会社HP用の新サーバーから、「お問い合わせ」と「3DCADファイルダウンロード」の時に、それぞれのエントリーユーザーに受付確認のメールを送っています。
ところが、私がテストした範囲で、会社のメールアドレス、私個人のメールアドレス(自宅サーバー)、So-netのアドレスなどには問題無く受付完了メールが送れたのですが、何故かGmailのアドレスにだけ送れていませんでした。
それで色々ログを調べたら、Gmailは送信者のメールアドレスのドメインが正しいかどうかというチェックをしていてSPFかDKIMという電子メール認証が通るメールでないと受け付けないことが分かりました。
それでSPFをどう設定するかですが、そのドメインのDNSサーバーにレコードとして設定する必要があります。実際に今回設定したのは以下のような内容です。
ホスト名 タイプ TTL VALUE
xxxxxx.jp TXT 3600 v=spf1 ip4:181.33.44.16 -all
mail.xxxxxx.jp TXT 3600 v=spf1 ip4:181.33.44.16 -all
(上記のIPアドレスは適当に作ったものです。)
最初上の方だけを設定し、それで「お問い合わせ」の方はOKになったのですが、CADファイルダウンロードの方が駄目(「お問い合わせ」とCADの方で送信の仕方が違います)で、調べたらsales@mail.xxxxxx.jpのアドレスで送られていることが分かったので下の方も追加し、これでようやく両方でGmailアドレスに送れるようになりました。
月別アーカイブ: 2024年11月
トワイライト・ゾーンの”From Agnes – with Love”
トワイライト・ゾーンの”From Agnes – with Love”を観ました。ジェームス・エルウッドはNASAみたいな所のプログラマーで、アグネスと女性名で呼ばれるコンピューターを担当して、水星探査計画の軌道計算をしていました。別のプログラマーが使っていたアグネスは突然狂いだし止まらなくなりますが、エルウッドが来るとピタリと治まります。エルウッドは同じ職場のミリーに恋していますが、なかなか積極的にアプローチ出来ません。それに対して何故かアグネスがアドバイスして、家に誘え、とか、バラの花を贈れ、とか、自分より劣った人を紹介しろ、などを提案しますが、全てが逆に作用して、アグネスは紹介した男のものになってしまいます。実はアグネスはエルウッドが好きで、告白しますが、エルウッドに機械に恋は出来ない、と言われて狂いだし、それを何とかしようとしたエルウッドは頭がおかしくなります…
という訳で今のAIだったら十分成立しそうな話で、それを60年前にやっているのがトワイライト・ゾーンの素晴しい所です。
コタツも出しました。
石油ファンヒーターに続いてコタツもセットしました。これで本格的な冬シーズン準備が完了。ちょっと風邪気味で喉が痛いです。ミカンが欲しくなります。
NHK杯戦囲碁 村川大介9段 対 呉柏毅6段(2024年11月10日放送分)
本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が村川大介9段、白番が呉柏毅6段の関西棋院同士の対戦でした。戦績は村川9段から見て6勝0敗と、呉6段はまだ勝ち星がありません。対局は白の実利、黒の厚みで進み、左辺と右辺で黒が模様を築き、そこの戦いがポイントになりました。対して白は上辺に模様を築いています。白が右辺で黒から攻められた時に、早々と劫を仕掛けたのが意外でしたが、黒は下辺の劫立てに受けずに劫を解消しました。白の劫立ての結果下辺の黒は分断されたのですが、黒がどちらかを捨てていれば黒が優勢だったようです。実戦は黒が両方頑張った結果、白の中央が厚くなり、黒の右辺上方の石が厚みから攻められる石に変わりました。黒は左下隅の白に寄りつこうとしたのですが、隅と下辺で2つの劫になり、白はどちらかに勝てばいいという状況になり、結局隅は黒が劫に勝ち、下辺は白が勝ち、その結果左下隅からの活きも確定して白が優勢に変わりました。その後白は緩まず黒を攻め立てて一杯に打ち、地合は盤面でも白がいいという形勢になりました。それでも黒は上辺で頑張って多少形勢を挽回したかと思いましたが、最後右上隅が薄く、白にその薄みを付かれて黒地をへこまされ、黒の投了となりました。呉柏毅6段の対村川大介9段初勝利でした。
今シーズン初の石油ファンヒーター
ウルトラマンタロウの「人喰い沼の人魂」
ウルトラマンタロウの「人喰い沼の人魂」を観ました。ある湖の側に住む少年がオネショをして父親から外に追い出されます。明日が誕生日の父親のために湖に花を摘みに行った少年はそこで人魂を目撃します。同じ頃東もその人魂を目撃しますが、どちらもZATのメンバーに信じてもらえません。結局人魂の正体は怪獣の目で少年の父親も捕まってしまいます。ZATは地底戦車ベルミダーⅡ世で地下を探索して怪獣を発見して攻撃します。そこで捕らえられた人達のカプセルも発見します。東は怪物を槍で攻撃しようとする少年に必ず父親を助けると約束し、タロウになります。ZATの女性隊員の援助もあって怪獣を倒します。
どうでもいいですが、ZATの地底戦車、何故かドリルが2つで、これでは地下を掘り進むの無理だと思いますが…(というかそれまでのシリーズの地底戦車も、自分が回転してしまって穴は掘れないと思いますが…)元々この手の元祖はサンダーバードのジェットモグラですが。
トランプ勝利
しかしネイト・シルバーの five thirty eight などの世論調査による予想サイトは今回も外し、これでトランプが関わる大統領選挙は3連敗。
上下院とも共和党が多数になりそうなので、少なくとも2年は(中間選挙までは)トランプはやり放題ですが、さてどうなるか。
MQAはどこへ?
3~4年前くらいに、e-onkyoのハイレゾ音源にMQA形式というのが登場し、「音質がいい」「ファイルサイズが小さい」といった大キャンペーンやっていました。それで一応試したんですが、すぐに色々疑問を感じて音源としてMQAを買うのは止めました。そのe-onkyoが2週間前くらいに終了してしまったのに、最後にと思って3タイトルくらいハイレゾ音源を購入しました。その時に「あれ、MQAはどうしたんだろう?」と思いました。ファイル形式としてはまったく提供されなくなっていました。
それで今MQAがどうなっているのかを調べたら、
(1)提唱元が経営破綻(一応どこかに買収されたらしい)
(2)ストリーミングでMQAをやっていたTIDALは今年の7月でMQAによるストリーミングを終了しFLACに切換え
ということで「ほぼ」終了していました。ちなみに最近日本でサービスが始ったQobuz(e-onkyoを買収した)もFLAC他で、MQAは使っていません。まあMQAについては元々怪しいと思っていたので、どうでもいいんですが。
志村真幸の「在野と独学の近代 ダーウィン、マルクスから南方熊楠、牧野富太郎まで」
志村真幸の「在野と独学の近代 ダーウィン、マルクスから南方熊楠、牧野富太郎まで」を読了。
私も、2006年頃に行われた通称「マックス・ヴェーバー論争」にアマチュアとして参加し、それがきっかけで大学時代の恩師の折原浩先生とメールをやり取りするようになり、先生の勧めでヴェーバーの未翻訳論文の日本語訳というある意味大それたことにずっと取りくんでいますので、この本の内容は興味深かったです。また著者は「南方熊楠顕彰会理事」なので、この本のある意味狂言回しの役は南方熊楠が勤めており、熊楠のイギリス時代と帰国後が比較され論じられています。ある意味新鮮だったのが、熊楠の時代のイギリスでは、大学の研究者よりもむしろアマチュアの研究者の方が地位が高かったということで、ダーウィンもマルクスもその例ということになります。そのイギリスでNotes and Queriesというアマチュア中心のQ&A雑誌に何百回と投稿して、アマチュア研究者としてそれなりの地位を築いた熊楠が、帰国すると、当時の日本(今も)学問は学者がするもの、という風潮の元で高く評価されず失意の日を送る様子が描かれています。熊楠は自身の履歴書というエッセイの中で、日本の当時の大学の学者を「「日本今日の生物学は徳川時代の本草学、物産学よりも質が劣る、と、これは強語のごときが実に真実語に候。むかし、かかる学問をせし人はみな本心よりこれを好めり。しかるに、今のはこれをもって卒業また糊口の本源とせんとのみ心がけるゆえ、(以下略)」と批判しています。
熊楠以外に、この本ではOEDの編集者であるジェイムズ・マレー博士も登場します。私も日本語変換の辞書に関わった人間として、マレー博士は尊敬しており、またアマチュア研究者としても大先輩になります。それから三田村鳶魚も登場しますが、鳶魚が熊楠とかなり親しく、深い交流をしていたことは初めて知り驚きました。私にとっては鳶魚は白井喬二、直木三十五、吉川英治他の大衆作家の時代物の小説の考証上の誤りを切りまくった、ある意味歴史書とフィクションの区別がつかない困った頑固な老人というイメージだったのですが、それが熊楠と意気投合していたというのはちょっと意外でした。
ちなみに、ITの世界では、ビル・ゲイツもスティーブ・ジョブズも皆大学でコンピューターを学んで起業したのではありません。また僭越ながらこの私もプログラミング他のITの知識は、ジャストシステムに勤務していた時に仕事で覚えたもの以外は全て独学であり、大学で学んだものはまったくありません。そういう意味ではITの世界は大学の教官ではなくアマチュアが支えて来たのだと思い、学問の世界よりある意味進んでいたような気がします。
コモアしおつ
この写真は、私の自宅の最寄り駅である藤野駅より2駅甲府側の「四方津」(しおつ)駅側にある「コモアしおつ」というニュータウンです。バブルの頃の状況を社会人として知っているのは私ぐらいが一番若いということになり、最近あの頃の不動産の状況を知らない人が多いようです。なんでこんな所に(首都圏へのベッドタウンとしての)ニュータウンが出来たかというと、1986年に中央線快速が大月まで乗り入れるようになり、この結果この辺でも新宿辺りなら十分通勤圏になりました。(少なくとも当時はそう考えられていた。)四方津から高尾まで快速で行って約30分、そこから乗り換えて中央特快始発に乗れば座って40分で合計70分ちょっとで行けます。要するにバブル期の地価の高騰はすさまじく、普通のサラリーマンはそれまでのように普通の首都圏の通勤圏に庭付き一戸建てを持つことが出来なくなったため、高尾から先が次々に開発された結果の典型例がここです。この「コモアしおつ」は1987年に着工、1991年に完成、とバブル真っ只中に着工され、完成後すぐにバブル崩壊になっています。売り出し価格は平均5,000万円くらいだったようです。ちなみに駅とニュータウンの間は5分もかかるエスカレーターとエレベーターが設置されています。ちなみに、ここはバブル崩壊後もそこまで劇的に暴落はしなかったようで、ロケーションが評価されて今でも3500人くらいがお住まいみたいです。