熊木公太郎も白井喬二の分身?

久し振りにヤフオクで白井喬二ネタを入手。雑誌「富士」の昭和23年3月の特別増刊で「大衆文藝出世作全集」です。
作品は「怪建築十二段返し」でこれは既読ですが、岩崎榮という人の「大衆文壇 黎明期の諸星」の白井喬二の分が非常に興味深いです。鳥取での中学生時代にボートレースがあって、白井も選手でしたが、白井は遅刻し、白井の代員が出たチームは優勝します。それで後からやっと駆けつけた白井が何をやっていたかというのをボートのメンバーが問い質すと、知人から「菜根譚」を借りて読んでいたのを、その知人がそれを誰かに売り払うというので、その知人の家まで行ってその「菜根譚」を買って来たという訳ですが、「菜根譚ならそこらの書店で売っているじゃないか」「何だそうか」という話で、しかもボートレースは白井が出ていたら優勝しなかったんではないかということです。前から白井喬二は「盤嶽の一生」の阿地川盤嶽の分身みたいなものだと思っていましたが、実は「富士に立つ影」の熊木公太郎も白井自身なんだと分ってちょっとうれしくなりました。一応白井の名誉のために補足しておくと、ボートを漕ぐのは上手くなかったようですが、剣道では中学時代に2段を取っています。当時中学生で2段は珍しかったそうです。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第35回目

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第35回目を公開しました。ここは英訳と全集版の注釈におかしな所があり、調べるので時間がかかりました。どちらの方も文脈を無視した断片的で表面的な解釈をしているよう思われます。

ヴェーバーの「中世合名会社史」、英訳も全集版の注釈も問題…

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳、またも英訳の明らかな間違いと同じ箇所での全集の注釈が適当な所を見つけてしまいました。英訳者の訳し方が表面的であることは既に分ってきたので今さらですが、全集版の注釈は本来ドイツの学界の全力を挙げてこれを出した筈(2004年にシュルフター教授からもらったメールには「歴史的な史料批判が加えられたマックス・ヴェーバーの全著作が、批判に対する反批判の注釈付きで、もうすぐ出版される」とありました。)なので、困ったもんです。少なくとも3万円を超える価格(この巻は送料含めずに€259です。私が買っているのは全て自腹です。)に見合った研究レベルではないと思います。ラテン語の引用の綴りの間違いとかは非常に沢山注が付いていますが、肝心な内容の理解に関する注が突っ込み不足です。ランゴバルド法のmetaの解釈もおかしかったですし。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第34回目を公開

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第34回目を公開しました。これで全体の70%を訳し終わりました。最近は順調です。今訳している部分はラテン語が出てきても断片的なものが多いので、それほど時間がかかりません。
なお、英訳の誤りと思われるものを別のポストで指摘しましたが、私の解釈で前後はきちんとつながりますので、やはり誤訳だと思います。訳者にメールしましたが、今の所返事はありません。

古関正裕の「君はるか 古関裕而と金子の恋」

古関正裕(古関裕而の息子さん)の「君はるか 古関裕而と金子の恋」を読了しました。読んでる途中は飛び交うキスマーク、ハートマークに当てられて中々独り者には辛い部分はありましたが、通して読んで二人の本当に真剣な恋に感銘を受けました。なお、現在残っている手紙は古関裕而が保管していたもので、奥さんが保管していたものは夫婦喧嘩の時に全部燃やしてしまったみたいです。この鴛鴦夫婦がどうしてそんな大げんかしたのかにちょっと興味がありますが。二人の恋は、昔のことで郵便によるというのがある意味丁度いいペースを保つのに成功したんじゃないでしょうか。今みたいにメールとかLINEでやりとりしていたとしたら、盛り上がるのも速いですが、醒めるのもまた速いのではないかと。ともかく二人で何百通もの手紙を交換しただけで、一度も直接会うこと無しに、ただ写真の交換ぐらいで二人は結婚を決意します。前に調べたことがありますが、確かこの頃の見合い結婚の比率は8割くらいあった筈です。そんな時代によくもこんなピュア100%の恋愛を貫いて結婚までにこぎつけたものだと感心します。
なお、ちょっと収穫だったのが山田耕筰が古関裕而のことを天才だと評価していたということで、だからこそコロンビアの専属作曲家という生計の道をわざわざ用意してあげたんだと思います。セクハラ親父で晩年は特に悪名の高い山田耕筰ですが、この点に関しては一人の貴重な才能を世に出したということで高く評価されるべきと思います。
それから残念なのが、手紙の中に出て来る古関裕而が心血を注いで完成させた5台のピアノのための協奏曲他の楽譜が失われて聴くことが出来ないことです。これは本当に残念です。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第33回目を公開

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第33回目を公開しました。前回のと今回の部分は「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の「資本主義の精神」の所の資本主義の発達と、教会法の利子禁止がどのようにからむかという所でゾンバルトを批判している所と密接に関係しています。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第32回目を公開

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第32回目を公開しました。これで既訳分が全体の2/3を超えました。完了予定日も現在の計算では2020年10月29日まで戻しています。一時は2021年になっていました。
この箇所は「プロテスタンティズムの倫理を資本主義の精神」を読む上では押さえておきたい所です。理由は教会法の利子禁止原理と資本主義の発達との関連についてのゾムバルトへの反論の中で言及されている海事利息制度、コムメンダ、ソキエタス・マリス、dare ad proficuum de mariの全てがここで出そろうからです。
個人的にはまたRentenkauf(地代徴収権購入)がここで出て来るのが興味深いです。
さらにヴェーバーはコムメンダやソキエタス・マリスは教会法の利子禁止をかいくぐるという目的で発達したのではないと 言いますが、実は最近の学説ではコムメンダはイスラム圏のムダーラバ契約が中東から北イタリアに伝わったのでは、という説が有力で、そのムダーラバ契約はまさしくイスラム教での利子禁止の教えの元で商売を行うために考え出されたもので、それがキリスト教圏でも利子禁止をかいくぐる手段として使われたのはある意味当然と言え、この点はヴェーバーの説は見直す必要があると思います。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第31回目を公開

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第31回目を公開しました。ここの所快調で、停滞気味だった4月頃のペースの倍近いペースで作業出来ています。ようやくヴェーバーのドイツ語の解読についての勘が戻ってきたのと、後中世のラテン語の解読のコツも分ってきたということかもしれません。この箇所では初めて「合資会社」が登場します。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第30回目を公開

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第30回目を公開しました。この所いいペースで現時点での(最終校正前の一応の)完了予想は2020年11月10日です。一時はこの予想が2021年1月2日まで遅れていましたがかなり挽回しました。
ここでは新たにcapitaneusという英語のcaptainの語源となった単語が新たに登場します。ソキエタス・マリスで全体の貿易ビジネスの総責任者という意味です。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第29回目を公開

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第29回目を公開しました。今回から第4章に入り、12世紀のピサでの慣習法の集成であるConstitutum Ususにおいて、連帯責任の原理の発展を確かめるという内容になります.
最近、翻訳の進捗は好調で、ヴェーバー没後100年の今年中に何とか完成出来そうです。