山県有朋は果たして心情の人か?

菅さんの弔辞で、山県有朋が伊藤博文のことを詠んだ和歌が引用されています。ただ私は山県有朋って狸親父の典型みたいな人と思っていますので、本心にこのように思っていたかは疑問です。山県有朋は西南戦争の時にも西郷隆盛に降伏を勧める手紙を出していますが、Wikipediaによると書いたのは福地源一郎みたいです。(福地源一郎は、後に東京日日新聞社主になり、また文芸家でもあり文章は達者です。)大体戦いの前に送るなら分りますが、立場上西郷が降伏するのが不可能な状態になってから送っているような気がします。また、この手紙が西郷に届いたかどうかも不明だそうで、そんな書簡の内容が今日まで残っているというのも不思議な話で、単に山県有朋が「自分は心の底から西郷に降伏を勧めたけど西郷が受け入れなかった」という証拠作りのためにやった可能性もあると思います。

表面的には心情あふれる(あふれているように見える)名文ですが、本人が書いていないとしたら余計に嘘くさいです。

ちなみに下記の手紙は、現代の人は読むのに苦労するでしょうが、当時のある程度漢籍の素養のある人にはなじみのある故事成語のオンパレードです。このことだけ見ても、山県有朋ではなく福地源一郎が書いたというのは当たっているでしょう。

故山に帰養する、謦咳に接する、桑滄の変、旧雨今雨、鼓皷の間(旗鼓の間)、韜晦する、奇貨とする、讒誣する、蒼生、衆口金を鑠かす、骨肉相食む、涕涙雨の如し、等々

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西郷隆盛に與へて降服を勧む
(読み仮名入りは、西郷隆盛に與へて降服を勧む

山縣 有朋

山縣有朋頓首再拝、謹んで書を西郷隆盛君の幕下に呈す。有朋、君と相識るここに年あり。君の心事を知るまた甚だ深し。曩に君の故山に帰養せしより、久しくその謦咳に接することを得ざりしかど、舊雨の感豈一日も有朋の懐に往来せざらんや。料らざりき、一旦滄桑の変に遭ひて、ここに君と鼓皷の間に相見るに至らんとは。君が帰郷の後ち、世の鹿児島縣士族の暴状を議するもの皆いはく、「西郷実にその巨魁たり、謀主たり」と。然れども有朋は獨りこれを斥けて、然らずとなせりき。然るに今かくの如し。嗚呼また何をか言はん。
然れども密に思ふに、事のここに至れるは蓋し勢いの止むを得ざるに出でしものにて、君の素志にてはあらざりしならん。若し君にして初めより真に意図を懐きしならば、何ぞかかる無名の軍をかかる機を失へる時に起さん。薩軍の今公布する所を見るに、罪を一二の官吏に問はんとするに過ぎず。これ果して挙兵の名を得たりと謂ふべきか。佐賀の賊まづ誅せられ、熊本、山口の叛徒次いで敗れ、今や天下の士民漸くその自省の志を立てんとす。而して薩軍突としてここに兵を挙ぐ。これ果して挙兵の機を得たりといふべきか。君の明識なる、豈之を知らざることあらんや。

説者また曰く、「天下の不良の徒は、西郷の山林に韜晦したるを奇貨とし、これによりて功名を萬一に僥倖せんとする念を懐き、その辞を巧みにしてひたすら朝廷の政務を讒誣し、西郷に説くに、君出でずんば蒼生をいかにせん、君にして義兵を挙げなは天下靡然としてこれに向はんとの旨を以てせしならん。君の卓識なる、その讒誣たるを洞察するに難からざりしなるべしと雖も、その浸潤のいたす所実に衆口金を爍す勢ありて、知らず識らず遂に事を挙ぐるに至りしならん」と。聞く者皆これを然りとす。何となれば、若し君にしてまことにその志ありしならば、単騎輦下に来りて、従容として利害のある所を上言するに於て何の妨もあらざるべければなり。

思ふに、君が多年育成せし壮士輩は、初めより時勢の真相を知り、人理の大道を履践する才識を備へたる者なるべけれど、かの不良の徒の教唆により或はその一身の不遇によりてその不平の念を高め、遂に一転して悲憤の念を懐き、再転して叛乱の心を生ずるに至りしならん。而してその名を問へば則ち曰く、西郷の為にするなりと。情勢既にここに至る。君が平生故舊に篤き情は、空しくこれを看過してひとり餘生を完うするに忍びざりしにならん。されば、君の志はじめより生命を以て壮士輩に與へんと期せしに外ならざりしならん。君が人生の毀誉を度外に置き、天下後世の議論を顧みざるもの故なきにあらず。嗚呼君の心事まことに悲しからずや。有朋ここに君を知る深きが故に、君が為に悲む心また切なり。然れども事既にここに至る、これをいふことも何の益かあらん。

顧みれば交戦以来既に数月を過ぐ。両軍の死傷日々幾百なるかを知らず。朋友相殺し骨肉相食み、人情の忍ぶべからざるを忍びぬ。かかる戦の如きは古来例なき所なり。而して戦士の心を問へば、共に寸毫の恨あるにあらず。ただ王師はその職務の為に、薩軍はその帥西郷の為に戦ふといふに過ぎず。夫れ一国の壮士を率ゐてよく天下の大軍に抗し、激戦数旬、百敗撓まざるもの、既に以て君が威名の実を天下に示すに足れり。而して今や君の麾下の勇将概ね死傷し、その軍威日々に衰へんとす。薩軍の遂に志を成すこと能はざるは既に明なるにあらずや。君更に何の望む所ありてか徒に死線を事とせんとはする。若し人の西郷は事の成らざるを知れど、暫くその餘生を永くせんが為に、敢て千百の死傷を両軍より出すを辞せざるなりといふ者あらば、有朋これに對ひて何とか答へん。

願くは君早くみづから図りて、一はその挙の君が素志にあらざるを明にし、一は両軍の死傷を明日に救ふ計をなせ。嗚呼、天下の君を議する実に極れりといふべし。国憲の存する所おのづから然らざるを得ずといへども、思ふに君の心事を知るものひとり有朋のみにあらざらん。然らば何ぞ公論の他年に定まるなきを憂へん。故舊の情、有朋切にこれを君に冀望せざるを得ず。書に対して涕涙雨の如く、言はんと欲することを悉す能はず。君少しく有朋が情懐の苦を察せよ。

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