宇宙家族ロビンソンの”Deadliest of the Species”

宇宙家族ロビンソンの”Deadliest of the Species”を観ました。ジュピター2号がエンジンの故障である惑星に着陸します。そのジュピター2号の後から小形のポッドみたいなのが追いかけて来てそれも大地に激突しました。更に、宇宙の警察みたいなのもやって来ます。宇宙警察はジュピター2号にそのポッドに乗っていたものを引き渡すように要求します。そのポッドに乗っていたのは、女性型ロボットであり、フライデーは一目でそのロボットに恋してしまいます。しかしその女ロボットの正体は凶悪犯で、かつて一つの文明を崩壊させたこともあり、その罪でポッドに閉じ込められて宇宙を彷徨っていたものでした。フライデーはそのロボットを修理し、かつウィルを人質にしてジュピター2号のバリアシステムからエナジャイザーを奪い、女ロボットにエネルギーを与えます。途中でフライデーもようやくその女ロボットの凶悪さに気がつき、女ロボットを破壊するためのおとりの役になります。しかし心の中ではまだ彼女を愛していて、葛藤の中でフライデーは女ロボットを破壊します。これまでフライデーがドクター・スミスを嘲笑するシーンは多く出てきましたが、泣くシーンは今回が初めてで、なかなか印象に残る回です。結局最後は飛び散った破片から女ロボットを再度作り、邪悪な心は除去してハッピーエンドでした。(といっても次回になったらこの女ロボットはもう消えていると思いますが。)

宇宙家族ロビンソンの”The Space Creature”

宇宙家族ロビンソンの”The Space Creature”を観ました。タイトルロールでの脚本家の表示が、出ました!ウィリアム・ウェルチです。(原子力潜水艦シービュー号の第3、4シーズンできわめて馬鹿げた話を沢山書いた脚本家です。)
しかし、ウェルチの脚本にしてはスリリングな感じはそれなりにあって、ジュピター2号から人が一人一人消えていって最後にウィルが残されます。それはウィルが歴史の勉強にうんざりして、「一人にさせてくれ」と叫んだのを、ある子供のエイリアンが聞いていて、それを実際に実現したのだ、というストーリーです。それでこのウィルの「一人にさせてくれ」に、ドクター・スミスの「本当はロビンソン博士の一家は皆消えて欲しい」と思わず言ったのの両方が実現して行きます。と途中までは良かったのですが、そこから先はさすがウェルチ脚本で、子供のエイリアンだった筈が、実はウィルのイドの怪物だという、禁断の惑星のパクリみたいな話になり、しかもそのイドの怪物の姿が単に役者がシーツをかぶっているだけという、超古典的西洋の幽霊の姿で、とてもSFとは思えない話になります。
それから、これまで一度も登場しなかったジュピター2号の原子力エンジンルームが突然登場し、ロビンソン博士はその中をウィルに防護服も着せないで、消えた人間を探させます。この辺り原子力潜水艦シービュー号とほとんど変わらない話になってしまっています。大体、あの宇宙船の中にこんな広いエンジンルームが収まる筈無いんですが、その辺がウェルチ脚本です。

宇宙家族ロビンソンの”Collision of the Planets”

宇宙家族ロビンソンの”Collision of the Planets”を観ました。何というか60年代後半の「イカれた」雰囲気の回。何故かあるエイリアンの星で、邪魔者扱いされている宇宙バイカー達が、エイリアンの星に衝突しそうになっている星の爆破を命じられ、それが上手くいけば普通の市民に戻れることになっています。しかしその爆破しようとしている星にはロビンソン一家がいました。ロビンソン一家は警告を受けて飛び立とうとしますが、あいにくエンジンが爆発し、修理にかなりの時間がかかるという状況です。一方でドクター・スミスはエイリアンがパラシュートで落とした箱を空けようとして緑色のガスを浴び、一度仮死状態になりますが、意識を取り戻すと何故か髪の毛が緑色になり、かつものすごい力持ちになっています。髪の毛で強さというと、旧約聖書のサムソンを思い出しますが、こちらもほとんどそのままでエイリアンの女性に騙されて髪の毛を切られ、強さが無くなってしまいます。結局ロビンソン博士がエイリアン達が乗ってきたバイクを壊し、それを修理している間にジュピター2号は無事その星を離れる、という話ですが、TVではこの頃の若者がまだ偏見を持って描写されていることが良く分かるエピソードでした。

宇宙家族ロビンソンの”Flight into the Future”


宇宙家族ロビンソンの”Flight into the Future”を観ました。ジュピター2号が宇宙をまたさすらっている時に、エメラルド色の小惑星と遭遇し、ドクター・スミスのミスで、ポッド毎ウィルとロボットとドクター・スミスがその惑星に不時着します。すぐにジュピター2号も追いかけて着陸しますが、先に到着した筈のポッドを見つけられません。一方、ジャングルの中に着陸したポッドは、ウィルとドクター・スミスが疲れて15分間眠っている間に何故か浦島太郎かリップ・ヴァン・ウィンクルのように270年も時が経ってしまいます。ロボットはボロボロになり、ポッドには蔦がからまっています。そして3人は未来の地球から来た宇宙考古学者の一団に会い、その中にジュディの4代後くらいの子孫と同じくドクター・スミスの子孫がいました。ドクター・スミスの子孫はドクター・スミスはスミス一族の面汚しだとなじります。その内ウィルがどうもおかしいと気がつき、全てが何らかの幻想ではないかと思い始めます。それで途中でまたもアーウィン・アレンのワンパターンのトカゲ恐竜まで登場しますが、ウィルが「これは存在しない」と叫ぶと全部消えていきます。最後にたどり着いたのは、何かの置き去りにされたロボットで、侵入者を脅かすために幻想を作り出していたことが分かります。そのロボットは最後に本物の怪物を1つだけ作り出しますが、ジュピター2号のロボットの攻撃で倒れ、ウィルはロビンソン博士やドンと再会します。もう一ひねりすれば面白いストーリーになったような気がしますが、全てが幻想でした、というのは原子力潜水艦シービュー号の時にもあり、安易な発想だと思います。

市川崑監督の「東京オリンピック」

市川崑監督の「東京オリンピック」を観ました。2020年東京オリンピックの延期が決まったこのタイミングで観るのが何とも言えない感じです。全部で2時間50分という大作で3回に分けて観ました。公開当時、「芸術か記録か」という論争になったのですが、私は批判した人の気持ちが良く分りました。日本人がメダルを取ったものを全て網羅しておらず、柔道ですら、重量級の猪熊功と、無差別級の神永昭夫の試合(ヘーシンクに敗れた決勝戦)だけです。その一方で、男子1万メートルで周回遅れの最終ランナーのシーンにかなりの時間を使ったり、アフリカのチャドから来た無名選手の描写にかなりの尺を使ったりとか、バランスを欠いていると思います。特に銅メダルの男子バレーは女子バレーに5分ぐらい使っているのに対し、まったく出て来ず、松平康隆監督が激怒したのは良く分ります。
写真は女子バレーについてはさんざん書いたので(一つだけ、女子バレーのシーンを撮影しているのは短編映画「挑戦」の監督の渋谷昶子さんです)、男子マラソンにしました。帝王アベベと、3位になった円谷幸吉さんです。アベベは「裸足の帝王」というイメージが強いのですが、東京オリンピックではちゃんと靴を履いていました。(どうでもいいですけど、エチオピアに対する日本人のイメージはこのアベベによる良いものがあったと思いますが、それを今回WHOのテドロス氏が崩してしまいました。)
後はお元気な昭和天皇のお姿が「お懐かしや」という感じで、若き日の美智子様もおきれいでした。また、東西ドイツがこの時は別々の国ではなく統合ドイツとして出場していて、メダルの時に国家の代りにベートーヴェンの歓喜の歌を使っていたのも印象的でした。
開会式も良かったですが、閉会式でこれも古関裕而作曲のオリンピック・マーチに合わせて、各国の選手が隊列を崩して自由に混ざり合って行進したのも印象的でした。
ともかくもこの頃の日本は若さとエネルギーに満ちていたという感じで、よくもまあこれだけの大イベントをやり遂げたな、と素直に感心します。

宇宙家族ロビンソンの”The Haunted Lighthouse”

宇宙家族ロビンソンの”The Haunted Lighthouse”を観ました。一人ある惑星に取り残されたエイリアンの少年とペ二ーの交流が中心の話に、F-15という地球が作った灯台的な定点宇宙船がからみます。第3シーズンのペニーの問題点は、アンジェラ・カートライトがこの時点で15歳くらいだと思いますが、すっかり大人びてしまい、ジュディとほとんど役柄がかぶってしまうことです。そんな中久し振りにペニー中心の話です。ペニーがらみの話は、大体ペニーがエイリアンなどと交流して、その純な心でエイリアン達を感動させて、というパターンですが、このエピソードもまさにそれです。エイリアンの少年はザイボという猫だったりライオンだったり女性だったりする不思議なキャラクターを飼っています。ジュピター2号が宇宙で遭遇した巨大な宇宙船は実はアメリカが打ち上げた定点観測船、宇宙の灯台とも言うべきものでした。ロビンソン博士の一家は、そこを一人で守っていた、ある大佐の歓待を受け、この宇宙船には十分な燃料もあるので地球に帰れますよ、とロビンソン博士の一家を喜ばせますが、実はその大佐は単なる荷物運びの人が密航しただけで、燃料の話も嘘でした。エイリアンの少年は例によってドクター・スミスをザイボが変身した女性で誘惑し、ジュピター2号を盗んで自分の星に戻ろうとしますが、結局ジュディーに説得されて、灯台の宇宙船に自称大佐と留まって自分の星に帰れるチャンスを待つ、という話です。

宇宙家族ロビンソンの”The Space Destructors”

宇宙家族ロビンソンの”The Space Destructors”を観ました。第3シーズンはジュピター2号が宇宙を彷徨って様々な事件に遭遇するという形式だった筈ですが(これはスタートレックの影響です)、しかしこの辺りではまた第2シーズンのパターンに戻っていて、ジュピター2号はどこかの惑星の上にいて、その星がどういう星なのかの説明もまったくありません。ウィルとドクター・スミスが洞窟を見つけ、その中に入ってみると中にサイボーグの製造装置(というかほとんどパン焼き機)がありました。最初に作ったサイボーグはドクター・スミスを襲って来ましたが、2回目から「服従」ボタンを押せば、製造されたサイボーグは自分の命令のままに動くことを発見します。最初はサイボーグを召使いとして使うことだけで満足していましたが、その内欲が出てきて、もっと強力なサイボーグを作って宇宙の支配者になろうとします。今回のドクター・スミスはかなりダークさが強いです。ウィルがやってきてドクター・スミスのそういった行為を止めようとしますが、二人が争っている内にウィルがサイボーグ製造のコンベアの中に落ちてしまい、ウィルの顔はドクター・スミスの顔に変わり、性格も邪悪になってドクター・スミスを殺そうとします。あわやの所でロビンソン博士が駆けつけ、サイボーグ達と剣で戦うシーン(ガイ・ウィリアムズは快傑ゾロの役をやっていましたから剣は得意です)の後、ロビンソン博士はウィルを外に連れ出し、ロボットがサイボーグ製造装置を破壊したら、ウィルは元に戻ったという話です。

宇宙家族ロビンソンの”The Space Primevals”

宇宙家族ロビンソンの”The Space Primevals”を観ました。この回のストーリーがそんなに面白い訳ではありませんが、色々と見所はありました。
(1)何というか1960年代の偏見丸出しの原始人描写
(2)二人で洞窟に閉じ込められて死にそうになり、最後に友情を結ぶドンとドクター・スミス
(3)出ました!アーウィン・アレンの超ワンパターンのトカゲ恐竜!
(4)原始人を何かのマシンで操るエイリアンにより、ミニチュアにされたロボット
という感じでした。しかし原始人の描写の中に、トーテムポールが出てきたりして、明らかにネイティブ・アメリカンを意識した原始人描写で、いくら1960年代とは言え、いいのかと思いました。しかしトカゲ恐竜だけじゃなく火山とか溶岩のシーンも、映画の「ロストワールド」の転用じゃないのかと思います。その内、アレンの60年代の4作品に出てきたトカゲ恐竜シーンを全部集めて紹介するつもりです。

宇宙家族ロビンソンの”Hunter’s Moon”

宇宙家族ロビンソンの”Hunter’s Moon”を観ました。第2シーズンであまりにもドクター・スミスだけが目立つ話が多すぎて、怪傑ゾロの主人公役で有名なガイ・ウィリアムズが活躍しない、ということで作られた話のようです。しかし何というか非常にありきたりのストーリーで、ジュピター2号が不時着した星でエイリアンに捕まり、そのエイリアンのスポーツ(キツネ狩りみたいなの)の獲物にされるという内容です。このパターンは第1シーズンでもあったと思いますが、ロビンソン博士が色々と知恵を絞って狩られる対象から逆襲してエイリアンを倒すという話です。地球人の愛情とか同情心とかが「欠陥」と描写され、エイリアンの親がいなくて人工培養装置から産まれたなどの設定も陳腐きわまりないという感じです。ガイ・ウィリアムズが中心の話といっても、相変わらずドクター・スミスは色んなトラブルを巻き起こしてしっかり目立っていますが。

ガルパンBGMの変なタイトル

ガルパンのBGMを交響曲化したアルバムが出てそれはいいのですが、何故タイトルのドイツ語の冠詞が”das”?
girlsのドイツ語相当語はMädchenかFräuleinでそれらは確かに単数なら中性名詞でdasが前に付きますが、元がGirlsと複数なんだから”die”です。(どちらも単複同形です。)一方Panzerは男性名詞です。Symphonieは女性名詞です。あるとしたら全体を複合語として考え中性と見なしたのかもしれませんが、そういう使い方は私は少なくとも見たことはないです。そもそも英語とドイツ語を混ぜる所で既に変則なのですが。また、外来語は中性とすることが多いのも事実ですが、最初から複数形だと分っていたらやはりdieになると思います。いずれにせよ、元々のタイトルがGirls und Panzer で無冠詞なのに、何故これだけ冠詞が必要なのか。