伊藤大輔監督の「王将」を観ました。「富士に立つ影」のDVDが単独では手に入らず、「阪東妻三郎傑作選」みたいな10枚組で求めたのでその中に入っていたものです。いわゆる将棋指しの坂田三吉のお話です。1948年の撮影で阪妻の戦後の主演作品ですが、阪妻の芸域の広さにちょっと感動します。ただ、お話は原作の北條秀司によるかなりな脚色が入っており、事実とはかなり異なっているそうです。ただ子供のような無垢な性格、という所は間違いないようです。なお大映からは「将棋が映画になるか」と反対され、伊藤監督が執念で仕上げたもので、ワンシーンワンシーンよく考えて撮ってあって、特に最後の小春の危篤の際に、東京に関根名人の就位祝いに来ていた坂田三吉が電話でお題目(南無妙法蓮華経)を唱え、それを聞いた小春がお守りであった王将の駒を握りしめながら微笑みながら死んでいくシーンは、感動的です。なお知りませんでしたが、「ガラスの仮面」の主人公の北条マヤは、坂田三吉がモデル(一芸に秀でているが、他のことは何も出来ない人として)なんだそうです。なお、坂田三吉自身は「贈名人・王将」ですが、坂田の曾孫弟子の谷川浩二が実力制の名人(十七世)となり、坂田の夢を果たしています。
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ロスト・イン・スペース 新シリーズ@Netflix
Eigoxの授業で、アーウィン・アレンの1960年代のTVドラマをYouTubeで探して観ている、という話をしたら、その先生がNetflixで「宇宙家族ロビンソン(ロスト・イン・スペース)」の新シリーズをやっていることを教えてくれました。「宇宙家族ロビンソン」はちょっと不思議なことに、東日本で育った人は観ていた人が少なく(多分放映される機会が少なかったのだと思います)、西日本で育った私ぐらいの世代の人では逆にまず知らない人はいない、というドラマです。(何度も再放送されていました。)
新しいNetflixでの「ロスト・イン・スペース」は、元のドラマの登場人物だけを借りて、ほとんど別のストーリーにしてそれがかなりの部分成功していると思います。「ロスト・イン・スペース」は映画にもなっていますが、それは元のストーリーを再現しようとして却って失敗していましたので、今回のNetflix版のストーリー構成はいいと思います。元のドラマでのロビンソン一家は、ある意味1960年代のアメリカの理想的な家族でした。しかし今回のドラマは色々と問題をはらんだ家族構成になっています。一番違和感があるのはジュディ(長女)がアフリカン・アメリカンだということで、妹(ペニー)と弟(ウィル)とは父親が違うという身も蓋もない設定です。差別する気はないですが、”black sheep in the family”そのものだと思いました。まあそれは置いておいて、色々と問題のある家族が、様々な苦難に遭遇して次第に一致団結していくという、ある意味西遊記の一行の天竺への旅みたいな、王道のドラマ構成になっています。
ただ、10話観てずっと違和感があったのが、ドクター・スミスです。元のドラマでは、ドクター・スミスは元々ロビンソン一家の地球以外の惑星への移住を妨害しようとしたスパイで、完全な悪役でした。しかし、理想的な家族のロビンソン一家と対照的な悪役は次第にドラマの進行上無くてはならない役柄になり、途中から完全にロビンソン一家を喰った主役となります。そういう中で、「ずるくて自己中心的だけどどこか憎めないキャラ」となっていきました。しかし、今回のドクター・スミスは、まず女性だというのが驚きなのですが、それ以上に性格が完全に変で、自分の目的(犯罪者としての過去を消して、移住先のアルファ・ケンタウリで人生をやり直す)ためには、平然と殺人も行います。この新しいドクター・スミスのダークさに、最後までなじめませんでした。
もっとも、今公開されている最初の10話は導入編に過ぎず、「ロスト・イン・スペース」というタイトルとは裏腹に、ロビンソン一家は孤独ではなく、他の家族も一緒に遭難しています。それが最後の第10話でオリジナルのドラマのメンバーだけで孤立します。従って本篇はこれから始まる、という感じです。
原一男監督の「ゆきゆきて、神軍」
原一男監督の「ゆきゆきて、神軍」を観ました。この有名な映画を観たことがなかったのでDVDを買ったものですが、あまり予備知識がなく観たので、最初普通の映画と同じく俳優が演じているのだと思っていたら、途中からどうもこれはドキュメンタリー、つまり奥崎本人なんだということにようやく気がつきました。奥崎の過激な思想にはついていけませんが、それよりショックを受けたのは戦時中のニューギニアのあまりにも悲惨な話です。ニューギニア戦線での日本軍の飢えとの戦いは、水木しげるの漫画などでも扱われていますが、戦争が既に終わって20日も経っている(しかも戦争が終わったことは皆知っている)にもかかわらず、2人の兵隊に敵前逃亡の罪を着せて軍法会議も無しに5人の人間で射殺し、なおかつその死肉を皆で食べた、というのに衝撃を受けました。さらに別の部隊ではくじ引きで犠牲者を決めていたとも。おそらく関係者が口をつぐんでいるだけで、この手の話は他にも山のようにあったのではないかと。所詮私たちが知っているのは氷山の一角だと思いました。
奥崎謙三本人については、その暴力肯定の思想は承服出来ませんが、ある意味筋を通している人という感じはしました。また昭和天皇が責任を取っていないので皆無責任のまま、というのは丸山真男の「無責任の体系」と同じ発想です。
「ガールズ&パンツァー 最終章 第1話」
高畑勲監督の「火垂るの墓」
Richard Schenkmanの”The man from earth”
EigoxのSFファンの先生のお勧めで、The man from earthというSF映画を観ました。一応劇場映画として作られたようですが、何故かネットで全部観られます。全部英語で日本語の字幕も英語の字幕もないので(左の写真はトレーラーなので字幕が入っています)英語が聴き取れないとまったくストーリーは分かりません。しかも劇的なシーンはほとんどなく、淡々と室内の会話だけで話が進みます。(以下ネタバレしますので、これから観る人は読まないように。)
ストーリーは、ある大学に10年勤めたジョンという男がその大学を辞めて別の土地に行くので、仲間の教授達が私的なお別れ会をジョンの家で行います。そこでジョンは驚くべき告白を始めます。それによると彼は14,000年前の洞窟に住んでいたクロマニヨン人の生き残りで、まったく歳を取らず生き続けており、ある場所で10年過ごすと彼が歳を取らないのに人々が気づき始めるので、10年毎に住む場所を変えると言います。仲間の教授達は、考古学や古美術や精神医学のそれぞれ専門家でそれぞれの立場からかなり突っ込んだ質問をしますが、ジョンはそれにすらすら答えていきます。途中で彼はアジアでブッダの弟子になり、その教えを広めるために中東にやってきて、その話が誤って伝わってキリストと間違えられたという恐るべき話をし、敬虔なクリスチャンの女性は泣き出してしまいます。結局最後にジョンはそれまでの話は全部作り話だと言いますが、本当へ彼は事実を言っているんじゃないかという謎を残したままジョンが去って行く、というものです。
面白いストーリーですが、かなり地味なのも事実です。劇場で有名にならずネット拡散しているのはそういう理由からでしょうか。
「富士に立つ影」の映画(1942年)
白井喬二原作の「富士に立つ影」の映画版の内、1942年の大映版を観ました。
白井喬二は「盤嶽の一生」を名匠山中貞雄が映画化したものについては、「戦死せし山中貞雄をしのぶかな 盤嶽の一生 あの巧さ 良心 映画のふるさと」という歌を詠んで激賞しています。
しかし、「富士に立つ影」の3回の映画化、1回のTVドラマ化については、「映画 テレビの 富士に立つ影の不できさに 愚鈍のわれも怫然としぬ」と詠んで、まったくお気に召さなかったことがわかります。
で、本当の所はどんなものかと思って、この1942年版(阪東妻三郎主演)を観たのですが、作者の嘆きがよく理解できました。確かにこれは非道すぎます。映画に出来るのは第1巻の「裾野篇」だけで、原作では悪役が勝ってしまうので、映画ではストーリーを変えざるを得ないのは理解できます。しかし、この映画では熊木伯典(悪役)と佐藤菊太郎(主役、阪東妻三郎)の単なる外面的な争いとしてしか描かれておらず、最後は菊太郎が伯典の陰謀の証拠を突きつけて、正義が勝って一件落着という落ちに単純化されてしまっています。また菊太郎のキャラクターもかなり変えられていて、賛四流の跡取りで満足せず、自身の流儀を起こそうとする野心家に描かれています。また、喜運川兵部の娘のお染も、原作では菊太郎を慕いますが、この映画では他に男がいるという身も蓋もない設定です。何故こうしたかというと、映画の主演女優を「お雪」にするためで、原作では単に庄屋の娘(後に色々あって熊木伯典の妻になる)ですが、この映画では菊太郎を慕って、菊太郎を助けるために縦横無尽の活躍をします。このお雪を演じているのが橘公子で、私が好きな女優です。橘公子が出ている映画としては、やはり阪東妻三郎主演の「狐の呉れた赤ん坊」を観ましたが、そっちより今回の映画の方が橘公子が魅力的です。特に実地検分での馬競争(原作では牛追い競争)で、菊太郎が雇っていた名人の馬方が伯典に脅されて寝返ってしまったのを、お雪がいきなり馬に飛び乗って馬を追い、この競争を勝利に導きます。つまりこの映画はほとんど「フィーチャリング 橘公子」であり、橘公子の存在が戦前は非常に大きかったことがよく分かります。
そういう訳で、白井喬二の映画としては最低に近いですが、個人的には橘公子をたくさん見られたので、その点は良かったです。
ミック・ジャクソンの「否定と肯定」(映画)
ライアン・ジョンソンの「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」
山中貞雄の「人情紙風船」
山中貞雄の「人情紙風船」を視聴。実はこの作品、Amazonの履歴を見ると以前も買っているのですが、ディスクは探しても見つからず、また視聴した記憶もないので、再度買い直したものです。
山中貞雄は白井喬二の「盤嶽の一生」を映画化しています。自作の映画について、白井はそのほとんどを嫌っていましたが、唯一の例外が山中の「盤嶽の一生」です。晩年になって「大衆文学百首」という短歌集を出した時の中に、「戦死せし山中貞雄をしのぶかな 盤嶽の一生 あの巧さ 良心 映画のふるさと」というのがあります。「盤嶽の一生」の中に、主人公の阿地川盤嶽が鉄砲で撃たれて足に怪我をし、他人から医者を世話をしてもらったのですが、その礼金を持ち合わせないため、夜中に西瓜畑の番をすることになります。そこに西瓜泥棒がやってくるのですが、山中の映画では、このシーンを西瓜をボールの代わりにしたラグビーのシーンで描いているそうです。(残念ながらフィルムは失われ現在観ることができません。)
結局、現在も残っている山中のフィルムは、この「人情紙風船」を含めてわずか3本だけです。山中貞雄は「人情紙風船」を撮った後招集されて中国大陸に渡り、28歳の若さでそこで病死します。
そういう経緯があってこの作品を観たのですが、私にはとても怖いホラー作品でした。海野という浪人の奥さんがとても怖く、こういう普段は従順だけど、突然無茶なことをする人って実際にいますよね。正直な所、これが山中貞雄の遺作というのは可哀想な気がします。明るい王道を行く時代劇を撮って欲しかったです。