P・B・シェムランの「博士と狂人」の映画を観てきました。原作を読んだのはもう20年近く前です。
OEDの編集者のジェームズ・マレー博士は、私にとってもっとも尊敬すべき学者の一人であり、以前日本語変換の辞書作りに関わっていて、また色々な外国語に手を出している私にとってある意味アイドルみたいな方です。
博士が大英博物館に採用を希望して送った手紙の一部が映画では博士自身の口で語られていました。そのオリジナルを原作から引用すると、博士が学んで来た言語は「アーリア語族およびシリア・アラビア語族の言語と文学に通じ、(中略)ロマンス諸語のうち、イタリア語、フランス語、カタロニア 語、スペイン語、ラテン語には詳しく、そこまではいかないものの、ポルトガル語やヴォー州方言、プロヴァンス語、その他さまざまな方言の知識もあります。 (中略、以下身につけた言語)オランダ語、ドイツ語、フランス語、フラマン語、デンマーク語、古英語、モエシアゴート語、ケルト語、ロシア語、ペルシア 語、サンスクリット、ヘブライ語、シリア語、アラビア語、コプト語、フェニキア語…」という恐るべきものでした。これだけの言語を大学にも行かず独力で学んだということについて、敬意以外の感情は湧いて来ません。
お話はマレー博士がOEDの編集を行っていた時、各単語の用例の収集が元のチームだけではまったく手が足りなかったため、外部にボランティアを募集します。その中の一人がアメリカの南北戦争の時の従軍外科医だったマイナー博士であり、博士は統合失調症であって被害妄想から殺人を犯します。裁判では心神喪失ということで無罪になりますが、一生を精神障害者用の収容施設で過ごすことになります。その時に、たまたま差し入れられた本の中に入っていたマレー博士のボランティア募集のチラシを見て、マイナー博士は、17~18世紀の英語文献を読んで膨大な数の単語用例カードを作り、マレー博士に郵送します。原作はマイナー博士の貢献に対して御礼のために、マイナー博士の手紙に書いてあった住所を訪ねてみると…という感じでマレー博士がマイナー博士の境遇を知る所がある意味クライマックスになっています。しかし映画はマイナー博士が誤って殺した男性の未亡人と交流するようになり、ついには恋愛関係に陥るといったストーリーが追加されています。まあ映画だからこういうサブストーリーを入れないと、というのは分りますが、私にはちょっと余計でした。もっと辞書作りの苦労をしっかり描いて欲しかったです。
それから、OED(当時はNED=New English Dictironary)の編集に協力したのが精神を病んでいて犯罪歴を持った男というのが新聞に載ってしまい、騒ぎになります。それを何とかするために、マレー博士達が利用するのが何とウィンストン・チャーチルで、マレー博士とチャーチルの生きた時代がかぶっていたのを改めて認識しました。
アメリカ人好みのすべてハッピーエンドではなく、万人向けとは言い難い渋い映画ですが、私には非常に意義のある映画でした。
NHK杯戦囲碁 孫喆7段 対 河野臨9段
本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が孫喆7段、白番が河野臨9段の対戦でした。この碁では左辺から競い合いが始まりました。その競い合いの中で、白から見て左下隅の地を守るのと、黒の下辺から右下隅の地を削減するのをどちらを選ぶかで、白は下辺の踏み込みを優先しました。単に地を減らすだけではなく、左辺からの黒の大石を狙ってもいました。そしてその折衝の中で一局の優劣を決める折衝が発生しました。白が伸びて黒1子を取り込むのと同時に、次に下辺に出るぞという手を打った時、黒が素直にそこを受けずにその右に膨らんで逆に中央に出るぞという手を打ちました。白がそれを受けてから黒が下辺を受けるとそれだけで黒が数目得をします。そこで白は受けずに下辺へ出ました。結局ここの攻防では白が曲がって当てたのに黒が継ぐと2子が切られて取られるため、(当てられた所ではなく根元の2子を)継ぐしかなく、白は1子を抜いて手が延びました。ここで黒が当てるか下がるかすれば劫になる所でしたが、白にはソバ劫があり、黒は断点を継いで妥協しました。この結果白はハネて余裕をもって活きることが出来、この結果は明らかに白が得し黒の右下隅と下辺で30目は出来そうだった地を10目程度に減らしました。その損を取り戻そうと、黒は右下隅をしっかり継いで活きに行くことはせず、右辺の白に打ち込みました。ここの攻防で、黒は打ち込んだ1子を含む5子を犠牲にして、右下隅の黒を中央に顔を出し、また白2子を取り込んで左右が連絡することが出来ました。しかし白も下辺でハネを先手で利かして黒地をねぎっているため、依然として白のリードが続いていました。その後上辺の攻防で白が黒2子を取り込んでそれなりの地を持って治まり、これで白の勝勢になりました。しかしその後黒も頑張り右辺で取られかけていた黒5子を生還させましたが、それでも盤面でどうかという形勢で、コミを出すことが出来ず、黒の投了となりました。
AIによる白黒写真のカラー化本2冊
同じような、昔の日本(戦前・戦中・戦後)の白黒写真をAIでカラー写真にした新書を2冊読みました。左の「AIとカラー化した写真でよみがえる 戦前・戦争」はまともな本でした。しかし右の「カラーでよみがえる日本軍の戦い」は、写真はともかく、テキストはネトウヨ史観そのもので、きわめて出元が怪しいタイのプラモード元首相の「12月8日」という文章が事実のように引用してあったり、また日本がシンガポールを占領した後、マレー人やインド人を教育して感謝された、などと書いていてほとんど吹き出しそうになりました。山下奉文将軍が何故A級戦犯で死刑になったのかの理由も知らないのでしょうか。(知らない方は「シンガポール華僑粛清」でググってみてください。)
左は、それに比べるとはるかにまともで、「この世界の片隅に」で描かれていたように、戦争の前、戦争中も庶民の暮しは決して暗いだけのものではなく、それぞれの生き方があったということが、カラー化された写真で蘇ってきます。実際にこの本に載っている理髪店の写真が、「この世界の片隅に」の中の作画で参考にされているようです。
白黒写真のAIによるカラー化って、多分白黒の濃淡からだけで色を特定することは困難で、人間の肌とか分っている色を基準にしていくんでしょうが、必ずしも正しいとは限らないようで、実際にその当時の人から聴き取った情報で補正されていたりします。
左の本に、大平洋戦争末期の空襲の写真が多数出て来て、その中に下関、鹿児島、徳島、横浜などのかつて住んだ町が多数出て来て、ちょっと胸が痛みます。それも下関は2回、徳島市に至っては7回も空襲を受けています。広島や長崎だけでなく、全国のほとんどの都市が焼き払われ、その廃虚の中から復興したんだということは忘れるべきではないと思います。
バックロードホーン(長谷弘のキット)のユニット交換
長谷弘のバックロードホーンキットに使っていたスピーカーユニットを9年ぶりに交換。前のがFE166Enで今回のがFE166NVです。ほとんどスペック的には同等だと思いますが、コーン紙の材料は芭蕉系の繊維からケナフに変って色がかなり白っぽくなっています。またマイカ粉などの無機物も混ぜられているようです。旧型はさらにリード線を取り出すハトメ部が目立っていましたが、新型はハトメレスになっています。
試聴は今ピアノ曲を聴いていますが、かなり腰がしっかりした音です。というか旧型が多少やれてきていたせいかもしれませんが。取り替えは思ったより簡単で、接続は半田付けしないといけないのかと思っていましたが、ファストン端子でしたので簡単でした。1箇所だけファストン端子が酸化で折れてしまったので、そこだけ半田付けしました。
箱は長谷弘のMM-171というものですが、正直な所、容量が小さく低音は不足気味です。ですが、フォステスクのサブウーファーを2本使っているので、それでバランスが取れています。
巨人の惑星の”Ghost Town”
巨人の惑星の”Ghost Town”を観ました。ある時巨人に追われていたバリー(少年)達ですが、バリーが何かの電磁波のようなものに触れて気絶してしまいます。同様に追いかけて来た巨人もその電磁波に触れて死んでしまいます。一行は一度宇宙船に戻って助けを請うて、バリーが気絶していた場所に戻って来ましたが、彼はいません。そうこうする内にフィッチューも感電してしまいます。そこで一行があたりを探していると、何と地球の街に出会います。しかし建物は間違いなく地球のものでしたが、誰もいないゴーストタウンでした。フィッチューが電話ボックスで助けを求めていると巨人の少女が現れます。この街は、ある老人が、ある時地球の船がクラッシュして中の者は全員死亡してしまったのを、そこにあった書物を見て、地球の街そっくりに作った模型でした。そしてこの老人の孫の少女が信じられないほど性格が悪く、トンネルを掘って逃げようとしていたバリーを足でトンネルをつぶして生き埋めにします。また老人が差し入れてくれたシチューを皆で食べようとしていたら、天井から砂を撒いて食べられなくします。またガソリンを撒いてマッチで火を付け、地球人達を焼き殺そうとします。しかし、老人は自分が長い時間かけて作った模型に火を付けた孫娘を厳しく叱ります。地球人達はこれを逆用し、自ら建物に火を付け、孫娘が消火しようとしている間に、ゴーストタウンの回りのフォースフィールドを操作するコントローラーをショートさせて、脱出しようとして、孫娘が上から石を落としたり、建物を壊して押しつぶそうとしたりしたのを何とか回避して脱出するという話です。孫娘は祖父に「また火を付けたな!」ということで、お尻を叩かれて…という結末。
スタートレックのファーストシーズンの”The Conscience of The King”
スタートレックのファーストシーズンの”The Conscience of The King”を観ました。シェイクスピア劇にからめたなかなか重厚なストーリーの回。というかこの「罪を犯した父親がいて、父親はその娘を罪から遠ざけて無垢に育てたのに、いつか娘が父親の罪を知って、それを消し去ろうとして罪を犯す」って、確かイタリアオペラの何かの話にあったように思います。あるいはシェイクスピア劇?
10年前にある星で、何かのカビが大量発生して深刻な食糧不足が生じ、そこの長官が救援が来る前に8000人いた住民の内、自分の判断で4000人を殺すという事件がありました。その長官は死んだと思われていましたが、その顔を知っている男(カークの友人)が、ある劇団の俳優がその長官だと言います。その長官の顔を知っている人間はカークも含めて7人いますが、その劇団が近くにいる時に限って一人また一人と殺されていきます。エンタープライズ号にもカーク以外にライリーという者がいて、飲み物の中に毒を入れられて殺されかけます。カークはその俳優を詰問して、その長官だろうと問い詰めますが、実は目撃者を殺していたのはやはり俳優であったその娘でした。最後はレオンカヴァルロの「道化師」のように、舞台の演技と現実が交錯し、娘が間違って父親をフェーザーで撃ってしまって殺してしまうという結末です。
「巨人の惑星」の”On A Clear Night You Can See Earth”
「巨人の惑星」の”On A Clear Night You Can See Earth”を観ました。何というか、程度の低いマッドサイエンティストもので、発明したのは単なる暗視鏡(ノクトビジョン)です。しかしそれは品質が安定しておらず、すぐに動かなくなります。キャプテン達がこのマッドサイエンティストの家に忍び込んだのは、例によって太陽電池に使うレンズを盗むためです。一応電源を切断して暗闇して忍び込んだのですが、マッドサイエンティストの暗視鏡のおかげで見つかってしまいます。色々あって一行は逃げ出せたのですが、キャプテンはその発明が危険だからという理由で、マッドサイエンティストの家を爆破しようとします。しかし途中で捕まって、仲間が助ける時間を稼ぐため、キャプテンはその暗視鏡で地球が見えたと言います。(単なるブラフかと思ったら、最後の所で本当に見えた、と言っています。)それでマッドサイエンティストをおだてて、この暗視鏡は単なるノクトビジョンよりも高機能なものだ、但し安定していないので改良が必要だ、などといって、等々というストーリー。はっきり言ってナンセンスな脚本で、そんな悪人とも思えないマッドサイエンティストを家毎爆破して殺してしまうのも後味が悪いです。失敗したエピドードです。
スタートレックのファーストシーズンの”The Menagerie, Part 2″
スタートレックのファーストシーズンの”The Menagerie, Part 2″を観ました。Part 1と合わせて、今まで観たエピソードの中ではベストではないかと思われる、非常に良く出来たストーリーでした。スポックが反乱の容疑で有罪宣告を受けますが、それを宣告した基地の長官も、タロス星系の第4惑星人が作った…だったというのはなかなかの捻りでした。また今回出て来る女性がなかなか可愛かったです。Vina(まあ本当の姿は置いておいて)とエンタープライズ号の女性クルー2人の内若い方は良かったです。最後に、Vinaとパイク元船長が、タロス星人の幻想の中で二人幸せに暮すというハッピーエンド(?)で良かったです。しかし、カーク船長というのは何代目の船長なんでしょうか。パイク船長もなかなかのキャラクターで良かったです。スタートレックはアーウィン・アレンのTVドラマと比べると、本当に脚本がしっかりしています。
NHK杯戦囲碁 村川大介9段 対 原正和3段
本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が村川大介9段、白番が原正和3段の対戦でした。この碁のハイライトは下辺の黒地で白が1子を動き出し、その後白が右上隅で黒の二間ジマリに付けていってからの攻防でした。下辺左での白の動き出しは右上隅での戦いでのシチョウアタリを見ていました。しかしシチョウアタリが役に立つ前に右上隅は退っ引きならない戦いとなり、結局劫付きの攻め合いになりました。しかしそれは黒の有利な一手ヨセコウでした。更に上辺で白が打った劫立てが問題で、結果的には無効になりました。黒は劫を解消して右上隅から右辺で40目クライの地を確定しました。白は劫の代償で上辺か左辺の黒のどちらかを取らないと勝負にならない形勢でした。黒は左辺の4子は捨てても形勢は悪くなかったと思いますが、成り行きで全て頑張ることになり、真ん中の白に切りが入って薄かったこともあり、結局全部活きました。こうなると右辺の得の分黒が優勢で、ヨセの途中で白が投了しました。村川9段の戦いの上手さが優りました。
木下恵介監督の「この子を残して」
木下恵介監督の「この子を残して」を観ました。「長崎の鐘」と同じく永井隆博士を描いた映画で1983年の作品です。脚本を木下恵介監督自身と山田太一が書いています。1950年の「長崎の鐘」の時はGHQによる検閲のため、原爆の被害の生々しい描写を入れることは出来ず、キノコ雲のシーンの後はすぐに焼け落ちた瓦礫のシーンになります。1983年のこの映画は、映画の途中にも悲惨なシーンは出て来ますが、最後にまとめるように、原民喜の「水ヲ下サイ」と峠三吉の「ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ」が朗読され、当時の悲惨な情景が描写されます。「水ヲ下サイ」は以前観たジョン・アダムズのオペラ「ドクター・アトミック」の中でも使われていました。(「ドクター・アトミック」は原爆を開発するマンハッタン計画の中心的な科学者であったオッペンハイマー博士を主人公にしたオペラです。)
永井隆博士自身は、原爆の被害を受けたことを、神が信者に与えた試練、燔祭(ホロコースト)と捉えていましたが、それは当然当時の被爆した信者全員がそう思っていた訳ではなく、この映画の中でも浦上天主堂での合同慰霊祭の時に、永井博士が読んだ弔辞に対する「異議あり!」の声や、永井博士の妻の緑のお母さんが博士に対して文句を言うシーンで代弁されています。
「長崎の鐘」は悲惨なシーンが少なく、また古関裕而の音楽の素晴らしさもあって、感動を得られる映画ですが、この映画は非常に重いです。何度も観る映画ではありません。丁度今週「エール」で「長崎の鐘」のエピソードであり、この機会しかないだろうと思って観ました。