「大衆文学はどうなるだろうか」(「新潮」1933年4月号の座談会)

「新潮」の昭和8年(1933年)4月号に載っている「大衆文学はどうなるだろうか」という座談会を読了。多分この前の号で純文学についての座談会があり、その続きのように見えます。このタイトルで白井喬二が呼ばれない筈はなく、座談会の中での発言も多いです。しかし、タイトルからも想像出来るように、この時期は大衆文学にとっても白井喬二自身にとっても曲がり角の時代でした。この座談会の前の年に、白井の平凡社の全集が出ていますが、その全集の目玉であった筈の「祖国は何処へ」は、私としては決して低くは評価していませんが、ある意味多くの読者の期待を裏切った失敗作でした。その一方でこの座談会にも出ていますが、吉川英治が人気を集め、2年後には「宮本武蔵」の連載を開始します。
時局的にはこの年の2月に国際連盟を脱退しており、満州事変から始まって日中戦争へと突入していく時期であり、雑誌などでも大衆小説に変って軍事小説のようなものの比率が増えて来た時期です。
白井の主張していることは「10年評論するなかれ」など、他の評論でも言っていることが多くそれほど目新しさはありません。しかしながら、最初大衆小説に対して付けられた「新講談」という名前は、作家にとってはとても苦痛であったと告白しています。しかし白井の「新撰組」がサンデー毎日に連載されて人気を博して1年も経つと、作家の存在感が上がって自然と「新講談」という名前は消えて行き、そのうち「大衆文藝・大衆小説」という名前に変っていったとしています。
後、この座談会で面白いのは川端康成が純文学代表という感じで、結構大衆文学に批判的であることです。また小林秀雄が純文学というのは要するに西洋かぶれなのだ、と喝破しているのもなかなか慧眼だと思いました。

白井喬二の「鳳雀日記」「天路歴程」(エッセイ)(雑誌「騒友」掲載)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白井喬二が雑誌「騒友」に寄稿したエッセイと日記(「鳳雀日記」)をいくつか入手。「騒友」は元左翼で後に転向して三上於菟吉の弟子の大衆小説家となった小山寛二の雑誌で、昭和39年(1964年)の8月頃創刊し、数年間続いた雑誌です。でもページ数は16~24ページ程度のとても薄い雑誌です。しかしながら保田与重郎とか安岡正篤のような一流の人が寄稿しており、また掲載されている広告もそれなりに良い会社が多く、どういうコネがあるのかは分かりませんが、それなりに格式があります。載っているのはほとんどが随筆で「随筆雑誌」と称しています。今回古書店で昭和39年から44年まで「騒友」を十数号入手しました。その中に白井喬二が「天路歴程」に関するエッセイを一篇、また「鳳雀日記」という日記を5回くらい載せています。この「鳳雀日記」については学藝書林の全集の第二期で収録される筈のものだったので名前は知っていましたが、掲載誌が分かりませんでした。しかし今回学藝書林の全集第1期の月報をすべて入手し、その中で小山寛二が自分の雑誌「騒友」に白井喬二が日記を載せていると書いていたので、掲載誌が判明しました。
「天路歴程」のエッセイは、白井が一番ちゃんと読んだ宗教に関する本がバニヤンの「天路歴程」だとして、戦後の日本での宗教の必要性を説いています。また学生時代に代用教員をやっていた時にペスタロッチに心酔していたことも書いています。どちらもとても白井らしいと思います。
「鳳雀日記」については、白井の実際の日記から何かの感想について書いたものを順不同で連載したものです。内容は雑多ですが、その中にビートルズの来日の騒ぎに触れたものがあります。白井とビートルズはほとんど結びつかないのですが、確かにその来日の時、白井はまだ元気に活動していました。また、「一人の悪人もなくする運動」をやったらどうかと提案していて、これもまた実に白井らしい話です。本当に阿地川盤嶽は白井喬二の分身だなと思います。
後、白井喬二の年始のいわゆる賀詞広告も載っていて珍しいです。世田谷区奥沢に住んでいたようです。
なお、著作権的に読めるように写真を載せるのは問題かと思いますが、誰でも簡単に入手できるというものではないため、あえてそのまま写真を載せます。

白井喬二の「富士に立つ影」読み直し 江戸篇

白井喬二の「富士に立つ影」の読み直し、江戸篇を読了。この篇は裾野篇における佐藤菊太郎と熊木伯典の手に汗を握る戦いもなく、また第三篇の主人公篇のような主人公=熊木公太郎の登場もまだで、いわばつなぎの地味な篇です。しかしながら、裾野篇でキャラがかぶると書いたお染とお雪こと小里がそれぞれ佐藤菊太郎と熊木伯典の妻になる経緯を書いた重要な篇です。最初に読んだ時は、小里は熊木伯典のことを蛇蝎のように嫌っていた筈なのに、何故それが伯典の妻に収まったのかがよく理解出来ませんでした。なので今回はその辺りを慎重に読もうとしました。伯典の出生の関する秘密を書いたお墨付きの書を、裾野篇の最後でお染が偽の文書にすり替えたのですが、この篇ではその内容に翻弄される伯典が描かれます。しかし、伯典が結局幕府の行事に関する公文書を見る機会を得、偽のお墨付きに書かれているようなことは事実ではないことに気がつき、結局お染の企みが伯典にばれて、伯典がお染に迫り、お染は持っていた匕首で自害しようとします。そのギリギリの瞬間に小里が駆けつけて、お染の身代わりになり、お染を逃がします。そこまではいいのですが、その後小里がどうして伯典の妻になったのかは白井喬二はまったく説明していません。
(1)おそらく暗黙の了解としては、小里は伯典に無理矢理肉体を自由にされています。(この篇の最後の方では小里は伯典の子を身籠もっています。)
(2)小里は佐藤菊太郎が好きで江戸に出てきて菊太郎を探すのに便利だからと芸者になったのですが、この篇でお染の菊太郎への思いを知り、菊太郎のことは諦めます。ある意味無意識の菊太郎への当てつけ的な気持ちで伯典の妻になることを承諾したのでは、と思います。
(3)この小説の主人公で無垢で純真な熊木公太郎が、伯典だけの遺伝ではキャラクター設定に無理がありすぎます。しかし小里の子であるならば、ある程度理解出来ます。公太郎というキャラを作るためには小里が必要だったのです。
まあしかし伯典自身も、お墨付きによればある高貴なお方の落とし胤である訳で、その息子に公太郎みたいなのが生まれても、伯典の性格は後天的なものとも考えられ、ある程度説明は出来ます。
(4)モラリストの白井喬二としては、いかに小説のキャラとはいえ、伯典のような悪漢がそのまま生きていくというのは許しがたい部分があり、小里の善によって伯典の悪を浄化することを狙ったのではないかと。実際に小里が庭に観音堂を据え付けて伯典の罪が許されるのを願うという話があります。またその悪の浄化の結果が公太郎といえます。
(5)後の展開で、佐藤菊太郎の息子と熊木伯典の娘が愛し合うようになります。二人とも美男・美女ではないと面白くなく、その意味でも伯典の妻は美人である必要があります。

それにしても、この小里に関する謎は、ある意味省略の美学であり、読者に色々理由を考えさせてくれる上手い筋立てだと思います。筋立てといえば、この篇に面彫り師の甲賀の円蔵という人が登場します。この円蔵は単なる狂言回しで重要なキャラクターではありませんが、この円蔵が美人の満足した面を彫ることを目標にしてそのモデルを小里にします。しかしその内小里の美しさに夢中になり、結果として円蔵の奥さんが自害してしまいます。サブキャラクターにしてこれだけ深い筋を付ける喬二の腕に感嘆します。また面彫り師の説明の中で、烟取下衛門(けむりとりくだりえもん)という名人が出てきますが、これは「忍術己来也」の主人公です。こういう細かいネタも1回目は当然気付いていませんが、2回目になると分かります。円蔵以外にも、小里に入れあげる八幡万次郎とその息子の文吾や太田蜀山人に至るまで、サブキャラの密度の高さは素晴らしいです。

田河水泡の「のらくろ」の連載の終わりは?

現在、川崎で「のらくろ展」が行われています。それに関連して一言。1967年の私の子供時代に「のらくろ漫画全集」全10巻が出て、戦前ののらくろが復刻されました。(ちなみにその後アニメにもなりました。)その最後の巻が「のらくろ探検隊」でのらくろが軍隊を退役して大陸で鉱山を探すという話でした。(この巻だけ家にありました。残りの巻は図書館で借りて読みました。余談ですが、のらくろの協力者数人の内、一人{一匹}は明らかにある民族をモデルにしたものでした。のらくろがその人に何が得意かと聞いたら「私の得意なのは嘘をつくことです。」と答えるという、かなり際どい描写がありました。)
それで「のらくろ探検隊」はのらくろの一行が石炭か何かの鉱山を発見し、のらくろはその権利を惜しげも無く協力者3人{3匹}に与え、自分はまた新しい鉱山を探しに行くというところで終わっていました。私はこれがのらくろの最後だと思っていました。
ところが写真は、先日古書店で入手した大日本雄弁会講談社の「少年倶楽部」昭和16年新年号ですが、タイトルは「のらくろ鉱山」となっており、のらくろが満州で鉱山経営をしているという話でした。「のらくろ探検隊」にはこんな話は入っていませんでした。とすると、のらくろの連載は1967年に全集に入っているものの後、まだ続きがあったということになります。ただのらくろは、(1)日本の軍隊を犬に例えた(2)のらくろが二等兵から最終的には大尉、とありえない出世をする、などで軍部の覚えは目出度くなかったようです。おそらく、この昭和16年のどこかで連載は終わったんだと思います。(少年倶楽部自体、紙不足でページ数を減らさざるを得なかったようです。)全集に入っていない理由は、途中で終わって話が完結していないからではないかと思います。

白井喬二の「富士に立つ影」読み直し 裾野篇

白井喬二の「富士に立つ影」の読み直しを開始。まず「裾野篇」を読了しました。大岡昇平はこの長大な小説を実に10度も読んだそうですが、そこまではいかなくても、白井喬二愛好者としては、もう一度読んでこの小説の新しい魅力を発見したいと思います。
しかしさすがにこれだけ白井喬二の著作を読んだ今となっては、少しは白井喬二の「手口」というのも分かって来ています。以下は決して批判ではありませんが、読んでいて気になったところです。

(1)江戸時代における築城家の位置付け
三田村鳶魚の批判を待つまでもなく、太平の時代の江戸時代に、果たして築城家(この小説では城師)が活躍する何ほどかの場があったのかという疑問。江戸時代の戦乱は島原の乱が最後で、その後長い太平の時代に入ります。戦国時代に多数作られた各地の城については、幕府より一国一城のお達しが出て、ほとんどが取り壊されています。領主の居城が古くなって色々問題があっても、修理するのでさえ幕府の許可が必要でかつその許可もなかなか下りなかったと聞いています。そうなると新築の城などあり得ず(おそらく大規模な新規の築城は1610年の名古屋城の築城が最後なのでは?)、城を建てる専門家としての築城家の需要はほぼ0で、この小説にあるように各地に様々な流派が残っていたというのも変な話です。

(ただ念のために言っておくと、築城学というのは明治になり復活を遂げ、陸軍大学や陸軍兵学校の講義の中には「築城学」というのがあり、主にフランスから来た「要塞作りの技術」が学ばれました。左の写真はその教科書の一つです。実際にも日露戦争の焦点となった戦いは旅順要塞の攻防であり、第1次世界大戦での最激戦区はヴェルダンの要塞を巡る戦いでした。)(2)1805年における調練城とは?
ペリーが浦賀に来航するのはもうちょっと先の話ですが、ロシアで暮らした大黒屋光太夫が帰国したのは1792年です。また蘭学という形でのオランダ経由で西洋の進んだ技術は広く知られていました。また西洋式の大砲は既に大坂夏の陣や島原の乱で使用されています。にもかかわらず、熊木伯典と佐藤菊太郎が提案する城の内容は、どう見ても戦国時代の城そのままで、まったくといって進んだ西洋の兵器にどう対抗するかという視点が欠けています。また、調練城であって、要は武士の訓練のための城であり、そうであればどれだけ多くの武士を寝泊まりさせるかとか、どういう演習を行わせるかの議論があるべきですが、まったくそういう内容は二人の提案には含まれていません。
さらに、幕府が自らのお金で城を築くのであれば、近い将来にあるかもしれない幕府への反逆、つまり後の薩長連合軍のようなものを予期した城づくりを考えるべきと思いますが、そういうのもありません。
にもかかわらず、幕府側が用意した質問の中に、「抜け穴、隠し部屋、万年水」のような、ギミックが勝ちすぎたものがわざわざ入っていて、とてもバランスを欠いています。まあ、この辺りは白井の趣味といってしまえばそれまでですが。
(3)白井一流の偽文献
賛四流の始祖が書き残し、代々の直系の跡継ぎだけが読むことを許されたという「天坪栗花塁全(てんぺいりっかるいぜん)」、これは調べてみるまでもなく、白井一流の偽書でしょう。しかしよくこういうもっともらしい書名を考えつくなと思います。ちなみに岩崎航介という人が、江戸時代の刀鍛治の「秘伝書」をほとんど調べたことがありますが、その内容はほとんどインチキで、まったく役に立たなかったと書いています。
(4)二人の築城家の決着の付け方
二人の城師の論争は言葉だけで決着が付かず、結局実地検分の四番勝負になるのですが、その内容がとても変です。最初のある一定の太さの木が周囲の山に何本あるか、というのは、城を建てる上での重要材料だからいいとして、残りの牛曳き競争とか、湖の水がどちら向きに流れていて、底の地質はどうか、ある岩穴が誘い穴になるかどうか、など築城の本質とはほとんど無関係です。

という感じで、二回目になるとさすがに色々と突っ込みどころが出てきますが、そうは言ってもこの白井の壮大なホラ話作りの才能には脱帽せざるを得ません。おそらく報知新聞で毎日の連載を読んでいた人は息つく暇も無い、という感じでお話に引き込まれていったであろうことは想像に難くないです。

後は面白いと思うのは、裾野篇では、賛四流の菊太郎を始め、その賛四流の同僚二人や花火師の竜吉も含めて男性陣はすべて伯典に陥れられて敗北の苦い味を味わう(あるいは殺されてしまう)訳ですが、一人喜運川兵部の娘お染が、自分自身伯典に毒入りの刺青を入れられてしまうという非常にむごたらしい扱いを受けながらも、伯典に対し実に効果的な復讐の方法を考案し、それを実行に移します。その内容が明らかになるのは江戸篇ですが、実に女性は恐いというか…

後は、この巻で登場するお染とお雪、この二人はある意味キャラがかぶっているというか、お互いに分身みたいな存在です。それが江戸篇で意外な形で生かされることになります。