桂三木助の「三井の大黒」

jpeg000-40今日の落語、三代目桂三木助の「三井の大黒」。
三木助が得意とした噺らしく、三木助の1960年の最後の高座もこの「三井の大黒」だったそうですが、これは1956年の録音です。
名人の左甚五郎にまつわるお噺で、落語というより何か講談を聴くような感じです。甚五郎が身分を隠して大工の棟梁の所に居候して世話になるけど、隠していても自然と実力が出てしまって、みたいなお噺です。

三遊亭圓生の「鼠穴」

jpeg000-38今日の落語、三遊亭圓生の「鼠穴」。
放蕩して一文無しになり、兄から商売の元手を貸してもらおうとしたが、兄が貸してくれたのはたった三文。それでも気を取り直して、その三文で細々と商売を始め、こつこつ貯めて増やして、何年か後には何とか倉を三つ持つ店を構えることができた。兄の家に金を返しに行き、その晩泊まったら、店が火事になり三つの倉も全部焼けて元の一文無しに。兄にまた金を借りようとしたが、少額しか貸してくれず、それではと七つの娘が吉原の禿に身売りして二十両をこしらえる。しかし、その金を盗まれてしまい、もう駄目だと思って首を吊って…その時目が覚めて、という夢落ちの噺です。何か後味が良くないし、笑える所もほとんどなくて、これ本当に落語?という感じです。

三遊亭圓生の「錦の袈裟、猫怪談」

jpeg000-38本日の落語、三遊亭圓生の「錦の袈裟、猫怪談」。
錦の袈裟は、錦の布が手に入ったので、それを褌にして吉原に繰り出せばもてるだろう、ということで、一人錦の布が足らない与太郎が、和尚さんの錦の袈裟を借りてそれを褌にして吉原に行ったら、お大名と間違えられて一番もてた、という他愛ないお噺。
「猫怪談」は以前聴きましたので省略。

古今亭志ん朝の「犬の災難、三枚起請」

jpeg000-34本日の落語、古今亭志ん朝の「犬の災難、三枚起請」。
「犬の災難」は酒を飲むのにつまみを、隣の家の分として預かった鶏肉を自分のもののように装って、後で辻褄が合わなくなったので、犬に盗られたとし、あげくの果ては友人の買ってきた酒を一人で飲んでしまって、これまた犬が徳利を倒してしまった、と言ってごまかす調子のいい男の噺。
「三枚起請」は以前聴いているので省略。
これで、志ん朝のCDは手持ちのものを全部聴き終えました。

三遊亭圓生の「ちきり伊勢屋」(下)

jpeg000-29今日の落語、三遊亭圓生の「ちきり伊勢屋(下)」。
占い師に死ぬことを予言され、全財産を使い果たして自分の葬式まで出したのに、傳次郎は棺の中に入っても結局死ねません。自分の屋敷も売っぱらってしまいましたから、今では浮浪者同然。易者に出会って問いただしてみたら、財産を使い果たす時に、人助けをして人の命を救ったので、それで運命が変わり、今度は80過ぎまで生きるという。それで色々あって駕籠舁きの真似ごとをしていたら、そこで前に命を助けた女性に出遭って、今度は逆にその女性から恩返しをされて幸せに暮らした、という長いけれど中々後味の良いお噺です。

三遊亭圓生の「ちきり伊勢屋」(上)

jpeg000-29本日の落語、三遊亭圓生の「ちきり伊勢屋(上)」。
上下でCD2枚、(上)だけで70分以上もかかる長いお噺です。
よく当たるので評判の易の先生に、間もなく死んでしまうことを予言された伊勢屋の主人がどういう行動を取ったか、というお噺です。上下両方をやるのは圓生ぐらいではないかと思います。

林家正蔵の「文七元結、五人廻し、蔵前駕籠」

jpeg000-22本日の落語は、八代目林家正蔵の「文七元結、五人廻し、蔵前駕籠」。それぞれ、昭和46年、39年、56年の録音。
「文七元結」は、噺の前半を省略し、長兵衛と文七の橋の上のやりとりから始める縮小版です。これまで志ん生、志ん朝、圓生のを聴きましたが、正蔵のもさすがにうまく、皆それぞれの味があります。
「五人廻し」は特にコメントなしです。
「蔵前駕籠」は、晩年の録音で、ちょっと呂律が回ってなくてあまり出来がいいとはいえません。

三遊亭圓生の「小間物屋政談、骨違い」

jpeg000-19本日の落語、三遊亭圓生の「小間物屋政談、骨違い」。
「小間物屋政談」はいわゆる大岡裁きのお噺。亭主が死んだとされて、再婚していたのに、そこにひょっこり亭主が戻ってきて、さあこれを大岡越前守がどう裁くかという噺です。
「骨違い」は、あまり語られない珍しい噺のようです。隣の家の子供が泊まりに来ていたのを、間男と間違えて叩き殺してしまい、その骨を犬の骨とすり替えて悪事が露見するのを防いだ噺で、あまり後味が良くない噺です。

古今亭志ん生の「茶金、風呂敷、疝気の虫」

jpeg000-17本日の落語、古今亭志ん生の「茶金、風呂敷、疝気の虫」。
「茶金」が昭和33年で病前、後の2つが病後です。
「茶金」に関してはマクラが長く、志ん生の師匠(志ん生の自称)である4代目橘家圓喬のことが出てきます。
「風呂敷」は前に志ん朝のでも聴きましたが、何回聴いても噺の筋がよくわからない噺です。
「疝気の虫」は、「疝気」というのは下腹部の痛みのこと。ある時医者が知らない虫を捕まえて、問いただすと「疝気の虫」だということ。蕎麦が大好物で蕎麦が入ってくると元気になるが、唐辛子が大の苦手で、あれが来ると別荘(睾丸)に逃げ出す、とのこと。これは夢でしたが、医者はいいことを聞いたと思って、早速疝気の患者に試してみる。女将さんの方に蕎麦を食べさせたので、疝気の虫は患者から女将さんに移って、女将さんが腹痛。そこで女将さんに唐辛子の汁を飲ませて、疝気の虫は「別荘」に避難しようとしたけど…

古今亭志ん朝の「宮戸川、片棒、野晒し」

jpeg000-13本日の落語、古今亭志ん朝の「宮戸川、片棒、野晒し」。
「宮戸川」は夜遅く帰って来て、家から閉め出された男女が、男性の叔父の家に転がりこみ、間違って男女の仲になってしまう噺です。もっとずっと長い噺みたいですが、志ん朝は「テープが切れてしまいました」で強引に終わらせてしまいます。
「片棒」はケチな商店の親父が、自分の息子三人のどれに財産を残そうかと、自分の葬儀をどうやって出すか尋ねて比較する噺です。
「野晒し」はサゲがあらかじめ説明を聞いておかないとよくわからない噺ですが、志ん朝は最後までやらないで途中で切ってしまっています。