白井喬二の「瑞穂太平記」(奈良篇、平安篇)

jpeg000-55白井喬二の「瑞穂太平記」(奈良篇、平安篇)読了。
白井喬二による、日本史の再構成第二弾です。取り上げられたのは、平城京遷都、大仏建立、道鏡と和気清麻呂の争い、坂上田村麻呂の蝦夷征伐、小野小町、菅原道真などです。その中に「詩と盗賊」という章があり、これが大変白井らしいお話しで、宮中に詩がはやると、それを書き付けるための紙が必要になり、紙屋が栄えます。ところが、その紙を漉く排水のおかげで農作物に害を与えます。それをある盗賊が義賊してそれを懲らしめるため紙屋に盗みに入ります。その盗賊は捕まりますが、自己の信じるところを滔々と延べ、お上を批判します。結局その盗賊は首を斬られますが、その思いは伝わって、紙作りは禁止になる、というちょっと不思議なお話です。また、小野小町の話も面白く、漢学派に対抗する和学派というのが出来たのですが、和歌をよくする小野小町を仲間にしたのが転落の始まりで、美人の小野小町に骨抜きにされる男性が二人も出て、世間の非難をあびて、その集まりが没落するという話です。小野小町自身は男を渡り歩いて、却って名を上げます。第三巻は「源平篇」です。

白井喬二の「瑞穂太平記」(上古篇、大化篇)

jpeg000-54白井喬二の「瑞穂太平記」(上古篇、大化篇)を読了。全五巻のうちの第一巻です。昭和15年から四社連盟の新聞四誌(「福岡日日」、「新愛知」、「北海タイムス」、「河北新報」)に連載されたものです。白井喬二版の日本史ですが、戦前の小説ですからベースとなっている史観は当然戦前のもので、いわゆる皇国史観です。上古篇は、宇部家と物集(もずめ)家が代々対立するのを描くという、「富士に立つ影」にちょっと似た構成です。出てくる時代は、大国主命の国譲り、神武東征、神功皇后の三韓征伐などです。「大化篇」は聖徳太子の話と、タイトル通り「大化の改新」の話です。しかし正直な所、白井喬二の本骨頂は白井流の虚構の歴史であって、実際の歴史に即したお話しは想像力の飛躍が感じられなくて今一つのように思います。戦後復刻されていませんが(学芸書林の全集の第二期には入る筈でした)、無理もないと思います。

白井喬二の「桔梗大名」

jpeg000-52白井喬二の「桔梗大名」を読了。白井喬二の自伝でも、この作品についての言及はなく、いつ書かれたか不明です。桃源社の「昭和大衆文学全集」の第2巻に入っています。「桔梗大名」とは、桔梗を家紋とする大名、明智光秀のことです。明智光秀を主人公とする時代小説は比較的珍しいのではないかと思います。この作品では、明智光秀は非常に有能で情にも厚い武将として描かれています。明智光秀自身だけではなく、その家臣の視点から視た光秀が描かれています。ただ、小説としては未完で、明智光秀の話だというのに、本能寺の変まで行き着きません。ただ、波多野秀治の城攻めで、和睦して、波多野秀治らの命を保証する代わりに、光秀の母を人質にしていたのに、信長が波多野秀治の命をあっさり奪って、そのために光秀の母が殺されてしまったり、お馬揃えで、光秀が指揮を取って見事に演習を成功させたのに、それを信長が一言も褒めなかったなど、後の光秀の謀反の原因が蓄積していく段階で、唐突に話は終わってしまいます。また、もう一つの特徴として、光秀を築城の名人として描いており、二条城、安土城は光秀の手で建てられたとしています。「富士に立つ影」の作者らしい関心です。

白井喬二の「露を厭う女」

jpeg000-51白井喬二の「露を厭う女」読了。昭和10年に婦人公論に連載されたもの。タイトルは、横浜の岩亀楼の女郎の喜遊(亀遊)が、アメリカ人相手をするように申し含められた時に、「露をだにいとふ大和の女郎花 ふるあめりかに袖はぬらさじ」という歌を残して自害しましたが、その歌の上の句によっています。箕作周庵の娘として何一つ不自由なく育ったお喜佐が、そのうち父親が借財を抱え、その上病気になり、勤王の志士久原釆女之正と恋仲になりながらも、次第に没落し、ついには岩亀楼に女郎として出ることになります。それも最初は日本人相手だけでしたが、幕府がアメリカ商人から銃を調達するため、そのアメリカ商人の相手をするように言い含められて結局自害する、というある意味転落の人生を同情込めて描いた作品です。
これで、学芸書林の白井喬二全集(第一期)に収められた作品は全部読了しました。

白井喬二の「源平盛衰記」(下)

jpeg000-49白井喬二の「源平盛衰記」(下)を読了。下巻は最初から最後まで、源義経の話です。前半で木曽義仲を宇治川の合戦で打ち破り、その後一ノ谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いと平家を三連続で大敗させ、ついには平家を滅亡に導きながら、その後頼朝から理不尽に憎まれ、平家を打ち倒した大功に対して報いられることもなく、最後は衣川の館で自害するまでを描きます。
壇ノ浦の戦いでは、平家の大将平知盛が、唐船という大きな船にわざと雑兵だけを乗せておき、名だたる武将はわざと小舟に乗せて、源氏の船が唐船をめがけて押し寄せてきたら、それを小舟で取り囲んで攻撃し殲滅を図る、という作戦を立てていました。ところが、阿波の民部重能(田口成良)という武将が、最初平家に味方しておきながら、戦いの途中で突然白旗をかかげて源氏に寝返っただけでなく、知盛の折角の作戦を源氏側にばらしてしまったため、源氏はこの作戦について対策できたということです。この重能の裏切りがなかったら、壇ノ浦の戦いは平家の勝利に終わっていたかもしれません。阿波弁でいう「へらこい」とは、この重能のような人を言うのでしょうか。
頼朝の義経に対する一貫したひどい態度は、弟の軍事的才能に対する一種の嫉妬なんでしょうか。それに対し義経は、もし自分で挙兵して兵を集めて頼朝と戦えば、かなりの確率で勝ったでしょうが、保元の乱のように、源氏が親子・兄弟で敵対して争うのは馬鹿げていると、ついにそれをしないまま死んでいきます。頼朝が実の弟を殺してまで樹立した源氏の政権である鎌倉幕府ですが、史実の通り、頼朝の直系はわずか三代で絶えてしまいます。因果応報というべきでしょうか。

白井喬二の「源平盛衰記」(中)

jpeg000-47白井喬二の「源平盛衰記」(中)を読了。保元・平治の乱で源氏の勢力を追い落として、平家の天下になり、清盛はその娘の建礼門院に安徳天皇を産ませて、ついに天皇の外戚にまでなります。奢った清盛は好き勝手をやろうとしますが、その子重盛がいつもそれを抑えます。その重盛も病気になって死んでしまいます。清盛の行動は抑えがなくなり、ついには福原に遷都して都の人間の恨みを買います。一方で東国に流されていた頼朝は、北条政子を妻として、北条家の力をバックに、次第に勢力を築きます。また、牛若丸は鞍馬山を脱出して奥州の藤原秀衡の元に身を寄せ、その後京都に出て、六韜三略の書を読むことに成功し、また弁慶と戦い、弁慶を家来にします。この戦いは一般的には京の五条の橋の上、ということになっていますが、白井は講談的な作り話を基調としながらも、ここは「義経記」に即して二人の戦いは清水観音でということになっています。(史実ではこの時点では五条大橋はまだなかったみたいです。)その後義経は東国の頼朝に合流します。一方で信州では、やはり源氏の忘れ形見で頼朝・義経から見ると従姉妹にあたる木曽義仲が、秘かに勢力を蓄え挙兵します。平家側は謀反に対し、まず東国に大軍を送って頼朝を討とうとしますが、富士川の戦いで、夜中に水鳥が一斉に飛び立つ音に驚いて、一戦も交えず敗退して京に戻ります。その後、木曽義仲を討とうとして信州に軍を派遣しようとした所で、清盛は熱病にかかり、ついには命を落とします。その後、義仲追討軍は派遣され、義仲は最初は敗れるものの、倶利伽羅峠の戦いで平家の大軍を倶利伽羅の谷に追い落とし、大勝します。義仲の兵が京に攻め上ると、平家は安徳天皇を連れてあっさりと都落ちし、義仲は京に無傷で入ります。平家は最初九州に入って、勢力を盛り返そうとしますが、うまくいかず、結局四国の屋島に拠点を構え、再び強い勢力を築くことに成功します。一方で京の義仲の軍は、義仲が政治になれずうまく人心を把握することができず、またその軍の乱暴狼藉が人々の恨みを買います。後白河法皇はそうした義仲の専横を憎み、東国の頼朝と連絡を取ります。
といった、中巻はまあ知っている歴史のおさらいみたいですが、頼朝、義経、そして義仲といった源氏の武将が魅力的に描かれています。義仲にしても、子供の時は実に機転の利く利発な子供として描かれています。

白井喬二の「源平盛衰記」(上)

jpeg000-46白井喬二の「源平盛衰記」(上)を読了。昭和元年10月から昭和4年2月まで「時事新報」に連載されたもの。白井喬二としては、一番脂ののった頃の作品で読み応えがあります。上巻では、平家が西国の海賊を退治して次第に勢力を増していき、そして保元の乱で源氏の半分を倒し、そして平治の乱で残りの源氏も片付け、平家の天下になるまでを描きます。白井の源平話は人物に重きを置くもので、鎮西八郎為朝、悪源太義平などが実に魅力的に描かれています。また平清盛のちょっと変わった性格もよく描写されていると思います。今回読んだ版は昭和5年のもので、たぶん初版ではないかと思います。大衆小説家による源平の話には吉川英治の新・平家物語などもありますが、もう少し白井作品も再評価されてしかるべきではないかと思います。

白井喬二の初期短篇(「寶永山の話」収録のもの以外)

jpeg000-44白井喬二の初期の短篇から、「寶永山の話」に収録してあった話を除いた物を読了。学芸書林の全集の第9巻です。具体的には、「忠臣の横顔」「湯女挿話」「倶利伽羅紋々」「兵学美人行」「瓦義談」「指揮杖仙史」「名器殿物語」「或る日の大膳」「薫風の髭噺」「職追い剣」「広瀬水斎の諷刺」「美泥」「生命を打つ太鼓」「敵討つ討たん物語」「唐草兄弟」「銭番論語」「月兎逸走」「白痴」「密状霊験記」の19作品。「寶永山の話」の短篇がすべて収録されている訳ではなく、「月影銀五郎」と「目明き藤五郎」は収録されていません。大正12年から昭和6年までの、白井喬二としては一番活躍していた時代の作品が収められています。
「寶永山の話」を読んだ時の「奇妙な味」という感想は今回も一緒です。「兵学大講義」に出てきた兵学者諏訪友山の若い頃の話を描いた「兵学美人行」、湯女が禁止されたその最後の日の様子を描いた「湯女挿話」、幕府の鋳銭所の役人同士の意地の張り合いを描いた「銭番論語」など、白井らしい一ひねりした作品が多いです。白井の本領は長篇だと思いますが、今回の作品群を読んで短篇も決して悪くないなと、考えを変えました。

白井喬二の「桐十郎の船思案、蜂の籾屋事件、傀儡大難脈」

jpeg000-41白井喬二の「桐十郎の船思案、蜂の籾屋事件、傀儡大難脈」を読了。学芸書林の全集の6巻について、メインの「神変呉越草紙」と「怪建築十二段返し」「江戸天舞教の怪殿」は既に読んでいて、残りのものを読んだものです。「桐十郎の船思案」と「蜂の籾屋事件」は1920年に発表され、「傀儡大難脈」は1925年に発表されたもの。最初の二つは名与力の桐十郎が活躍するものです。捕物帖の元祖は、岡本綺堂の「半七捕物帳」で1917年が最初ですが、白井も捕物帖を書いていて、今回読んだ3作品ともそうです。
「桐十郎の船思案」は桐十郎が追っかけていた土竜小僧の次郎蔵が、桐十郎がいつも釣り船を借りてその上で思案を巡らす習慣があったのを、その釣り船の船頭に化けて桐十郎と対面し、犯行を予告して桐十郎と対決するというお話しです。ちょっと日本版「ルパン対ホームズ」みたいな趣があります。
「蜂の籾屋事件」も桐十郎ものですが、その手下が蜂を使って捜査する、という所が非常に目新しいです。日本式ミステリーとしてなかなか読ませます。
「傀儡大難脈」は、捕り物名人の千面小三郎の活躍を描きますが、小三郎は何と25年も人形師に化けて事件を追い続けます。その事件というのが、何とユダヤ人陰謀説です!その陰謀で諸業の相伝秘状をことごとくその家から失わせる、というのがあって、それに人形師の小宇津大源と煙管師の村田菊吾がからみます。人形を操って色々な型を演じさせる場面があり、白井の蘊蓄が奔出して、実に初期の白井らしい作品です。

白井喬二の「石童丸」

jpeg000-39白井喬二の「石童丸」を読了。白井喬二が72歳の時に、「小説新潮」に発表したもの。謡曲「苅萱」に題材をとって、白井流にアレンジしたもの。「雪麿一本刀」と同じく、白井作品としては結構エロチックな場面があり、石童丸の父の加藤新太郎繁氏が、正妻以外に美人の妾も持つようになり、正妻と結婚する前は性のことについてはまるで無知であったのに、この妾とのつきあいで「性の達人になった」という描写があります。この妾に対し、正妻が激しく嫉妬し、ついには妾を殺そうとします。この正妻と妾の争いで世をはかなんだ繁氏は、高野山に行き、出家して僧になります。一方で妾は一人残された後で、石童丸を産み、繁氏の行方を捜し続けます。長い間かかってようやくそれらしき僧を高野山に探し当てましたが、石童丸の母は病気になり、会うことができず死んでしまいます。残された石童丸はその僧にようやく会って、父であるかどうか問いただします。しかしその僧は、石童丸の父とは一緒に住んでいたが死んでしまったと答えます。石童丸はしかしそれを信じず、その僧が父だと思い、自身も出家してその僧の弟子になります。その僧と石童丸は30年一緒に暮らしましたが、とうとう最後まで親子の名乗りはしなかった、という話です。