市川崑監督の「東京オリンピック」を観ました。2020年東京オリンピックの延期が決まったこのタイミングで観るのが何とも言えない感じです。全部で2時間50分という大作で3回に分けて観ました。公開当時、「芸術か記録か」という論争になったのですが、私は批判した人の気持ちが良く分りました。日本人がメダルを取ったものを全て網羅しておらず、柔道ですら、重量級の猪熊功と、無差別級の神永昭夫の試合(ヘーシンクに敗れた決勝戦)だけです。その一方で、男子1万メートルで周回遅れの最終ランナーのシーンにかなりの時間を使ったり、アフリカのチャドから来た無名選手の描写にかなりの尺を使ったりとか、バランスを欠いていると思います。特に銅メダルの男子バレーは女子バレーに5分ぐらい使っているのに対し、まったく出て来ず、松平康隆監督が激怒したのは良く分ります。
写真は女子バレーについてはさんざん書いたので(一つだけ、女子バレーのシーンを撮影しているのは短編映画「挑戦」の監督の渋谷昶子さんです)、男子マラソンにしました。帝王アベベと、3位になった円谷幸吉さんです。アベベは「裸足の帝王」というイメージが強いのですが、東京オリンピックではちゃんと靴を履いていました。(どうでもいいですけど、エチオピアに対する日本人のイメージはこのアベベによる良いものがあったと思いますが、それを今回WHOのテドロス氏が崩してしまいました。)
後はお元気な昭和天皇のお姿が「お懐かしや」という感じで、若き日の美智子様もおきれいでした。また、東西ドイツがこの時は別々の国ではなく統合ドイツとして出場していて、メダルの時に国家の代りにベートーヴェンの歓喜の歌を使っていたのも印象的でした。
開会式も良かったですが、閉会式でこれも古関裕而作曲のオリンピック・マーチに合わせて、各国の選手が隊列を崩して自由に混ざり合って行進したのも印象的でした。
ともかくもこの頃の日本は若さとエネルギーに満ちていたという感じで、よくもまあこれだけの大イベントをやり遂げたな、と素直に感心します。
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お彼岸のお墓参り
アリババのジャック・マー氏からの支援物資に添えられた漢詩句
この記事(中国のアリババの創始者のジャック・マー氏が日本からの支援のお返しとしてマスク他を送ってくれるという記事)に、最初はなかなかいい話だと思って読んでいましたが、その物資に添えられた漢詩句に絶句。「青山一道、同担風雨」だそうで、日本では青山は「緑の山」という意味よりもむしろ「人間至る所青山あり」の連想で、「青山=墓」というイメージが強いと思いますが。そういう意味で解釈すると「日本にも中国にもコロナウィルスで多数の死者が出て墓が連なり、それに風雨があたっている」となってしまいます。デジタル大辞泉の「青山」の2番目の説明は「《蘇軾「授獄卒梁成以遺子由」の一節「青山に骨を埋むべし」から》人が死んで骨を埋める土地。墳墓の地。死に場所。「人間到 (いた) る所青山あり」」です。
本日(2月28日)19:30のスーパーライフのティッシュペーパー売り場
本日(28日)19:30の宿河原のスーパーライフのティッシュペーパーなどの紙製品の状況。先日も台風19号でパン類が売り切れになった写真を撮ったばかりです。ちなみにレジでは、左のレジの前に「紙製品は一人一個まで」という張り紙があり、そのすぐ右のレジの前には、「紙製品は一人二個まで」とあり、思わず店員に「どっちが正しいんだよ!」と口調も荒く言ってしまいました。(反省)おそらく、今日の午前中くらいまでは「一人二個」でその後「一人一個」に変更されて、張り紙を貼り替える時に気がつかなかったのでしょう。
しかしまあ、こうなることを私は予想していて、既にトイレットペーパー、キッチンペーパー、ティッシュペーパーについてはいつもより備蓄を増やしてあります。(花粉症の季節だけでなく、ハウスダストのアレルギーなので、一年中ティッシュペーパーを1箱/日くらい使います。)
芳賀徹先生ご逝去
大学時代の恩師の一人である芳賀徹さんが亡くなられたそうです。
恩師といっても、教養学科時代に「比較文学」の授業を半年受講しただけですが、今でも強く印象に残っています。
私が、歌川広重の八景物について調べるようになったそもそものきっかけは、この芳賀先生の比較文学の授業でした。その八景物がきっかけで浮世絵に興味を持つようになり、また他の日本の画家にも興味が広がりましたが、元はといえば芳賀先生です。ご冥福をお祈りいたします。
電電公社黒電話
日本語Wikipediaのダメな所
今日もヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳に取り組んでいて、「西ゴート法典」について調べていたら、何と日本語Wikipediaにはこの項目がありません!にも関わらず、西ゴート王国で定められた法典の一つに過ぎない「エリック法典」については項目があります。といっても参考文献に挙げられているのは山川出版のおそらく高校の世界史用の参考書ですが…
Wikipedia自警団という連中がダメなのは、人が書いた記事の出典が無いとかそんなチェックばかりで、百科事典に限らず全ての辞書・事典で重要な「何を立項(=項目を立てる)すべきか」を考える人が誰もいないことです。まあオンラインのボランティア執筆百科事典では仕方がないのかもしれませんが、サブカル系が異常に充実している一方でこういう学術分野は穴だらけ、というよりほとんど未開拓といった方が正しいのかも。
文化人類学受講の思い出/阿部年晴先生
大学の時に文化人類学でアフリカについて、確か「阿部…」という先生の授業を聴講したのを記憶していて、ググって確かめてみたら阿部年晴先生でした。しかし、下記のブログによると2016年に鬼籍に入られているようです。
ブログ:「王様の耳そうじ」
何で阿部先生のことを思い出したかというと、1980年代にはアフリカに関する本が結構出ていて、私もナイジェリアの民話みたいな本を読んだ記憶がありますし、阿部先生の授業の課題でナイジェリアの複雑な民族構成に関する英語の論文を読んだこともあります。(ハウサとかヨルーバとか、ナイジェリアには全部で数十の部族がいて、お互いに争っていたりします。)先日Eigoxの新しい先生でナイジェリア出身の人がいたので、レッスンを受けようとしてその準備で色々調べてみました。しかし当時の本はことごとく絶版で、かといって新しい本もあまり出ていないようです。(その先生は、結局レッスン直前にキャンセルしてきて、キャンセル率を見たら何と30%もあって、ちょっと問題なんで改めてレッスンを予約することはしていません。)
1980年代は1985年頃から円高が進み、その結果として日本企業の海外進出も進みました。そういう意味で海外に関心があったり仕事で関わる人は多かったのだと思います。文化人類学に関心を持つ人もそれなりにいたと思います。それが今は日本人全体が内向きで閉鎖的になり、あからさまな外国嫌いを標榜する人も増えています。また世界の文化人類学全体でも、サイードのオリエンタリズムによる西洋の植民地主義の正当化という批判を受け、その研究のスタンスが根底から問い直されてきていて、かつてのエネルギーを失っているようです。
私はあくまでもこうした方向とは逆を目指していきたいです。取り敢えず、阿部先生の「アフリカの創世神話」をAmazonでポチりました。