中根千枝先生(私は大学の時1年間文化人類学入門と社会人類学の初歩を中根先生に習っています)の「タテ社会と現代日本」を読了。この本は「タテ社会の人間関係」出版50年を記念して、講談社が中根先生にインタビューした内容をまとめたもの。附録で1964年の中央公論に載った「日本的社会構造の発見――単一社会の理論――」が付いています。この本を読んだのは、先日の仏教学者がその著作の出版にあたって別の年長の学者の妨害を受けた、という暗澹たる話を読んで、再度中根先生の「タテ社会」を確認したくなったからです。
この本で驚いたのは「タテ社会」というのは中根先生自身の命名ではなく、講談社の当時の編集部のアイデアだということです。確かに「日本的社会構造の発見」の方を読んでも、タテという言葉は使われていません。ただ発想の元は、インドと日本の比較ですが、インドはカースト制度で差別が強い社会のように思われていますが、実際には同じ職能階層の間ではお互いに助け合う仕組みが出来ていて、たとえ最下層のカースト民であっても決して不幸だけということはないということです。日本は閉ざされた「場」の空間の中で、要するにその「場」に長くいるほど階層が上(先輩-後輩の序列)で、その「場」の中での上昇していくことは可能だけど、職能階層、専門家集団のようなヨコのつながりがほとんどないということです。なのでマルクス主義的文脈でも、日本では個々の会社単位ではない資本家対労働者という対立はほとんどなく、実際には同業他社同士の熾烈な争いの方がよっぽど強いということになります。
ただ中根先生は2021年に亡くなられていて、この本は2019年ですが、さすがに中根先生の日本の現状認識もかなりズレが出ています。今は「せっかく苦労して入った会社だからなかなか辞められない」なんていう状況には全くなく、新入社員の1/3は入って3年以内に辞めて別の会社に転職したりしています。それにそもそも正規社員になれる人が減って、会社に勤める人の全体の約1/3は今や非正規社員です。また、私の例を出して恐縮ですが、私は1年半前に前の会社を辞め、今の会社に移っていますが、どちらも産業用スイッチの会社でお互いに競合会社です。(それぞれ強いジャンルが違っていて、それほど強い競合ではありませんが。)そのきっかけは、私が「ヨコ」の関係であるある工業会で同業他社同士が所属する委員会の委員だったことです。こういうのも50年前にはあまりなかったと思います。また「家」が典型的な場として挙げられていますが、私のように独身で老後を迎える人がやはり1/3になりつつあり、そもそも「家」も崩壊寸前です。
ただそうは言っても、タテ社会の弊害と言うのはまだまだ沢山残っていて、仏教学者の出版妨害もまさにその一例です。(ある意味、アカデミズムの世界が遅れていて未だに昔の悪弊から抜けられていない、とも言えそうですが。)そういう意味で中根先生のタテ社会論は今でも読む価値があると思いますし、またそれをベースにして今の日本を分析する新しい理論が出てくるべき時でもあると思います。
中根千枝先生の「タテ社会と現代日本」
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