大松博文の「おれについてこい!」を読みました。今さらですが、1962年の世界選手権と1964年の東京オリンピックでバレーボール日本女子(日紡貝塚チーム)を金メダルに導いた監督。
私の子供の頃、「巨人の星」や「アタックNo.1」などのスポ根ものの漫画やTVがブームでしたが、それは漫画などが先にあった訳ではなく、現実の方がはるかに先を行っていました。ソ連女子チームに比べて平均身長で10cm低いハンデを補うためにあみだされた「回転レシーブ」、世界の他のチームを翻弄した「木の葉落とし(無回転サーブ)」を始めとする多彩なサーブ(その頃の日紡貝塚チームの得点の1/3はサーブポイント)、漫画の「魔球」を先取りしていました。なんせ「東洋の魔女」「世界の魔女」と呼ばれた訳ですから。
何で今頃これを読んだかというと、今会社で私が管理しているグループのメンバーの8割が女性で、私は今の会社でも前のJ社でも自分の部下になった人にはどこへ行っても生きていける実力をつけて欲しいと思って、結構高い要求をしてスキルを磨いてもらっているんですが、そうしたことがものすごい負荷になっているんじゃないかとちょっと悩んでいて、それで「おれについてこい!」というすごいセリフを言えるこの人の本を古書店で求めたものです。(Amazonでは入手出来ませんでした。)
大松監督は、戦争中ラバウルからビルマに送られ、いわゆるインパール作戦の数少ない生き残りです。はっきりいって今大松監督のスタイルでやったら、パワハラ、セクハラ、ブラック企業、過労死とあらゆる非難が巻き起こりそうな気がします。当時ですら「女性の敵」「会社の敵」と言われ、日紡貝塚の労働組合からもやり過ぎを非難されたりしています。しかし、ソ連チームのように幼い頃からスポーツの英才教育を受け、基礎訓練を十分積んだ上で選抜された選手に対し、高校出てただバレー部にいただけ、という平凡な選手を、1日6~7時間という驚異的な練習で鍛え上げ、選手は監督を信じてついていき、ついにはソ連を破ってNo.1という偉業を成し遂げます。選手も監督も毎日の睡眠時間が5時間で、これは遠征で時差などで十分睡眠時間を取れない場合でも万全のゲームが出来るという対策も兼ねていたそうです。1962年の世界選手権の3年前までは日本では時代遅れの9人制バレーが主流で、6人制に転じてわずか3年でトップまで上り詰めます。
まあ大松監督は後にいわゆるタレント候補として自民党から国会議員に立候補(1度目は当選、2度目は落選)したなんてのはまったく感心しませんが、この本に書かれていることは、ただアナクロと非難して済ましてしまうことの出来ない貴重な何かを感じました。
大松博文監督の「おれについてこい!」
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