山本嘉次郎監督の「ハワイ・マレー沖海戦」

山本嘉次郎監督の「ハワイ・マレー沖海戦」を観ました。これはいつかは観ようと思っていたものですが、直接のきっかけはまたも古関裕而で、YouTubeの「英国東洋艦隊潰滅」の動画のバックがこの映画ではないかとあたりをつけたから。それは正解でしたが、100%ではなく更に別の映画も混じっているようです。
この映画は最初は「真珠湾攻撃」だけの映画として企画されたのを海軍省の希望でマレー沖海戦も追加された物です。半分くらいまではある飛行士志望の若者が予科練で鍛えられる話です。この映画が正しいとすると、空母からの発着が出来る一人前の飛行士を育てるのは4~5年くらいかかっていたようです。開戦当時のこれらのパイロットの練度は世界にも誇れるもので、それがあってこそ、真珠湾攻撃もマレー沖海戦の勝利もあったのだと思います。そしてその優秀なパイロットのほとんどを失ったのがミッドウェー海戦ということになります。
主演は大河内傳次郎とか、姿三四郎の藤田進とか、そして主人公の飛行士の姉として原節子が出ています。この頃の原節子は演技は評価されていなかったと思いますが、そんな感じの演技です。
小林信彦はこの映画を封切り時に観ており、特撮の技術に感嘆したと書いています。その特撮担当が円谷英二です。ただ子供の頃ウルトラマンシリーズで育ったものとしては、この程度の特撮は当たり前感がありますし、敵の飛行場の建物が破壊されるシーンはかなりデジャビュ感がありました。
マレー沖海戦の分は、何か取って付けたという感じですね。でもその時の大本営発表が聞けたのは収穫で「英国東洋艦隊潰滅」の歌詞はその発表をかなりそのまま使っているのが分りました。次は「雷撃隊出動」も観る予定です。これも主題歌が古関裕而です。

宇宙家族ロビンソンの”Princess oif Space”

宇宙家族ロビンソンの”Princess oif Space”を観ました。ストーリー自体は陳腐で、ある星でロボットの反乱があり、その時に乳母が赤ちゃんだった王女を地球に送って助けたという設定で、ペニーがその王女である芝居を強制され…といった話です。ただ、アンジェラ・カートライトの王女様役はかなりはまっていて、とても綺麗です。またその王女の親戚のガンマ叔母さんを演じているのは、アーウィン・アレンの奥さんだそうです。王女を探していた宇宙船の船長はほとんど海賊みたいなキャラですが、その部下が全部コンピューターで、しかも今となっては超時代遅れのテープ装置を付けた初期の汎用コンピュータースタイルでちょっと笑えます。ちなみにロビンソン博士の一家のロボットも、その人工知能はテープで動いていることになっていて、先の回で「テープがすりきれる」といったセリフがありました。ペニーの話なのですが、活躍するのはやはりウィルの方で、ペニーは王女役を演じるだけです。最後に本物の王女が出てきますが、それもアンジェラ・カートライトの一人二役です。

「エール」の事実との違い

NHKの朝ドラ、「エール」、まあ古関裕而と金子夫妻をモデルにしたフィクションですから事実と違っていても当然ですが、音楽だけは本物の古関裕而のを使っているので、ある意味誤解を招きます。

(1)古関裕而が最初のヒット曲を出すまで
ドラマだと、最初のレコード「福島行進曲」の次が「船頭可愛や」で大ヒットとなっていますが、実際には「船頭可愛や」のヒットまで5年もかかっており、その間給料を半額に下げられています。ドラマだと音さんが交渉して給与減額は撤退させていますが。

(2)最初のヒットは「利根の舟唄」
いきなり「船頭可愛や」が大ヒットしたのではなく、昭和9年の「利根の舟唄」がまず少しヒットし、同じ作詞家で次に「船頭可愛や」が大ヒットします。

(3)「船頭可愛や」のヒットの理由
ドラマだと三浦環が吹き込んでそれが話題になり大ヒットしたとなっていますが、実際には環が吹き込んだのはヒットした後。実際は発売直後はまったく売れなかったけど、歌った音丸が全国を興業して歌ってそれが徐々に人気になったみたいです。三浦環版はあまり売れず、ヒットには貢献していません。

(4)山田耕筰と三浦環の関係
ドラマだと、山田耕筰をモデルにしている作曲家が三浦環が「船頭可愛や」を吹き込んで青盤で出すことに反対しますが、三浦環は山田耕筰より2歳年上で、芸大時代には若くして声楽の助教授になった環が山田耕筰を生徒として教えています。また世界的な名声から言っても三浦環の方が日本でしか知られていない山田耕筰よりもはるかに上。なので山田耕筰が三浦環の録音に反対したなどという事実はありません。

まあドラマに突っ込むのは野暮ですが、間違い探しも楽しいものです。

宇宙家族ロビンソンの”Target Earth”

宇宙家族ロビンソンの”Target Earth”を観ました。第3シーズンにしてはかなりまともなSFでした。いつもの人間型エイリアンではなく、今回はまあ大したデザインではないにせよ、明らかヒューマノイドではない、均一型エイリアンです。今回、ロボットがドクター・スミスの変な命令のせいで上半身と下半身が分離し、それが間違ってポッドに入れられ発射され、ある惑星に落ちていきます。それをジュピター2号も追いかけてその惑星に着陸しますが、そこにいたのは全員がまったく同じ姿というエイリアンで、文明が停滞していたのを、地球人の姿を借りてジュピター2号を乗っ取り、地球に行ってそこの人間全員と入れ替わるという計画を立てます。ウィルとドクター・スミスを除く全員はエイリアンが入れ替わり、ジュピター2号は地球に向かいます。ロボットはエイリアンのプログラムで彼らに従うようになっています。しかし隕石群との衝突のショックでロボットは元に戻り、ウィルはロボットの助けで、まず地球のアルファ・コントロールに連絡し、ジュピター2号の着陸を許可しないように要請します。地球から返事は無く、その代わりにミサイルが飛んで来ます。それでも何とか地球に着陸しドクター・スミスは狂喜しますが、エイリアン達はミッションに失敗したということで消えてしまいます。結局エイリアンの星に残された他のメンバーを救うため、ウィルはジュピター2号を再び発進させます。エイリアン達が上手く行かなかったのは、元々完全に皆同じで対等だったのが、地球人になるとドンはロビンソン博士に命令されるのが耐えられず喧嘩し、そこをウィルに付け込まれます。まあ他のストーリーがあまりにひどいので、この程度でもかなりマシに感じます。

宇宙家族ロビンソンの”Anti-Matter Man”

宇宙家族ロビンソンの”Anti-Matter Man”を観ました。珍しくSF的なお話で、この宇宙とは別に反宇宙があってそこにロビンソン博士やドンのアンチ版がいて、性格は反対で邪悪で罪人であり、こちらの宇宙に来て本物のロビンソン博士とドンと入れ替わろうとする話です。しかし普通は物質と反物質が接触すれば大爆発の筈ですが、まあそういう科学的考証をこのシリーズに求めても無駄です。良いロビンソン博士と悪いロビンソン博士の争いはスタートレックの「二人のカーク」をちょっと思い出させました。ドクター・スミスも反世界に飛ばされたので、オチはあちらの世界には良いドクター・スミスがいて助けてくれる、となるのかと思いましたが、違いました。悪いロボットは登場します。特撮がチャチだったり、またも原子力潜水艦シービュー号のエイリアンが登場したりしますが、この第3シーズンにしてはまあまあでした。

「桃太郎 海の神兵」

1945年4月に公開されたアニメの「桃太郎 海の神兵」を観ました。このアニメ自体に興味があったというより、音楽監督が古関裕而だったので観てみたものです。途中2/3くらいの戦闘が始まるまではミュージカル仕立てで、古関の音楽が素晴らしかったです。また前半は本当にほのぼのとした田園に囲まれた村の描写であり、戦争中に作られたものとは思えないくらい牧歌的で童心に訴えるものです。真ん中辺りで、お猿さん(まあ桃太郎だから部下は犬、猿、雉です)の先生が色んな動物に日本語を教えるシーンでの「アイウエオの歌」が良いです。この歌は実際に東南アジアの日本占領地域で宣撫策として日本語を現地の子供に教えるために使われた曲のようで、古関の作曲ではないのでは、という人もいますが、私が聴く限りこのメロディーはまず古関だろうと思います。しかもこの映画の製作が始まった1944年当時、古関は軍事歌謡で数々のヒット曲を持つ大作曲家だった訳であり、その古関がメインのシーンの音楽を人ので済ますというのは考えにくいですし、また別の作曲者のキャプションもありません。モデルとなっている戦いは、太平洋戦争初期の海軍によるセレベス島北端のメナド(マナド)攻略作戦で、パラシュート部隊が空港占拠に成功したものです。パラシュート空挺部隊での戦果というと、パレンバン攻略作戦があまりにも有名ですが、あれは陸軍空挺部隊によるもので、海軍としては意地でもその一ヵ月前に行われた最初の空挺部隊による戦果であるメナド攻略作戦を再アピールするという意図があったのかもしれません。(このアニメのスポンサーは海軍省です。)物語の背後にあるのは大東亜共栄圏と八紘一宇で、要するに悪い鬼=白人(英語をしゃべっています)によって奪われた東南アジアの国々を日本が武力で解放する、というものになっています。最後捕まった白人捕虜の中にポパイとブルータスがいますが、このシーンは公開時には削除されていたようです。

アニメンタリー「決断」のテーマ曲の作曲者

「アニメンタリー 決断」はあのタツノコプロが、太平洋戦争をアニメで描いたもので、1971年4月から半年間放送されました。(アニメンタリーはアニメ+ドキュメンタリーの造語。1972年の男子バレーを描いた「ミュンヘンへの道」でもこの言葉が使われていました。)
この作品は、かなり真面目に太平洋戦争を描いていて、私と私の友人の間では結構話題になりました。(当時は戦記ブームでした。)しかし、放送当時PTAからは戦争賛美だという批判が強くありました。特に主題歌が「軍歌そのもの」と言われていました。それで作曲者を調べたら、何とオープニングもエンディングも古関裕而でした!そりゃ、軍歌そのものになりますわな。ちなみに作詞の丘灯至夫は古関と同郷の福島出身で、「高原列車は行く」で古関と組んでいます。「ハクション大魔王」の主題歌の作詞者でもあります。

主題歌
オープニング:「決断」 作詞:丘灯至夫 作曲:古関裕而
エンディング:「男ぶし」 作詞:丘灯至夫 作曲:古関裕而

宇宙家族ロビンソンの”Castles in Space”

宇宙家族ロビンソンの”Castles in Space”を観ました。この話も相当変です。ドクター・スミスがウィルにパチンコを教えようとして誤ってレーダーアンテナの塔を倒してしまい、それを修理しようと石をどけたら、突然岩壁が崩れ中から氷で出来た棺みたいなのが出てきます。それを例によってドクター・スミスが電熱毛布の熱で誤って溶かしてしまい、中から氷の女王みたいな美女が登場します。その美女を追ってやって来たのが、銀色に塗った顔をして、英語とスペイン語をちゃんぽんにしてしゃべるチャボという変なエイリアン。この話で一番おかしいのが、ロボットがチャボに酒を身体の中に注がれて酔っ払い、大事なコンピューターを抜き取られて完全な酔っ払いになってしまうことです。ウィルが人質として捕まり、チャボはその命と引き換えに氷の女王を渡すように求めます。最後、何故か途中までは嫌がっていた氷の女王が結局チャボと一緒に元の星に帰っていきます。このチャボはスペイン人というより、メキシコ人のイメージで描かれているように思います。今だったらラティーノの描写が差別的だということで放送出来ないと思います。

宇宙家族ロビンソンの”Two Weeks in Space”

宇宙家族ロビンソンの”Two Weeks in Space”を観ました。何というか、このシリーズの悪い所が凝縮されたようなストーリーでした。以前銀河百貨店のマネージャーで登場した人(口を手の平で叩いて「ポン」という音を出す人。この俳優はFritz Feldという人で、「ポン」は彼の代名詞みたいです。)が今回はエイリアンに操られたツアーコンダクターとして登場します。エイリアンはどこかの宇宙監獄から逃げ出して隠れて住む場所を探しているという設定で、物質変性装置で地球人の姿になり、宇宙観光の一員としてジュピター2号にやって来ます。ロビンソン博士他は不在なのをいいことに、ドクター・スミスはジュピター2号を宿屋にしてデンドリウムをエイリアンからせしめようとします。何か良く分らないのは、ドクター・スミスがエイリアンの女性に愛されるのですが、その女性からもらった指輪がロボットによれば1ドルちょっとくらいの価値しかないと分った途端、ドクター・スミスは冷たくなります。とまあストーリーを説明しても仕方がない、子供向けのお笑い路線のエピソードです。

大庭秀雄監督の映画「長崎の鐘」

大庭秀雄監督の1950年の映画「長崎の鐘」を観ました。GHQによる検閲を避けるためメロドラマ仕立てにして、ということでそういう先入観を持っていましたが、メロドラマの安っぽさのひとかけらもない素晴らしい映画でした。永井隆博士のことは、子供の時に家に「この子を残して」の随筆がありました(亡母の蔵書です)ので、小さいときから知っていました。しかし、その当時は永井博士の白血病は被爆のせいだと思っていました。永井博士は、医学部を卒業する間際に中耳炎になり、耳が聞こえにくくなり、聴診器を使う内科医には成れなくなり、当時は単なる他学科の下請け的な存在だと蔑まれていた放射線科に行くことになります。そこでの博士の頑張りもあって、放射線科は次第に認められることになり、結核の検診でのレントゲン撮影などで、永井博士は夜昼なく長時間働くことになります。当時の放射線の遮蔽は不十分であったため、戦争の最中に博士は白血病にかかり、後3年の命であると告げられます。しかし、先に天国に召されたのは皮肉なことに永井博士の妻の方でした。この映画は日本占領下で作られたため、原爆についてはカレンダーで8月9日であることが示されるのと、子供達が疎開していた祖父の山の中の家から原子雲が湧き上がるのを見るのと、また博士が瓦礫となった自宅で妻を探してロザリオだけを発見するシーンだけです。博士は奇跡的に戦後も数年間生きながらえ、そこで原子病についての研究を行なったり、浦上天主堂の再建に尽力します。全体を通じて、博士がキリスト教の信仰に目覚めるシーンも含めて、単なるお涙頂戴の安っぽさの無い、素晴らしい映画だと思います。なお、主題歌については、映画中では1番と2番だけしか歌われませんが、映画の通りを歌詞にしており、非常に映像に合った歌となっています。なお脚本に新藤兼人や橋田壽賀子が参加しています。