丸餅ゲット

Amazonで丸餅をゲット。うつから回復した後、ここ10年くらいは正月休みは温泉宿に行ってそこで過ごすのを恒例としていましたが、今回は新しい家に移って最初の正月なので家でのんびりと過ごしたいと思っています。温泉に行きたければ近くに藤野やまなみ温泉がありますし。それでお雑煮も今年は自分で作ろうと思っていますが、お餅が関東風の角餅だと気分が出ません。大体関東が角餅なのは江戸時代に人口が増えて、餅を丸める手間を省くために包丁で切り出したのが最初で、本来は丸餅です。川崎のスーパーでは丸餅も売っていましたが、上野原のスーパーでは売っていなかったのでAmazonで注文しました。西日本は全て丸餅(一部例外有り。例えば徳島では元々蜂須賀家で名古屋方面から来た人の家は今でも角餅を使うようです。)なので、新潟の餅メーカーも当然丸餅を販売しています。
ちなみにお雑煮は、亡母直伝のすまし汁+白菜+餅+カマボコ+昆布と干し椎茸の出汁というあっさりしたもので、どちらかというと関東風で下関あたりの標準ではなく、亡母が何かを見て作り出したものです。

氏家幹人の「武士道とエロス」

氏家幹人の「武士道とエロス」を読了。まあ日本のLGBTQ問題を考えるための資料としてです。タイトルは直接的には書いていませんが、要するに日本で戦国時代から江戸時代の最初の方までいかに衆道=男色がはびこっていたかという本です。まあ知識としては知っていましたが、その程度までは知らず、一時は女色よりもはるかに男色が盛んだったというのを知って、それはさすがに驚きました。またそもそも男色の始まりは寺院での僧侶が稚児を可愛がったことであり、当然のことながら仏教に同性愛を禁じる戒律はありません。また儒者では中江藤樹は、その僧侶の男色を嘆かわしいとして非難する一方で、その弟子の熊沢蕃山は、「あまり男色を厳しく排除すると、その経験のある若者が集まってこなくなる」と実にさばけた判断をしています。また神道に関する記述はありませんが、神道も男色を含む同性愛を禁じたというのは聞いたことがありません。またこの現象は東アジアに普遍ではなく、日本が一番程度がひどく、朝鮮通信使が雨森芳洲に苦情を言ったら、芳洲が「あなたも経験すればその楽しさが分ります」と答えてあきれられたという話もあります。
それでも17世紀になると次第に男色は禁じられていくのですが、それがまた明治になると薩摩藩の出身者がまたそれを東京に持ち込むということが行われます。薩摩のは「若衆宿」という、社会学で言うメンナーハウスというある意味戦士の養成機関での男色が盛んだったようです。そういえば衆道の話って「カムイ伝」にも出て来ますよね。
ちなみに江戸時代には、女性の同性愛も少しはあったようですが、ほとんど表に出てくることはなかったようです。
結論として日本における同性愛への差別は、17世紀くらいから出て来たようですが、元はといえばとても寛容な社会だったということが再確認出来ました。

お墓参り

まだ彼岸の入りではありませんが、秋分の日は今年は土曜日と重なって色々と忙しいので、本日早野聖地公園にお墓参りに行って来ました。ついでに、墓地を登録している住所変更も行い、これで本当に全ての引っ越し手続きが完了しました。さすがにまだお墓参りに来ている人は少なかったです。もっとも秋分の日や春分の日でも、最近はお墓参りに来る人は少数派になっていると思います。

宮本常一の「忘れられた日本人」

宮本常一の「忘れられた日本人」を読了。民俗学や文化人類学を大学の時に囓っていたので、この人の名前は当然知っていましたが、これまで読む機会がありませんでした。内容は多くが西日本の村落を宮本が精力的に訪ね、その土地土地での古老の話を聞き取ってまとめたものです。その内容は生きた本当の生活史という感じで、忘れられたなにかを思い出させてくれるものでした。その中には大田植えで、植えるのが遅いものを両隣のものが先行して植えていってしかもその間隔を狭めていってついには真ん中の者の行き場を塞いでしまうという、大学の時野村純一先生の授業で聞いた話も出てきて懐かしかったです。その一方で不満に思ったのが、西日本では伝承は村単位で継承されるのに、東日本ではそれがイエ単位になるという非常に興味深い指摘をしています。しかし宮本民俗学はそこで留まってしまい、さらに多くの事例を検討して理論として深めていくというのが非常に弱いです。それは逆に言えば、少ない事例から無理矢理もっともらしい理論化を急ぐ、西洋風の学問への反発かもしれません。実際に宮本は柳田國男の「方言周圏論」を否定的に捉えていたようです。とはいえ、これが「学」かと言われるとちょっと私には抵抗があります。むしろ文学的価値の方が高いように思います。

エドワード・W・サイードの「オリエンタリズム」

エドワード・W・サイードの「オリエンタリズム」を読了。1978年に出た有名な本で、数年前に購入しておきながらなかなか読む機会が無く、今回やっと読了しました。
「オリエンタリズム」というのは本来は西欧の美術や文学における「中東趣味」のものという意味ですが、サイードはここでは西欧の中東学者に共通してみられる非科学的な偏見、思い込み、蔑視といった態度のことを指して使っています。
読んでいてずっと違和感を禁じ得なかったのが、サイードがオリエントという言葉の意味をほとんどが中東地域を指す言葉で使いながら、時に都合のいい時にはそれをインドや中国、日本他を含むものとして使っているということです。(英語でOrientと言えばどちらかというとアジア人を指すことが多いです。)西欧の中東への蔑視と同じ構造で、(1)西欧+中東のアジア蔑視(2)中東のアジア蔑視という2つが考えられ、サイードは手を変え品を変え西欧の中東蔑視を論じていますが、一度もこの(1)、(2)のアジア蔑視については中東を含まない形では論じていません。そういう公平さの欠けた議論によって、穿った目で見れば、単なる中東地域のひがみのような議論に聞こえ、本来有るべき文化の相対性原理の主張という点が弱くなっているように思います。
またこの本によって文化人類学がその方法論について見直さざると得なくなり、学問としての勢いが弱まったというのを、Eigoxの文化人類学者である先生から聞いたことがあります。しかし例えばイギリスの文化人類学が植民地をより良く統治するという目的で研究されていた、というのは周知の事実であり、中近東の研究がサイードの言うような偏見や先入観に彩られているとしても、それはそういう研究を見直す良い機会であり、決して文化人類学の方法論が否定されるようなものではないと思います。
サイードのこの本を読む前に、ヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」を訳していて思ったのは、中世イタリアのコムメンダが、イスラム地域のムダーラバ契約の影響で生れた、と言うのが既にヴェーバーの時代に主張されているのですが、ヴェーバーがまったくそれに触れていないということへの疑問です。まあヴェーバーの頃は、オスマン帝国の弱体化-崩壊の時代で、イスラム圏への蔑視が頂点に達した時であり、ヴェーバーといえどもそういう偏見から100%自由であることは出来なかった、ということなのだと私は理解しています。

ハロウィーン考:社会の二重構造と「ケ」と「ハレ」

今読んでいる”The Dawn of Everything: A New History of Humanity”に面白いことが書いてあります。17-8世紀の北米カナダのネイティブアメリカンの多くの部族は面白い社会を持っていました。それは食物が容易に手に入る春~夏~秋の間は家族中心の小集団がそれぞれ別れて狩猟採集で暮らし、ある意味「平等社会」で暮すのを、冬になるとある場所に集まって暮して保存した食べ物を消費して暮しますが、そこは「階層社会」だったそうです。有名なポトラッチ(贈与合戦)もその階層を決めるための手段でした。(より多く他者に贈与をして気前の良さを示した者が上位の階層となる。)筆者の二人によると実はこのように季節によって社会構造を変えるというのは北米のネイティブ・アメリカンだけでなく、歴史的にも世界的にもかなり多くの社会で見られるのだそうです。なので狩猟採集の原始共産制社会が農耕が始ると貧富の差が出来て階層社会が出来たなどという発展段階説は、こういった歴史的事実をまったく説明出来ていません。
それでは現代の社会が何故季節性を失って単一の社会構造になったかですが、実は現代社会にもかつての名残があって、それが欧米での「ホリデーシーズン」だと筆者達は言います。(欧州については夏のバカンスも。)アメリカ人がお互いに贈り物をしあうのはこの時期にほぼ限定されます。そう考えると日本の「ハレとケ」も本来はそういう同一社会の時間によって変わる二重構造の現われではなかったのかと。またハロウィーンという欧米の習慣(キリスト教の習慣ですらない)が何故日本や韓国で近年これだけ享受されたのかという説明もこれで出来そうです。即ち昔「ハレ」として社会のガス抜きの意味を果たして来た伝統的な祭などが形骸化し、そこで満たされない「馬鹿騒ぎ・社会秩序の否定」が日本や韓国でのハロウィーン騒ぎではないかと。そう考えると、日本で47都道府県の内、1つだけそういう伝統的「ハレ」を今でも強く維持しているのが、徳島の阿波踊りではないかと。「踊る阿呆に見る阿呆」というのは、ヨーロッパでの「驢馬のミサ」(カーニバルの起源で、〈愚者の饗宴〉では,少年や下級僧の間から〈阿呆の司教〉が選ばれ,祭りの期間は通常の秩序や価値観が逆転した世界が支配した)とまったく同じ役割を果たしています。今年の3年ぶりの阿波踊りでコロナ感染者が多数出たり、ソウルでハロウィーンで多数の死傷者が出たというのも、そういう「無礼講・狂乱状態」だと考えると理解が出来そうです。(亡くなられた方には謹んで哀悼の意を表します。)

最近の手紙本はひどい…

以前、J社で手紙文自動作成というプロジェクトに関係していました。その時市販の手紙の書き方本・文例集を何冊か買って調べましたが、中身は噴飯ものでした。最近のはどうかと思って、Amazonで一番売れていそうなの(敢えてタイトルと著者は書きませんが、出版社は主婦の友社)を買ってみましたが、さらにレベルが落ちていました。封筒ののり付けする所に書くのは「メ」じゃなくて「〆」なんですけど…
芳賀矢一・杉谷代水合編「書翰文講話及び文範」では、元は「〆」だったのを明治になって男性で「緘」「糊」「封」などを書く人が増えたと言っています。1896年の樋口一葉の「通俗書簡文」では、一葉は「状封じて墨を引くこと古くよりの法なりとぞ、封、しん、鎖、糊、いづれも女のものならず、まして此處に検印みとめおしたるいかなる心にかと怪し、ただ〆とばかりかきてありぬべきを。」として、女性はただ「〆」と書きなさい、と教えています。(この部分、故山本夏彦氏がそのエッセイの中で何度か引用していました。尚、「緘」は封緘紙の「緘」で現在では「かん」としか読みませんが、「通俗書簡文」は「しん」とルビを振っています。「書翰文講話及び文範」は「かん」です。)
それから日付は手紙の本文中に書くもので、封筒に書く必要はないと思いますが。(履歴書を郵送する時とかは別)
手紙の本を買うんだったら、大正時代以前のものが良いです。戦後のものは買う価値無いです。