白井喬二の「わが憂国の教壇記」を読了。文藝春秋の昭和38年9月号に掲載されたエッセイです。白井は学生の時に、故郷の鳥取で小学校の代用教員を経験しますが、その時の体験を綴ったものです。その小学校は現在も鳥取市にある「面影小学校」です。この時、白井は宮部チヨという「肌の綺麗な受口の格好に魅力があった」という独身の女性教師と一緒に仕事をすることになります。特に当時の島根県知事から各小学校に課題が出て、それを白井とこの宮部という女子教師が協力して報告書を書くことになります。驚くべきは白井の記憶力で、このエッセイが書かれた時白井は74歳ですが、おそらく50年以上前のことであるのに、当時担当した尋常小学校2年生のクラスの子供たちの氏名をほぼ8割方記憶していて、このエッセイ中に記載しています。(自身、「異常な記憶神経がある」と書いています。)白井は明らかに宮部に好意を持っていたようですが、時代が時代ですから、ラブロマンスのようなものには発展せず、期間が過ぎると白井は彼女と別れます。教育論としては、特に見る所のないエッセイですが、白井の代用教員時代の様子がわかって貴重なエッセイでした。
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