これは土佐の皮むき包丁(両刃、合わせ)の刃の部分です。剃刀に比べると、ややノコギリ状の刃が残っています。また、「スーパートゲール」を使用しなくても、きちんと一定の角度で研げるようになったことが分かります。テカっているのは、錆び止めに塗っているベビーオイルです。
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研ぎ水が酸性になる砥石を中和するには→重曹ではなく洗濯用ソーダ
Wikipediaの「日本刀研磨」の項は、ほとんど私が持っている永山光幹の「日本刀を研ぐ」を参照して書いてあり、あまり目新しい情報はありません。また、研ぎ水を弱アルカリ性にするため炭酸水素ナトリウム(重曹)を加えると最初書いて有りましたが、炭酸水素ナトリウム(重曹)ではなく炭酸ナトリウム(洗濯用ソーダ)の間違いです。(証拠として、日本で日本刀の研ぎ用の砥石その他のほぼ唯一の専門店といってよい並川平兵衛商店でも、販売しているのは精製ソーダ{炭酸ナトリウム}です。)
それで家の研ぎ桶(キッチンシンクに丁度収まるサイズ)で一応実験してみました。熱帯魚の水槽用のpHメーターで測定しました。(一応pH7の校正用の水で校正しました。)
(1)炭酸水素ナトリウム(重曹)の場合
何も入れないで、水道水だけを貯めた状態:pH6.67
炭酸水素ナトリウムを計量スプーン大すり切り一杯を入れてかき混ぜた後:pH7.74
(2)炭酸ナトリウム(洗濯用ソーダ)の場合
何も入れないで、水道水だけを貯めた状態:pH6.57
炭酸ナトリウムを計量スプーン大すり切り一杯を入れてかき混ぜた後:pH10.38
ちなみに、炭酸ナトリウムはまだ水に溶けますので、pHを11ぐらいまで上げられます。それに対し炭酸水素ナトリウムは水にあまり溶けないので、これ以上増やしてもpHは大きくならないと思います。
結論:炭酸水素ナトリウム(重曹)では、気休め程度の弱アルカリ性にしかならず、一部の天然砥石によって研ぎ水が酸性になるのを防止するには炭酸ナトリウム(洗濯用ソーダ)を使った方が効果的。(ただ、炭酸ナトリウムは洗濯に使われるくらいで脱脂効果が強く、ゴム手袋などを使わないと手が荒れます。)
ちなみに、炭酸ナトリウムは洗濯用だけでなく、こんにゃくを作る時にも使われるため、並川平兵衛商店でなくてもAmazonその他で簡単に買えます。
なお、天然砥石でどのくらい酸性になるかは、以前手持ちの天然砥石をいくつかリトマス試験紙でテストしたことがあります。その中では「巣板」が2種類ありますが、どちらも青色のリトマス試験紙をピンク色に変えました。リトマス試験紙で正確なpHを測定することは出来ませんが、それなりの酸性になっているようです。(pHメーターは溶液がある程度の量ないと測定出来ないので、砥石の砥汁のpHをpHメーターで測定することはほぼ不可能です。)ちなみに、以前からこのコッパの巣板で鋼の刃を研ぐと、研いだ後すぐに刃が茶色く変色する(錆が発生している)ことに気がついていました。京都の砥取屋さんのページでも巣板の中にそのようなものがあることが記載されています。
岩崎航介の「刃物の見方」
岩崎航介の「刃物の見方」を読了。ある日本刀屋のHPに紹介されていて買ったもの。著者は1903年の明治生まれで、刃物の町として有名な新潟の三条市の出身。父親が刃物の卸をやっていて、第一次世界大戦の間にドイツやイギリスの刃物が供給されなくなった間隙を突いて、インドなどのアジアへナイフの輸出を拡大します。しかし戦争が終わってゾーリンゲンなどにある欧州のメーカーが復興すると、その性能にはまったく敵わず、次第に押されてその会社は結局他社に買収されます。主人公はその息子としてドイツ製の刃物に品質で打ち勝つには、日本伝統の日本刀の技術、正宗の名刀の技術でナイフを作れば絶対に負けないと考えます。それでまず日本刀の研師に入門し、その後鎌倉のある刀鍛治の弟子になり、日本刀鍛造の基礎技術を身につけます。それだけに留まらず、日本刀の品質の秘密を知るためには、多数残されている刀鍛治達の秘伝書を読むことが必要だと考え、逗子高校の教師として働く一方で東大の国史に入学し、古文書の読み方を学びます。そこを卒業した後、更に刀剣の金属としての分析が必須であると考え、理系科目も独習して今度は東大の工学部に入り直します。学部で5年間、大学院でも3年間学び、卒業した時には36歳になっていました。学びながら全国の刀鍛治を訪ね歩き、そこに伝えられている秘伝書をほぼすべて見せてもらい、その内容を解読します。しかし秘伝書はそのほとんどが江戸時代に書かれたもので、日本刀の品質がもっとも優れていた平安時代から鎌倉時代のものは一つもありませんでした。また江戸時代の刀鍛治が「正宗の刀の秘密を見出した」と書いているのは、筆者が確認した限りでは全て嘘か思い違いで、刀鍛治は炎を見続けた結果、晩年には目を悪くして、正宗に遠く及ばない技術を正宗に追いついたと誤解したのだろう、と結論づけます。こうして、「正宗の日本刀の秘密を解き明かし、それをナイフなどの刃物に応用する」という筆者の一生の夢は挫折します。
その後筆者は、昭和天皇の理髪師だった人が、「日本製の剃刀で天皇陛下のお顔は剃れない」と発言しているのを知り、ドイツやイギリスなどの剃刀と日本製の剃刀の硬度などを調べ、確かに日本製の方が品質が劣っていることを確認します。それで世界でもっとも純度の高い鋼である出雲の玉鋼で剃刀を作ったら外国製に負けない剃刀が出来ると考え、国の助成金をもらって日本剃刀の製造に従事します。試行錯誤があって、玉鋼での剃刀製造は難航しましたが、最終的には欧州メーカー製の切れ味、切れ保ちをはるかにしのぐ日本剃刀が完成します。しかし、玉鋼は焼き入れの工程で一定部分が割れてしまったりして歩留まりが悪く、玉鋼で作った剃刀は高価になって、かつ製造本数も限られていて商売としては成功しませんでした。(なお、この日本剃刀は、航介氏の息子さんの岩崎重義氏によって今でも作り続けられています。しかしAmazonで買えるものは現在スウェーデン鋼製であり、玉鋼のものはもうほとんど入手出来なくなっているようです。)
面白いエピソードとしては、吉川英治の「宮本武蔵」の空の巻に、「厨子野耕介(ずしのこうすけ)」という本阿弥光悦の弟子である日本刀研師が登場しますが、これが岩崎航介氏をそのままモデルにしたものだそうです。(岩崎氏は当時逗子市に在籍。)何でも、氏が日本の大衆小説での日本刀の描かれ方が間違いだらけなのに立腹し、その代表者として吉川英治氏を選んで談判に言ったそうです。吉川英治がその談判の内容を面白がって、そのまま宮本武蔵の中で、厨子野耕介に武蔵に対して語らせているそうです。また、私にとって嬉しかったのは、ある時岩崎氏が大衆小説の挿絵画家に対し、日本刀の絵が間違っていることを指摘した事があります。白井喬二がその画家から話しを聞いたのではないか、ということで白井喬二が日本刀について書いたエッセイには間違いがなかったことを紹介しています。
最後の方に天然砥石について書いてあって、これがまた目から鱗です。三河の名倉の砥石は元々刀剣用のコマだけが売られていて、残りのものは砥山の坑道を支える詰め物に使われていただけだった。その内良質なコマの産出が減ると、コマ以外も売れるようになり、詰め物にしていたのが再度引っ張り出されて販売されたのだそうです。また、京都の本山砥のうち、からす砥がもてはやされるけど、あれは昔は不良品として捨てられていたもの。それを頭の良い行商人が安く買って、良い砥石と宣伝して高く売ったので、高価で取引されるようになった。しかし元々不良品なので決して最良の刃はつかないので、剃刀には使ってはいけないと主張されています。また剃刀研ぎの仕上げに、天然砥の上にシャンプーを2、3滴垂らして研ぐという方法が紹介されています。
ともかくも、こんな面白いかつ素晴らしい方がかつていたんだということが分かって楽しい読書で、得る所も多かったです。
刀剣研ぎ日記その5
日本刀用の砥石を蒲鉾形にするのにトライ。グラインダーを使ってみました。その結果、内曇は非常に堅くて、グラインダーでもなかなか削れません。それに対し鳴滝砥は非常に柔らかく、あっという間に削れて逆に削りすぎました。また辺り一帯に粉塵が飛び交い、マスクを付けてやりましたが、一面真っ白に。単なる土砂なら拭けばいいだけですが、砥石の粉だけに下手に力を入れて拭うと床などに細かい傷が入ってしまいます。蒲鉾形というのは、図のように全体になだらかな曲面を作るのが本当みたいなのですが、それをやってしまうと日本刀専用になり包丁などには使えません。また今回研いでいるのが脇差しで短いので、今までサンドペーパーや刃艶・地艶で磨いた限りでは結構直線的に研げる箇所が多いような気がします。なので今日の所は面取りをするレベルまでにしました。多分図のようにするのは、刃の曲面に合わせるという意味もあるのでしょうが、一回の研ぎであまりに広範囲が削れてしまわないように、砥石が刃に当たる所を限定するのが狙いかなと思います。
刀剣研ぎ日記その4
刀剣研ぎ日記その3
刀剣研ぎ日記その3。
両頭グラインダーを買って砥石を蒲鉾形に加工するのをやろうと思っています。しかし、如何せん、日本刀用は7種類もあるので面倒で手を付けていません。
そこで今日は砥石ではなく耐水ペーパーで黒錆落としも兼ねて磨いてみました。
400番、800番、1200番、2000番、3000番という順番で磨いていきました。400番の時は刃の長手方向と直角に磨き、800、1200番では筋交いに磨き、2000番からは長手方向に平行に、と砥石での磨き方を採り入れました。また前の砥石の研いだ跡を消す、というのもこの耐水ペーパーでの磨きで感覚が分かりました。3000番まで研いだ後、内曇による地艶と鳴滝による刃艶をかけました。そうすると、刃文がうっすら見えて来ました。内曇恐るべし。
しかし、たとえ耐水ペーパーでもかなり刃はシャープになり、小指と中指をぐっさり切ってしまいました。耐水ペーパーと地艶、刃艶、すべて刃物の上で手の方を動かすので、一歩間違えると大変危険です。
刀剣研ぎ日記その2
刀剣研ぎ日記その2。錆取りクリームで全体の黒錆を薄くしましたが、やはりそれだけでは完全に取り切れません。今日はそれで刃の峰の所を集中して研ぎました。ここは直線的ですので研ぎやすいですし、万一失敗してもまた削ればいい、ぐらいで割と気楽です。それで大村砥-備水砥-改正砥-中名倉砥-細名倉砥-内曇砥-鳴滝砥と一通り試しました。刀じゃなくて砥石の方を動かして研ぎました。その結果、磨き剤によるピカピカは取れて渋い光になりましたが、黒錆の跡は意外としつこくて、なかなか全部は取り切れていないです。結構荒砥で削らないと駄目かもしれません。
ちなみに写っている鞘は、Amazonで摸擬刀を買って、そこから取ったものです。これ以外にヤフオクで鍔と柄のセットを落札して到着待ちです。目釘もネットで取り寄せ中。私は目釘というのは金属かと思っていましたが、よく目の詰んだ竹を使うんですね。知りませんでした。
刀剣研ぎ日記その1
刀剣研ぎ日記。昨日は、取り敢えず内曇の刃艶や面直し用の名倉を使って錆を少しずつ落としていました。でも結構大変なのでもっと効率的な錆落としはないかと思い、日本刀としては邪道ですが、ブルーマジック メタルポリッシュクリームという研磨剤の入っていない金属磨き、錆落としを使ってみました。その結果、黒錆の黒色は簡単に取れてピカピカになりました。あまり光らせると日本刀らしくありませんが、これは後で内曇で研ぎ直して、さらに拭いで酸化鉄で磨くんで、元に戻ると思います。
本物の日本刀(脇差し)を入手
包丁を日本刀風に研いでいる内に、やはり本物の日本刀を研いでみたいと思うようになりました。少なくとも砥石に関しては必要なものはすべて揃っています。色々調べ、店で普通に買うと、脇差しレベルでも50万円以上し、ちょっと手が出ません。また完成品を研ぎ直すのは、私の未熟な研ぎでダメにしてしまう可能性大であり、その意味でも普通に刀剣店で売っているものは候補外です。しかし、ヤフオクで検索したら、結構欠点のある日本刀がかなりの安い価格で出されていることが分かりました。それで、今回柄も鞘もない剥き出しの脇差しで、かなり錆が広がっているものを、3万5千円くらいで落札しました。それが今日届きましたが、宅配便(日本郵便)の品名は「工芸品」、こんなので簡単に送れてしまうことにびっくりします。
で、作法にのっとり(本阿彌家のDVDで学習)、白手袋を付けかつ唾が飛ばないようにマスクして、一礼してから拝見しました。
錆はかなり全体に広がっていますが、赤錆ではなく黒錆であり、かつそれほど深くは錆びていない感じなので、この程度であれば仕上げ研ぎ工程のみで綺麗になると思います。刃はそれなりに付いていて、ちょっと再度しまう時に切っ先で指を刺してしまいました。刃こぼれはほとんど見受けられません。この日本刀は長州住藤原清重のもので、幕末に鍛えられたものです。清重は山口県須佐の人で、現在の萩市の一部です。私は赤ん坊の頃萩に住んでいたので(当時亡父が萩高の先生をやっていました)、何か不思議な縁を感じます。
ともかく長さも台所の流しで研ぐ私には適度で(現在砥石の高さを上げる砥台を、並川平兵衛商店から取り寄せ中)、かつ荒砥から研ぎ直す必要もなく、よくもこんな好条件の日本刀が短期間に入手出来たものだと、ちょっと不思議に思います。
急がずに時間をかけて綺麗にしていこうと思います。
ちなみに必要な手続きは、元の登録証の発行者(各都道府県)に対し、名義変更の連絡を20日以内にするだけです。実は思っているよりもかなり簡単に日本刀は購入出来るのでした。