小林信彦の「夢の砦」を33年ぶりに再読。言うまでもなく、江戸川乱歩に見いだされ、宝石社でヒッチコックマガジンの編集者となり、最後はその宝石社を追われた小林信彦自身の経験が元になっています。ですが、単純な自伝的小説ではなく、主人公の前野辰夫からは小説家としての要素は取り払われ、その代わりに川合寅彦という人物がその面を担います。それどころか、ヒッチコックマガジンの編集長の中原弓彦自身も登場する三重のこみ入った構造になっています。また、小林信彦がヒッチコックマガジンの編集長になるのは1959年ですが、この小説では舞台は1961年に移されています。これは、1959年を舞台にすると、どうしても60年安保を扱わざるを得なくなるからだと作者が説明しています。この1961年、私にとっては生まれた年なのですが、一種独特の、あらゆる分野で新しい才能が登場し、毎日がお祭りのような熱気を帯びていた時代だったようです。そういった時代の熱気に煽られるように、主人公の前野は、雑誌の成功に留まらず、広く同時代の文化人の「夢の砦」を作ろうと奔走します。小林信彦の処女作の「虚栄の市」とも重なる部分があり、赤坂の草月会館でのイベントがどちらにも登場します。この小説の一番優れている点は、1961年~64年のそうした時代の雰囲気と街の風俗がきわめて生き生きと描写されていることだと思います。ただ、物語の結末が、川合寅彦は成功の道を歩むものの、前野辰夫の方はその後が見えないある意味暗い終わり方をしていて、読後感のさわやかさがなくなっているのは残念な点です。それでも、「虚栄の市」に比べれば、登場人物に含ませた「毒」はかなり少なくなっています。もう一つ興味深いのは、作中で赤星プロとして出てくる、芸能プロの渡辺プロと小林信彦の関わりで、最初は渡辺プロの批判をしていたことは(これはどこまで事実なのかわかりませんが)初めて知りました。小林信彦は後に渡辺プロのブレーンとなって、クレージー・キャッツの映画のギャグの監修をしたりしていますので、どこかで和解したのでしょう。
ハクビシン
ダイゼン
セグロセキレイ
NHK杯囲碁 謝依旻女流本因坊 対 瀬戸大樹八段
本日のNHK杯戦の囲碁は謝依旻女流本因坊と瀬戸大樹八段の一戦。謝依旻女流本因坊は、女流名人九連覇を達成し、女流のNo.1です。対する瀬戸大樹八段は、棋聖戦リーグ1期、本因坊戦リーグ3期在籍の実績を持つトップ棋士です。ちなみにこの2人と高梨聖健八段は、Monotoneという歌手ユニットを結成しています。対局は、黒の謝女流本因坊が序盤早い段階で、下辺に踏み込んだ白をツケコシで分断に行き仕掛けます。(余談になりますが、早碁に強い棋士は、概して仕掛けが早いようです。例えば結城聡九段など。)複数の石がからみ合った戦いになりましたが、黒が終始攻勢を維持して寄せに入りました。地合だけなら細かい碁でしたが、黒は白の大石に劫で寄りつき、白は連絡だけの手を打たされ、黒が劫を解消して、ここではっきりと黒リードになりました。終わってみれば、黒の三目半勝ちでした。
小林信彦の「丘の一族」
小林信彦の「丘の一族」再読。小林信彦の自選作品集で、「丘の一族」、「家の旗」「八月の視野」「みずすましの街」の四篇を収録。「丘の一族」、「家の旗」「八月の視野」の三作は芥川賞候補、「みずすましの街」は直木賞候補になっています。「丘の一族」は「汚れた土地」をある意味私小説的に書き直したものです。「汚れた土地」とは違って、米兵相手に貸家業を営むイギリス人が、小林信彦の遠い親戚であったことが明らかにされています。「家の旗」は、和菓子屋「立花家」ののれんを、祖父の弟子に売り渡す話です。「八月の視野」は、戦争直後の小林家の暮らしぶりを当時中学生だった筆者の視点で描いたもの。「みずすましの街」は「ぼくたちの好きな戦争」のある意味姉妹編のような短編で、遊び人清さんの戦中・戦後の移り変わりを描きます。
ケルビーニ 荘厳ミサ曲ヘ長調「シメイにて」
キセキレイ
小林信彦の「大統領の晩餐」
小林信彦の「大統領の晩餐」を取り寄せて読みました。35年ぶりくらいの再読です。初期の小林信彦は、なかなか売れず、作品も方向性が定まりませんでしたが、初めて書いたジュブナイルの「オヨヨ島の冒険」がヒットし、NHKでドラマ化もされます。(ちなみにこのNHKのドラマはかすかに記憶していますが、かなりひどいものでした。)このオヨヨ大統領が登場する作品はシリーズ化されました。その中には、「冒険」と同じジュブナイルのものと、大人向けのものと二種類あります。「大統領の晩餐」は大人向けシリーズの中では最高傑作だと思っています。この作品の特長は、小林信彦のグルメぶりが遺憾なく発揮されていることで、小林信彦のグルメものとしては、「ドジリーヌ姫の優雅な冒険」とこれが双璧です。この作品の中で放送作家南洋一が知らないで蛙を食べて、戦争中を思い出して涙ぐむシーンがありますが、「冬の神話」を読んでいたので、初めて意味がわかりました。ちなみに表紙のイラストは、小林信彦の弟さんの小林泰彦によるものです。