石川忠久の「漢詩人 大正天皇 -その風雅の心ー」を読みました。先日大正天皇の評伝を読んで、また大正天皇が詠まれた漢詩を見てみたくなって買ったものです。
日本で漢詩の創作が一番盛んだったのは江戸時代後半から明治にかけてで、明治時代の新聞には、今では考えられないことですが、漢詩の投稿欄がありました。大正天皇もそんな環境の中で、三島中洲のてほどきを受け、その長いとはいえない生涯で1367首もの漢詩を創られました。これは歴代の天皇の中で圧倒的な一位であり、またその質ももし天皇という激務につかなくて研鑽を積む時間があったら、十二分に漢詩人の大家として名を残したであろうというレベルです。
2つほど紹介すると、まず三島長洲と大正天皇が布引の滝を見に行った時のもので、「観布引滝」です。
登阪宜且学山樵 登阪 宜しく(よろしく)且く(しばらく)山樵を学ぶべし
吾時戯推老臣腰 吾時に戯れに老臣の腰を推す
老臣噉柿纔医渇 老臣柿を噉いて(くらいて)纔かに(わずかに)渇きを医し
更上危磴如上霄 更に危磴(きとう)に上るは 霄(そら)に上るが如し
忽見長瀑曳白布 忽ち見る長瀑の白布を曳くを
反映紅葉爛如焼 紅葉に反映して 爛として焼くが如し
70歳の長洲が山道に苦労するのを、21歳の大正天皇(当時皇太子)が茶目っ気に腰を押してやる、とうのが何とも微笑ましく、長洲の方にもこの時のことを感激して詠んだ漢詩が残されていますので、事実です。
もう一つは、大正3年の「西瓜」です。
濯得清泉翠有光 清泉(せいせん)に濯(あら)い得て翠(みどり)光有り
剖来紅雪正吹香 剖(さ)き来れば 紅雪(こうせつ) 正に香(こう)を吹く
甘漿滴滴如繁露 甘漿滴滴(かんしょうてきてき)繁露(はんろ)の如し
一嚼使人神骨涼 一嚼(いっしゃく)人をして神骨(しんこつ)涼しからしむ
これは詠題詩といって、お題を与えられて詠んだ詩ですが、西瓜の果肉を「紅い雪」と表現するのは非凡な才能と言えると思います。見事な詩です。
私自身も短歌や俳句はまったくダメですが、以前漢詩は何句か作ったことがあります。漢詩は韻や平仄など制約が多いんですが、そんな中で自分の言いたいことを詠むというパズル的な面白さと、自分の知っている古典類を本歌取りのように引用する、という楽しみがあり、結構好きでした。大正天皇以外にも三島長洲に一緒に教わった人はいたのですが、大正天皇以外は皆脱落して、大正天皇だけが残った、ということで、やはり大正天皇の才能は非凡だったと思います。