明星聖子+納富信留 編の「テクストとは何か 編集文献学入門」

明星聖子+納富信留 編の「テクストとは何か 編集文献学入門」を読了。この本を読んだ理由は、以前「羽入式疑似文献学の解剖」というのを書いて、エセ学者の羽入辰郎を批判しました。羽入は自分を「文献学者」だとするのですが、私は「そもそも文献学って何?」という疑問をぶつけ、その学問のインチキぶりを暴いたのですが、それに対して「日本マックス・ウェーバー論争」という本(その中に私の論考も収録)を総括した人が、私のことを「市井の文献学者」と評しました。私はこの評価にまったく納得できません。というか未だに「文献学」って何だかよく分かりませんし、また大学で「文献学」などというものを教わった記憶はまったくないからです。
この本だけではなく、Webも調査した結果としては、ヨーロッパの大学では、確かにちょっと前まで文献学を標榜する学部や学科がたくさんあったみたいです。そこでの「文献学」は文学の解釈や言語学までも含むかなり幅広い概念だったようです。これに対してアメリカでは、いわゆるテキストクリティーク(正文批判)の狭い意味でもっぱら使われるようです。今はヨーロッパの大学でも「文献学」の講座はどんどん無くなって別の名前に変わっているようです。
それに対して、この本の「編集文献学」というのが、こちらは逆に比較的新しい動きのようです。しかし中身を読むと、聖書のテキストをどう確定させるか、プラトンの原典をどのように復元するか、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」のどれが正しい版か、などを研究しているだけで、別に内容は今までの(狭い意味の方の)文献学とほとんど変わらないように思います。
ちなみに、この本の中に、松原良輔という人が出てきて、ワーグナーのタンホイザーのどれが正しい版か、なんていう話を書いていますが、実はこの人私の大学のサークルの後輩です。しかもあの羽入辰郎と文科三類で同じクラスだったという因縁付きです。
話を元に戻すと、私は文献学を学んだことは一度もありませんが、文献の扱いについて多少知識があるとすれば、それはJ社で辞書作りに深く関わったからです。私のその面での先生であるT先生は「日本には辞書学がない」といつも嘆いておられましたけど、その先生を通じて実践的な辞書学は学べた訳でそれが、文献調査に役に立ったのだと思います。