白井喬二の「斬るな剣」を読了。1933年に改造社の改造文庫で出たもの。「斬るな剣」、「悪華落人」、「国入り三吉」、「職追ひ剣」、「或日の大膳」、「薫風の髭噺」、「油屋円次の死」、「邪魂草」、「和睦」、「目明き藤五郎」を収録。「斬るな剣」、「悪華落人」、「和睦」の3作のみ未読で後は既に読んでいます。
「斬るな剣」は、なかなか不思議な話で、父親が生涯かけて作り出した新式の狼煙が領主に採用されて、報奨金も出ることになり、またお召し抱えということになって代官がやってきますが、何故かその父親が屠腹して死んでしまいます。父の遺書によると、昔父が仕官していた時に酒の上の喧嘩である者を斬り、逐電しますが、その時に父に公金拐帯の嫌疑をかぶせたものがあり、父は戻ってきてその噂を流した者も斬って再度逐電します。ところが今度やって来た代官がその斬った者の甥だということで、顔を合わせることができなくて自害したものでした。長男の仟之丞は父の今際の際に、生涯に一度しか剣を振るってはならないという遺言を受けます。その後、その代官が無理矢理やって来て、仟之丞の父が死んだことを知り、また仇であることも知ります。そこで仟之丞とその弟の百次郎がその代官と対立しますが、代官は逃げていきます。ところが、その代官が誰かに殺されてしまい、その容疑が兄弟にかかります。兄弟はそれぞれ逃げて、二人が別々に、ごろつきの博打打ちの世話になりますが、実はその片方は亡父に公金拐帯の濡れ衣を着せた者で、もう片方は代官殺しの真犯人ですが、兄弟の二人ともがその両方の博打打ちに世話になってその義理で、博打打ちを斬ることができない、という話です。仟之丞が剣の腕をふるえなくて葛藤する所は面白いですが、全体としては話が途中で腰砕けになっているような印象を受けます。
「悪華落人」は、赤穂浪士の討ち入りの時に、浅野家の家老藤井又左衛門の邸宅に吉良家からの間者として入り込んで、そのうちに吉良上野介が討ち入られて死んでしまい、そのため自分の身分もばれて逃げ出した男の話です。この設定自体がかなり変わっています。
「和睦」は若き日の伊達政宗の物語で、政宗の父の伊達輝宗と戦った二本松右京之進が和睦と称して、その会見で輝宗を人質に取って逃げたのを、政宗が輝宗が刺されるのを承知で右京之進を追いかけ、結局これを討つ話です。
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白井喬二の「維新櫻」
白井喬二の「維新櫻」を読了。1957年に出版されていますが、明らかに戦前の作品で、何故それがわかるかというと、1940年に松竹で映画化されているからです。主人公は、白井作品には珍しく悪漢タイプで、元禄時代に貨幣の質を落としてインフレを招いて新井白石に糾弾された荻原秀重の子孫である於木奈照之助です。照之助は幕府に偽名で仕官して、秘かに幕府の書物を調べて先祖の汚名を晴らそうとしますが、仕官が決まる場で、新井白石の子孫である新井覚三に秀重の子孫であることを暴露され、覚三ともう一人を斬り殺して逃亡します。そういう展開なんですが、しかし途中から主人公は次第に、島甲斐左近の甥である美少年の室生数馬になっていきます。数馬は最初は照之助とは斬り合いをする関係でしたが、物語の後半ではふとしたことから、照之助の女房のお千代が秘かに盗み出した幕府が隠匿していた書物を読むことで、荻原秀重の政策が実は先見性のあったものであることを知り、ついには幕府に対して建白書を書くようになります。ちょっと白井作品には珍しくストーリーとしては破綻気味ですが、この時代に荻原秀重の再評価をしているのが先見性があると思います。荻原秀重は新井白石が賄賂を受けていたなどと書いたので悪評が定着していましたが、実は金本位制を飛び越えて、江戸時代に既に管理通貨制度を実施しようとした程進歩的な人であり、今で言えばリフレ派でした。(これに対し、荻原秀重の後、幕府の財政を担当した新井白石により、世の中はデフレになりました。)更には、長く佐渡奉行を勤め、金の産出量が激減していた佐渡金山を立て直しています。佐渡奉行が出てくる白井作品はこれで三作目で、何故白井が佐渡金山にここまで関心が深いのかが興味深い所です。
白井喬二の「大衆文学の論業 此峰録」
白井喬二の「大衆文学の論業 此峰録」を読了、といっても斜め読み。白井喬二自身の文学に関する論考と、色々な評者の白井作品や白井自身についての論考を集めた本です。白井に関する研究書はほとんどというか皆無に近いので貴重です。この本を読んで、白井が始めたと言って良い「大衆文学」が、今やまったく堕落した別物に変わり果てたことを嘆かざるを得ない気持ちです。白井が一番活躍した大正末期から昭和初年の頃というのは、「エログロナンセンス」の時代ですが、白井は「ナンセンス」に関しては人後に落ちませんが、「エログロ」に関してはまったく痕跡も白井の作品には見ることができません。(戦後の作品は除く)同じく「大衆文芸」の同人であった国枝史郎がしばしば「グロ」に走っているのとは対照的です。
後は白井がいわゆる「歴史小説」に否定的なのも面白いです。どんなに考証をしっかりやろうと、所詮「歴史」はその時々の為政者によって都合良く作られたもので、真実ではない、という認識です。
また収録された白井の作品の中で、「大衆文学百首(短歌)」が白井の本音が透けて見えてちょっと面白いです。いくつか引用します。
・読む者が多ければよしと そは然り だが大衆文学はそこが落とし穴
・真善美の 真を事実のことと思うか べったらやたら歴史小説栄ゆ
・圭三の「私の秘密」に出でたるに 元気おどろくの便り殺到 よぼよぼと思いおりしか
・机龍之助 武蔵は 歌舞伎に適すれど わが公太郎は適せず そこを見てくれ
・映画 テレビの 富士に立つ影の不できさに 愚鈍のわれも怫然としぬ
・戦死せし山中貞雄をしのぶかな 盤嶽の一生 あの巧さ 良心 映画のふるさと
・一生に一度の豪語いわしめよ われ一人書きおらば 形相はもっと変わっていたろうと
・振りむけば ノコギリ山の春霞 思い出の山 その独楽勝負
・若かりき 富士は愛鷹裾野原 この裾野原に立ちし日のユメ
白井喬二の「孔雀屋敷」
白井喬二の「孔雀屋敷」を読了。最初に出版されたのは1955年なのですが、実際は初出は戦前のものではないかと思います。というのは、1937年の「珊瑚重太郎」に話の展開が非常に良く似ているからです。主人公の山中児太郎は、ふとしたことから孔雀屋敷と呼ばれる武家屋敷に奉公することになりました。孔雀屋敷と呼ばれるのはそこの奥方が孔雀のように美しいからですが、でもその奥方と主人は不和で家庭内別居をしています。その理由は以前その屋敷に敵方の間者が入り込み、こともあろうに奥方がその間者と恋仲になったという疑いがあったからです。その間者はその屋敷の座敷牢に捕らわれていましたが、児太郎はその間者が本当に奥方と恋仲だったのかどうかという証拠を求めて、敵方の屋敷に乗り込みます。その時に屋敷に入り込むため、色々と話をでっちあげ、結局自分の姉を御姫様に仕立てて、その屋敷に結婚の相手を世話させるということになります。もちろん嘘の話ですから本当に結婚する訳にはいかないのですが、次から次に色々な縁談が持ち込まれて、児太郎がその度に窮地に陥ります。この次から次への窮地という展開が「珊瑚重太郎」にそっくりです。ただ、「珊瑚重太郎」の場合は、主人公は常に正義感に基づいて行動しますが、「孔雀屋敷」の場合は、自分の都合で、罪もない敵方屋敷の家来を斬り捨てたりしますので、さわやかさ、という意味ではちょっと劣ります。とはいえとても面白い作品で、最後も白井らしくうまくまとめて大団円です。
白井喬二の「後の月形半平太」
白井喬二の「釈迦・日蓮」
白井喬二の「釈迦・日蓮」を読了。昭和18年の太平洋戦争中の出版です。活字がかなり大きいのですが、文章が易しくしてあるわけではなく、特に子供用という訳ではないようです。日蓮と釈迦の伝記ですが、「日蓮」の方で、日蓮が「八紘一宇」とか「大日本帝国」とかの単語を用いるのが、時局に合わせたんでしょうが、無茶苦茶です。ちなみに、「八紘一宇」という単語を使い出したのは、確かに日蓮主義者の田中智学なんですが、いくらなんでも日蓮の時代に「八紘一宇」という言い方はありません。(日本書紀に「掩八紘而爲宇」という表現で出てきますが、「八紘一宇」という言い方は田中智学が使い始めたものです。)白井喬二は確か浄土宗だった筈で、何故に日蓮の伝記を書いたのかの動機は不明です。「釈迦」の伝記については、特にどうということはなく普通です。
三遊亭圓生の「金明竹、位牌屋」
本日の落語、三遊亭圓生の「金明竹、位牌屋」です。
「金明竹」は前半は典型的な与太郎噺です。与太郎が傘を借りに来た人に一番上等な傘を貸してしかも返さなくてもよい、と言ってしまい、旦那に怒られ、そういう時の断り方を教わります。次に、猫を借りに来た人がいて、与太郎は「この間の長しけでバランバランになっちゃって…」と傘の断り方をそのまま言ってしまいます。旦那はまた怒って猫についての断り方を教えます。次に旦那自身を呼び出しに来た人が来て、与太郎は「この間から盛りがついて…」と猫の断り方を旦那について言ってしまいます。後半からは上方から使いでやってきた男の口上が早口でしかも上方訛りなのでさっぱりわからず、何度も聴いたけど結局旦那にとんでもない勘違いの報告をします。
「位牌屋」はケチなある商家の旦那の噺。その旦那にめでたくも子供が生まれたけれど、旦那は色々お金がかかると渋い顔。番頭さんはおめでただから、味御汁に何か具くらい入るだろうと期待しているけど、丁度八百屋が摘まみ菜を売りに来ます。旦那は無茶苦茶な値切り方をしたので八百屋は怒って帰りますが、むしろに残った摘まみ菜を集めて味噌こし一杯くらいになったので、それを味噌汁の具にしてしまいます。次に芋屋が芋を売りに来るけど、これも買わないばかりか煙草をたかって、同じ質問を何度も繰り返して芋屋を煙に巻いてしまいます。次に小僧が位牌屋に頼んでいた位牌を取りに行くけど、そこで小僧が旦那の口上の真似をして頓珍漢なやりとりをする、という噺です。
テレビ囲碁アジア選手権決勝 李欽誠2段(中国) 対 シン・ジンソ6段(韓国)
本日はNHK杯戦の囲碁の放送はなくて、テレビ囲碁アジア選手権の放送が3時間ありました。日本、韓国、中国の3ヶ国7人の出場で、日本からは張栩9段と寺山怜4段が出場。残念ながら2人とも1回戦負け。2000年くらいから日本は国際棋戦で勝てなくなっています。ただ、3年前のこの大会で井山裕太6冠王が例外的に優勝しています。決勝は黒が中国の李欽誠2段で17才、白が韓国のシン・ジンソ6段で16才の、日本風に言えば高校生同士の対戦です。対局は大変な石のねじりあいとなり、盤上に5つの双方の大石がからみあう、ということになりました。白は一旦下辺から中央に延びた大石が取られましたが、その代償に右上隅の黒を取りにいきました。黒はこれに対し、右辺の白を攻め、最悪攻め取りにさせることを狙いました。これに対し白は取られていた下辺から中央に延びた大石の復活を狙って中央を切っていきました。白は右下隅に手掛かりを求めましたが、黒は手抜きして中央の白を切り離しました。この結果右辺の白は取られてしまいましたが、右下隅で劫になり、この劫は白が勝って取られていた白の大石が復活しました。これの収支は黒にメリットがあり、黒優勢になりました。残りは上辺となり、ここをうまく切り上げれば黒の勝ちでしたが、黒は無難にまとめました。右辺の取られている白からは、寄せとして1線にはねる手があり、尻尾の4子を生還させる手がありましたが、残念ながら白には手番が回りませんでした。結局黒の中押し勝ちで、李2段は優勝の最年少記録を作りました。
白井喬二の「薩英戦争」
白井喬二の「薩英戦争」を読了。改造社の維新歴史小説全集全12巻のうちの1巻で昭和10年(1935年)に発行されています。
幕末の1862年に、薩摩藩の大名行列が、横浜と川崎の間の生麦村で、行列を横切ろうとしたイギリス商人を斬り捨てたという、いわゆる生麦事件が起きます。これに対してイギリスは賠償金を要求しますが、幕府は10万両を支払いましたが、薩摩藩は自藩の支払いを拒否します。そこでイギリスは1863年8月に実力で賠償金を取り立てるため、7隻の軍艦で艦隊を仕立てて、鹿児島の錦江湾に侵入します。イギリス艦隊は砲撃で鹿児島の市街を焼き払いますが、薩摩藩側も各所に据え付けられた砲台から艦船を砲撃し、イギリス艦隊の旗艦ユーライアスの艦長が戦死、レースホースは大きな損害を受け自力航行が不可能になりました。それに対して薩摩藩側の死者は数名に留まっています。しかし薩摩藩側の砲台などの被害も甚大で、戦闘がそれ以上長引けばどうなるかわかりませんでしたが、イギリス艦隊は目的を果たさず引き上げていきました。この時代、既に薩摩藩は電気ワイヤで点火する水雷を備えていましたが、イギリス艦隊が引き上げるときに針路を変えたため、この水雷が威力を発揮することはありませんでした。その後イギリス艦隊は再来することなく、結局イギリスと薩摩藩の間で話し合いが行われ、遺族の養育料として薩摩藩が7万両払うことで合意し、ここに戦争は終結しました。この戦争の結果は列強にとって驚きであり「日本侮り難し」というイメージを与えたそうです。この本には白井の文以外に関係者の証言みたいな資料もたくさんついていて、創作というより歴史ドキュメンタリーです。