白井喬二の小説ベスト10

白井喬二の小説は、現在入手できるものはすべて入手して、読了したので、白井の小説について私なりのベスト10です。
1. 富士に立つ影
白井喬二とくれば、まずこれ。大衆文学の傑作というだけでなく、日本文学史上に輝く金字塔。築城家の赤針流熊木家と賛四流佐藤家の三代68年に及ぶ対立と和解を描いた作品。明朗で正直な、熊木家二代目の公太郎が実に魅力的。日本版の「戦争と平和」。
2. 新撰組
新興の週刊誌だったサンデー毎日の部数を大幅に伸ばし、また平凡社の「現代大衆文学全集」の第1回配本となり、33万部を売り上げこの全集を成功に導いた作品。独楽同士の勝負で、一方の独楽から怪しげな風が出てきて相手の独楽の回転を落とそうとするけど、もう一方の独楽はちゃんとその対策がしてあった、などという極めてマニアックな独楽勝負が中心の作品。「新撰組」というタイトルだけど、その新選組はほんのちょっと背景に出てくるだけ。
3. 盤嶽の一生
義に飢え渇く武士、阿字川盤嶽の理想を追い求めては裏切られる繰り返しを描いた作品。名匠山中貞雄によって昭和8年に映画化された。西瓜畑の中でのラグビーシーンで有名。完結していないのが残念な作品。
4. 珊瑚重太郎
基本設定がマーク・トウェインの「王子と乞食」と同じで、主人公である若侍がある大名屋敷の若殿様に入れ替わる。この主人公に次から次に危機が訪れ、読み出すと止まらない作品。一貫した主人公の正義感が爽やかな印象を与える。アンソニー・ホープの「ゼンダ城の虜」の影響を言う評論家もいるが、「王子と乞食」と同じような入れ替わり以外には共通点はない。
5. 神変呉越草子
怪しげな仙人がからんだお宝の争奪戦。首尾良くお宝を手にした主人公のその後の行動もちょっと意表を突く。この作品と「忍術己来也」が芥川龍之介によって激賞された。
6. 翡翠侍
武芸に秀でているけど極めて口下手なお嬢千之助と、町人で腕はからっきしだけど弁舌はきわめて達者な宇治徳五郎の凸凹コンビが、怪しげな新興宗教の串曳教と対決し、その虚偽を暴いていく、極めて痛快な小説。
7. 坊ちゃん羅五郎、続坊ちゃん羅五郎
お代官様の一人息子のお坊ちゃまの羅五郎が、陰謀によって代官の地位を追われた父を助け、父を陥れた者たちの悪を暴いて大活躍するお話。
8. 国を愛すされど女も
戦後の作品。主人公の大鳥逸平が父の敵である大須賀獅子平を越後、佐渡、江戸と追い求め、ついには敵を討つ。その過程で逸平は剣の腕を上げて、獅子平が雇う一流の剣士を次から次に撃破していく。一方で逸平の想い人の小峰は、ある事件のために獄につながれている父親を救い出すため、十万両という保釈金を己の才覚で用意し、父を釈放させる。実は小峰は物語の冒頭で逸平の父に陵辱されていたため、二人の仲はうまくいかないのだが、最後にどんでん返しが。
9. 霧隠繪巻
これも戦後の作品。真田十勇士を主人公にした作品には、猿飛佐助を主人公にした「帰去来峠」もあるが、こちらの方がずっと面白い。徳川方の阿茶の局と河原大隅が霧隠才蔵と対決し、また紀州浅野藩のお姫様であった照花姫は、才蔵に会って城を出奔し、忍術を習って才蔵の妻になる。
10. 地球に花あり
白井喬二としては珍しい「現代」作品で、大正末期から昭和初期を舞台にする。植物学者の島崎博士の息子が国際スパイの嫌疑を受けて糾弾されるのを、博士の娘の家庭教師であった卯月早苗が見事その冤罪を晴らし、また博士の研究も助けるという、昭和初期としては珍しい自立した理性的な女性を描いた作品。

付記:2017年7月29日
ベスト10のどこに入れるか難しいですが、「陽出づる艸紙」(つるぎ無双)もベスト10に入れるべき傑作と思います。このベスト10を作成した時点では未読でした。

このブログで登場する全ての白井作品へのエントリーは、以下です。
白井喬二作品へのエントリー

白井喬二の「ほととぎす」

白井喬二の「ほととぎす」を読了。昭和22年に出版されたもの。短篇集で「時鳥」、「鬼傘」、「感化れ」(かぶれ)、「阿らず」(おもねらず)、「西南役」、「第二の巌窟」、「悔武者」、「玉の輿」、「胡粉妻」、「残生記」、「平凡小次郎」、「写真伝来」を収録。「第二の巌窟」は以前既に出ていたものの再録。いずれの作品もなかなか気が利いていて面白いです。傘職人の意地を描いた「鬼傘」、仕官を志していた浪人が、長屋で隣に住んでいる手妻遣い(手品師)を手伝う内に段々と影響を受けてしまい、折角仕官が決まったのにそれを辞めて手妻遣いの手伝いをする「感化れ」、関白秀次が自害した後を追って殉死しようとしたのに、別れの盃を交わしすぎてふと居眠りをしてしまい、その間に太閤秀吉から殉死禁止の命令が出て死に損なった侍の話の「残生記」などが面白いです。

白井喬二の「洪水図絵」

jpeg000-103白井喬二の「洪水図絵」を読了。昭和16年に出版されたもの。「洪水図絵」、「贋花」、「つばくろ槍」、「蛍扇」、「出世外伝」、「妬心の園」、「子とろ殺陣」、「火紋」を収録。このうち「妬心の園」は「沈鐘と佳人」にも収録されていたものです。ある経済的に行き詰まった武士が、妻があるのに独身と偽ってある裕福な家の養子になって、妻には三ヶ月以内に迎えに来ると言います。しかし、実際は別の女を嫁に取らされそうになります。必死に断っていたのですが、ふとしたすれ違いで妻が浮気をしていると勘違いし、かっとなって別の女と結婚してしまうという話です。
「洪水図絵」には戦前の白井には珍しくちょっとエロチックな描写があります。「そのくせ、死んだ先夫鴫野義介の愛撫の名残らしい性の技巧をも心得た」という表現が出てきます。
いずれの作品も白井らしくちょっとひねってあって楽しめる作品です。

白井喬二の「河上彦齋」

jpeg000-100白井喬二の「河上彦齋」(かわかみ・げんさい)を読了。1943年(昭和18年)の出版。この時期の白井喬二の作品にありがちな、時局迎合的な小説。河上彦斎は、幕末の肥後の藩士で、人斬りで知られ、佐久間象山を斬り殺したのが河上彦斎です。徹底した尊王攘夷の人で、長州藩と一緒になって蛤御門の変で戦ったり、高杉晋作を助けて奇兵隊に参加したりしています。その後肥後藩に戻りますが投獄され、明治になってから恩赦で許されます。しかし、明治政府が開国の方針を採ったのに対し、一貫して攘夷を主張し続けたので疎まれるようになり、ついには無実の罪を着せられ、東京で死刑になります。白井はこの河上彦斎を何か理想の人のように描いていて、そこが時局迎合的です。もっとも国を挙げて「攘夷」を実行中に書かれたものですから、やむを得ないのかもしれませんが。私は読んでいませんが、「るろうに剣心」という漫画の主人公がこの河上彦斎をモデルにしたんだそうです。

白井喬二の「伊賀之介飄々剣」

jpeg000-97白井喬二の「伊賀之介飄々剣」(上・下)を読了。1961年(昭和36年)に桃源社から出版されたもの。例によって、戦後の作品なのか、戦前の作品がこの時初めて単行本化されたものかがわかりませんが、読んだ感じではちょっとした濡れ場が出てくることもあり、戦後の作品のように思います。(確証はありませんが、京都新聞に1958年12月-1959年10月の間掲載された『弱法師』が初出ではないかと思います。何故かというと、作中で主人公のあだ名が「弱法師」だからです。)終わり方が非常に唐突で、余韻がなく、惜しい所で名作になり損ねています。素晴らしいのは設定で、主人公の氏名がなんと「徳川伊賀之介」です。徳川家康の6男である忠輝の息子という設定です。家康の孫です。この伊賀之介が若い時に、商人の娘であるお関を見初め、恋に陥ります。この恋のため、伊賀之介は高貴な身分を捨てて臣籍降下してお関と一緒になることを願いますが、将軍家の血が汚れるという「血統派」がこれを阻み、お関を監禁して無理矢理絶縁状を書かせようとしますが、お関はこれを拒み自害して果てます。「血統派」はこれに留まらず、お関の一家を将軍家を騒がした不届き者として斬殺します。全体の話は伊賀之介のこの「血統派」に対する復讐の物語です。お関の一家には幼い時に他家に養女に出されていた瀬浪がおり、この者だけが生き残って、伊賀之介は秘かに見守っていましたが、ある時瀬浪が腰元として召し抱えられることになり、その家から伊賀之介こそが瀬浪の一家を目茶苦茶にした張本人だと嘘を吹き込まれ、伊賀之介を付け狙うことになります。伊賀之介は、血統派の刺客からも付け狙われますが、名刀は町人になった自分にはふさわしくないと町人差しに換え、それを補うために花札に金属を貼り合わせた飛び道具を自分で考案し、それをもって刺客達と渡り合います。最後は、お関の一家に手を下した張本人の3人を見事討ち取るのですが、誤解が解けて一緒に住むことになった伊賀之介と瀬浪がこれからどうなるのかとか、伊賀之介の親の忠輝が2代将軍秀忠から、伊賀之介をどこかに閉じ込めるか討ち取れと命令されて、それがどうなるのかとか、色んなことが未解決で終わり、それが非常に残念です。おそらく白井喬二晩年の作品で、これ以上書き続ける根気がわかなかったのかと推測します。非常に惜しい作品です。

白井喬二の「東亜英傑伝」全8巻の内容

白井喬二が戦争中に出した「東亜英傑伝」全8巻のうち、一部の内容が分からなかったのですが、今日判明しました。前に読んだ「釈迦・日蓮」もこのシリーズの1冊でした。何故分かったかというと、白井による序文がまったく同じなんです。以下、8巻の内容。
豊臣秀吉・成吉思汗
北條時宗・忽必烈(クビライ)
中江藤樹・孔子
山田長政・張騫
西郷と勝安芳・孫文
小村寿太郎・汪精衛
伊藤博文・袁世凱
釈迦・日蓮
汪精衛は汪兆銘のことです。人物の選択に時代が出ています。
小学生用の国語教科書などを出していた田中宋栄堂から出ています。

白井喬二の「伊達事変」

jpeg000-96白井喬二の「伊達事変」(前・後)を読了。いわゆる「伊達騒動」を舞台にして、主人公三澤頼母の恋と人生を描くもの。「伊達騒動」を扱った小説としては山本周五郎の「樅ノ木は残った」が有名で、事件の張本人とされてきた原田甲斐を善人のように描き、NHKの大河ドラマにもなりました。(1970年)この大河ドラマ、見ていた筈ですが記憶にありません。しかし、原田甲斐が善人で伊達騒動が老中酒井雅楽頭の陰謀であったとするのは、歴史の書き換えのように思います。白井喬二は原田甲斐について、「兵部大輔(伊達宗勝)の傀儡」とばっさり斬っています。
主人公である三澤頼母は、妹が伊達輝宗の側室であったためあてがい扶持をもらって暮らしていました。許嫁である駒北庄八郎の娘である雪乃が突然江戸屋敷へ出府することになり、頼母との結婚が曖昧にされます。実は雪乃は藩主輝宗のご乱行の実態を探るために、江戸に送り込まれたのでした。頼母には望四郎という弟がいますが、これが無頼の徒で、頼母に金をせびったり、頼母を敵の手に売り渡したりと碌なことをしません。ですが、本音型の人間で何故か憎めない役どころになっています。頼母自身は、白井作品の主人公としては中途半端な設定で、剣は弱くはありませんが、そこそこで、また正義感からというより自分の恋情一本で行動します。伊達藩が色々大騒ぎになるのですが、頼母自身はそのためには主体的には行動せず、むしろ輝宗を諫める諌死役を強制されそうになったりと、政争の中で翻弄されます。ついには刃傷沙汰を起こして捕まって10年間牢に入れられたりします。色々あって、牢を出た頼母は、雪乃と再会し、そこで雪乃が実は自分を救ってくれたことを知り、満足して死ぬ(敵討ちに狙われていました)筈でしたが、生き延びた所で小説は終わります。昭和17年の出版で、脱字が多く、またページが10ページくらい重複していたりと、本としての品質が非常に悪いです。

白井喬二の「捕物時代相」

jpeg000-95白井喬二の「捕物時代相」をヤフオクで入手。最初1000円だったのが終了間際に応札してきたのがいて、結局4300円もしたのですが、入手してみれば、まだ読んでいないと思った「怪建築異聞」と「黒船大秘録」はそれぞれ「怪建築十二段返し」「全土買占の陰謀」と同じでした。がっかり。

白井喬二の「文学者の発言」

jpeg000-94白井喬二の「文学者の発言」を読了。昭和21年9月という、太平洋戦争に負けて1年ちょっとで出された本です。わざと、「従軍作家より国民へ捧ぐ」に続けて読みました。戦争中、軍部の宣伝役として利用され、また「瑞穂太平記」のようなある意味時局迎合的な小説を書いていた白井が、戦後すぐにどのような発言をしているかに興味ありました。白井は自分自身があまり戦争に協力した、とは思っていなかったようで、講演などもほとんどしていない、と書いています。もちろん白井の時局迎合ぶりは、吉川英治のような露骨なものでなかったのは確かですが。(吉川英治の「宮本武蔵」には戦前版と戦後版があり、今読まれているのは戦後版の方です。戦後版は戦前版に比べると、天皇について書いたものがばっさり削除されたり、神功皇后の三韓征伐が三韓へお渡りになる、になったり暴力的な表現が弱められていたり、色々と書き換えられています。)
収録されている中では「具体案ばかりの発言」が面白く、そのタイトル通り、本当に具体案がいくつも提案されています。その中には、ラジオで国会のやりとりを中継しろ、などというのもあります。実際にラジオの国会中継が実現するのは1952年なので、かなり先見の明があります。また、国が「翻訳局」みたいなものを作って、全国に翻訳図書館を作って国民の教育に資するようにせよ、などもなかなかうなずける提案です。さらには、小学校の初等から論理学を教えろ、という提案もしています。
戦後は「大衆」の時代になり、大衆文芸の創始者である白井にとっては我が世の春が来た筈ですが、事実としては戦後は白井は忘れられた作家になってしまいます。ある意味歴史の皮肉のようです。

白井喬二の「従軍作家より国民へ捧ぐ」

jpeg000-93白井喬二の「従軍作家より国民へ捧ぐ」を読了。昭和13年(1938年)11月に平凡社から出たもの。この年の8月に、白井はいわゆるペン部隊の一人として、陸海軍と内閣情報室がお膳立てした、文士の中国戦線視察に参加し、その時の体験を綴ったものです。参加した文士の中で真っ先に手記を出版したのが白井喬二です。なお、この時の経緯は、陸海軍と内閣情報室はあくまでお膳立てであり、「ご希望があれば…」という感じで慫慂したら、呼び出された文士全員が手を挙げた、ということが真相のようです。白井は陸軍班に入れられ、中国南方戦線の各地を回りますが、単に戦争の跡を視察したというに留まらず、揚子江を船で遡行していた時には敵の激しい砲撃を受け、危うく船が被弾しかけたりしていますし、上海から、爆撃に行く爆撃機に同乗したりしています。この「ペン部隊」以降、文士の戦争描写は、否が応でも肯定的なものばかりに成ってしまいます。文中、おそらく軍の検閲で削除されたと思われる箇所がいくつかあって、生々しさを感じます。なお、本書の後に、子供向けの従軍記として「愛児通信」というものが出版されることが巻末に予告されていますが、国会図書館で検索しても出てこず、実際に出版されたかどうか不明です。