2009年の古関裕而生誕100周年の時の記念に出た、古関裕而全集7枚組(CD6枚+DVD1枚)を買いました。これまで既に古関裕而のCDは色々買っていてかなりダブるのですが、それでも買って良かったです。丁度今NHKの「エール」で「船頭可愛や」の話をやっていますが、この全集には、「船頭可愛や」が3種類も入っていて、一つは最初に出た音丸のもの、次が三浦環が音丸の歌うのを聴いて曲が気に入り、自分も歌いたいといって実現した録音、そして最後が何と都はるみのです。三浦環のはベルカント唱法というかコロラトゥーラというか、高音部はほとんど西洋音楽的な発声で歌っています。そして都はるみのは信じられない位上手いです。これが聴けただけでもこの全集を買って良かったです。なお「全集」となっていますが、全139曲で、5000曲以上あると言われている古関作品の3%にもなりません。白井喬二の作品集めでも思いましたが、日本はこういう大衆的な芸能をきちんと保存する仕組みが整っていません。この全集に一部入っていますが、古関裕而作曲のミュージカルや舞台音楽をきちんと全部聴いてみたいものです。それからこの全集の監修は古関裕而の息子さんの古関正裕さんですが、いわゆる軍事歌謡・軍歌はきわめて抑制していて、「英国東洋艦隊潰滅」や「比島決戦の歌」などは収録されていません。そちらによりご興味があれば「古関裕而 戦時下日本の歌~愛国の花~」を買われた方がいいと思います。部分的に収録されている舞台音楽を聴くと、古関裕而の音楽は東欧とかロシアの音楽に近い感じがします。なお、DVDはNHKのビッグショーでの「古関裕而特集」の抜粋(40分番組の内18分くらい)です。今YouTubeで全40分が見られますし、また抜粋がNHKからCDとしても出ているので、これ自体はそれほど有り難みは無かったです。
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「鐘よ鳴り響け 古関裕而自伝」
「鐘よ鳴り響け 古関裕而自伝」を読了しました。読み終わってまず何が印象に残ったかというと、やはり古関裕而という作曲家は一種の天才型なのだな、ということです。作曲時に何の楽器も使わず(そもそもちゃんと練習したのがハーモニカぐらいで、音感を得たのは母親に買ってもらったオモチャのピアノです)、それでも頭の中から次から次にメロディーが湧いて来るというのは天才の証拠です。また古関はしばしばきわめて短時間で作曲しており、戦前は「英国東洋艦隊潰滅」をわずか一時間くらいで作曲していますし、戦後は菊田一夫と組んだラジオドラマで、菊田の台本がギリギリに上がっていて(当時は録音したものを放送するのではなく、すべて生放送)、ほぼその場の即興で作曲して、それも菊田の「ドアが静かに開く時の感じの音楽」といったきわめて作曲が難しいものを簡単に作曲しハモンドオルガンで演奏しています。こうした即興の才能というのは多作の作曲家には不可欠な要素で、J.S.バッハやベートーヴェンも皆そうでした。
また、古関はやはりクラシック音楽の作曲がベースだということで、古関はコロムビア時代の最初の頃、作曲家の菅原明朗に2年くらい師事してクラシック音楽の作曲を学んでいます。菅原は古関について、やはり弟子であった深井史郎よりも才能があった、と言っています。しかしある意味古関にとってクラシック音楽の作曲家に留まらなかったのは正解ではなかったかと思います。1964年の東京オリンピックの開会式で團伊玖磨の「オリンピック序曲」や黛敏郎の「オリンピック・カンパノロジー」などの「ちゃんとした」クラシック音楽の作曲家の作品も演奏されていますが、今日それを記憶している人はほぼ0でしょうし、私も聴いたことがありません。また深井史郎については、私はクラシック音楽マニアなので、ナクソスから出た日本作曲家選輯で深井史郎のCDを持っていますのでその作品を聴いたことがありますが、世間ではまったく知らない人がほとんどだと思います。それに比べると古関の作品は、古関裕而の名前は知らなくても、「六甲颪」「栄冠は君に輝く」「スポーツショー行進曲」などはむしろ知らない人を探すのが難しいくらいで、これは作曲家にとってはある意味理想に近いように思います。
後面白いのは、奥さんとのなれそめについては照れくさかったのか、「その年既に結婚していた私は」で一切紹介されていません。また、菊田一夫との対談で暴露されているのは、一時戦争中に満州から帰ってきたら、いわゆる円形脱毛症になり、いつもベレー帽をかぶって、またカツラまで作ったのだとか。戦後の古関裕而はその菊田一夫とのコンビが無かったら語れないほど、二人は一心同体で多くの素晴らしい仕事をします。菊田の書く台本にふさわしい音楽を書けるのは古関裕而だけであり、また菊田一夫の方も古関が書いた音楽に深く満足し文句を付けることはまったくありませんでした。その菊田一夫が昭和48年に66歳で亡くなると、古関の作曲はきわめて少数になってしまいます。まさしく「伯牙断琴(絶弦)」のエピソード(伯牙は春秋時代の晋の琴の名手。その友人の鍾子期は伯牙の演奏を深く理解していたが、伯牙はその鍾子期が亡くなると自分の演奏を理解してくれる人がいなくなった、と言ってそれ以降琴を弾くことを止めてしまった故事)を思わせます。
巻末にある古関の作品リストは膨大で、今入手出来るCDに収録されているのが、古関の作品のほんの一部なんだということが良く分ります。
塩田美奈子の「天然の美 大正ロマンの歌」
「七里ヶ浜の哀歌」(真白き富士の嶺{根})をちゃんと聴きたくてAmazonで検索したらこのCDが出てきたので中古で買いました。このジャケットデザインだし、入っている曲も「七里ヶ浜の哀歌」以外は、「パイノパイノパイ」とか「道頓堀行進曲」(赤い灯青い灯道頓堀の…)とかなんで、「こんなお笑い系の歌手いたっけ…」とググってみたら、この塩田美奈子というお方は、日本を代表する超正当派のソプラノ歌手でした…失礼しました。
ところで、この歌は、明治43年に逗子開成中学の生徒12人が七里ヶ浜沖にボートで漕ぎだして転覆し、12人全員が死亡したという痛ましい事故への鎮魂の曲としてトキワ松学園の創始者である三角錫子がアメリカのある賛美歌のメロディーに詞を付けたものです。とても美しく悲しい曲ですが、何故か最近これを知っている人が少ないみたいです。私は親が歌っていたので覚えました。一番と二番の歌詞は以下。六番まであります。
真白き富士の嶺、緑の江の島
仰ぎ見るも、今は涙
帰らぬ十二の雄々しきみたまに
捧げまつる、胸と心
ボートは沈みぬ、千尋の海原
風も浪も小さき腕に
力も尽き果て、呼ぶ名は父母
恨みは深し、七里ヶ浜辺
古関裕而の「紺碧の空」とシューベルトの「ザ・グレート」
今週の「エール」は古関裕而ならぬ古山裕一が早稲田の応援歌の「紺碧の空」を作曲する筈でした。早稲田の応援団長のエピソードは、あれは「栄冠は君に輝く」の作詞者の加賀大介さんの逸話のパクリですね。(加賀大介さんは野球大好き少年でしたが、野球の練習中に大怪我をし、右足の膝下から切断になり野球が出来なくなります。「栄冠は君に輝く」の歌詞には、自分が出来なくなった野球を力一杯球児たちにやって欲しいという気持ちが込められていると思います。)
ところで、その「紺碧の空」について、歌い出しがシューベルトのザ・グレート(交響曲第8番ハ長調)に似ているという人がいるとWikipediaに書いてあったので、楽譜を比べてみました。確かに似ているけど、ごくありふれた上昇音型が2回続くだけで、この程度で類似を言われてもと思います。ちなみに紺碧の空はト長調、ザ・グレートはハ長調で、紺碧の空が「ドーレミーソーラシド」、ザグレートは「ドーレミーラーシド」で微妙に違います。後昭和1桁の時代では、SPでこの長い交響曲を聴く人がいたとは思えませんし、コンサートで聴かない限り古関がこの曲を知っていたとも思えません。また前奏を含めて聞いて当然のことながら「紺碧の空」は100%前向きな応援歌であり、ザ・グレートは主題全体である種の郷愁を感じる、どこかに少し寂しさのようなものが含まれている曲想で二つはまるで違います。
ちあきなおみの「矢切の渡し」
「ちあきなおみ」をちゃんと聴いてみたくなって、12曲入りベスト盤みたいなのを買ったのですが、その中に「矢切の渡し」が入っていました。これって当然細川たかしので知っていて、ちあきなおみがカバーしているのかと思ったら、何と最初にレコードにしたのはちあきなおみでした!(しかも最初はB面)何でも梅沢富美男が自分のお芝居の中でこのちあきなおみのを流している内に人気が出て、ちあきがA面で再度出し直し、その後細川たかしを含む数人がカバーした、というのが真相のようです。そして作曲者の船村徹によると、細川たかしのは原曲の難しい部分をごまかして歌っていて、ちあきなおみはきちんと正しく歌っているそうです。しかし細川たかしの方が普通の人にはカラオケで歌いやすいため、細川たかしのが大ヒットしたと言っています。しかも、ちあきなおみのはちゃんと櫓舟ですが、細川たかしはモーターボートだと言っています。これは何のことを言っているのか、楽譜を買って両方を聴き比べてみたのですが、全体に「タタタン、タッタ」のリズムが櫓を漕ぐ舟のイメージを出しており、メロディーもそのリズムに合わせています。ちあきはそれを活かすために正しく歌っていますが、細川たかしのはしばしば自分流に音を伸ばして、いわば「がなって」いて雰囲気をぶち壊しているんだと思います。私は細川たかしのこの曲はレコード大賞を取ったのは知っていますが、正直あまり好きではありませんでした。しかしちあきなおみのを聴いて本当に好きになりました。
他にも楽譜を見ながら聞くと色々面白いです。
(1)「矢切の渡し」は「タタタン、タッタ」のリズムで櫓舟のイメージを出しています。これに対し古関裕而の「船頭可愛や」と比べてみると、そちらは「ドンブラコッコ」のリズムでこれは伝統的なイメージのリズムでしょうね。西洋音楽にもバルカロールという舟歌のジャンルがあります。
(2)全体はト長調(G)ですが、女性の台詞が長調なのに、男性の台詞は短調で書かれて、聴いた人には「もしかするとこの男性は女性をどこかで捨てるのではないか」とちょっと思わせます。
(3)同じく長調と短調の対比は「親の心にそむいて」が短調で、「恋に生きたい二人です」が長調でこれも対照的。
(4)「矢切の渡し」の「のーわたーしー」の所がミソソミレミとちょっとトリルみたいな音型で、渡し船の行ったり来たりを表現しているんじゃないかと思います。
以上のこの曲の特長をよく出しているのは圧倒的にちあきなおみの方です。細川たかしのは、自分風スタイルでニュアンスが飛んでしまっています。
(2)の男性の台詞は、ちあきなおみのはちょっと本当にこいつ大丈夫か、信用していいのか、という感じの酷薄さをうまく出しています。
「露営の歌」の歌詞について
古関裕而の戦前の大ヒット曲の「露営の歌」をCDで聴いて意外だったのは、「進軍ラッパ聴く度に、瞼に浮かぶ母の顔」だと思っていたのが、CDは「瞼に浮かぶ旗の波」になっていたことです。「旗の波」というのは出征兵士の見送りで、人々が振った日の丸の波のことでしょうが、いかにも建て前的な歌詞です。2番に父親が出て来て、「死んで帰れと励まされ」と極めて建て前的なことを言います。それと対照的にするのであればここは「母の顔」にする方がはるかに合います。(今も当時も、父親は子供に対し建て前的・論理的に接し、母親は本音で感情的に接するという傾向があるように思います。)もしかすると最初は「母の顔」だったのを、軍部から軟弱だとか何だかの圧力がかかってか、あるいは誰かが軍部に対して「忖度」して「旗の波」に変えられたんじゃないかと思います。しかし実際に歌った人は自分の気持ちにピンと来る自然な歌詞である「母の顔」に戻して歌ったのではないかと推測します。Webで検索してみても「母の顔」で記憶している人がかなりいました。また、よく考えたら長谷川伸の有名な戯曲の「瞼の母」があり、演劇や映画になったのは昭和6年で、瞼に浮かぶのは母、というイメージは人口に膾炙していた筈です。また、この曲はレコードやラジオで広まったというより、人から人へ自然と広まったようなことがあったのではないかと思います。ちなみにここによれば、歌い出しも「勝ってくるぞ」ではなく「行ってくるぞ」だったみたいです。
下関市の市立小学校の校歌の作曲者
私は出身の小学校は下関市立文関小学校(正確には6年生の10月で転校で卒業はしていません)ですが、その校歌を作曲したのは「海ゆかば」「海道東征」の信時潔です。それは子供の時から知っていましたが、文関小学校の校区に隣接する名池(めいち)小学校と同じ市内の清末(きよすえ)小学校の校歌を作曲したのは、何と今「エール」で志村けんが演じている山田耕筰でした。
https://www.kanmonnote.com/school-song/#i-2
http://kam.edu.city.shimonoseki.yamaguchi.jp/…/%E6%A0%A1%E…/
うーん、何か下関市すげー、って感じです。
NASによる音楽サーバー
在宅ワーク中にBGMとしてハイレゾの音楽を聴こうとする時(正直在宅ワークは気分が滅入って来るので音楽ぐらいないとやってられません)、会社のPCにはハイレゾの再生プレーヤーが入っていません。また曲データも入っていません。まあ自宅のNASに曲データを入れて、会社のPCにハイレゾのプレーヤーソフトを入れれば再生出来ますが、会社の持ち物にそれをやるのはちょっと顰蹙かと思いました。それでネットワークプレーヤーを検討してみたのですが、どれもちょっとイマイチに感じ、結局音楽サーバーとなるNAS(I-O DATA ネットワークオーディオサーバー 2TB Soundgenic HDL-RA2HF/E)を入れました。これだと、スマホのアプリで操作出来て、PCが無くてもハイレゾが再生出来ます。DSDにもちゃんと対応しています。ネックはWiFiルーターとケーブルでつながないといけないことですが、インターネット変換器を入れて、WiFiを有線LANにコンバートすることで解決しました。この音楽サーバーNASをサブウーファーの上に収納して丁度いい感じになりました。音質は?という疑問がある人はあるでしょうが、私の聴いた限りではPCでの再生に比べて特に劣化したという感じはしません。
古関裕而リンク集追加増補版
古関裕而名曲リンク集(以前一度公開したもの大幅に拡充しました。)
1.オリンピックマーチ
https://www.youtube.com/watch?v=g0uRDANnEbU
いわずと知れた1964年の東京オリンピックの開会式の入場行進で使われた名曲です。
最後の箇所で君が代の「苔のむすまで」のメロディーを引用して終わります。
同じ手法が1942年の軍歌「皇軍の戦果輝く」でも使われています。
2.栄冠は君に輝く
https://www.youtube.com/watch?v=A3pd2U_6Fxk
これも夏の甲子園で大会歌として1948年以来未だに歌われ続けている名曲です。
前奏が「オリンピックマーチ」とそっくりですが。
作詞は石川の加賀大介氏。ちなみにこの加賀氏はあのゴジラ松井と同じ小学校の出身で、地元では松井はこの加賀さんの生まれ変わりではないかと言われているそうです。
3.スポーツショー行進曲
https://www.youtube.com/watch?v=U57An6MqZhw
NHKのTVのスポーツ中継の時に冒頭で流れるもの。聴けばすぐ分ります。
小学校の時の運動会の行進はいつもこれでした。
冒頭の部分は、戦争中の「嗚呼神風特別攻撃隊」の前奏とほぼ同じです。
4.阪神タイガースの歌
https://www.youtube.com/watch?v=1rXn3kg-sn4
いわゆる「六甲颪」で阪神ファンで知らない人はいない曲。上記リンクは最初のバージョンの「大阪タイガースの歌」です。
5.闘魂込めて
https://www.youtube.com/watch?v=7MMad7Lzg84
阪神の応援歌を作曲したかと思えば、巨人の応援歌も古関裕而。巨人の応援歌としては三代目で、ちなみに初代の応援歌も古関裕而の作曲です。
6.紺碧の空
https://www.youtube.com/watch?v=M-AlZLeVxgg
早稲田大学の7番目に作られた応援歌ですが、今では一番歌われる応援歌になりました。早稲田出身の人でこの歌を歌えない人はもぐりです。
7.我ぞ覇者
https://www.youtube.com/watch?v=RyaQ9_fKKXA
と思ったら、早稲田の永遠のライバル、慶応大学の応援歌も古関裕而。6に対抗して作られた感じで歌詞の中に「早稲田を倒せ」とありますし、タイトルも6.の歌詞の「覇者、覇者、早稲田」に対抗しているようです。ただ、これは慶応の応援歌の中の一つというぐらいの位置付けで、早稲田における「紺碧の空」ほどの位置付けではないようです。
8.露営の歌
https://www.youtube.com/watch?v=gRKy0VcWru8
古関裕而は戦前は多数の軍歌を作っており、最初に大ヒットしたのがこれです。出征兵士を見送る催しで必ずといっていいほどこの歌が歌われました。独特の哀感が特徴です。
9.長崎の鐘
https://www.youtube.com/watch?v=z-000VudpMg
古関裕而は戦後、自分が作った軍歌を歌いながら死んでいった若者のことを考え深く反省し、戦後は平和の歌を多く作っています。その中でももっとも有名なのがこの曲で、長崎で原爆患者の治療にあたりながら、昭和25年に長年のレントゲン治療の際の被爆による白血病で亡くなられた永井隆医学博士の映画「長崎の鐘」の主題歌です。戦後の歌謡曲のベスト50に必ず入る名曲です。
短調で暗く悲しく始まり、途中で「なぐさめはげまし」で長調に転じて、希望を持たせる最後になっています。
10.とんがり帽子(鐘の鳴る丘)
https://www.youtube.com/watch?v=zEc5ViEq8XQ
NHKで戦後800回以上も放送された戦災孤児を集めた施設を作る青年の話のラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌。元々は、やはり孤児向けの施設をアメリカで運営していたフラナガン神父の来日に合わせて、GHQから指示があって菊田一夫が台本を書いて古関裕而が音楽を担当して作られたものです。その当時は録音ではなく全て生放送で、主題歌も毎日演じていた小学生が歌って古関がハモンドオルガンで伴奏していたようです。「鐘が鳴りますキンコンカン」のフレーズはあまりにも有名です。
編曲名人としての古関裕而。
Eugene Cosman & his orchestraというのはユージン・コスマン→ユウジ・コセキで単なる古関裕而指揮のコロンビアのオーケストラです。
11. 別れのワルツ(蛍の光)
https://www.youtube.com/watch?v=C1TI4qc765M
本当のAuld Lang Syneは4拍子ですが、映画「哀愁」ではワルツのシーンにこの曲が使われ、古関も3拍子で編曲しています。
2.のアニー・ローリーと合わせて日本全国で閉店や終わりの合図の音楽として使われました。
12. アニー・ローリー
https://www.youtube.com/watch?v=GeJeXiI69bE
13. ラジオ体操第1(原曲は服部正でご承知の通りピアノ)(27分53秒頃から)
https://www.youtube.com/watch?v=Qfl–Fr-zuo
古関裕而は「鐘」が付く曲を何曲も作っています。おそらく平和の象徴的な意味だったのでしょう。
14. 長崎の鐘(前のとは別動画)
https://www.youtube.com/watch?v=GZIWyITXDhw
15. フランチェスカの鐘
https://www.youtube.com/watch?v=eDjkMna9MV4
16. ニコライの鐘
https://www.youtube.com/watch?v=AoFQeeNfEGo
17. 若鷲の歌(予科練の歌)
https://www.youtube.com/watch?v=thPYr3c0JU0
「若い血潮の予科練の」で始まる有名な歌。古関は戦争中にこの歌を歌いながら南方に特攻へと飛び立った兵士から手紙をもらったそうです。
18. 皇軍の戦果輝く
昭和17年前半の日本軍がまだ勝ちまくっていた頃のニュース映画に使われた歌。
驚くのは最後の所が君が代の引用で、オリンピックマーチとまったく同じ。
https://www.youtube.com/watch?v=nCMDOBfR9Cc
19. 高原列車は行く
「汽車の窓からハンケチ振れば」の明るくさわやかな曲。古関の奇をてらわないまっとうなスタイルが良く分る曲です。
https://www.youtube.com/watch?v=0Xdyuxuszeg
20. 中日ドラゴンズ球団歌「ドラゴンズの歌」
阪神と巨人だけでなく、ドラゴンズも古関裕而。古関本人にはあまり野球の知識は無く、特にこだわりは無かったようです。
https://www.youtube.com/watch?v=8GEJ6x7qCFc&t=1s
21. モスラの歌
古関裕而は何とこんなものまで作っていました。歌っているのはザ・ピーナッツです。歌詞はインドネシア語です。作詞は初代ゴジラの監督でこの映画の監督でもある本多猪四郎。
https://www.youtube.com/watch?v=G7AYWANc2pk&list=RDG7AYWANc2pk&start_radio=1&t=1
22. 幸子の子守唄
https://www.youtube.com/watch?v=RuZyEdpp5jY
古関裕而が孫の幸子ちゃんのためにパンチカード式オルゴールで作った曲。そのプライベートな曲にライブユニット喜多三(古関裕而の生家の呉服問屋の名前にちなんだもの)の古関正裕(古関裕而の長男)と鈴木聖子が歌詞を付けて2015年にCDに収録したもの。古関裕而の優しい人柄が良く分る曲です。日本を代表する作曲家のおじいちゃんが自分のためだけに子守唄を作ってくれるなんて最高ですよね。きっと幸子さんにとって一生の宝物になったんじゃないかと思います。
23. アイウエオの歌
https://www.youtube.com/watch?v=3KpfRUrvlpA
1945年4月に公開された長編アニメ「桃太郎 海の神兵」の挿入歌。実際にはこのアニメのために初めて作られたのではなく、東南アジアの日本占領地域で現地の子供に日本語を教えるために作られたもののようです。なので作曲は古関裕而ではない、という人もいますが、私が聴く限りこのメロディーは間違いなく古関裕而だと思います。なお、手塚治虫はこの映画を封切時に観て、この「アイウエオの歌」のシーンに感激し、自分も漫画映画を作ろうと決心したのだとか。(後の「ジャングル大帝」でジャングルの動物が人間の言葉を覚えるシーンがあって、それがこのシーンの影響だということです。)
24. 船頭可愛や
https://www.youtube.com/watch?v=0ObOhAeRh1E
コロンビアレコードに専属作曲家として入社した古関ですが、同期の作曲家の古賀政男(すすり泣くギターの古賀メロディーで有名、「エール」では木枯正人という名前。)が「酒は涙かため息か」のような大ヒット曲を出す一方で、どうしてもクラシック音楽からスタートしている古関は流行歌が書けずに苦労しますが、ようやくヒットしたのがこの「船頭可愛や」です。歌手は音丸という芸者みたいな名前ですが、ちゃんとした家庭の女性で芸者風の名前を付けただけです。(この動画ではソプラノ歌手の藍川由美さんが歌っています。)
25. 君の名は
https://www.youtube.com/watch?v=Dbwv_uo33qc
「君の名は」というと今は新海誠監督のアニメ「君の名は。」の方でしょうが、元祖はこちらで1952年から54年のラジオドラマです。このドラマが始まると銭湯の女湯が空っぽになったという伝説のあるドラマで、1953年に岸惠子、佐田啓二主演で映画になりました。以前佐渡に行った時、尖閣湾揚島遊園という所に行ったらこのドラマのロケがそこで行われたということで展示がありました。
26. 英国東洋艦隊潰滅(マレー沖海戦勝利の歌)
https://www.youtube.com/watch?v=ZWPvNIz8KLo
1941年12月10日、太平洋戦争が始まってまだ3日目でしたが、日本海軍はイギリスの東洋艦隊の旗艦戦艦プリンス・オブ・ウェールズと高速巡洋艦レパルスを、マレー半島沖で飛行機の攻撃(爆弾と魚雷)だけで撃沈します。プリンス・オブ・ウェールズは当時のイギリスの最新鋭戦艦で「不沈艦」と言われていました。(当時のイギリスの首相チャーチルにとって、第2次世界大戦中で一番ショックだった知らせがこの2隻撃沈の知らせだったそうです。)この戦果の大本営発表は同日の16時でしたが、古関裕而と作詞の高橋掬太郎は、NHKから19時のニュースの時に使いたいからと急に曲作りを依頼されます。古関と高橋は電話で連絡を取りながら急遽この曲を作り、古関が編曲しているのを歌手の藤山一郎が側で聴いて曲を覚え、目出度く19時のニュースで放映されました。まあ軍歌そのものですが、今聴いてもわくわくするような曲であり、当時の人が熱狂したのも良く分ります。なおこのメロディーは、後にサトウハチローが別の歌詞を付けて「断じて勝つぞ」という軍事歌謡で再利用されます。
27. アニメンタリー「決断」主題歌
https://www.youtube.com/watch?v=Yo6I6aTzRWs
1971年の4月から9月にかけて、ガッチャマンとかタイムボカンシリーズで有名なタツノコプロが、何と太平洋戦争を題材にしたアニメを作っていて、アニメ+ドキュメンタリーでアニメンタリーと称していました。当時観ていましたが、内容は決して戦争賛美ではなく、それぞれの戦いでの指導者の「決断」がどのように結果を分けるかというものでした。しかしPTAからは評判が悪く、特に主題歌が軍歌そのものだと言われました。それで誰が作ったか調べてみたら、作曲者は古関裕而…
28. コロンビア応援歌(晴天直下)
https://recochoku.jp/song/S20269055/ (部分)
昭和10年に古関が所属していたコロンビアの川崎の野球部が都市対抗で準優勝した時に作られた応援歌です。阪神タイガース応援歌の六甲颪と歌詞もメロディーも共通するものがある曲です。
ブックカバーチャレンジ:続々報
ブックカバーチャレンジですが、今日たまたまDMMというオンライン英会話のお題(新聞記事)がFacebookがその投稿内容の可否を審議する第三者委員会を作ったという話だったので、好ましくないコンテンツの例としてブックカバーチャレンジの話をしました。その先生はイギリスの人ですが、イギリスでは「CDのジャケットを説明無しで7日間」というのが現在一部でやられているようです。(例えばここ)(これももちろん著作権侵害で、更にアーティストの写真は大体においてその所属事務所が管理しているので、書籍のカバーより更に危ない。)こういう風にあちこちで、元の写真チャレンジの亜種が今頃流行りだしているということは、やはりインターネットのトラフィックを増やすために、誰かがやっているという疑いを禁じえません。
もう一度言います、ブックカバーチャレンジは止めましょう!やりたければ他人に回さず一人でやってください。