古今亭志ん朝の「犬の災難、三枚起請」

jpeg000-34本日の落語、古今亭志ん朝の「犬の災難、三枚起請」。
「犬の災難」は酒を飲むのにつまみを、隣の家の分として預かった鶏肉を自分のもののように装って、後で辻褄が合わなくなったので、犬に盗られたとし、あげくの果ては友人の買ってきた酒を一人で飲んでしまって、これまた犬が徳利を倒してしまった、と言ってごまかす調子のいい男の噺。
「三枚起請」は以前聴いているので省略。
これで、志ん朝のCDは手持ちのものを全部聴き終えました。

梶原一騎・川崎のぼるの「男の条件」

jpeg000-32梶原一騎・川崎のぼるの「男の条件」読了。
「巨人の星」のゴールデンコンビが1968年に少年ジャンプに連載したもの。漫画家を主人公にして、梶原流スポ根をやったものです。
川崎のぼるの絵というのが、ワンパターンで、主人公は星飛雄馬そっくり。ライバルは花形満、親友のギャグ漫画家志望は伴宙太そっくりです。星一徹のそっくりさんは、ドヤ街で無銭飲食の男として登場します。(笑)ストーリーはあの当時の梶原一騎のいかにも時代がかったもので、ひたすら熱いです。ちなみに主人公の名前は旗「一太郎」です。一太郎は、ある旋盤の工員を主人公にした有名漫画の漫画家に、旋盤の絵が間違っている(そんな旋盤は存在しない)と指摘し、漫画家に工場に見学に来るように要求します。漫画家を工場に連れて行くため、一太郎は漫画家が酒場で酒を飲む間待っていますが、やがて喧嘩に巻き込まれ、頭を怪我します。その出血のため、工場に行くことができなかったため、一太郎は「自分の血で」床に旋盤の絵を描きます。それを見た漫画家は「まるで雪舟だ」と感動します…それから、一太郎は師匠と仰ぐ漫画家と一緒に紙芝居を描いて日銭を稼いでいましたが、ある時ヤクザに因縁をつけられます。この辺りがいかにも梶原一騎。
ともかく、「ああこういう漫画の時代もあったんだ」と懐かしいです。

三遊亭圓生の「ちきり伊勢屋」(下)

jpeg000-29今日の落語、三遊亭圓生の「ちきり伊勢屋(下)」。
占い師に死ぬことを予言され、全財産を使い果たして自分の葬式まで出したのに、傳次郎は棺の中に入っても結局死ねません。自分の屋敷も売っぱらってしまいましたから、今では浮浪者同然。易者に出会って問いただしてみたら、財産を使い果たす時に、人助けをして人の命を救ったので、それで運命が変わり、今度は80過ぎまで生きるという。それで色々あって駕籠舁きの真似ごとをしていたら、そこで前に命を助けた女性に出遭って、今度は逆にその女性から恩返しをされて幸せに暮らした、という長いけれど中々後味の良いお噺です。

白井喬二の「東遊記」

jpeg000-31白井喬二の「東遊記」を読了。飛鳥亭主人のペンネームで1922年に「人情倶楽部」に連載したもの。名前から分かるように、「西遊記」のパロディーで、三蔵法師が一念法師、お供が孫悟空、沙悟浄、猪八戒の代わりに、蛙舎麟(あしゃりん)、土竜星(どりゅうせい)、爬六甲(はろくこう)が付き添い、天竺ではなく地竺にお経を取りに行くという話です。孫悟空の如意棒に相当する武器は蛙舎麟、筋斗雲に相当するものは土竜星がそれぞれ所持していて、一対一の対応にはなっていません。活躍の仕方も最初は蛙舎麟が活躍しますが、土竜星が登場してからはもっぱら土竜星が活躍します。こういう偽古典的な大ぼら話を書かせたら、白井喬二の右に出る人はいません。1940年4月に単行本になってから、再版されておらず幻の本となっていましたが、1999年にようやく出たのが今回読んだ版です。本来は学芸書林の全集に入る筈でしたが、第二期の全集が中止されて日の目を見ませんでした。
それ以外に、白井狂風名義での「旧造軍艦」も収録。こちらは全5回の子供向けのお話し。残念ながらクライマックスと思われる第4回の分が欠けています。1886年にフランスで建造され、日本に回航される途中、南シナ海で行方不明になった、防護巡洋艦の「畝傍」の話をベースにしています。

白井喬二の「雪麿一本刀」(下)

jpeg000-30白井喬二の「雪麿一本刀」(下)読了。上巻では、仇と付け狙う青江霧太夫の手下の剣士10人ばかりをばったばったとなぎ倒して来た雪麿ですが、下巻に入るとようやく霧太夫の正体を突き止め、直接渡り合います。しかし、その戦いは邪魔が入ったり、霧太夫が逃げ出したりしてなかなか本懐を達することができません。そうこうしている内に、霧太夫は偽の切腹騒ぎを起こして死んだふりをし、その間に講武所の後釜を募集するという名目で、名だたる武門の秘伝書を集めて、それを自分のものにしてしまうという陰謀を企みます。霧太夫はある屋敷に隠れているのですが、それが「怪建築十二段返し」の再来のようなからくり屋敷で、その仕掛けにはまって雪麿は苦戦します。しかしながら奉行所の助けも借りながら、再度その屋敷に忍び込んで、見事秘伝書を取り返します。その時手伝った奉行所の者が忍術の心得があって、とこれは「忍術己来也」の再現。そして最後は奉行所公認での御前試合で、霧太夫と真剣勝負をして見事勝つ、という王道的展開です。全体的に深みはまったくないのですが、肩の凝らない理想的大衆小説です。雪麿を巡る女性も、最後に雪麿の妻となる香鳥、雪麿が世話になる大名家の鏡姫、年増のお壺、料亭の女お琴など、たくさん出てきて鞘当てを演じて飽きさせません。
なお、1961年にNETでTVドラマになっていて、主題歌を村田英雄が歌っています。

三遊亭圓生の「ちきり伊勢屋」(上)

jpeg000-29本日の落語、三遊亭圓生の「ちきり伊勢屋(上)」。
上下でCD2枚、(上)だけで70分以上もかかる長いお噺です。
よく当たるので評判の易の先生に、間もなく死んでしまうことを予言された伊勢屋の主人がどういう行動を取ったか、というお噺です。上下両方をやるのは圓生ぐらいではないかと思います。

白井喬二の「雪麿一本刀」(上)

jpeg000-28白井喬二の「雪麿一本刀」(上)を読了。昭和31年から32年にかけて京都新聞に1年半連載されたもの。タイトルからもわかるように、雪麿という主人公が刀を執って剣の腕をひたすら奮っていく話です。「国を愛すされど女も」の大鳥逸平、「神曲 左甚五郎と影の剣士」の森十太郎と同じく、雪麿も何故強いのかがよくわからない(剣はちょっと習っただけで後は自己流)のに、次から次に現れる名剣士達をばったばったと倒していくという展開です。白井喬二も戦前の初期の作品では「新撰組」の独楽勝負、「兵学大講義」での兵学勝負、そして「富士に立つ影」での築城術での勝負のように、チャンバラに頼らないストーリー展開を主として来たのですが、戦後の作品は一転してチャンバラ主体の話が多くなったようです。後もう一つの特徴は、エロチックなお話しが多く含まれるようになったことで、雪麿の養父の為永春歌が、16歳の美人の弟子の裸絵を描いて、あげくの果てはその女性を犯してしまおうとしたりします。さらにはお壺という中年女性が出てきて雪麿を誘惑したりします。白井喬二も戦後になって、自己流の制約を取っ払って、伸び伸びと書いているように思います。

丸根賛太郞監督の「狐の呉れた赤ん坊」

jpeg000-25丸根賛太郞監督の1945年(戦後)の作品、「狐の呉れた赤ん坊」を観ました。橘公子の実際の銀幕での姿を見たくて買ったDVDですが、実に泣けるいい映画でした。戦後の撮影でGHQにチャンバラを禁じられているため、斬り合いのシーンは一ヵ所も出てきません。荒くれ者が子供を可愛がるというのは、同じ阪妻の「無法松の一生」と共通しています。最後のシーンで、善太がある大名のご落胤であることがわかって、本当の父親である大名に会いに行くために、大井川を渡ろうとして、蓮台に載せた立派な駕籠が用意されているのに、善太が「ちゃんの肩車がいい」と言うのが泣かせます。(善太を拾って育てた張り子の寅は大井川の川渡しの人足です。)
目的の橘公子もまあ可愛かったです。

NHK杯戦囲碁 溝上知親9段 対 村川大介8段

jpeg000-36本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が溝上知親9段、白番が村川大介8段の対戦。黒は上辺に模様を作り、白が消しに行き、黒はそれを受けずに右辺をさらに拡げました。このタイミングで白は下辺の黒の眼を取って黒を攻めたてました。黒は中央に進出しましたが、ここで白が左辺の黒石に付けたのが、いわゆるもたれ攻めです。この攻めで白は地を稼ぐことが出来ました。ここまでは白がうまく打っていましたが、その後上辺の黒を攻めたのがちょっとまずく、黒はこの上辺を捨てて中央を大きく囲いました。その後更に黒は上辺右側の石も捨て、その代わり中央に80目近い巨大な模様が出来ました。しかし白の確定地も大きく、勝負は右辺と下辺の白の生死になりました。黒はどちらかを取れれば勝ちでした。その折衝では、両方が劫になる可能性がありましたが、溝上9段は劫材が足らないと見て、結局下辺の白の尻尾を取っただけに終わり、白は両方をしのぎました。これで白がわずかに優勢で、結局白の3目半勝ちでした。振り替わりに次ぐ振り替わりで、プロらしい見ごたえのある碁でした。

白井喬二の「寶永山の話」

jpeg000-27白井喬二の初期の短篇集である「寶永山の話」を読了。入っている話は、寶永山の話、月影銀五郎、本朝名笛傳、築城變、老子鐘、九段燈と湯島燈、拝領陣、遠雷門工事、油屋圓次の死、剣脈賢愚傳、青桐證人、鳳凰を探す、獅人面のぞき、芍薬畸人、ばっさい、闘鶏は悪いか、猿の方が貴い、神體師弟彫、國入り三吉、目明き藤五郎、邪魂草。読後感は一言で言えば、「奇妙な味」としかいいようがない内容です。白井喬二はおそらく実際には存在していないと思われる怪しげな出典文献を次から次に繰りだして、奇妙なお話を語ります。出てくる人物は白井喬二の趣味と見えて、何かの技術を持った職人みたいな人が多いですね。「富士に立つ影」に先駆けて、築城師も既に登場します。後は門作りの名人だったり、彫刻師だったり、水門作りの名人だったり。ただ、全体的に中篇・長篇と比べると、白井喬二の短篇はあまりうまくないように思います。お話がただ奇妙だ、に終わってしまっていてもう一ひねりがないように思います。