ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第40回目を公開しました。フィレンツェの通貨システムについての調査に時間がかかりました。
英訳はますます手抜きになってきて、時には元のイタリア語の文章の半分だけ訳している箇所まで出て来ています。(前回ドイツ語でも訳さないで飛ばしている所がありました。)
そのため、自分で考えて訳すしか無くなっておりその分時間がかかっています。
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ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第39回目を公開
ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第39回目を公開しました。いい調子でこの分だと9月20日頃には最後まで行き着きそうです。
ところでまた英訳の話ですが、ここでは理解出来ない箇所を訳さないで飛ばすという暴挙に出ています。もう馬鹿馬鹿しくなったので訳者には逐一連絡しませんが。
この箇所の話は、これまでのちまちました貿易のためや家内制手工業のためのソキエタスではなく、フィレンツェの名門銀行家ファミリーの話で、歴史としてみても興味深い所です。
ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第37回目を公開
ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第37回目を公開しました。
この箇所は中世フランス語が出てきたり、また中世イタリア語の所で、eccecuzioneという単語が色々調べて見てもヒットせず、ググるのを繰り返してようやく現代のイタリア語ではesecuzione(執行する)という単語だということを突き止めることが出来ました。今になって冷静に振り返ってみれば英語のexecutionとほとんど同じですね。
これで全体の約8割が完了しました。後10回くらいで終わると思います。
ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第36回目を公開
ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第36回目を公開しました。ここの所割といいペースで進んでいましたが、ここは中世ラテン語(Vulgar Latin)の法規が3つも4つも出てきて大変でした。「蹄鉄工」とか「養蚕」とか古典ラテン語の時代にはないものばかりで、当然古典ラテン語の辞書を引いても出てきません。また注の中で当時のゲルマニステンの代表であるギールケを批判しているのですが、それも元のギールケの説が分らないので意味を取るのに苦労しました。まあこの辺りが胸突き八丁です。
熊木公太郎も白井喬二の分身?
久し振りにヤフオクで白井喬二ネタを入手。雑誌「富士」の昭和23年3月の特別増刊で「大衆文藝出世作全集」です。
作品は「怪建築十二段返し」でこれは既読ですが、岩崎榮という人の「大衆文壇 黎明期の諸星」の白井喬二の分が非常に興味深いです。鳥取での中学生時代にボートレースがあって、白井も選手でしたが、白井は遅刻し、白井の代員が出たチームは優勝します。それで後からやっと駆けつけた白井が何をやっていたかというのをボートのメンバーが問い質すと、知人から「菜根譚」を借りて読んでいたのを、その知人がそれを誰かに売り払うというので、その知人の家まで行ってその「菜根譚」を買って来たという訳ですが、「菜根譚ならそこらの書店で売っているじゃないか」「何だそうか」という話で、しかもボートレースは白井が出ていたら優勝しなかったんではないかということです。前から白井喬二は「盤嶽の一生」の阿地川盤嶽の分身みたいなものだと思っていましたが、実は「富士に立つ影」の熊木公太郎も白井自身なんだと分ってちょっとうれしくなりました。一応白井の名誉のために補足しておくと、ボートを漕ぐのは上手くなかったようですが、剣道では中学時代に2段を取っています。当時中学生で2段は珍しかったそうです。
ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第35回目
ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第35回目を公開しました。ここは英訳と全集版の注釈におかしな所があり、調べるので時間がかかりました。どちらの方も文脈を無視した断片的で表面的な解釈をしているよう思われます。
ヴェーバーの「中世合名会社史」、英訳も全集版の注釈も問題…
ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳、またも英訳の明らかな間違いと同じ箇所で
ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第34回目を公開
ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第34回目を公開しました。これで全体の70%を訳し終わりました。最近は順調です。今訳している部分はラテン語が出てきても断片的なものが多いので、それほど時間がかかりません。
なお、英訳の誤りと思われるものを別のポストで指摘しましたが、私の解釈で前後はきちんとつながりますので、やはり誤訳だと思います。訳者にメールしましたが、今の所返事はありません。
古関正裕の「君はるか 古関裕而と金子の恋」
古関正裕(古関裕而の息子さん)の「君はるか 古関裕而と金子の恋」を読了しました。読んでる途中は飛び交うキスマーク、ハートマークに当てられて中々独り者には辛い部分はありましたが、通して読んで二人の本当に真剣な恋に感銘を受けました。なお、現在残っている手紙は古関裕而が保管していたもので、奥さんが保管していたものは夫婦喧嘩の時に全部燃やしてしまったみたいです。この鴛鴦夫婦がどうしてそんな大げんかしたのかにちょっと興味がありますが。二人の恋は、昔のことで郵便によるというのがある意味丁度いいペースを保つのに成功したんじゃないでしょうか。今みたいにメールとかLINEでやりとりしていたとしたら、盛り上がるのも速いですが、醒めるのもまた速いのではないかと。ともかく二人で何百通もの手紙を交換しただけで、一度も直接会うこと無しに、ただ写真の交換ぐらいで二人は結婚を決意します。前に調べたことがありますが、確かこの頃の見合い結婚の比率は8割くらいあった筈です。そんな時代によくもこんなピュア100%の恋愛を貫いて結婚までにこぎつけたものだと感心します。
なお、ちょっと収穫だったのが山田耕筰が古関裕而のことを天才だと評価していたということで、だからこそコロンビアの専属作曲家という生計の道をわざわざ用意してあげたんだと思います。セクハラ親父で晩年は特に悪名の高い山田耕筰ですが、この点に関しては一人の貴重な才能を世に出したということで高く評価されるべきと思います。
それから残念なのが、手紙の中に出て来る古関裕而が心血を注いで完成させた5台のピアノのための協奏曲他の楽譜が失われて聴くことが出来ないことです。これは本当に残念です。
ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第33回目を公開
ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第33回目を公開しました。前回のと今回の部分は「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の「資本主義の精神」の所の資本主義の発達と、教会法の利子禁止がどのようにからむかという所でゾンバルトを批判している所と密接に関係しています。