendous and people requested Kyoji to write another romance of this type and it distressed Kyoji later for a long period, since he was thinking that he was always trying to change his styles and did not want to stay at the same stage.

包丁研ぎ

家で包丁を使うのは、今は基本的にリンゴ・柿・梨などの果物の皮を剥くときだけですが(私は子供の時亡母に教わったし、実際に小学生の時は朝食を作っていたりした関係で、それなりに果物の皮を剥くのはそこらの若い女性より多分うまいです)、何故か包丁の切れ味には凝っていて、現在砥石3種(荒砥、中砥、仕上げ砥)と、その砥石が平らでなくなった時に使う砥石を研ぐ砥石と、その時砥石に振りかける人造ダイヤモンドの粉まで持っています。
と道具に凝るのはいいですが、なかなか「丸研ぎ」といわれる角度が不均一な研ぎから脱却出来ていません。要するに研ぐときに刃物を砥石に当てる角度を一定にする、ということです。この角度は万能包丁の場合15°くらいみたいですが、私はこの角度に保ってくれる当て板みたいなのがないかと思って探してみましたが見つかりませんでした。素人の「丸研ぎ」でも、まったく研がないよりは切れ味は向上しますが、結局その切れ味が均一ではなくムラが出ます。Webで調べると、丸研ぎにならないこつは、
(1)包丁を砥石に対し斜めに当てて、包丁と砥石が一度に接触する部分を増やす。
(2)あわてずに、ゆっくり角度を保つようにして研ぐ
(3)砥石がすり減っている場合にはまっすぐに面を直す(このために砥石を研ぐ砥石が必要です。)
(3)については、昔「味いちもんめ」という漫画で、自転車の後ろに紐で砥石をくっつけて引っ張って、アスファルトの面で砥石を研磨する、というのが出てきましたが、その方法は危険ですし、また砥石が均一に平らになる保証もありません。

ということで、今回念のためもう一度角度を保つ当て板みたいなものがないか探してみたら、何と複数の会社から出ていました。早速Amazonで注文して取り寄せました。早速使って研いでみましたが、なかなかいいです!角度そのものは私が思っていたよりも大きい感じでした。治具が砥石とすれて邪魔になるんじゃないかと思われる方があると思いますが、接触する部分はセラミックになっていて簡単にすり減らないようになっています。また研ぐ時に邪魔になる感じもあまりありません。却って束に近い方を研ぐ時はこれまで束が砥石に当たってうまく研げませんでしたが、この治具付けるといい感じになります。
ただ、この治具はあくまでも一般的な洋包丁の万能包丁向けだと思います。刃も薄く、また刃の高さもあまりない包丁などをこれを使って研ぐと角度が正しくなくなると思います。

このブログの10月のアクセス状況

ここのブログの10月のアクセスは特に前半が好調で閲覧数が2万を超すかなという勢いでしたが、後半やや失速しました。
それでも、訪問者が前月比で36%アップ、閲覧数が10%アップです。一人の訪問者が見る平均ページ数がちょっと前は10ページ近くありましたが、10月は4ページちょっとぐらいに落ち着いています。

「原子力潜水艦シービュー号」の”The saboteur”

「原子力潜水艦シービュー号」の”The saboteur”を観ました。今回も冷戦ものですが、今回は「某国」がPeople’s republic…ということで中国です。冒頭でクレーン艦長が頭部に電極を付けられて、電流を流されて拷問されながら洗脳されています。結局クレーンは洗脳に負けて、シービュー号が行おうとしている新型ICBMの発射実験を妨害し、ネルソン提督を殺す命令を受けそれを承諾します。アメリカがこのICBMの実験を急いでいたのは、ある国際会議にアメリカ大統領が出席し、そこでこの兵器の完成をアピールして、敵国を牽制する、という冷戦時代ならではの身も蓋もない理由です。
クレーン艦長は、シービュー号の出発ギリギリで乗船しますが、結局深海からのICBMの発射でわざと操艦を狂わして発射を妨害したり、また櫛に仕込んだ磁気発生器でICBMを爆発しないようにしたり、挙げ句の果てにはネルソン提督を撃とうとし、その前にアメリカの諜報機関員に撃たれます。艦内にはリーの行動を監視するためのもう一人の洗脳を受けた者がおり、クレーン艦長が失敗したことが分かると、今度はシービュー号の前部の観測窓を爆薬で破壊してシービュー号を沈めようとします。アメリカの諜報機関員がその男を撃ちましたが、一足遅く爆薬は爆発し、観測窓は破壊され海水が浸入します。しかしその前にネルソン提督が急速浮上を命じていたため、間一髪でセーフ、という話でした。
しかしその後がよくわからないというか、洗脳が解けたクレーン艦長は、罪に問われることもなくあっさり元の艦長職に戻っています。