小倉孝保の「100年かけてやる仕事 中世ラテン語の辞書を編む」を読了。今、ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳をやる上で、中世ラテン語が頻出するので何か中世ラテン語の適当な辞書は無いか探している過程で見つけた本。この本で取上げられている、”Dictionary of Medieval Latin From British Sources”も17分冊の内の第14巻だけを持っています。この辞書は全部揃えると10万円近くになります。最初それでも購入しようかどうか迷ったのですが、結局”From British Sources”というのが引っ掛かって、私が欲しいのは”From Italian Sources”です。このブリティッシュ版を作成するに当たって、他の欧州各国にもそれぞれの国版を作りませんか、と呼びかけたらしいのですが、残念ながらまだイタリア版は出来ていません。というか、イタリア語は要するに中世における俗ラテン語がベースなので、現代イタリア語の辞書が中世ラテン語をある程度カバー出来ているのだと思います。実際に、古典ラテン語の辞書で見つからなかった単語が、綴りが少し変わっている場合がありますが、現代イタリア語辞書で見つかるケースが多くあります。たとえば、stacioという単語、おそらくこれは古典ラテン語ではstatio(じっと立っていること、が原義)なんだと思いますが、現代イタリア語ではstazioneで、事業所という意味です。(英語のstationと同語源)またbottegaというのが出てきて、これも古典ラテン語の辞書にはありませんが、現代イタリア語辞書では出ていて現在でも通用する言葉であり、「店舗」という意味です。
小倉孝保の本に戻ると、興味深かったのはこのブリティッシュ版中世ラテン語の辞書の最初の編集者が、OEDのジェイムズ・マレー博士の子孫だということです。実際、この辞書のスタイルはOEDのそれをほとんどそのまま踏襲しています。この小倉さんという作者については、元々毎日新聞の特派員の方のようですが、残念ながらご本人がラテン語を勉強したことが無いため、全体に単に関係者に話しを聞いてまとめた、といういかにも新聞社的な作りで、実際に辞書の中身を読んでその特徴をまとめたりとか、古典ラテン語の辞書との違いについてもっと分析するとか、そういった所が非常に不十分です。今、実際に中世ラテン語を読まなければならないプロジェクトをやっている訳ですから、中世ラテン語辞書の現代における意義なんか説明してもらわなくても十分分かっています。この筆者は100年かけたことに感心していますが、OEDはもっとかかっていますし、ドイツのグリム辞書も同じです。後半1/3は日本の辞書作りの話ですが、間接的な知り合いが多く登場します。(仕事で大修館の辞書を作っていた人とお付き合いがあったので。)この中世ラテン語辞書とかOED、グリム辞書といったスケールで作られた辞書は残念ながら日本には無いです。まあ諸橋大漢和がそれにかろうじて近いですが。日本国語大辞典は現時点はまだまだ未熟です。また日本は国がお金を出した辞書作りが0ということで、私の知り合いの辞書に関する先生は「日本には辞書学が無い」と嘆いておられましたが、まあその通りの状況です。
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山崎雅弘の「歴史戦と思想戦 ―歴史問題の読み解き方」
山崎雅弘の「歴史戦と思想戦 ―歴史問題の読み解き方」を読了。何でこの本を買ったのか忘れましたが、Amazonのお勧めで出てきたのか、よく覚えていません。内容は、産経新聞などが中心となって、「歴史戦」と名付けて、加瀬秀明とか中西輝政とかケント・ギルバートとかのいわゆる右寄りの方々の主張しているロジックの嘘を暴いて、同様の思想誘導が戦前・戦争中にもあったとしているもの。
正直、ロジックの嘘を一々説明してもらわなくても、瞬間的にインチキと分かるものばかりで、ほとんど得る所はなかったです。また、右を叩くなら、公平に左も叩くべきで、朝日新聞の強制連行に関する吉田清治のフェイク手記の連載などもきちんと批判すべきかと。
後、GHQが「ウォー・ギルト・プログラム」が日本人に戦争=悪の罪悪感を植え付けようとしたことが、ほとんど効果を上げていないと書いていますが、大衆小説の愛好家としては、GHQの政策が大衆小説、大衆演芸(講談、浪曲など)を日本の封建思想・軍国思想を広めるのに貢献したとして規制し、結果的に大きな打撃を与えたんだ、ということは忘れて欲しくないです。吉川英治みたいな要領のいい人は生き残りましたけど。
ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第16回目を公開
ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第16回目を公開しました。いよいよ佳境に入りかけている感じです。今回はラテン語はあまりないですが、その分ドイツが前章までより難しく感じます。ランゴバルド法の”meta”について、ヴェーバー、英訳者、全集版の注釈者の解釈に疑問があり、調査に時間を取られています。
ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳、ノート一冊分終了
亀長洋子の「イタリアの中世都市」
亀長洋子の「イタリアの中世都市」を読了。今、ヴェーバーの「中世合名会社史」を訳していて、頻繁にイタリアの中世の都市国家が出て来るので、予備知識を得ようと思っての読書。全部で87ページなのですぐ読めます。まあそんな突っ込んだ知識は得られませんが、概略のイメージは得られます。ヨーロッパの中世というと以前は暗黒の遅れた時代というイメージが強かったように思いますが、イタリアの諸都市国家では、カトリックの統制の裏をかいて利子を含む色んな商売の仕組みを整備していった、とてもたくましさを感じます。またコムメンダがイスラム起源で、複式簿記ももしかしたら中東世界の方が先だったかもしれませんが、それらを整備して発展させて来たのがイタリアの諸都市国家であることを疑う人は誰もいないと思います。そういう意味で、西洋に最初に発達した資本主義のゆりかごだったのは間違いなくイタリアです。また私は輸出貿易を14年ほどやった経験がありますが、貿易の基本的な仕組みがほとんどこの時代に作られたということにも感動を覚えます。このシリーズは高校の歴史の教科書で有名な山川出版社から出ています。
「中世合名会社史」ヴェーバー、英訳者、全集の注釈者の誤り(?)
ヴェーバーの「中世合名会社史」について、ヴェーバー自身、英訳者、全集版の注釈者、全員が間違っているんじゃないかという事例を発見しました。これで私が正しかったら、なかなかすごいと思います。英訳者には問い合わせ中です。
「中世合名会社史」の日本語訳の第15回目を公開
ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第15回目を公開しました。ここも中世ラテン語があってそれなりに大変でした。この回から第3章に入ります。実は最初に博士号論文として提出されたのはこの第3章の部分だけだったようです。そういう意味ではもっとも中心的な論考になります。
これで全体の28%が完了。このペースが継続出来れば、2020年中には全訳が完了する見込みです。
日本語訳の第15回です。いよいよ第3章に入り、ヴェーバーのこの論文における中心的な議論が出てきます。
塩田潮の「東京は燃えたか 黄金の60年代」
塩田潮の「東京は燃えたか 黄金の60年代」を読了しました。これも、1960年代の日本のあの憑かれたような熱気はどこから来たのかという興味からの読書です。保阪正康の「高度成長ー昭和が燃えたもう一つの戦争」もそうでしたが、1960年代の高度成長というものは、誰が首相でもそうなったのではなく、やはり池田勇人首相とそのブレーンであった下村治の政策が不可欠だったということが、再度明らかになりました。高度成長のスタートダッシュは1960年から61年にかけての民間の多額の設備投資による所が大きいですが、民間企業が投資に積極的になれたのは、政府が「所得倍増」とそれに伴う高い成長率をある意味保証してくれているので、それに乗っても大丈夫だろうという安心感があったのが大きいと思います。それが投資が投資を呼ぶといったいわゆる乗数効果的なことになったのだと思います。そしてもう一つは1962年頃になると、輸入増による国際収支の悪化と物価の上昇で、福田赳夫などは「所得倍増計画」に反対するようになります。しかし池田勇人はこの時東京オリンピックを上手く利用し、首都高速や新幹線の建設などの公共投資を積極的に行い、このケインズ政策がぴたりとはまって、日本経済は勢いを取り戻し、14%もの高い成長率を実現します。残念だったのは、そういう高度成長を支えた日本人の「エートス」を単にガンバリズムの一言で片付けてしまっていて、私が本当に知りたいのはそこなのですが、残念ながらこの本では答えは得られませんでした。
後、池田勇人にしても、下村治にしても、池田勇人は珍しい皮膚病で、下村治は結核でどちらも出世レースから大幅に遅れてしまったのが、後半の人生でそれを取り戻すという点が興味深いです。しかし池田勇人はご承知の通り、東京オリンピックの閉会式を見届けた後、喉頭癌で亡くなってしまうのですが。
手書きのメリット
ヴェーバーの「中世合名会社史」の翻訳はこうやってノートにまず万年筆で書いて、それを後でキーボードで打ってテキストにしてブログにアップしています。そのノートがもうすぐ一冊終わります。この万年筆で書くという行為、それ自体はキーボードの入力よりははるかに遅いですが、メリットとして書きながら同時に考えるということが可能です。さらにそれをキーボードである程度のスピードで入力することで、スピードを上げて読んだ場合に文章が不自然でないかチェックすることが出来ます。この二重のプロセスって、一見無駄のようですが、実は良い翻訳のためには非常に有効であるように思います。また万年筆って、大学の時以来長らく使うのを止めていたのですが、再度使ってみるとすべりが非常によくて本当にすらすら書けて気持ちがいいですし、中字のペンですがある程度線に太さがあるのも気に入っています。後、実は手で書くという行為は暗記には非常に有効です。高校の時、私は歴史などの暗記物は必ずノートに書いて覚えました。そうしたやり方を原始的だとか効率が悪いと批判したのが一人いましたが、高校の三年を通じてそいつより私の方が成績が上でした。目で追うだけですらすら量をこなしていっても、結局記憶出来た部分が少ないのであれば意味が無いです。
小泉志津男の「日本バレーボール五輪秘話④ 世界三冠の舞台裏」
小泉志津男の「日本バレーボール五輪秘話④ 世界三冠の舞台裏」を読了しました。全日本女子の、1974年の世界選手権、1976年のモントリオールオリンピック、そして1977年の日本開催でのワールドカップの3つで全て優勝という栄光の日々と、全日本男子のミュンヘンの後の凋落ぶりが描かれます。まあ日本バレーの最後の栄光の日々という感じで、このシリーズは後1巻ありますが、さすがにそれは読む気がしません。女子の三冠を達成した監督は山田重雄で、強引に選手をスカウトしたり自分勝手な振る舞いが多くて、かなり敵が多かった人のようですが、ともかくもモントリオールオリンピックで、決勝のソ連戦を含めて一セットも落とさないパーフェクトな勝利を達成したチームを作り上げたことは、称賛し過ぎるということはないと思います。日本が作り上げたとも言えるコンビネーションバレーが、ミュンヘンの男子でとモントリオールでの女子で花開きます。これ以降は各国が日本のコンビネーションバレーを取り入れた上でさらにパワーで押しまくる強打のバレーも併用し、次第に日本が勝てなくなります。また、従来はソ連と共産圏の国々が主な相手でしたが、キューバやブラジルの中南米勢、そしてアジアでも中国や韓国が成長してきて日本を脅かすようになります。ただ、ミュンヘンへの後、男子はモントリオールではついにメダルに届かない4位と、後は凋落するばかりかと思っていたら、1977年の日本開催のワールドカップでは銀メダルで、最後の意地を見せたみたいです。この銀メダルには久し振りに全日本に復帰した森田選手の活躍が大きかったようです。
私の、日本バレー界を振り返る読書もこれで打ち止めです。後は2020年東京オリンピックで、日本がどこまで見せてくれるのかを期待しています。