古関裕而の「ビルマ派遣軍の歌」

今週の「エール」は非常に重い話で、古山裕一がビルマ(現在のミャンマー)で行われていたインパール作戦(大平洋戦争上で最悪の無謀で無策な作戦として悪名が高いもの)に慰問のために派遣される話です。そこで演奏されるのが「ビルマ派遣軍の歌」で、作詞は一緒に慰問に同行していた「麦と兵隊」で有名な火野葦平です。「エール」でも出て来たように、火野葦平はインパール作戦の惨状を実際に現地で見て「青春と泥濘」という手記にまとめています。火野葦平は戦後戦犯として2年間公職追放の処分を受けますが、決して戦争賛美の人ではなかったということだと思います。この曲は現在何故かCDで発売されている「古関裕而 戦時下日本の歌~愛国の花~」には収録されていませんが、ダウンロードで販売されている同名のアルバムには入っていて聞くことが出来ます。変ホ長調というB♭に並んでブラスバンドでは演奏しやすい調で作曲されています。全体に古関らしい「ターンタターンタ」という付点音符のリズムで統一されていますが、「しゅくてき(宿敵)」の所だけが「ターンターンターンターン」というフラットなリズムに変り変化を付けています。最後は上昇音型から下降音型でまとめるという、手堅い構成になっています。
なお「エール」では古山裕一の慰問は一回だけになっていますが、実際の古関裕而はビルマは2回、その他中国なども合わせ全部で4回くらい慰問に行っています。残念ながら中国での慰問での「露営の歌」に関する感動的なエピソードは「エール」では使われないようです。

P.S.
「ビルマ派遣軍の歌」の歌詞は、「古関裕而作品集」では2番までしか載っていないし、またWeb上で見つかるものも、コロンビア音源で歌われているのと異なっているため、以下にコロンビア音源で歌われている歌詞を載せておきます。

1.
詔勅(しょうちょく)のもと勇躍(ゆうやく)し
神兵(しんぺい)ビルマの地を衝(つ)けば
首都ラングーンは忽(たちま)ちに
我が手に陥(お)ちて敵軍は
算を乱して潰(つい)えたり
宿敵老獪(ろうかい)英国の
策謀(さくぼう)ここに終焉(しゅうえん)す
勲(いさお)燦(さん)たりビルマ派遣軍

2.
イラワジ河の水ゆるく
御国(みくに)の楯と進みゆく
我が兵(つわもの)の背に高く
黄金(こがね)のパコダそびえ立ち
セクバン(*1)の花萌え出でて
再生ビルマの民衆に
兵の笑顔の莞爾(かんじ)たり
光り遍(あまね)しビルマ派遣軍

3.
援蒋(えんしょう)ルート(*2)の完封(かんぷう)に
喘(あえ)ぐ雲南(うんなん)重慶軍(じゅうけいぐん)
波立ち騒ぐ印度洋
また北緬(ほくめん)(*3)にアラカン(*4)に
残敵(ざんてき)しきりに蠢動(しゅんどう)す
我に揺るがぬ鉄壁の
守りのあるを知らざるや
力厳(げん)たりビルマ派遣軍

*1 セクバン 正しくはセクパン。ホウオウボク(鳳凰木、Delonix regia)のこと。蝶のような形の真っ赤な五弁花をつけ、火焔樹とも呼ばれる。
*2 援蒋ルート アメリカ、イギリス、ソ連が中国国民党の蒋介石を軍事的に援助するために物資を送るのに使ったルート。ビルマのラングーン(ヤンゴン)→ラシオ→雲南省昆明のビルマルートがその代表的なもので、日本軍がビルマを占領してからはハンプというヒマラヤ山脈を飛行機で越えるルートに切り替わった。
*3 北緬 北ビルマ。ビルマの漢字表記は緬甸。
*4 アラカン 現在のミャンマーのラカイン州で、ミャンマーの北西部にある南北に細長い州。

以下、4番がWeb上のいくつかのソースで確認出来るが、コロンビア音源では3番までしか収録されていない。

4.
独立ビルマの朝明けて
孔雀の旗のたなびけば
東亜の屋根の主柱(はしら)たる
防人(さきもり)日本の任重し
神算鬼謀(しんさんきぼう)我にあり
如何(いか)なる試練来たるとも
恐るる所あるや無し
勲赫(いさおかく)たりビルマ派遣軍

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