「否定と肯定」の映画を観ました。よくまとめていて、それなりに感動的ではありましたが、肝心の裁判の中身があまりにはしょりすぎ。原作ではアーヴィングの歴史捏造が30箇所くらい逐一反証されていきますが、映画はほとんど1/10くらいに短縮されてしまっています。私はそういう歴史捏造者の手口に興味があったのですが、残念ながら映画はかなりのダイジェストと言わざるを得ません。私は原作の方をお勧めします。
月別アーカイブ: 2018年1月
河野臨・小松英樹・一力遼の「アルファ碁は何を考えていたのか?」
河野臨・小松英樹・一力遼の「アルファ碁は何を考えていたのか?」を読了。アルファ碁に関する本も実に8冊目です。この本ではアルファ碁対人間棋士の対局が6局、アルファ碁同士の対局が3局、そしてZenの対局が2局取り上げられています。小松英樹9段がその11局の中のある局面を取り上げて、問題とし、小松英樹9段、河野臨9段、一力遼8段がそれぞれどう打ってどうその後の局面を構想していくかを解説したものです。実際それぞれの説明を見ると、プロであればほとんど考えることが一致しているというのが分かり、「次の一手」もかなりの確率で一致している場合が多いです。このことは、AI碁の登場で、今まで人間が作り上げてきた棋理が否定された訳ではなく、AI碁の打ち方はむしろ人間が盲点となっている所を教えてくれた、という風に思えます。ただ、一力8段は、アルファ碁が星に対していきなり三々に入る打ち方を「自分は絶対に打たない」と書いていますが、先日のNHK杯戦の対本木克弥8段戦の碁で確か打っていたんじゃあ…
人間より強いAI碁の登場は、個人的な感想では、棋聖道策による手割りなどを使った棋理の確立、そして木谷実9段と呉清源9段による新布石の提唱、に続く第3の囲碁革命であると思います。今後もプロ棋士によるAI碁研究は続き、その中から新しい打ち方が出てくることを大いに期待しています。
デボラ・リップシュタットの「否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる闘い」
デボラ・リップシュタットの「否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる闘い」を読了。丁度この本が映画になって日本でも公開されているので、それに合わせて出版されたものと思います。リップシュタットはアメリカ在住のユダヤ人でユダヤ人の迫害史の専門家。リップシュタットがイギリスの歴史家のアーヴィングをその著作の中で「反ユダヤ主義者、ホロコースト否定論者」として厳しく非難したことに対し、アーヴィングがリップシュタットを名誉毀損で訴えます。イギリスでは名誉毀損の裁判は原告側ではなく被告側に立証責任があることになっており、アーヴィングはおそらくそんな面倒なことはせずリップシュタットが和解をもちかけ、その著作の表現を取り下げるだろうと思って告訴したのでしょうが、リップシュタットは全面的に戦うことを決意します。その裁判費用に日本円で2億円近い費用が必要でしたが、色々なアメリカのユダヤ人の団体が彼女に対し全面的な資金援助を申し出ます。この辺りさすがユダヤ人という感じで、他の学者だったらまず諦めてしまうのではないでしょうか。援助を受けたお金で、最高のリーガルチームを結成し、アーヴィングの著作とその主張を徹底的に調べ上げて裁判に臨みます。裁判の内容は対等な闘いというよりも、アーヴィングの主張の杜撰さや意図的な歴史の事実の書き換えや脚色が30以上も明らかにされていきます。そういう訳で途中で既に判決の結果は予想でき、その予想通りの結末となりますが、個人的にはメデタシ、メデタシとはいかないような後味も強くありました。
1.ちょっと調べれば分かるようなアーヴィングの悪質な資料操作にも関わらず、イギリスの歴史家の多くがアーヴィングの研究を高く評価した。
2.日本の裁判所でこの内容が争われたら、「高度な学問的な判断は司法にはなじまない」とか言って逃げてしまうんではないか、という懸念が湧きました。
3.過去に私も深く関わった「羽入辰郎事件」との類似性が嫌でも想起されました。ちょっと調べれば分かるような羽入本の誤謬にも関わらず、かなりの数の学者が羽入本を褒め称えました。
4.アーヴィングがヒトラー擁護、ホロコースト否定の姿勢を強めていくのは、ドイツの中でネオナチ勢力が台頭していくのと同時です。ご承知の通り、2017年の総選挙で極右政党「ドイツのための選択肢」が94議席も獲得しました。
5.アウシュビッツ他のホロコーストを否定する気は毛頭ありませんが、現在イスラエルがパレスチナに対してやっていることはまったくもって容認できません。また、ホロコーストの生存者であるユダヤ人による「ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち」(ノーマン・G. フィンケルスタイン著)という本が出ていることも知っておくべきと思います。
なお、読んだのは山本やよいによる日本語訳ですが、翻訳自体はまったく問題なく読みやすかったです。ただ、ドイツ語のカタカナ表記にいくつか違和感があった(ausをアオス、ichをイヒ、小文字にすべき拗音を大文字にしているなど)のと、Ausrottung(絶滅、根絶やし)という裁判の中でもその解釈が争われた単語のスペルが間違っている(Austrottungになっている)など、翻訳者のドイツ語の知識はほとんどないと思いました。
Public romance in Japan (4) — Kyoji Shirai and Niju-ichi-nichi kai
During an emerging stage of public romance, another outstanding novelist was Kyoji Shirai (“白井喬二”) (1889 – 1980). Not only he created some great works one after another such as “Shimpen Goetsu Zoshi” (“神変呉越草子”) (1922 – 1923), “Shinsen-gumi” (“新撰組”) (1924 – 1925), or “Fuji ni tatsu kage” (“富士に立つ影”, A shadow standing on Mt. Fuji) (1924 – 1927), he also started to use the word “大衆” newly as the translation of an English word “public”, adding it a new reading as “Taishu” instead of the conventional “Daisu” or “Daiju” that meant a group of Buddhist monks, and thus triggered that the word “大衆文学” (Taishu Bungaku, literature for common people) was created by the then media.
The reason I use “public romance” here is that the word “大衆” was originally the translation of “public” and most works appeared in this stage were to be regarded rather romances than novels.
He also initiated a social gathering of public romance novelists in 1925 named “Niju-ichi-nichi kai” (“二十一日会”, a party of twenty first day). The members were, Kyoji Shirai, Shin Hasegawa (“長谷川伸”), Shiro Kunieda (“国枝史郎”), Sanju-san Naoki (“直木三十三”, he changed the name later to Sanju-go Naoki (“直木三十五”)), Rampo Edogawa (“江戸川乱歩”), Fuboku Kosakai (“小酒井不木”), Tekishu Motoyama (“本山荻舟”), Roko Hirayama (“平山蘆江”), Fujokyu Masaki (正木不如丘”), Soun Yada (“矢田挿雲”), and Seiji Haji (“土師清二”). Except Rampo, Fuboku, and Fujokyu, all of them were novelists of period romances. Although Rampo Edogawa was a writer of early-stage detective novels in Japan, that genre was also classified as a type of public romance at that time. From 1926, the party started to publish a magazine named “Taishu Bungei” (“大衆文芸”). (See the pictures.) With the magazine, they presented the emergence of a new genre in the Japanese literature.
ミニお伊勢参り(東京大神宮)
初詣は元旦に2社、2日に1社いって3社詣りを済ませていますが、休日なのでもう1社、東京のお伊勢さんといわれる東京大神宮に詣ってきました。1月8日だというのに、かなりの人出で参拝まで1時間近く待たなければならず、またその間に雨が降ってきて結構大変でした。ご本家と比べると本当にこぢんまりとした神社です。
ちなみに、昔はお詣りの仕方についてあまりうるさいことは言わなかったのに、最近はどこの神社に行っても、いわゆる「二礼二拍一礼」を守るようにという説明書きがあり、かなり多くの人がそれに従っています。でも調べてみたら明治の時代に神道が「国家神道」に変わった時に、国家の宗教なのだから各神社ばらばらの参拝の仕方はよくない、ということで決められたやり方のようで、決して神道本来のものでも何でもありません。神道は本来小うるさいことを言わないで、各人の素朴の信仰に任せるというのがいい所だと思います。
西山隆行の「移民大国アメリカ」
西山隆行の「移民大国アメリカ」を読了。移民に関する本も既にこれで5冊目です。「移民」について今議論が喧しいのはアメリカと欧州だと思い、アメリカの実情を知りたくて買いました。ただ難点は2016年6月の出版で、2016年の大統領選については途中までしかフォローしていない状態でこの本が書かれているということです。筆者は東大法学部出身の人ですが、何かいかにもその手の優等生が要領よく複数の資料をまとめた、という感じで情報を得る上では有益でしたが、西日本新聞の本みたいに、良く調べたな、という感動はまるでありませんでした。一つ面白かったのは、アメリカの労働組合が、移民の流入は労働者の平均給与水準を下げると最初は反対していたのが、今は労働組合に入る人が激減したため、今度は逆に移民の取込みを図っているのだとか。西日本新聞の本に日本の連合の人が出てきて、これがどうしようもない移民反対論者でしたが、いつかは連合も外国人労働者を組織化しようと躍起になる日が来るのかも。後面白かったのは、黒人といっても、例えばオバマ大統領の父親はケニアからアメリカにやってきた留学生で、一種のエリートであり、いわゆるアメリカに奴隷として連れてこられた人達の子孫ではなく、この手の人はむしろ共和党支持者なんだとか。その他、エスニック・ロビイングの話とか、最後に日本の課題についての話もありますが、どれも突っ込み不足という印象を受けます。
NHK杯戦囲碁 余正麒7段 対 高尾紳路9段
新春最初のNHK杯戦は黒番が余正麒7段、白番が高尾紳路9段の対戦です。この二人の対戦成績は余7段から見て8勝1敗とトップ棋士同士としては信じられない程偏っています。また、余7段は各棋戦で勝ちまくっていて7大タイトルにも2回挑戦していますが、まだ井山裕太7冠王には手が届かない感じです。布石は黒が右上隅で二間高ジマリ、そして左上隅の白の星に対しいきなり三々入りと、AIの打ち方を模倣した最近流行の布石です。黒は左下隅でもかかった後三々に入り両方で実利を稼ぐ展開でした。局面が動いたのは、白が下辺に開いた黒に打ち込んでからで、白は右下隅と下辺で活きましたが、黒も左下隅を封鎖している白に切りを入れ、こちらも下辺を荒らし、五分五分のワカレでした。その後中央での競り合いがあった後、白は右上隅に手を付けました。ここの折衝は劫になり、劫は黒が勝ちましたが、白は代償に左上隅を取り切りました。この結果は白が地を稼ぎ、黒の容易でない形勢になりました。ここで余7段は右辺を開いている白に横付けを敢行しました。付けてハネて継いだ黒3子は取られてしまいましたが、黒はこの3子を捨て石にして右上隅の白2子を先手で切り離して締め付けることが出来、これで黒が逆転しました。その後白は左下隅で劫を仕掛けるなどして粘りましたが、わずかに及ばず、黒の2目半勝ちになりました。白は右辺の対応が悔やまれます。正しく打っていたらわずかに白が優勢だったのではないでしょうか。
Public romance in Japan (3) — Dai Bosatsu Touge
Everybody agrees that Kaizan Nakazato’s (“中里介山”) “Dai Bosatsu Touge” (“大菩薩峠”, Dai Bosatsu pass) is the first typical example of public romance in Japan, excluding the author himself. He did not accept at all that his novel is classified as a public romance, instead he called it a “Mahayana novel” (“大乗小説”). (Mahayana Buddhism is a school of Buddhism that was missionized in East Asian countries including Japan.)
It is true that the novel is in many aspects beyond any classification. As you can see in the picture, it has twenty volumes in Japanese paper book style, and continued for 28 years (1913 – 1941) to write, yet is still uncompleted.
When we start to read this novel, we are shocked by the first scene where the hero, Ryunosuke Tsukue (“机龍之助”), kills an old male pilgrim on the top of Dai Bosatsu pass without any specific reasons. He further kills Fuminojo Utsuki by a match at a shrine and kidnaps Fuminojo’s wife and rapes her. You may think then this novel is a picaresque roman, but the hero is not at all jovial but very nihilistic. He will become blind later by an accident, but he still keeps killing many innocent people without clear motives.
Although we classify the novel as “public” romance, this novel is rather favored by intellectual people, as Hiroshi Nakatani (“中谷博” ) pointed out. In 1910, Taigyaku affair (“大逆事件”) occurred and Shusui Kotoku (“幸徳秋水”) and his fellows were sentenced to death by the suspicion that they planned to assassinate the emperor of Meiji. The suppression was much strengthened after the affair, and many intellectual people (among them there were many socialists or anarchists) felt depressed. For them, the acts of Ryunosuke, who kills people disregarding conventional morals completely, were kinds of relief.
The novel was turned into a play by Shinkokugeki (“新国劇”) in 1921, and the sword actions in the play made this novel and Ryunosuke Tsukue very popular. It has been so far picturized as well for five times, though all of them handle just early parts of the novel. Through the play and the movies, Ryunosuke Tsukue became a typical character type in Japanese public romance, and we can find many mimics.
Because the intellectual right of the author has already expired, you can read this novel on the internet. As for English translation, I don’t think it has been released, unfortunately. If you try to understand public romance in Japan, however, this work is a must-read.
P.S.
I found an English translsation by C. S. Bavier at a museum in Hamura city. (Hamura is Kaizan Nakazato’s birthplace). It was released in 1929 as one volume book. Perhaps it might be a digest version or a translation of the beginning part. (August 14, 2018)
Public romance in Japan (2) — some backgrounds
If you ask some Japanese now about the definition of “大衆小説” (popular literature), answers might be much diversified and vague. There could be no more clear distinction between “pure” literature and popular literature. Regarding the popular literature in its early stage, namely public romance in my word, however, its existence was obviously clear and prominent in the total literature in Japan. Before explaining the details of public romance, let me clarify some backgrounds why it became so popular in Taisho period (1912 – 1926):
(1) Taisho period is often referred with the word “democracy”. (Taisho democracy) Democracy in Japan has not started first since after World War II, but it has its origin in Taisho period. The first universal suffrage was given to all adult males for the first time in 1925. It means common people’s power was strengthened more and more during Taisho period.
(2) Along with the development of democracy, many newspapers started their business from around the end of 19th century. They definitely needed catchy entertainment to attract more readers.
(3) For the above mentioned purpose, some newspapers serialized stenography of “Kodan” (講談). Kodan is a traditional art of story-telling in Japan, mainly of anecdotes of historically famous person. Many tellers of Kodan at that time protested them as infringements of their intellectual right. The accused newspaper companies had to explore some alternatives.
It is important that public romance was called “new Kodan” in the beginning, and it replaced stenography of Kodan in offering entertainment to the readers of newspapers.
ロッシェル・カップ、大野和基の共著の「英語の品格」
ロッシェル・カップ、大野和基の共著の「英語の品格」を読了。これは良書です。日本人の英語学習者は、アメリカは何でもストレートにダイレクトに言う文化で、英語もそうあるべきである、と考えている人が多いのですが、この本はそれが大きな間違いであることを明らかにします。エリン・メイヤーの「The Culture Map」にも、アメリカ人の上司が部下にネガティブなフィードバックをする時は、まずポジティブな指摘から始めて、なるべくネガティブな内容をオブラートでくるむようにするというのが出てきていましたが、この本でも同じことが言われています。気をつけないと、ネイティブは日本人だから英語のニュアンスが良くわかっていないんだろう、なんて好意的には解釈してもらえなくて、なまじ少し英語をしゃべる人の方が大きな誤解と悪印象を相手に与えがちです。また私にとって良かったのは、私にとっては、英語の語彙を今の9,000語レベル(TOEICのReadingでほとんど困らないレベル)から20,000語レベル(TimeとかNewsweekをすらすら読めるレベル)に上げるのが課題なのですが、この本ではネイティブが語彙を強化するために使っている本を3冊紹介してくれています。私は内2冊をAmazonに発注しました。また、主に映画で英語を覚えた人が、映画に出てきた表現をそのままインタビューで使って、相手の人を怒らせる事例が出てきます。後、この本ではいわゆるpolitically correctな表現の話も出てくるのですが、体に障害がある人を言う場合の、disabledやhandicappedが既に古い表現で、今はphysically challengedとか、differently abledとか言わないといけないのだとか。この点はこの本に同意できず、行きすぎじゃないかと思いました。
まったく英語がしゃべれない人向けではないですが、TOEICで800点ぐらい取れる人は読んでおいた方がいい本です。