白井喬二の「盤嶽の一生」

jpeg000 189白井喬二の「盤嶽の一生」を読了。昭和7年からおそらく昭和12年くらいまでに、三つの雑誌に連載されたもの。(「さらば富士に立つ影」の巻末の年表で確認できるのは、昭和7年3-12月に「文藝春秋・オール読物号」に「盤嶽の一生」、昭和8年11月~昭和9年6月に「大衆倶楽部」に「その後の盤嶽」、そして昭和11年3-8月に「サンデー毎日」に「阿地川盤嶽」、さらには戦後になって、昭和26年12月の「オール読物」に掲載された「盤嶽の仇討」です。しかし、「モダン日本」の昭和12年3月号に載った広告で、昭和12年の「オール讀物特輯三月號」に「盤嶽とお稲」(読み切り)の掲載が確認できます。)
阿地川盤嶽(あじがわばんがく)は武州の生まれで、12歳の時に父を、14歳の時に母を亡くし、叔父の元で育ちます。大きくなって、その叔父の家の娘に嫌われて家を出ます。26歳で剣の腕は師範代格、剣の師匠から譲られた名刀日置光平(へきみつひら)を携えていますが浪々の身でした。ある時、親友から水道樋を破壊から守る仕事を紹介されますが、その水道樋を下見に行ったら、そこにお奉行が水道樋を視察するのに出くわします。お奉行は樋を破壊しようとする狼藉者に襲われますが、盤嶽はその仲間と間違えられて、故郷を飛び出すことになります。その際に、親友からひどい言葉を投げつけられ人間不信に陥ります。逃走の旅先でも色々な経験を重ねますが、世の中が虚偽だらけだという気持ちになっていきます。その反動で真実を追い求めるようになります。ある時は、「正直先生」という地元で評判の正直者の学者に会いますが、その学者が普段嘘をつかないのは、いつか一世一代の大嘘をつくためだと告白されて、大いに落胆します。
その後江戸へ出て貧乏長屋で暮らしますが、盤嶽はいつも真実を見たいと思って行動しますが、常に裏切られることになります。ある時は付け木(マッチ)職人の新造が付け木作りの機械を作るのを手伝いますが、首尾良く完成した機械は、しかし付け木屋の職人10人の職を奪うことになってしまいます。
また、ある時は頼母子講のお金を持ち逃げした犯人を追い求めて、東海道を旅します。その途中で「かわらけ投げ」に出くわします。投げた5枚の「かわらけ」の割れ方で吉凶を占うものですが、盤嶽は「かわらけ」であれば、投げて割れるのにごまかしはないだろうと思って、試しにやってみて満足します。しかし、その後で、実は「かわらけ」には少し厚いものと薄いものの2種類があってそれぞれ割れ方が決まっていて、お客に合わせてその組み合わせを調整していると聞いて愕然とします。
その後も、何度も盤嶽が真実を追い求め、それが裏切られるというエピソードが積み重ねられていきます。普通の文庫本の三冊分くらいあるボリュームの小説ですが、結局最後まで盤嶽の願いは叶えられることないままです。しかしながら、最後でそんな盤嶽を心より慕う純な乙女が現れて、二人がうまくいくんではないか、と希望を持たせた所で、小説は唐突に終わりを告げます。おそらく白井喬二自身はまだ続きを書くつもりがあったのだと思いますが、結局書き続けられないままで終わってしまったようです。盤嶽は「富士に立つ影」の熊木公太郎と性格は違いますが、何か共通する魅力が感じられる人物です。
これまで2回映画化され、2回TVの時代劇になっています。

追伸:私が読んだ新潮文庫版は、途中までしか収録されていなくて、まだ続きがあるみたいです。続きを含む別の版を発注しました。→白井喬二の「盤嶽の一生」(続き)へ

三遊亭圓生の「茶の湯」

jpeg000 175今日の落語、三遊亭圓生の「茶の湯」。
茶道を知らないご隠居が、青黄な粉と椛(かば)の皮でとんでもない「お茶」を作って、皆に無理矢理飲ませるお噺。でも、こっちも茶道の作法なんてまるで知らないから、この噺に出てくる人達を笑えないんですが。

NHK杯囲碁 柳時熏9段 対 張豊猷8段

jpeg000 188本日のNHK杯戦の囲碁は、黒が柳時熏9段、白が張豊猷8段の対局。柳9段は天元4期タイトル獲得などの実績を持つ強豪。張8段は、平成26年に第39期碁聖戦挑戦者決定戦に進出した実力派です。ただ、これまでの対戦成績は柳9段から見て4勝で、張8段が初勝利を挙げられるかが注目です。
布石は両2連星という最近珍しいものです。左下隅で黒がかかったのに白が一間にはさんだのに黒が手を抜いて右下隅をしまり、さらに右辺を白が割り打ちして、黒が左下隅の一間にはさんだ白につけていったのを、白がはねこんだのが珍しく、黒は考慮時間を3回連続で使う長考。結局、黒が下辺で実利に着き、白が左辺に厚みを築きました。黒はその後左辺を割り打ちし、そこから2間に開いて、逆に白の厚みを攻める体制になりました。その後白は中央を切断され、左下隅を生きることになりましたが、目2つの生きで、黒からの利きが残りました。黒はその後左上隅に手をつけていき、うまく生きることになりました。このまま寄せて黒やや良しかと思いましたが、黒はさらに上辺の石を逃げ出しました。この大石が生きるか死ぬかの勝負になりました。黒はぎりぎりまで追い詰められましたが、右上隅から延びる白石に逆襲したのが鋭く、攻め合い含みで無事に2眼を作ることが出来ました。その後白は右下隅に手をつけていきましたが、手にはならず、結局黒の中押し勝ちで、張8段は柳9段に一矢報いることは出来ませんでした。

小林信彦の「新編 われわれはなぜ映画館にいるのか」

jpeg000 186小林信彦の「新編 われわれはなぜ映画館にいるのか」を読了。元は1975年に晶文社から発行され、後に内容を組み替えてちくま文庫で「映画を夢みて」と改題されて出て、さらに内容を組み替えて2013年にキネマ旬報社から「新編」として出たものです。
初出は1960年代前半のものと、1973~1974年のもの、2000年以降のものと別れています。おそらく最初の晶文社版にあったと思われる、「進め!ジャガーズ 敵前上陸」に関するエッセイが無くなっているのが残念です。
このところ、小林信彦のあまり出来が良くない小説を数作品読んできましたが、小林信彦のエッセイはそれに比べるとキレがあり、特に若い時のものは魅力的です。中でも1960年代前半のもので、花田清輝、寺山修司、白坂依志夫といった人達をばっさり斬っている評論はすごいです。正直なところ、どんどん敵を作ってしまうようなもので、ある意味小林信彦の「世間知らず」ぶりがよく現れていると思います。寺山修司については、小説の処女作「虚栄の市」の中の複数の主人公の一人のモデルにされています。作者がその登場人物に愛情がないのは読んでいて強く感じられましたが、その理由がわかったような気がします。寺山修司の「盗作」は、俳句におけるそれが有名ですが、ミュージカルの脚本でも盗作まがいをやっていたことを初めて知りました。

三遊亭圓生の「代脈、田能久」

jpeg000 175今日の落語、三遊亭圓生の「代脈、田能久」。
「代脈」は医者が、忙しいので、自分の代わりに与太郎を豪商の家に代理の診察にいかせる。当然のことながら与太郎は頓珍漢なやりとりをし、というお噺。「転失気」以外におならの出てくるお噺。
田能久は、阿波の田能村の久兵衛さんが、芝居の一座を組んで、伊予の宇和島まで行くが、母親が病気だという連絡があり、急ぎ戻ろうとする山中でうわばみに出逢い…というお噺。「田能久(たのきゅう)」がうわばみに「狸」に聞き間違えられたので、食べられないで済んだのですが、阿波といえば狸のイメージが昔からあったのでしょうね。金長狸の狸合戦の話もありますし。

三遊亭圓生の「淀五郎、紀州」

jpeg000 176本日の落語、三遊亭圓生の「淀五郎、紀州」。
「淀五郎」は「中村仲蔵」と似ていて、というかこの噺に中村仲蔵自身も登場しますが、仮名手本忠臣蔵の歌舞伎を演じる役者の噺です。若手の役者の澤村淀五郎が市川團蔵に、塩冶判官の役に抜擢されたがいいが、舞台ではその團蔵にまともに演技の相手にしてもらえないで悩む噺です。その淀五郎の相談に乗ってアドバイスするのが中村仲蔵です。
「紀州」は先日、金馬でも聴きましたが、物音が人の言葉に聞こえるという聞きなしの噺で、圓生はこの聞きなしの噺を徹底的に膨らませています。もっとも本題の噺は実に大したストーリーがないので、そうせざるを得ないのでしょうが。金馬よりさすがにうまいと思いました。

小林信彦の「ムーン・リヴァーの向こう側」

jpeg000 184小林信彦の「ムーン・リヴァーの向こう側」読了。1995年の作品で、「ドリーム・ハウス」「怪物がめざめる夜」と合わせて、東京三部作だそうです。
話の内容は先日読んだ「イーストサイド・ワルツ」と重なる部分が多いです。ただ、結末が「イーストサイド・ワルツ」みたいに暗くないので、こちらの方が好感を持てます。といいつつも、この作品にも下町と山の手を巡ってのいつもの小林信彦の持論が噴出してきて、ああまたか、とうんざりした気になります。タイトルの「ムーン・リヴァー」も、たぶん隅田川(大川)のことなんだろうなと思って読んでいたら、その通りでした。正直な所、小林信彦の恋愛小説は概してうまくないですねえ。

古今亭志ん朝の「大山詣り、粗忽の使者」

jpeg000 172今日の落語は、古今亭志ん朝の「大山詣り、粗忽の使者」。
どちらも良く出来た噺で笑えます。
「大山詣り」は長屋の皆で大山詣りに出かけたけど、喧嘩をしないという戒めを破った熊さんが、酔っ払って寝ている間に坊主頭にされてしまいます。それを起きて知った熊さんの復讐が面白い噺です。
「粗忽の使者」は、子供の頃から物忘れが激しいので、物を忘れる度に親にお尻をつねられていた者が、使者に立って、ものの見事に伝える用件を忘れて、それを思い出すのにお尻をつねってもらいますが、弱すぎてちっとも効かず、それを聴いた大工の留っこが、閻魔(釘抜き)でその使者のお尻をつねって…という噺です。

白井喬二の「新撰組」[下]

jpeg000 181白井喬二の「新撰組」[下]を読了。
タイトルの「新撰組」は下巻の半分くらい、全体の3/4を経過したところでやっと登場します。それで池田屋事件とかも出てくるのですが、新撰組はあくまで背景に過ぎません。メインは、但馬流の織之助、金門流の紋兵衛、そして京都の伏見流の潤吉、この3人の独楽勝負を巡るお話しに、勤王の志士の妹であるお香代がからみます。織之助は、最初紋兵衛と戦い、その後潤吉と戦います。そして最後にお香代をどちらが妻にするかをかけて、潤吉と再度、肉独楽という占い独楽で決着をつけようとします。とにかくはらはらどきどき、織之助の人生も波乱万丈で読んでいて非常に楽しいです。ポケモンgoもいいけど、やっぱり本もいいです。