三遊亭圓生の「牡丹灯籠~御札はがし」

jpeg000-8本日の怪談、三遊亭圓生の「牡丹灯籠~御札はがし」。
お露の幽霊に悩まされた新三郎は、家に御札を貼り、海音如来を肌身離さず持って、蚊帳の中に閉じこもります。しかしながら、隣に住んでいた伴蔵とお峰の夫婦が、金が欲しさに幽霊に頼まれるまま、海音如来を盗み出し、御札をはがしてしまい、幽霊は新三郎の部屋に入っていってしまいます。伴蔵が翌朝見てみれば、新三郎は幽霊にとり殺されていました…伴蔵とお峰は結局ばちが当たることもなく、100両を手に入れて生きていく、という後味の良くない噺です。

三遊亭圓生の「牡丹灯籠~お露と新三郎」

jpeg000-8今日の怪談噺、六代目三遊亭圓生の「牡丹灯籠~お露と新三郎」。「真景累ヶ淵」を聴き終わったばかりですが、夏もそろそろ終わりなんで、手持ちの怪談のCDは消化しておこうと思って、続けて聴いています。
ご存じ、三遊亭圓朝が、中国の小説「牡丹燈記」にヒントを受け、舞台を日本にして作り直したもの。「真景累ヶ淵」は大河小説的に話が何代にも渡りますが、「牡丹灯籠」はストレートで話の進み方が速く、新三郎とお露は初めて会ったすぐ後、お露が死んでしまい、お露は死んでも新三郎を忘れられず、幽霊になって新三郎と逢瀬を重ねます。

三遊亭圓生の「真景累ヶ淵~聖天山」

jpeg000-5本日の怪談噺、三遊亭圓生の「真景累ヶ淵~聖天山」。
新吉はお累の死後、お賎の元に入り浸っていましたが、お賎から旦那の惣右衛門を殺してくれと頼まれ、またしても人殺しを犯してしまいます。惣右衛門の葬儀の時に、土手の甚蔵がやってきて、惣右衛門の首に縄の跡があることに気付き、新吉を問い詰め、白状させてしまいます。新吉とお賎は、土手の甚蔵に金をせびられたのに嫌気が差し、今度は甚蔵を殺そうとします。新吉は聖天山の山頂に、惣右衛門が金を埋めていたと甚蔵を騙して連れて行き、甚蔵を崖から落として殺します。しかしながら甚蔵は生きていて、新吉を殺しに来ます。新吉があわや殺されようとした時に、一発の銃弾が甚蔵の体を貫きます。圓生の「真景累ヶ淵」はここまでです。

三遊亭圓生の「真景累ヶ淵~お累の自害」

jpeg000-5今日の落語、じゃなくて怪談噺、三遊亭圓生の「真景累ヶ淵~お累の自害」。新吉とお累の間には男の子が生まれましたが、それが死んだ兄の新五郎とそっくりで、二人の仲も冷めてしまいます。そうこうしている内に、新吉は名主の妾のお賎と知り合いいい仲になります。三蔵はこのことについてお累に意見をさせますが、新吉はこれを逆恨みし、お累に冷たく当たるようになります。お累は病になりますが、新吉は家の蚊帳さえ質に入れてしまい、子供が蚊に喰われても意に介しません。三蔵が見かねて、家から蚊帳を持ってこさせますが、新吉はその蚊帳さえ質に入れてお賎と飲むお金に変えます。その時に言い争って、誤って熱湯を男の子にかけてしまい、男の子は死んでしまいます。お累は、一人残された後、新吉がお久を殺した鎌を取って喉を切って死にます。お賎の所にいた新吉には、お賎の幽霊が死んだ子を弔ってくれるように頼みに来ます。
どうもシリーズ中でも一番の陰惨な噺です。圓生の「真景累ヶ淵」は後「聖天山」を残すのみです。

三遊亭圓生の「真景累ヶ淵~お累の婚礼」

jpeg000-3今日の落語、三遊亭圓生の「真景累ヶ淵~お累の婚礼」。
圓生が残した、「真景累ヶ淵」の録音の内、未聴は、この「お累の婚礼」と「お累の自害」と「聖天山」だけになっていました。基本的に陰鬱で楽しい噺ではまるでないため、もう打ち止めにしようかと思っていましたが、後三本なんで全部聴くことにしました。
そういう訳で「お累の婚礼」ですが、豊志賀の恨みで、江戸から連れ出した女房のお久の顔が腫れ上がってしまい、豊志賀だと思って誤ってお久を殺してしまった新吉。紆余曲折があって、結局新吉は博打打ちの甚蔵の兄弟分になってその世話になります。新吉はある時、お久の法事に出ますが、その時にお久の叔母で三蔵の妹であるお累と出会います。お累は、新吉に一目惚れします。しかしながら、ある時囲炉裏で転んで、熱湯を顔に浴び、顔がただれてしまいます。三蔵はそんなお累を不憫に思い、新吉を婿に取ることにします。新吉は婚礼の晩、お累の顔を見て、豊志賀のたたりだと思って恐れおののきます。

春風亭柳枝の「花色木綿、王子の狐」

jpeg000-239今日の落語、八代目春風亭柳枝の「花色木綿、王子の狐」。
「花色木綿」は、泥棒に入られたといって、大家に家賃を待ってもらおうとしたついでに、持ってもいなかったものを次々に盗られた、と言い張る男のずうずうしさに、とうとう縁の下に隠れていた泥棒が出てきてしまう噺。男が何でも「裏は花色木綿」と説明するのがおかしいです。
「王子の狐」は狐がご新造に化けるのを見ていた男が、あべこべに狐を騙して料理屋の勘定を払わせてしまう噺。
八代目春風亭柳枝は53歳で亡くなったそうですが、大変うまい噺家で若死にしたのが残念です。

金原亭馬生の「そば清」

jpeg000-237今日の落語、金原亭馬生の「そば清」。落ちについてはどこかで読んだか何かで知っていました。蕎麦賭け(蕎麦の大食いの賭け)の名人の清さんが、山の中でうわばみが人を吞む所を目撃する。うわばみは腹が膨れて苦しんでいる時に、側に生えていた赤い草を舐めて、たちどころに腹の膨れが治まる。それで清さんはそれを消化の薬だと思いこむ。蕎麦賭けで食べ過ぎた時にその草を清さん自身が試してみたら、蕎麦が消化されるんじゃなくて、自分が溶けちゃった、というお噺。

三遊亭圓生の「百川、文七元結」

jpeg000 226本日の落語、六代目三遊亭圓生の「百川、文七元結」。
「百川」は、有名な料亭の百川に勤めることになった、田舎者で百姓出身の百兵衛が、訛った言葉で勘違いを引き起こすお噺です。「主人家に抱えられた」が「四神剣の掛け合い人」に聞こえてしまい、魚河岸のお兄いさん達は、祭の出費が嵩んで、預かった「四神剣」を質入れしてしまっていたから、パニックになります。
「文七元結」は、これまで志ん朝、志ん生のものを聴いています。圓生はさすがにうまいと思います。この噺の聴かせ所は、長兵衛がお久を吉原に預けて作った五十両の金を、見ず知らずの文七にくれてやってしまうのにいかに不自然さを出さないかだと思いますが、圓生は長兵衛の葛藤がよく表現できていると思います。

三遊亭圓生の「夏の医者、庖丁、佐々木政談」

jpeg000 226今日の落語、六代目三遊亭圓生の「夏の医者、庖丁、佐々木政談」。
「夏の医者」は以前、桂枝雀で聞いたことがあります。枝雀のは所作がかなり大きいダイナミックなものでしたが、圓生のはごくオーソドックスです。
「庖丁」は、友達に間男の役を演じさせ、女房に難癖つけて縁を切って売り飛ばしてしまおうとたくらむけど、結局その友達と女房が出来てしまうという、「駒長」にちょっと似た噺。
「佐々木政談」は以前志ん朝ので聴きました。一休さん頓知噺にも似た、利発な子供のお噺。

古今亭志ん朝の「火焔太鼓、坊主の遊び」

jpeg000 221今日の落語、古今亭志ん朝の「火焔太鼓、坊主の遊び」。
「火焔太鼓」は志ん生が得意な噺で、私も前に志ん生で聴いています。志ん生と志ん朝が同じ噺を語った場合、多くの場合は私は志ん朝の方を好ましく思うのですが、この噺に関しては志ん生のとぼけた味の方が勝るように思います。この志ん朝の録音は1966年で志ん朝がまだ若い時のもののためか、勢いだけで演じているような感じで味わいがイマイチに思います。
「坊主の遊び」は、頭を丸めているご隠居さんが、吉原に女郎買いに出かけて、敵娼が酔っ払って寝てしまったので、その頭を剃刀で剃ってしまう、というちょっとひどいお噺。あまり語られることがなく珍しい噺のようです。