白井喬二の「沈鐘と佳人」を読了。初版は1932年に、春陽堂から出たものです。今回読んだのは1949年に玄理社から出たもの。内容が同じかどうかはわかりません。収録作品は「沈鐘と佳人」、「明治の白影」、「心学牡丹調」、「殖民島剣法」、「妬心の園」。どれもなかなか読ませる佳作揃いです。「沈鐘と佳人」は、変屈者の鹿島孔兵衛が、自分の娘に妻合わせるために、紫安欽吾と鈴木紅之進の二人を値踏みして、醜男だが筋の通っている欽吾と、美男子だが線の細い紅之進のどちらにするか迷って、結局欽吾の変屈ぶりが玉に瑕で紅之進の方を選びます。ところが、欽吾の変屈ぶりは孔兵衛に合わせた芝居で、それと知った欽吾は後悔して仕事に打ち込み、支倉常長がローマに使者に行く船の乗組員として抜擢されます。それに対し紅之進の方は、その支倉常長の船に積み込む筈だった鐘が輸送の途中で川に沈んでしまったのを、自分の手で引き上げて名を上げようとします。ところが引き上げ作業の途中で、紅之進には、鞍を勝手に質入れしたとの嫌疑で捕り手がかかり、紅之進は引き上げ途中に再び沈んでしまった鐘に手を挟まれて、そこであっさり命を落とします。一人の女性を二人の若者が争い、負けた方が出世し、勝った方がかならずしも人生がうまくいかないというのは、「金色侍」と同じパターンです。その他「心学牡丹調」は、ある侍の息子が心学者の娘と結婚しようとしていたら、実はその息子が実の息子ではなく、実の父親は中国人という意外な展開です。「殖民島剣法」は、借金で倒産寸前になった男が、大金を手に入れるため、ハワイに移民するのに用心棒としてついていくことを約束し、大金を手にするが、それと行き違いに、昔尼になったと聞いていた思い人の娘が戻ってくることになったが、一足違いで会うことができなかったという話です。江戸時代に本当に1830年頃よりハワイ移民が行われていたとのことで、白井一流のほら話ではありません。
投稿者「kanrisha」のアーカイブ
白井喬二の「白井喬二 戦後作品集 人の巻 明治媾和」
「白井喬二 戦後作品集 人の巻(明治媾和)」を読了。収録作品と初出は以下の通り。「明治媾和」(初出不明)、「小角仙人」(初出不明)、「かぶと」(初出不明)、「琴責め」(「オール読物」1952年8月)、「権八ざんげ」(「オール読物」1953年2月)、「柳生の宿」(「苦楽」1949年5月)、「毛剃」(「週刊朝日・夏季増刊号」1953年)、「素人たち」(「モダン日本」1946年?月)。この巻も「初出不明」は昭和20年代の作品と思われます。この巻のお話はなかなか力作が揃っていると思います。「明治媾和」は日清戦争の時の下関の講和条約締結の前後を作家の松村操の目を通して描くものです。「琴責め」は、「天の巻」に「悪七兵衛」の話がありましたが、これは源氏による悪七兵衛探しで、悪七兵衛の女だった阿古屋を捕まえて悪七兵衛の行方をしゃべらせようとして、琴を弾かせることによって、心理的な拷問を行う様子を描いたものです。「柳生の宿」は、柳生但馬守宗矩が猿を二匹飼って、それに剣道を仕込んだら両方とも二段くらいの実力になってしまい、とうとう御前試合を行うことになって、という白井らしいとぼけた味の話です。それより珍しい作品は「素人たち」で、白井の作品としては初めて読んだ私小説的作品です。昔たまたま知り合っていた女性と疎開先の長野で一緒になるが、その女性は死んでしまい、娘へ遺品を渡すことを白井に頼むが、その娘は戦後の生活の苦しさでいわゆる「春を売る女」になってしまっており、一度警察に挙げられてしまっている。その娘へ、改心させるような一言を頼まれて白井が困惑する話です。白井の倫理観がよく出ている作品だと思います。
三遊亭圓生の「髪結新三」
本日の落語、三遊亭圓生の「髪結新三」。
白子屋のお熊という娘が、500両の持参金付きの婿と一緒になっておきながら、店にいる忠七との仲を保ったまま。そこを出入りしている髪結の新三につけこまれ、忠七と一緒にしてやると騙され、連れ出され、新三に嬲られ、荒縄で縛られて押し入れに放り込まれています。これを取り戻すために、まず白子屋のお抱え車夫の善八が交渉にいくが、けんもほろろに断られる。それでは、ということで葺屋町の親分の源七に頼んで交渉に行ってもらうが、新三は開き直ってこの親分の言うことも聞かない。それでは、ということで新三が住んでいるお店の大家さんが出て行く。大家さんは言うことを聞かないなら、今まで溜めた家賃を耳を揃えて払って出て行けという。前科者の新三はここを放り出されると住む所がないので、嫌々言うことを聞きますが、大家はさらに礼金の30両の半分を自分で取ってしまい、さらには5両も追加で前家賃として取ってしまう、という大家さんが大活躍する話です。
白井喬二の「白井喬二 戦後作品集 地の巻 石川五右衛門」
「白井喬二戦後作品集 地の巻 (石川五右衛門)」を読了。収録作品と初出は以下の通り。「石川五右衛門」(「サンデー毎日」1950年?月)、「大盗マノレスク」(「苦楽」1947年3月)、「明治女学校図」(「オール読物」、1951年1月)、「太公望」(「苦楽」、1946年11月)、「風俗犯」(「苦楽」、1948年5月)、「助六」(「苦楽」1947年?月)。初出不明のものも、昭和20年代の作品と思われます。文藝評論家の尾崎秀樹が、白井喬二の葬儀での弔辞で、「大盗マノレスク」と「明治女学校図」だけを白井の戦後作品として挙げています。私は正直な所、戦後の他の作品と比べてこの2作が特に優れているとは思えません。むしろこの本の中では「石川五右衛門」や「助六」の方が好ましく思えました。「明治女学校図」は明治時代の東大の学生が、卒業式の在校生側として招かれたけど、菓子の供応が無い、ということで集団で卒業式をすっぽかして乱暴狼藉を働いて全員退学になる話です。白井も自分で書いていますが、その中に後に有名になった人が多数含まれていたので、興味深く読まれた、ということではないかと思います。「助六」は当然歌舞伎からキャラクターを借りていますが、お話自体は歌舞伎とはまったく異なります。
百田尚樹の「幻庵」、連載終了
週刊文春に連載されていた、百田尚樹の「幻庵」がやっと連載終了。12月31日に単行本として出るそうですけど、買う人いるのかな。タイトルは「幻庵」だけど、途中2/3くらいまではほとんど「本因坊丈和」といってもいい内容でした。それでも敢えて「幻庵因碩」を主人公にしたのは、そうすると丈和だけでなく、本因坊秀和、秀策といった人も登場させられるからに過ぎないように思います。内容も幕末囲碁史であって、人間としての幻庵因碩の描写はイマイチだったように思います。単行本として出すなら、出てくる対局の棋譜を全部載せて欲しいですが、無理でしょうね。
白井喬二の「白井喬二 戦後作品集 天の巻 坂田の金時」
白井喬二の「白井喬二 戦後作品集 天の巻 坂田の金時」を読了。収録作品と初出は、「坂田金時」(大衆文潮、1949年6月)、「児雷也劇場」(オール読物、1951年6月)、「銀嶺先生」(オール読物、1950年4月)、「鋳掛松」(苦楽、1947年5月)、「毒の園」(苦楽、1948年1月)、「悪七兵衛」(週刊朝日、1950年1月)。(「苦楽」は戦前のものと戦後のものがあり、戦前のものには国枝史郎の「神州纐纈城」が連載されていたことで有名ですが、ここの「苦楽」は大佛次郎が戦後主宰したもの。)白井喬二の昭和20年代の作品を集めたものです。(天の巻以外に、地の巻、人の巻が出ています。)白井喬二は誰が見ても長篇型の作家ですが、この時期の白井喬二は、長篇を自ら封じて、短中篇ばかりを書いていました。本人曰く、「大魚の鱗の一枚一枚を書くような作業」ということです。その作品群は戦前の作品のように大向こうをうならせることはなかったですが、戦中の「瑞穂太平記」のような作品に比べると、むしろ私には好ましく思われます。「銀嶺先生」は忍者の小説を書いていて、東大で甲賀流忍法について講演した伊藤銀嶺という作家が、新聞社にほらを吹いたために、明治座で忍術の実演をやらされる羽目になり、見事に失敗するお話です。白井自身も「忍術己来也」を書いていて、人からは忍術が出来ると思われたことがあるみたいで、その辺の経験を活かして書いています。他の作品もそれなりに読み応えがあります。
三遊亭圓生の「札所の霊験、居残り佐平次」
本日の落語、三遊亭圓生の「札所の霊験、居残り佐平次」。
「札所の霊験」は本来もっと長い噺で、仇討ちの噺みたいですが、圓生が語っているのは途中までで、この途中までを聴くと、笑える所はまるでなく、オチも無く、ほとんど怪談噺です。遊女の小増が、水司(みずし)又市に恋人を斬殺され、又市は出奔し、小増はその後富士屋の旦那に見初められその妻になるが、富士屋は二度の火事で没落。夫婦と子供で越中の高岡に移るが、そこの寺の坊主が又市のなれの果てで、又市は小増にいいよって自分のものにし、富士屋の旦那を斬殺して、結局それがばれて、という陰惨な噺。
「居残り佐平次」は前に志ん朝で聴いていますが、圓生もさすがにうまく、佐平次のどこか憎めないキャラクターを見事に演じています。
白井喬二の「瑞穂太平記」(戦国篇)
白井喬二の「瑞穂太平記」戦国篇読了。「桔梗大名」の明智光秀の物語が中途半端な所で終わってしまっていたので、この「瑞穂太平記」の戦国篇で続きが読めて良かったという感じです。それより興味深いのは、秀吉の天下統一までを長々書かないで、むしろ天下統一後の話がかなり詳しいことです。文禄・慶長の役は当然ですが、それより秀吉が原田孫七郎を台湾に派遣して、来降させようとしていたことや(これは最初、白井一流のほら話かと思っていましたが、歴史的事実でした)、呂宋助左衛門(納屋助左衛門)とのエピソードがかなり詳しく書かれています。まあ日本がアジア一帯に進出した時代に書かれたものですから、そういうバランスになったのかもしれません。最後は関ヶ原の戦いで、東軍が勝ちを収めるまでを描きます。
これで「瑞穂太平記」を全部読了しました。総じて、まあそれなりには面白いですが、白井作品としては他の素晴らしい作品に比べるとかなり落ちます。
三遊亭圓生の「鼠穴、三年目、鹿政談」
白井喬二の「瑞穂太平記」(続源平篇、中興篇)
白井喬二の「瑞穂太平記」第四巻、「続源平篇、中興篇」を読了。「続源平篇」は壇ノ浦の戦いから、義経が衣川で攻められて自害し、その後鎌倉幕府で頼朝の直系が三代で亡び、北条氏の政権になり、元寇があって、という所を描きます。「中興篇」はそのタイトル通り、後醍醐天皇の「建武の中興」を描きます。ただ、このお話しは「太平記」にもなるくらいですから、当然この巻の一部というボリュームでは不足気味で、かなり駆け足で話が進みます。あっという間に応仁の乱まで行ってしまいます。この「瑞穂太平記」の新聞連載は昭和15年から始まっていますが、やはり白井の時局迎合小説という面は否定できないです。私としては国民に訓戒を垂れるがごときお話しは白井らしくないと思います。