Public romance in Japan (1) – an introduction –

Did you know that the “Star Wars” story is very much influenced by Japanese period movies?
It is a famous fact that the movie was directly influenced by Akira Kurosawa’s period movie, “The Hidden Fortress” (1958), as George Lucas himself once confessed this. In addition to several direct resemblances of scenes between the two movies, we can also find many similarities between “Star Wars” and other Japanese period (Samurai) movies:
(1) Luke Skywalker is wearing “Kimono”-like attire.
(2) The warriors in the movie fight with swords, namely by lightsabers, in a manner similar to the use of Japanese swords rather than fencing ones.
(3) The hero tries to help a princess.
(4) The existence of a supporting character who is skillful but a little bit nihilistic (namely, Han Solo).
(5) Emphasis on something spiritual rather than physical, in other words, the “Force.”
The characteristics mentioned above are not just limited to the Kurosawa’s movie, but are commonly-used motifs in most Japanese period (Samurai) movies.

Movies started showing in Japan in 1896, and the first movie filmed by a Japanese crew appeared in 1898. Most of the first Japanese movies were period (Samurai) movies, probably more than anything else. One of the most famous movie directors at that time was Shozo Makino, who produced more than 300 period (Samurai) movies. “Ninja” is now quite famous worldwide, but it became so popular more or less for the first time in Japan by Makino’s period movies.

What I would like to introduce in this blog is “public romance” in Japan. In Japanese, we call it “大衆小説”, literally literature for common people. It is usually translated into English as “popular literature”, but let me use “public romance” to describe the works of novelists such as Kyoji Shirai, Shiro Kunieda, Jiro Osaragi, Eiji Yoshikawa, and so on, from around 1920 to 1945. These authors’ romances were widely used for the early-stage period movies.

NHKの囲碁の「新春お好み対局」


NHKの「新春お好み対局」を視聴。(1月3日放送)
内容は、
1. 「プロ VS. アマ ルーレット碁対局」
  吉原由香里6段 対 きたろう(俳優)
2. 「脳内プロ・アマ混合ペア碁対局(13路盤)」
  小山空也3段 対 大西竜平3段
3. 「プロ・アマ・AI囲碁混合ペア碁対局」
  林漢傑 七段、AI(DeepZenGo)開発者:加藤英樹
  戸島花(タレント) 対 山田彩(タレント)
の3種類の対局。
1.は途中でルーレットを回して、勝てば白黒逆に出来るというもの。結果は、一度ルーレットで逆にしてもらったものの、きたろうが吉原由香里6段に2回も負けたというものでした。
2.は13路のペア碁ですが、プロは目隠し対局というもの。将棋での目隠しはプロならある程度可能だと思いますが、囲碁の場合は13路でも無理ということが証明されてしまいました。小山3段はそれでもかなり正確に打っていましたが、大西3段が何度も間違えて、穴を出られて突き抜かれたり、アタリを継がなかったりで、碁になっていませんでした。
3.は19路のペア碁で、プロアマとAIとアマという組み合わせです。DeepZenGoにとっては、1回毎にアマの手で読みをリセットされてしまい、また30秒しか無いというのは不利かと思いましたが(私は天頂の囲碁7と対局する時は、天頂の囲碁7側を60秒の設定にしています)、結果は戸島花とDeepZenGoのペアの勝ち。戸島花ちゃんは囲碁講座のアシスタント終了時に初段の認定を受けましたが、その時はオマケ的な初段だと思っていましたが、今日の打ち方を見たら手所で実に正確に打っていて、初段は伊達じゃないなと思いました。

ビルギット・ヴァイエの「マッドジャーマンズ ドイツ移民物語」

ビルギット・ヴァイエの「マッドジャーマンズ ドイツ移民物語」を読了。Amazonで「移民」で検索して上位に出てきたもので、ドイツで出版された漫画です。正直な所、今私が調べているような日本の移民受け入れ問題とはあまり関係はなかったのですが、内容的には重かったです。今のドイツの話ではなく、1980年代後半の東ドイツのモザンビークからやってきた労働者の話。当時モザンビークは、ポルトガルに対し独立運動を進めて成功し、社会主義の国となっていました。同じ社会主義の国同士ということで、当時の東ドイツとは仲がよく、東ドイツで不足していた単純労働の労働者を補うため、モザンビークからの移民を受け入れます。モザンビークからは政府が行う試験にパスしたある意味優秀な人達が、ドイツで何か技術を身につけようとやってきたのですが、実際の仕事は単純な肉体作業でした。しかも、支払われる給料の60%がモザンビークの左派政府によってピンハネされ、それはプールされて、将来この労働者達がモザンビークに戻って来た時に返却されるという約束でしたが、実際はこの左派の政府の幹部が贅沢をするのとか、あるいは武器の購入に消費され、労働者達にそのお金が返却されることはありませんでした。しかも1990年代になると、東西ドイツの統一が起き、東ドイツとモザンビークで交わされた契約は無効になり、モザンビークの労働者達は単なる邪魔な存在となってしまいます。多くの労働者はモザンビークに戻りましたが、そこで待っていたのは碌な仕事が無いという失業状態と、自分達がプールした金がどこかに行ってしまって、支払われないという厳しい現実でした。しかもドイツ帰りは現地の人から「マッドジャーマンズ」(Made in Germanyの意味)と蔑称で呼ばれ差別されつことになります。一部の人はドイツに残り、そこで教育を受け、ドイツ人となる道を選び、ごく少数の人だけがそれに成功します。しかし、モザンビークはその後、資本主義と共産主義の代理戦争としての内乱が起こり、多くの国民が殺され、ドイツで成功した人も二度と故郷に戻ることはできませんでした。
という重い内容で、この漫画は2016年のドイツでマックス&モーリッツ賞を受賞しています。(マックス&モーリッツはドイツ人なら誰でも知っている絵本のキャラクターです。)おそらくドイツ人の中でもモザンビーク移民の悲劇についてはほとんど知られていなかったんだと思います。

白川郷の合掌造りの家

白川郷の合掌造りの家。以前既に五箇山に行っているので、あまり感動はありませんでした。豪雪のため屋根を急角度にするっていうのは、アメリカのニューイングランドで見られる家もそうですよね。「合掌造り」で思い出すのはむしろ、将棋漫画の「5五の龍」で出てきた、真剣師「飛騨の中飛車」がプロ相手の対局で見せた、「合掌造りの駒組み」。遊び駒が一枚も無いという究極の駒組み。(どんな駒組みか知りたい方は、こちらを見てください。)