IELTS (General)初受験(2019年5月11日、会場:JP500{横浜})

IELTS(General)を初めて受験しました。ちなみにIELTSには留学の資格が目的のAcademicと一般向け・就労向けのGeneralの2種類があります。私は留学の予定は無いのでGeneralにしました。しかし、これまで入手した2冊の参考書がどちらもAcademic向けであり、私が検索した限りでは、日本ではGeneral向けの参考書は出ていないようです。この2つでスピーキングとリスニングは共通であり、リーディングとライティングが問題が違います。ともかく、参考書の状況から見て、日本でGeneralを受験する人は非常に少ないようです。
そして受験してみての感想ですが、
(1)ともかく手際があまり良くない。
受付開始は午前8:00なんですが、結局最初のライティングが始まったのが9:25ぐらい。余裕を見て7:30頃には既に会場に着いていましたが、そこから試験を受けるまで2時間近くかかっています。手際が良くない最大の理由は、セキュリティが信じられないくらい厳重だからです。まず会場に持ち込めるのは、数本の鉛筆でキャップ無しのもの(シャープペン不可)、消しゴムのカバーを取ったもの、及びパスポート(カバー無し)と、ラベルを剥がしたPETボトルの水、これだけです。後は全て荷物置き場に預ける必要があります。スマホ・携帯はもちろんダメ、時計もダメ、ポケットの中も財布も含めてすべて出して空にしないといけません。ハンカチやティッシュも駄目です。ティッシュは会場で3枚ずつ配られました。更に会場で写真を撮るのと同時に、右手の人差し指の指紋まで取られます。なんでたかが英語のテストでここまで厳格にやらないといけなんでしょうか。イギリスがBrexitになって、移民を押さえ込もうとしている姿勢の表れかと勘ぐりたくなります。また、過去にTOEICで不正受験があって、TOEICがイギリスへの留学・就労資格として認められなくなったと聞きましたが、そういうのの影響もあるようです。
こういう状態なんで、一回会場に入って念のためトイレに行ったら「もう一度エントリーの手続きをやり直してください」と言われました。結局係員の人が大目に見てくれましたが何だかなあ、です。
こういう厳重なセキュリティーのせいか、係員がやたらと多いです。
(2)トイレが大変
午前中のテストは、ライティング-リーディング-リスニングの順番で、この途中でトイレ休憩などは一切ありません。私は会場に入ったのは8:30頃で、リスニングが終わったら12:30でほぼ4時間トイレに行けません。私は思いきってリーディングの最初で手を上げてトイレに行きました。係員がトイレまで付いてきました。これで3分ぐらいロスしました。
(3)ライティング
ライティングの問題は、150ワードと250ワードの2つのエッセイを書く必要があります。
今回は、最初のエッセイが「子供の学校が外国に(修学)旅行に行くことになり、同行する保護者を募集している。
①まず募集に申し込む。②その理由を書く。③その他の質問をする。」という内容の手紙を担任の先生に書くというものでした。特に問題無く、165語くらいの手紙を15分もかからないで書けました。
2番目の問題は、「新しい技術は労働者にとってメリットがあるか、デメリットが多いか、あなたの意見を述べよ」というものです。これも以前「実践ビジネス英語」でトピックとして扱われたことがあり、賛成派と反対派の意見を併記して、最後に自分の意見を書いてまとめ、265語くらいになりました。
という訳でライティングは順調でした。これまでAEONのライティングコースで平均400ワードのエッセイを61回書きましたから、さすがに慣れています。
(4)リーディング
これもあまり大きな問題はなく、トイレに行って時間を消費しましたが、無事に時間内に終えることが出来ました。最後のパートが一番骨で2ページに渡る長い文章を読んで解答する必要があります。今回は「胡椒」に関するエッセイであり、胡椒が昔は黄金並みの価値があったとか、緑と黒と白の胡椒の違いとかの話です。「黒胡椒について次の5つの選択肢から当てはまるものを3つ選べ」という問題がかなり大変で、2つは簡単に解答出来ましたが、残り1つがちょっと自信が無いです。ただ全体的にはまあ順調でした。
(5)リスニング
これが最大の難関でした。大体ライティングとリーディングで既に2時間経っており、ここから更に集中力を維持するのが至難の業です。しかも集中して聞かないとある箇所を聞き逃すと1問答えられなくなります。
前半は問題無かったですが、最後の2つのパートがかなり面倒でした。特に最後のは、経済学で知らない人に対して好意を持つことがどのような経済的なメリットになるか、という話で、ちょっとしたゲーム理論ぽい話も出てきてかなりタフでした。TOEICだったら単に選択肢の中から選ぶだけですが、IELTSでは数字や単語をそのまま書かされる問題が多く、その部分を聞き逃すとアウトです。しかも選択する問題でも、その選択肢にある話がすべて出てきて、ほんのちょっとした表現で結局どれが一番適当なのかを判断しないといけません。
今年の1月にTOEICのリスニングで満点取れましたが、このIELTSのリスニングは良くて7割くらいしか正解出来ていないと思います。
また、私の思い込みかもしれませんが、イギリス英語ということでクィーンズイングリッシュみたいなのを期待していたら、結構なまったような発音が出てきて面食らいます。調べてみたら非ネイティブのなまった英語もかなり問題として採用しているようです。
(5)スピーキング
先生は、男性のネイティブでした。未確認情報ですが、日本人の判定員の場合も若干ですがあるようです。
話題は自己紹介、子供の頃好きだった遊び、ゴミを道に捨てる人をどう思うか、人にアドバイスした実例で、「誰に」「何のアドバイスをして」「その効果はどうだったか」というスピーチが1~2分。これについては早口でしゃべったら時間が余って、後から付け足しを入れたりしました。更に両親が子供にアドバイすすることをどう思うか、という質問があり、更に良くない友人と付き合うな、というアドバイスはどうか、などの追加質問がありました。更には専門家のアドバイスはどうあるべきか、例えば医者が患者にアドバイスする時は、という質問もありました。
一部単語の意味が分からなくて聴き返したり、上記のように時間が余って沈黙の時間があったりで出来はあまり良くはありませんでしたが、言いたいことはしゃべった積もりです。医者の所の話で、例の”hippocratic oath”に従うべきだ、と言えたので、語彙力は少なくとも示すことは出来たと思います。
ちなみに、上記の「ゴミを捨てる」話で、最初”rubbish”と言われて、正直に分からなかったので意味を聞きました。これ典型的なイギリス英語で、アメリカならgarbageやtrashという所です。IELTSは建前はアメリカ英語もOKとしていますが、実際はバリバリのイギリス英語でテストされるということだと思います。

ちなみに受験者はほとんど学生か20代くらいの人で、一部セーラー服の女子高生も数人見かけました。男女比は1:2くらいで圧倒的に女性の方が多いです。会場は横浜(ちなみに毎年人間ドックを受けているクリニックと同じビルだったのでまったく迷わずに到着出来ました)ですが、人数は160~180名くらいだと思います。席は一番後ろから2番目でしたが、リスニングは会場内にある複数のスピーカーで音声が流されたので、TOEICみたいに後ろの席が不利ということはなかったです。
結果の発表は3週間後で郵送されます。まあ、私の場合IELTSでどのレベルを確実に取得しなければならないという具体的な目標は無いので結果は謙虚に受け取り今後の学習計画の参考にする積もりです。

老婆心からの注意事項:
(1)今回会場の空調の設定が22℃になっていました。こっそり24℃に変更しましたが、それでも結構寒かったです。あまり薄着をしていくと大変ですし、(2)のトイレにも効いてきます。
(2)トイレが近い人は何らかの対策を考える必要があります。私もちょっとこれを軽視していました。
(3)鉛筆は最低5本、出来れば6本くらいあった方がいいです。ライティングは3ページぐらい書くことになるので、ここでまず2本ぐらい消費します。会場で係員が携帯鉛筆削りを持っていましたが、十分な数がある訳ではありません。
(4)受付時間スタートの時間に合わせて行くと、受付としては早くなりますが、待ち時間が長くなります。早く行くのもほどほどに。
(5)試験の進め方、注意事項などの説明はすべて英語です。日本人以外の受験者もいるため、そうなるようです。そういうのを聴き取れる自信がないレベルの人はそもそもこのテストを受けるべきじゃないと思います。

IELTS リスニング模試

今日はIELTSのリスニングの模試をやりました。40問で30分ですが、かなりタフです。採点していませんがいいとこ8割正解出来たかどうか、という感じです。これもTOEICみたいに条件反射的なテストではなく、語られることの内容をかなり深く理解しないと正しく解答出来ません。例えば、今回やった問題の最後のセクションは、「大都市に住む生物がどのよう都会の環境に適応して言っているか」何人かの学者が調べた内容を要約した文章の穴埋めをする、というものでした。この話題はバードウォッチャーである私には優しい質問にも見えますが、それでもタフでした。

IELTS(General)を準備中

IELTSの”General”を5月11日に受験するので、その対策のお勉強中です。IELTSには留学を目的とする人向けの”Academic”と、私が受験する就労目的の”General”があります。既にIELTSの参考書を2冊買ってあったのですが、参ったのはどちらも”Academic”用だったということです。この2つでは、リスニングとスピーキングは共通ですが、リーディングとライティングが内容が違います。それで、”General”に対応した参考書をAmazonで探しましたが、残念ながら日本語解説付きのものは見当たりませんでした。唯一の例外が写真の公式問題集(すべて英語)で、これはちゃんとAcademic用とGeneral用が別々に売られています。価格は5,000円前後で、そんなに厚い本じゃないのにかなり高いですが、他に選択肢がありません。
取り敢えず試験の形式に慣れるために模試をやっていて、ライティングとリーディングをやりました。ライティングは制限時間60分で、150ワード以上と250ワードの2つのエッセイを書かされます。AEONのライティングコースでこれまで300~400ワードのエッセイを61回書きましたので、さすがにこれは大きな問題はなく、時間内に175ワードと284ワードのエッセイを完成出来ました。採点はしようがないようでやりません。リーディングも60分で3つの文章を読まされます。かなり実用系の文書です。TOEICのように文法の質問とかは一切なく、ひたすら内容についての質問で、それぞれの段落のタイトルとしてはどれがふさわしいかを選択肢から選んだり、文章の内容を要約して文の穴埋めとかそんなので、かなりの部分英語の問題というより国語の問題で、それはまあ得意なので大きな問題はないかなと思います。単語はさすがにTOEICより難しくていくつか知らない単語がありましたが、それで解答に困るという程ではありません。

漱石と牡蠣

夏目漱石が「吾輩は猫である」の中で、主人公の猫が飼い主の苦沙弥先生のことを「牡蠣的主人」(寡黙であまり出歩かないという意味で)と呼んでいますね。ご承知の通り漱石は1900年5月から1902年12月までロンドンに留学しています。その当時は「牡蠣=寡黙、非社交的」のイメージは英語の中で確固としてあったのでしょうね。
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彼は性の悪い牡蠣のごとく書斎に吸い付いて、かつて外界に向って口を開いた事がない。

人間もこのくらい偏屈になれば申し分はない。そんなら早くから外出でもすればよいのにそれほどの勇気も無い。いよいよ牡蠣の根性をあらわしている。

主人のようなしなびかけた人間を求めて、わざわざこんな話しをしに来るのからして合点が行かぬが、あの牡蠣的主人がそんな談話を聞いて時々相槌を打つのはなお面白い。

そんな浮気な男が何故牡蠣的生涯を送っているかと云うのは吾輩猫などには到底分らない。

小説中の人間の名前をつけるに一日巴理を探険しなくてはならぬようでは随分手数のかかる話だ。贅沢もこのくらい出来れば結構なものだが吾輩のように牡蠣的主人を持つ身の上ではとてもそんな気は出ない。

「はあ賛成員にならん事もありませんが、どんな義務があるのですか」と牡蠣先生は掛念の体に見える。

“An oyster of a man”の出典

「新々英文解釈研究」の最初の方に出てくる、”He is an oyster of a man.”の出典と思われるものを突き止めました。(OEDでのoysterやclamで「寡黙な人、非社交的な人」という意味の用例がマーク・トウェインが多かったので、最初マーク・トウェインの何かの作品かと思って、マーク・トウェイン作品のテキストが検索出来るページで調べましたが見つかりませんでした。)John Dunlopというスコットランドの詩人(1755 ー 1820)の書いた歌詞の中に”an oyster of a man”が出てきます。しかし、これは1812年の「ジョージ・マッカルがグラスゴーの『牡蠣クラブ』から引退するにあたって」という歌であり、かなり特殊な文脈で使われていることが確認出来ます。しかもおそらく、ジョージ・マッカルという人は何らかの理由で、「牡蠣クラブ」から引退(または退職)するのであり、そこで「牡蠣のような人」というのは「牡蠣クラブを象徴するような人(または常連客、あるいは従業員)」という意味でほとんどジョーク的に使っていると考えられ、「寡黙な人」という意味ではないように思います。歌詞の中に「白鳥のように自分自身のレクイエムを歌う」とありますから、ますます無口であるという解釈はおかしいです。それに「牡蠣クラブ」はおそらく美味しい牡蠣を食べながら社交を楽しむ人の会かあるいはオイスター・バーの名前ではないかと推察されます(現在でも同名のオイスター・バーが各地にあります)ので、まったくもって「寡黙な人」はおかしいと思います。ちなみに、歌詞の中の”Tiny Lochrians ! huge Pandores !”はどちらも牡蠣の品種だと思います。(前者はOEDに載っていませんが多分「Ryan湖(Loch Ryan、塩水湖)の牡蠣」ということだと思います。18世紀の始めから牡蠣の養殖場で有名のようです。後者は”A kind of large oyster found in the River Forth, esp. near Prestonpans.”とあります。)ジョージ・マッカルは、そういう色んな牡蠣に愛される人間だけど牡蠣みたいな人、って言っているんでしょうね。調べてみたらスコットランドのグラスゴーは今でも牡蠣で有名で色んなオイスター・バーやレストランがあり、そういう町で「牡蠣のような人」というのがネガティブな意味では決してないと思います。

John Dunlop (writer)
https://en.wikipedia.org/wiki/John_Dunlop_(writer)

“Dunlop of that ilk : memorabilia of the families of Dunlop … ; with the whole of the Songs ; and a large selection from the poems of John Dunlop”

ON GEORGE M’CALL RETIRING FROM THE “OYSTER
CLUB” IN GLASGOW (1812).

[His letter of demission ended with four verses wretched poetical lines.]

The Oyster Club, in sable clad,

Laments for George M’Call,
Who, swan-like, his own requiem sings.

Weep ! Weep ! ! ye oysters all.
Tiny Lochrians ! huge Pandores !

Forget him, if you can ;
He was, creation must confess,

An oyster of a man ! !

拙試訳
牡蠣クラブ、喪服を着て
ジョージ・マッカル氏を悼む
氏は、白鳥のように、自分自身のレクイエムを歌う
ああ悲しい、悲しい、牡蠣のみんなよ
小さなリャン湖の牡蠣、大きなパンドレス牡蠣よ
もし可能なら彼を忘れよう
氏は、創造主は告白しなければならないが、
まさに人間牡蠣だった。

Festivals (Senteisai in Shimonoseki city)

The following essay is what I wrote as an assignment for a writing course at an English school AEON:

Topic: Festivals
Style: Casual

I would like to introduce a famous festival held during the so-called golden week in Shimonoseki city, my birthplace. The name of the festival is Senteisai (a festival for the passed emperor) held from May 2 to May 4. The purpose of the festival is to pacify the spirit of the emperor Antoku who died young in 1185.
In late 12th century Japan, two dominant samurai families, Genji and Heike fought each other trying to get the governance of Japan. The battle of Dannoura was the last one where Genji defeated Heike completely on the Kanmon channel. It was a naval battle where many ships of the both sides fought on a very narrow channel called Kanmon channel between Honshu and Kyushu. In the first stage of the battle, Heike had superiority, but because of the change of tide, Genji finally destroyed most ships of Heike. The emperor Antoku, who was a grandson of Kiyomori Taira of the Heikes and was just 6 years old at the battle, was getting on a ship with some female retainers. Most remaining samurai and retainers drowned themselves. The young emperor asked to a female retainer where they would go. She replied that they would go to the paradise and there was another metropolis at the bottom of the sea. Then, she brought him into the sea.
Some menials were drawn up from the sea and survived. Many of them were forced to do prostitution to make a living. Later they started to hold a festival to comfort the spirit of the late emperor. That was the start of Senteisai. The most spectacle attraction on the festival is a parade of beautifully attired geisha girls called “joro dochu”. (Joro is another name of geisha in Japanese.)
It is alleged and also believed that it surely rains on at least one day among the three. We call it the tears of Heike people.
Lafcadio Hearn, aka Yakumo Koizumi in Japan, wrote a story of Miminashi Hoichi (Hoichi the earless). Hoichi was blind and was a story teller of the battels between Genji and Heike, accompanied by the biwa, a Japanese lute. He was favored by some ghosts of Heike. Whenever he told the story to them, all the ghosts cried harshly at the scene of the death of the young emperor. A famous priest tried to save his life and wrote holy scripts of Buddhism on all parts of his body. But because the priest failed to write them on Hoichi’s ears, his ears were found and taken by the ghosts. He survived, but later he was called Miminashi Hoichi, Hoichi the earless.

「新々英文解釈研究」の奇妙で時代がかった英語

「新々英文解釈研究」のおかしな所は、ごく普通の表現を十分マスターしていない人に、いきなりかなり奇妙な、レトリックで言えば「文飾」(figures)的な表現を教えることです。例えて言うならば、直球もまともに投げられない初心者の選手にいきなりフォークボールやナックルのような変化球を教えようとする野球のコーチに似ています。更に別の面では日本語を教えるのに時代劇の日本語で教えようとするのにもちょっと似ている所があります。

(5-b) He is the incarnation of avarice.
ともかく、incarnationが大仰で時代がかっています。incarnationとは例えば神の子が人の肉体を得てこの世に現れた、とかそういうことです。reincarnationは輪廻で生まれ変わること。
He is truly a greedy man. とかで十分だと思います。

(17-a) I do not love him the less for his faults.(彼には欠点があるがそれでも好きだ。)
多分口頭で言ったら多くの人に意味が通じないでしょう。
I love him none the less for his faults.の方が普通と思います。

(22-a) I am only too delighted to accept your kind invitation.(大喜びでご招待に応じます。)
実際の場面でこういう表現を使うと、それはほとんどジョークとしか受け入れられないと思います。敢えて日本語に訳すのであれば、「お招きに預かり恐懼感激に御座候。」といった感じでしょうか。
I
(24-b) We have two dogs, a white one, and a black one; the one is larger than the other.
このthe oneが前者で、the other が後者という説明になっています。ですがこれを口頭で言われたら、ほとんどの人にどちらがどちらか分からないでしょう。こんなものを覚える暇があったら、the former, the latter という「普通の」表現をまず覚えるべきです。

(65-a) I have a liking for that man.
これについては、かなり口語的な表現に聞こえます。
以前「謎の円盤UFO」で”I’ve no liking for you blacks.”という強烈な人種差別発言が出てきました。

この参考書の改訂者のコメントに「英作文にも役に立つ」とありましたが、とんでもないと思います。(敢えて言えば、確かに昔の大学受験の奇妙な英作文には有用だったかもしれませんが。)
通じない英語をせっせと教えている本にしか見えません。
私は、この本の初版とほぼ同じ時期に出版された、芳賀矢一・杉谷代水合編「書翰文講話及び文範」という、手紙の文例集を持っています。この本は昔の候文の文例が沢山載っている貴重な書物ですが、しかしながらこの文例集に載っているものは現代の手紙で使うことはほぼ100%無理です。日本語ですらそうなのに、英語でこの本が今でも使えると思っている人がいることは信じられないです。

中1用の英語の教科書、もう一冊(New Crown)

中学1年生用の英語の教科書、もう一冊、シェアでは3位の”New Crown”も買ってみました。(New Horizon、Sunshine、New Crownの合計でシェアは8割を超えるようです。)こちらもマンガが多いですが、絵柄がいかにも教科書的というか、NHKのEテレのアニメの絵という感じであまり好きになれません。こちらもアメリカやイギリスだけでなく、何故か中国人の生徒やタイ人の生徒などが登場します。要するに英語の授業は単に英語の授業という意味以外に国際化教育という要素も持っているんだと思います。それならもっと移民を受け入れればいい、と思うのは私だけでしょうか。大体日本にある本物のインターナショナルスクールなら、授業自体がおそらく英語で行われているのでこんな初歩的な教科書は使わないと思います。多くの普通の中学校の生徒は、自分達の学校とまるで違う空想の世界のお話を学ばせられるということになります。

“He is an oyster of a man.”


“He is an oyster of a man.”は、山崎貞著の「新々英文解釈研究」という参考書のかなり冒頭の部分に出てくる表現で、その本の訳では、「彼はかき(牡蠣)みたいな(寡黙な)人だ。」となっていました。今は知りませんが、私が高校生の頃は、この本は英語の参考書として必ず買って勉強すべき本の一つという位置付けのもので、実際に買った人も多いと思います。買った人が最後まで読むかというのは別の話ですが、少なくとも買った以上は勉強してみようと思い、最初の方でこの文に遭遇する訳です。著者の山崎貞(やまさき・てい)という人はWebで調べたら1883年生まれ、1930年没の明治生まれのかなり昔の人です。(この本の初版は大正元年、その後大正4年に改訂されて「新」が頭に付き、昭和33年の原著者の没後に更に別の人により改訂され「新々」となっています。「新」は何と105刷まで行っています。)おそらく著者は何かの文学作品等でこの表現にぶつかり、印象的だったので覚えていてここで使ったのでしょうが、問題は”oyster of a man”という表現はネイティブには文字通り「牡蠣のような人」という意味でしかなく、直ちに「寡黙な人」というのには結びつかないことです。先日、Eigoxのレッスンで大学で文化人類学を専攻したかなり頭のいい先生にこの表現の意味が分かるか聞いてみましたが、「何を言っているのか分からない、聞いたことがない。」とのことでした。そして「貝のように寡黙」と言いたいなら、”clam”という単語があり、「二枚貝(ハマグリやアサリなど)」という意味と「寡黙な人」という両方の意味があります。つまり”He is (like) a clam.”と言えば済む話です。(日本でも、昔フランキー堺主演の「私は貝になりたい」というTVドラマがありました。)また句動詞で”clam up”という表現もあり、”He clammed up on my question.”(彼は私の質問に対し黙ってしまった。)のように使います。また、”clam of a man”なら、このページで実際に使われていました。
要するに、”~of a man”は「~のような人」という比喩(直喩)の表現に過ぎず、ここで覚えるべきなのはその”~of a man”の方で、oysterはどうでもいいということです。”He is a beast of a man.”だったら、誰でも「彼は野獣のような人だ。」ですぐに通じます。
しかし、ともかくもoysterの印象は強烈なので、多くの学生が英語ではこういう風に言うんだとこの文を暗記し、社会人になった時にネイティブ相手に使って、まったく理解してもらえない、という事態になります。
ちなみに、Yahoo! ANSWERSというサイトで、ネイティブに「この表現を使うことがあるか」と聞いた人がいますが、回答は「使ったことがない」「意味が分からない」でした。

一応OEDには、確かにoysterで「無口な人、他人とあまりコミュニケーションをしない人」という意味が載っています。しかし、用例に”an oyster of a man”はありませんし、一番新しい用例で1930年のものです。その中のトップはマーク・トウェインのものです。実はclamの「寡黙な人」という用例にもマーク・トウェインが出てきます。そして「新々英文解釈」でも練習問題などにマーク・トウェインが登場します。とすると、”an oyster of a man”はもしかするとマーク・トウェインの何かの作品に登場していたのではないかと思います。

4. A reserved or uncommunicative person. Cf. clam n.2 2.
a1910 ‘Mark Twain’ Let. in C. Clemens My Father, Mark Twain (1931) iv. 47 The Tribune review of Roughing It was written by the profound old stick who has done all the Tribune reviews for the last 90 years. The idea of setting such an oyster as that to prating about Humor!
1925 M. Wiltshire Thursday’s Child xi. 221 I wouldn’t mind betting Jane’s worrying herself sick over it; and he—goodness knows what he’s doing or feeling. I never saw such an oyster.
1930 J. B. Priestley Angel Pavement vi. 305 I never knew anybody so close, you old oyster you!

その後、出典らしきものを突き止めました。ここをご覧下さい。

今の中1の英語の教科書(オマケで基礎英語1)

Eigoxのレッスンで日本の英語教育について話し、今の中学一年生が使う英語の教科書はどうなっているんだろうと思い、開隆堂の”Sunshine”と東京書籍の”New Horizon”を取り寄せてみました。さすがに私の時代の”This is a pen.”や”I am a boy.”はどこにも見当たりませんが(ちなみにに後者は今だったらLGBTの人に配慮が足らないpolitically incorrectな文章として批判されそう…)、はっきりいってマンガだらけ!しかもほとんど萌え系。特に東京書籍の方が進んでいる(?)感じで、英語の教科書なのにインド人や韓国人のクラスメートが登場します。(一体どこのインターナショナルスクールの話?)しかも中1で”doggy bag”だって…(doggy bag ってご存知でしょうが、レストランで出された料理が食べきれない時に、「犬に食べさせる」という建て前で持って帰る時の容器のことです。こんな単語知らなくたって、レストランで残った料理を持ち帰りたい、って言えばこれを持ってきてくれますけど。)
以前、技術家庭の教科書をやはり2冊取り寄せましたが、それにはこれほどマンガは使われていませんでした。
(ちなみに東京書籍の漫画家は電柱棒という人でした。)

ついでに、NHKの「基礎英語1」(英語のまったくの初心者向け。この更に下に「基礎英語0」というのも今はあります。)もKindle版を買ってみました。(私が最初に英語を勉強したのは小学6年の時にこのNHKの基礎英語でです。大野一男先生とマーシャ・クラッカワーさんでした。)こっちもマンガだらけは同じでした。

うーん、私は基本的にマンガは好きですが、こんなにマンガだらけにしないと今の子は英語を勉強しようと思わないんですかね。実用性という意味では、昔に比べたらかなり向上していると思いますが。