アウター・リミッツの”The Inheritors”

アウター・リミッツの”The Inheritors”を観ました。このシリーズ初の2話続きで、合わせて100分は映画並みです。ベトナム戦争と思われる戦地で頭に被弾した兵士4人がいずれも奇跡的に助かっただけでなく、本人の脳波と違う別の脳波を見せ、その別の脳波は4人とも同じでした。4人はいずれもIQ200以上という高い知能を示すようになり、また催眠術も身に付けて病院を抜け出します。大統領補佐官?のアダム・バラード(演じているのは、コッポラの「地獄の黙示録」でワーグナーの「ワルキューレの騎行」をスピーカーで鳴らしながら攻撃するヘリの部隊を率いるキルゴア中佐を演じていたロバート・デュヴァルです)は、この背後には何かの陰謀があるのではないかと調査を始めます。4人の頭に入った銃弾はいずれも隕石から取られた金属で作られたものでした。4人の内一人のミンス中尉は、穀物相場で大金を稼ぎ、そのお金を他の3人に送ります。内一人は何かの空調装置、もう一人は軽くて鉄より強くかつ高低温に耐え、また自己溶着性も持つ特殊な金属、そして最後の一人は反重力エンジンとフォースフィールドを開発していました。結局3人が作っていたのは宇宙船でした。ミンスはその一方で4人の子供達をある意味誘拐するようにその宇宙船の組立工場に連れて来ます。バラードは宇宙船の行く先と目的を問い質し、ミンスはこの不幸な子供達(一人は盲目、一人は耳が聞こえずまた話せない、も一人は足が悪く松葉杖なしには歩けない、最後の一人は血液の病気で後1年の命)を、はるか宇宙の彼方の、人間に良く似た生き物が住む星に連れて行くと言います。その宇宙船の特殊な空気の中では4人の不具合は全て解消されていました。結局、バラードはミンス達が子供達を宇宙船で連れ去るのを黙認する、という話です。
うーん、100分も費やした割りにはもう一つでした。バラードがプロジェクトの謎を解き明かしていくプロセスは面白いですが、結末がとって付けたようです。これが世界の不幸な子供を全員救うノアの箱船のような話なら共感出来ますが、何故4人だけなのかという疑問が残ります。

ダン・クワン、 ダニエル・シャイナートの「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」

エブエブを観て来ました。何というか「イカレタ」映画でした。それは3割はいい意味で、7割は悪い意味でです。SF映画で、アクション映画で、カンフー映画で、コメディーで、最後はファミリー映画でした。撮影は、CGだけでなく、現在の撮影技術のすべてを駆使していて、そういう意味では10年前には作れなかった映画です。SFという意味では、昔からよくある多元宇宙なんですが、それぞれの宇宙を「バース」と呼んでいるのは、実はメタが隠れたスポンサーなのかあるいはパロディーなのか、それは分かりません。主人公のエヴリンは本当にどこでもいそうな中国人のおばさんで、中年以降の松田聖子という感じです。娘の「ガールフレンド」が女性というのも今風ですが、こういうのって10年くらい経つと却って古くさく感じるのではないかと思います。コメディーにしているのは、ピンチに陥った時に、別のバースに飛んで何か特技を得るためのジャンプの条件が何か突拍子もないことをするということで、オシッコを漏らしたり、トロフィーを自分のおケツに突っ込んだりとか、そういうのです。話の中で誰かに操られていることの象徴として、アライグマを頭の上に乗せている、というのが出てきますが、鉄板焼き屋のシェフで本当にアライグマを乗せているのが出てきて笑えました。丁度今日何かの記事で、日本のタヌキは外国にはあまりおらず、空想上の生物と思われているというのがありましたが、このアライグマもそんな感じでした。まあ全体には若い人向けで、年寄りにはついて行くのが辛いです。とか言って、シニア割引の1,200円で入りました。

スタートレック・ザ・ネクスト・ジェネレーションの”Encounter at Farpoint”

スタートレック・ザ・ネクスト・ジェネレーションのパイロット版である”Encounter at Farpoint” を観ました。前のスター・トレックから80年後という想定で、今度のエンタープライズ号は銀河系間を航行出来る巨大なもので、また円盤部の居住セクションがエンジン・戦闘パートとは分離できるという設定になっています。またホログラムにより地球の森のような空間もあり、前作よりかなり進んでいます。
艦長はジャン=リュック・ピカードで、カーク艦長と違い、初老で沈着冷静、仕事に集中する余りずっと独身という設定です。カークに似ているのはむしろ副官のウィリアム・ライカーです。今回はヴァルカン星人は登場せず、その代わりにデータというアンドロイドが登場し、その役目を担っています。後はクリンゴン星人がクルーにいたり、女性も多く活躍しています。このパイロット版では提督役で、ドクター・マッコイの人も登場していました。お話は結構難解でQという連邦の人間よりはるかに進んだ知性体が出て来て、連邦人を野蛮と笑い裁判にかけて裁こうとします。ピカード艦長がその挑戦に見事に勝ち、宇宙クラゲのペアを無事に解放して感謝されるという話です。ちょっとTV番組としてはハイブロウすぎると思いました。今後に期待です。

黒澤明の「生きる」

結局、オリジナルの「生きる」をAmazon Primeで見直しました。その結果、今回のカズオ・イシグロ版は単なる二流のダイジェスト版だな、と思うようになりました。今回のイギリス版が時間を短縮して色んなオリジナルの小さなエピソードをはしょっていますが、それらの小さなエピソードが実は本当にオリジナルの感動を増幅していることが良く分りました。またオリジナルでは、お役所仕事への批判という要素も強くありますが、イギリス版はそれをかなり弱めてしまっています。このお役所仕事の巨大な無力さが観る人に実感されないと、最後の仕事で公園を作り上げた主人公の鬼気迫る熱情が十分理解出来ないと思います。またイギリス版で、マーガレットとウィリアムズがUFOキャッチャーみたいなので獲得するウサギのオモチャは、オリジナル版で小田切とよが工場で作っていたものがそのまま使われていて、これはオリジナルへのオマージュだなと思いました。
それからオリジナルのもう一つの素晴らしさとして、主役の志村喬は言うまでもなく、とよ役の小田切みき(あのチャコちゃんのお母さんです)、文士の伊藤雄之助を始めとして、出てくる役者が皆本当に上手いのに感心しました。この時代はまさに日本映画の黄金時代だったのだと改めて思いました。
また主人公が胃癌であることを知って歓楽の世界を知るのは「ファウスト」ぽいなと思っていましたが、オリジナルではちゃんと伊藤雄之助演じる文士が「僕がメフィストフェレスの役を務めます」と言っていました。

オリバー・ハーマナスの「生きるーLIVING」

「生きるーLIVING」を観ました。ご承知でしょうが、黒澤明の不朽の名作を、カズオ・イシグロがイギリスを舞台に翻案したものです。十二分に感動的で良く作られていますが、それでもオリジナルに及ばない映画と思いました。残念だった点は、
(1)主人公がブランコに乗って口ずさむのがオリジナルは「ゴンドラの歌」でその歌詞が「命短し恋せよ乙女」で見事に映画の内容と共鳴していましたが、この映画では「ナナカマドの木」というスコットランド民謡で、単なる子供時代に親しんだ懐かしい歌、になってしまっていました。(ググったら、これはカズオ・イシグロがオリジナルはあまりに直接的過ぎるとしてこの歌に変え、歌によって亡き妻(スコットランド出身)と亡き妻が生きていたころもっと精力的に働いていた自分を懐かしむ、ということでこの歌にこだわったようです。しかし亡き妻なんて写真一枚しか出てきませんし、またオリバー・ハーマナス監督もこの歌は別のに変えたかったようで、カズオ・イシグロのこだわりは独りよがりなものになっていると思います。)
(2)オリジナルでは元部下の女性でオモチャ工場で働いていた人に「あなたも何か作ってみたら」と言われ、公園建設を思いつきますが、この映画はそういう理由付けがなく唐突に主人公が公園作りを開始します。
(3)主人公に歓楽の世界を教える文士が、オリジナルでは伊藤雄之助によって演じられ、名演でしたが、この映画の同じ役の俳優はあまり存在感がないです。

オリジナルには無い、新人の部下を付け加えたのは、悪いアイデアでは無いと思いますが、逆にそれほど効果的とも思いませんでした。

一つ心に刺さったのは、「何か(前向きなこと)をやろうとすると憎まれ役になる」というセリフで、実際に最近もそういう経験をしたので、ちょっと身につまされました。
オリジナルを観ないでこれを観た方には、是非オリジナルを観ていただきたいです。リメイクがオリジナルを超えることはまず無いということです。

トワイライト・ゾーンの”The Jungle”

トワイライト・ゾーンの”The Jungle”を観ました。アフリカのある国にダムを作るプロジェクトが進行していました。水力掘削機のエンジニアであるリチャードの妻のドリスは、アフリカの魔法使いによる呪いを恐れ、現地のシャーマンからもらった怪しげな魔除けを所持していましたが、リチャードは迷信だと言ってそれを火にくべてしまいます。リチャードが家を出る時にドリスは、二度と帰ってこれない、と言います。馬鹿な、とリチャードがドアを開けるとそこには山羊の死体がありました。リチャードはそれによって会社の経営層に、現地民による呪いの危険性を訴えますが誰も相手にしません。リチャードは家に帰ろうとしますが、そこで車が故障したり、タクシーに乗ったら運転手が急死したりします。家に電話しようとしたら、怪しげな動物の鳴き声が聞こえます。何とか家にたどり着いたリチャードですが、そこでライオンの鳴き声を聞きます。寝室のドアを開けるとそこには本物のライオンが居てリチャードに襲いかかり…という話です。
ちょっとお話の出来としてはレベルが低いです。トワイライト・ゾーンだから何でも起きる、というだけのお話です。

アウター・リミッツの”I, Robot”

アウター・リミッツの”I, Robot”を観ました。アシモフの同名の小説と2004年の映画とは別で、エアンド・ビンダーの1939年と1942年のアダム・リンクシリーズに基づいています。アダム・リンクは登場するロボットの名前です。ドクター・リンクはヒューマノイド形ロボットの開発に成功します。しかしある日不幸な事故が起き、棚が壊れて発電機が落下してきてドクター・リンクは頭を強く打って死にます。ロボット、アダム・リンクは声を聞きつけ博士を助けようとしていましたが、そこに運送業者がやってきて、アダム・スミスが手に持っていた棚の金具を見て、ロボットが博士を殺したと思い、警察を呼びます。アダム・リンクは逃げている途中で水際で遊んでいた小さな女の子に出会い、女の子は驚いて水の中に落ちます。アダム・リンクは女の子を水の中から引っ張り上げますが、力が加減できず、その腕を骨折させてしまいます。結局、博士の姪のニーナが、引退していた弁護士カトラーを呼び、その意見もあってロボットは裁判にかけられることになります。カトラーは手を尽くして弁護しますが、検察側は、博士の家にあったフランケンシュタインの本に言及して、ロボットがこれを呼んだ筈だと言います。また助けられた女の子は恐怖のあまり、ロボットに襲われ傷付けられたという証言をします。さらに別の博士が呼ばれ、ロボットの回路を少しいじると、ロボットは法廷内の椅子や机を破壊し始めます。これらの諸々の不利な証拠で、結局ロボットは有罪の判決を受け、解体されることになります。解体場に連れて行かれる途中で、例の女の子がロボットを見つけ走って来ますが、そこにやってきた輸送用のワゴンに轢かれそうになります。ロボットはダッシュして女の子を拾い上げニーナに向かって投げ、女の子は助かりますが、ロボットはワゴンにぶつかりバラバラになります。
というアイロニーの利いた、なかなか感銘を受けたエピソードでした。なお、ニーナの夫の新聞記者の役で、ミスター・スポックのレナード・ニモイが登場しています。

トワイライト・ゾーンの”Still Valley”

トワイライト・ゾーンの”Still Valley”を観ました。アメリカで南北戦争の最後の頃です。南軍の兵士が近くの村に北軍の部隊がやってきたのを偵察に来ますが、そこでは何故か北軍の兵士達が全員動作の途中で固まってしまって動かない状態になっていました。そんな中ある家の中に一人の老人がいて、この老人だけが動いていました。兵士が問い質すと、老人は一冊の古ぼけた本を差し出します。それには「魔術」と書いてありました。老人が言うにはこの本に書いてあることを読んだだけで、北軍の兵士達は動けなくなったそうです。実際に南軍の兵士もその老人のある呪文で動けなくなります。しかしその老人は死の間際だったため、その本を兵士に託して死にます。兵士はその本を使って北軍のある部隊の進撃を止めます。しかし、上官に咎められ、悪魔の力を使うべきではない、ということでその本が焼かれます。そこはゲティスバーグでした。
ということで、アメリカのこの手のドラマだと必ずといっていいくらい出てくる南北戦争ものでした。アメリカの図書館では「ハリー・ポッター」が魔術が出てくるから禁書になっているという話を聞いたことがありますが、例え戦争に勝てるとしてもアメリカ人は悪魔の力を借りるのは好まないということでしょう。

ウルトラQの「あけてくれ!」

ウルトラQの「あけてくれ!」を観ました。これが第28作で最終回です。最終回でようやく怪獣の出ない、トワイライト・ゾーン的な話になりました。実は撮影順では第4作で、途中で怪獣ものの人気が出たため、お蔵入りになっていて、ようやく最後に放送された、ということのようです。現実から逃避してどこか遠くへ行ってしまいたい人が迷い込む、空飛ぶ電車がちょっと銀河鉄道999を思わせます。(こちらが先です。)ウルトラQの元々のタイトルであるアンバランス・ゾーンというのにはぴったりの話です。うだつの上がらないサラリーマンを演じているのは、ケムール星人の回で敏腕刑事を演じていた人です。SF作家の友野は仮面ライダーの死神博士で有名な天本英世です。うーん、ずっとこの路線だと子供には人気が出なかったと思いますので、怪獣路線にしたのは正解と思います。

アウター・リミッツの”Wolf 359″

アウター・リミッツの”Wolf 359″を観ました。
ある科学者が、Wolf 359という太陽系のある惑星とそっくりのミニチュアの星を作り、時間をその星の1日が地球の一秒程度にして、その星の変化を観察しようとします。驚くべきことにその星は地球とほぼ同じ進化の道をたどり、植物の後動物も発生します。しかし科学者がもっとよく観察するために20万倍くらいの顕微鏡を取り付けて観察した所、そこに写ったのはゴーストかエイリアンのような邪悪な気を持ったものでした。その星は進化を続けますが、常に争いに満ちており、地球の20世紀相当になった時には核兵器も登場します。ゴーストみたいなものはその装置から出て研究所のモルモットや小鳥を殺し、ついには研究者自身を殺そうとします。しかし電話が通じなかったのを訝しんだ研究者の妻が駆けつけます。研究者は妻にその惑星を入れているガラスケースを破壊するように言い、妻はそれに従います。危うい所でゴーストみたいなものは消えますが、研究者は地球の未来がどうなるかを見損ないました。
という話ですが、いやー、アングロサクソンというのは本当にオカルト好きですね。科学的な実験をしていたらゴーストみたいなものが現れる、というのは他にも何話かありました。アングロサクソンにとってはSFはオカルトの一分野に過ぎないのでは、と思いました。