日立コール・ファミリエの合唱のコンサートに今年も行きました。今回で多分連続12回目くらいです。昔の上司3人が合唱団に参加しており、その中のお一人から毎年チケットをいただいています。合唱そのものよりも1年に1回昔の仲間に会う日になっています。メインの曲は指揮者の趣味で、かなりのマイナーな曲が多かったのですが、さすがに団員からクレームが出るようになったと見えて、一昨年はフォーレのレクイエムで、今年はモーツァルトのレクイエムです。有名曲のせいか、ソリストも歌い慣れており、また合唱団員の熱気も感じられてなかなか良い演奏で、今までで一番良いのではないかと思いました。ただ、リタイアされた方々がメンバーの中心であるため、年々平均年齢が上がっていっているのは否定しようがなく、数名の方が椅子に座っての合唱でした。それに比べると指揮者の木村義昭さんのお若いことにはびっくりします。もう80代半ばだということですが、まったく衰えを感じさせいない指揮振りで、モツレクでもうまくまとめていました。
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NHK杯戦囲碁 林漢傑7段 対 寺山怜5段
本日のNHK杯戦の囲碁は黒番が林漢傑7段、白番が寺山怜5段の対戦です。布石はお互いにじっくりした展開でしたが、局面が動いたのは右辺です。黒の林7段が右辺の高く開いた白に攻めを見せたのですが、それに対し白の寺山5段が右上隅の黒に肩付きを打ち、その後右辺は軽く見て何回も手を抜いて、下辺に先着したり、上辺に展開したりしました。最終的に次に黒に先に打たれれば死にという所でようやく右辺に手を戻し、活きを確かめました。黒は逆に左上隅で手を抜いて足早に左辺に展開していました。左上隅から延びる白がまだ一眼しかないのを狙って迫り、白が生きるために黒の継がなかった所を切った時に劫に弾きました。この劫はそういう意味で黒から仕掛けたものですが、白がもう一眼作る手順が冷静で損のないもので、最終的には黒は劫に勝ちましたが、白はその間に下辺を大きくまとめることが出来ました。ここで白が優勢になったように思います。ヨセに入って白にミスが2回ぐらいあって、右下隅が持ち込みを増やしてしまったりしましたが、大きな意味で形勢の逆転には至らず、結局白の4目勝ちに終わりました。
「タイムトンネル」第4話、”The day the sky fell in”(空が落ちてきた日)(真珠湾攻撃)
「タイムトンネル」の第4話、”The day the sky fell in”(空が落ちてきた日)を観ました。これが「タイム・トンネル」全30話の中で、2話だけ日本では放送されなかったものの内の1話です。トニーとダグはハレー彗星騒ぎに巻き込まれた後、今度は1941年の12月6日のハワイに飛ばされます。そうです、真珠湾攻撃の1日前です。(攻撃の日は日本では12月8日ですが、時差があるためハワイでは12月7日です。)トニーの父親は海軍少佐で真珠湾攻撃の後行方不明となり生死が分からなくなっていました。トニーは実の父親に会って警告し、その命を救おうとしますが…というストーリーです。トニーの父親は日本軍の爆撃で傷つきますが、真珠湾に向けて回航中の空母エンタープライズに向けて最後の力を振り絞って「これは演習では無い、引き返せ」という無線通信を行います。トニーはその父親に自分が息子であることを告白しますが、父親はおそらくトニーが未来から来たという事実を最後になって認識し、「私の小さな息子が生き延びてくれて良かった」と答えます。その後トニーとダグはそのビルから脱出しますが、更に日本軍の爆弾が落ち、ビルは完全に吹っ飛びます。これがトニーの父親が行方不明になった真相でした。なかなか感動的な回になっています。もちろんステレオタイプな日本人の描写(ハワイの日本大使館員)はありますが、それほど気になるものではありませんでした。
王銘エン9段の「棋士とAI - アルファ碁から始まった未来」
王銘エン9段の「棋士とAI - アルファ碁から始まった未来」を読了。アルファ碁に関する本はもうこれで何冊目になるか分からないくらい読んでいますが、この本はアルファ碁の打つ手の分析とかではなく、アルファ碁を中心としたAIの碁が人間の碁のはるか先を行くようになり、(アルファ碁の最新バージョンだと、人間のトップ棋士より既に三子強いのだとか)、そういう時代に棋士はどうAIと向き合っていくか、といった所を述べた本です。囲碁に限らず、これからありとあらゆる分野で人間がやってきた仕事はすべてAIに脅かされずにはいられないでしょう。そういう時代に人間としてどういう技能を強化して生き残っていくべきか、色々と考えさせられる本です。NHK杯戦の囲碁を毎週観ている限りでは、人間のAIの碁の研究はまだ本当に始まったばかりであり、人間がAIの良さを吸収してもう一歩上に行くにはまだかなり時間がかかると思います。日本の囲碁はいまや中国や韓国の後塵を拝するようになって久しいですが、AIはその中国や韓国の棋士に勝つための有用なツールであって、日本の棋士にとっては大きな武器になると思っています。
高田郁の「銀二貫」
高田郁の「銀二貫」を読了。これはローマからの帰りの飛行機の中で読みました。元はたまたまAmazonで見つけて、レビューの平均が4.7と非常に高かったので買ってみたもの。作者はTV化されている「みをつくし料理帖」の原作者です。
で、帰りの飛行機の中というのは体調が良くなかったのですが、そのせいかもしれませんが、私的にはあまり響く所がありませんでした。ストーリーの展開がきわめてありがちで、大衆小説を沢山読んでいる私には、どこかで読んだようなものばかりです。主人公が新しい寒天を生み出そうと努力して、結果的に練り羊羹というものが生まれる、というその辺は割りと面白いのですが、例えば同じように食べ物を扱った小説では、芝木好子の「湯葉」なんかの方がずっと上だと思います。Amazonのレビューは、私に言わせるとちょっと褒めすぎで、色々本をたくさん読んでいる人は4.7なんていう、そこまで高い評価はまずしないと思います。
鳥飼玖美子の「歴史をかえた誤訳」
鳥飼玖美子の「歴史をかえた誤訳」を読了。この本を読んだのはローマへ向かう飛行機の中です。まず、タイトルの「歴史を変えた誤訳」として筆者(同時通訳者)が真っ先に挙げているのが、ポツダム宣言の通告に対し、当時の鈴木貫太郎首相が「黙殺する」と回答し、それを日本側か連合国側が英訳したのかはっきりしないのですが、ともかく”ignore”(無視する)と英訳されて、日本はまるで降伏する意思が無いと解釈されて、広島・長崎への原爆投下につながった、というものです。しかし、この話はきわめて変です。日本語の「黙殺する」という表現は単に「断る」というより更に失礼な表現で「そんなもの(相手の申し入れ)は最初から存在しなかったと扱う」というニュアンスがあります。つまり「黙殺」という表現を使った段階で、「拒否」の姿勢は明確であり、英訳の問題ではないと思います。実際に英辞郎で「黙殺する」の英訳を見ると、「deliberately ignore(意図的に無視する)●refuse even to comment on(コメントすることすら拒絶する)●take no notice (of)(まったく見なかったことにする)●treat ~ with silent contempt(口には出さない軽蔑をもって扱う)」などが挙げられており、強い姿勢の拒絶となることは明らかです。
また、「オレンジ色の猫」の話もこの本に出てくるものです。英語の小説に「orange color cat」は多数登場しますが、これを「オレンジ色」と訳すことが間違いで、訳すなら「(単なる)茶色の猫」です。この話から、英語のorangeはちょっとくすんだぼんやりした色にも使うのに対し、日本語ではそのままオレンジの「鮮やかな色」を想像するのと、また日本の「茶色」が英語のように暗めの色だけではなく、かなり明るい色も含むということです。
結局の所、100%正確な翻訳などというものはどこにも存在しないということだと思います。少しでも100%に近づこうとするなら、単なる言葉の置き換えではなく、対象となる言語の背景の文化や思考パターンまで身につけないといけない、ということだと思います。
アーウィン・アレンの「タイムトンネル」第1話と第2話
アーウィン・アレンの1960年代のSFのTVドラマで、「宇宙家族ロビンソン」「原子力潜水艦シービュー号」ともう一つ並んで有名だったのが「タイムトンネル」です。昔NHKで放映していましたが、全30話の内、日本で放送されたのは28話です。残りの2話は日本軍が敵として登場するので、日本での放送にはふさわしくない、とカットされたみたいです。それが観たくてアメリカのAmazonでDVDを買いました。
取り敢えず、1話と2話を視聴。リージョンコードの違うDVDを大画面で再生するというのも、miracastを買った目的の一つだったんですが、手持ちのPowerDVD12も、PCに最初から入っていたWinDVDもmiracastに対応しておらず、結局PowerDVD18のアップグレード版を買う羽目に…トホホ…
1話目はタイタニックの沈没に乗り合わせ、2話目は10年後の未来(といっても1978年)で何と火星に向けた有人飛行のロケットの中に転送される、という展開です。(1960年代の終わりに、10年後は火星への有人飛行が実現していると思っているのがなかなかすごいです。)
どっちの話も、今一つ話の進み方が中途半端です。また特撮も、タイムトンネルの装置そのものはいいですが、宇宙空間シーンは書き割りそのものでかなりちゃちです。
iPod touch (6th generation)故障
2年と10ヵ月くらい使ったiPod touchが写真のような状態に。一応動いていますが、Homeボタンが押しにくくかつ反応が鈍くなっています。これはリチウム電池が古くなって中にガスが貯まって膨れ、それによって液晶部分が剥がれてしまったものです。昔からリチウム電池とはそういうモノみたいですが、以前は電池が金属で覆われていたため、このような不良はほとんどありませんでした。iPhone側が高速通信に対応するとか、ワイヤレス給電に対応するなどの種々の理由で金属ケースを止めてガラスに変えた結果、このようなことになっています。(このiPodの第6世代品は、単にiPhoneから通話機能を取り除いただけのものです。)Webで検索するとiPhone、iPodで山のように出ている不良のようです。ほとんど商品の設計ミスと言って良いと思います。この手の不良は買ってから2年までなら無償で交換のようですが、私の場合は2年以上経っているため、¥9,504かかりました。実に納得いきません。ちなみにAndroidのスマホも去年の夏にバッテリー交換を行いましたが、5,000円くらいでした。
マックス・ヴェーバーの「社会学の基礎概念」(阿閉吉男、内藤莞爾訳)
マックス・ヴェーバーの「社会学の基礎概念」(阿閉吉男、内藤莞爾訳)を読了。今、折原浩先生の仮説に基づく順番で「経済と社会」の旧稿を読み直している最中ですが、その前にこれもやっぱりきちんと読んでおかないといけないかと思い読んだものです。私が学生の時は清水幾太郎訳が岩波文庫で出ていましたが、この日本語訳がかなり問題が多いものだと聞いていましたので、今日まで読む機会がありませんでした。この阿閉・内藤訳は丁度私が卒業した年の翌年に出ています。
この「社会学の基礎概念」は、以前の「経済と社会」(ヨハネス・ヴィンケルマン編集による二部構成のもの)では、トップに置かれており、あたかもこれが「経済と社会」全体でのヴェーバーの方法論を示す論文だと理解されてきました。しかし、第二部のいわゆる「旧稿」については、この論文ではなく、1913年にLogos誌に発表された「理解社会学のカテゴリー」に準拠して読まなければならない、というのが折原浩先生の主張の内のもっとも重要な部分です。
それでは何故マックス・ヴェーバー自身が一度既に書いているカテゴリー論を新たに書き直す必要があったのか、という疑問が出てきます。それについては、ヴェーバーが1919年からミュンヘン大学で学生相手に「理解社会学のカテゴリー」に基づく講義を行った時の経験が影響していると言われています。「カテゴリー」論文では、ヴェーバーはゲマインシャフトとゲゼルシャフトという用語を、テンニースが最初にしたように「共同社会」と「利益社会」という対立概念ではなく、ゲマインシャフトの方がゲゼルシャフトをも包括する広い概念で、ある条件が整った特殊な場合のみがゲゼルシャフトであると定義していました。(正確に言うと、ゲマインシャフトとゲマインシャフトを直接定義したのではなく、ゲマインシャフト行為、ゲゼルシャフト行為という、人間の行為の種類の定義ですが。)ところが、このヴェーバーの定義がミュンヘン大学の学生にとってはテンニースの概念とごちゃごちゃになって極めて理解しづらいものだったと言われています。そのために、方法論論文をより一般向けにわかりやすく書き換えると同時に用語法も大幅に変更したのがこの「社会学の基礎概念」論文になります。そこではゲマインシャフトとゲゼルシャフトの定義がテンニースのものにかなり接近します。さらにゲマインシャフト行為、ゲゼルシャフト行為と言ったドイツ語そのものに起源を持つ特殊な用語法が消えて、その代わりにラテン語のsocietas(人の集まり、社会、組合といった意味)に起源を持つ、sozial-という形容詞を使ったsoziales Handeln(社会的行為)というかなり一般的な用語が使われるようになっています。
それと並んで重要なのは、「理解社会学のカテゴリー」ではかなり重要な概念として定義されていた「諒解」という概念(ゲマインシャフト行為の中で、例えば法律などによって目的合理的に協定された秩序を欠いているにもかかわらず、ある個人が理解していることを他の個人も理解しているであろうと予測しているのが「諒解」で例として貨幣の市場だとか言語共同体が挙げられています。)が、この「基礎概念」ではまったく消え去ってしまうことです。この理由は今の所私には理解できていません。しかし、例えば「法社会学」の冒頭部などを読めば、この「諒解」概念を理解することなしには、ヴェーバーの言わんとすることを理解するのはきわめて困難です。その意味で、この「社会学的の基礎概念」は「間違った頭」とされます。
NHK杯戦囲碁 謝依旻女流本因坊 対 秋山次郎9段
本日のNHK杯戦の囲碁は黒番が謝依旻女流本因坊、白番が秋山次郎9段の一戦です。黒も白も初手が三々で3手目に黒がいきなり三々の肩を付き、白が這う方向で残りの隅のどちらに打つかを決めるという、昔梶原武雄9段の本に出てきたような布石でした。左上隅から左辺で競い合いが始まり、黒が白の一団を切り離していって仕掛けました。黒が下辺の白にモタレる手を打った時、白は受けずに中央の黒の一間に飛ぶ所に打って黒の形を崩しに行きました。黒はこの白に付けて行きましたが、結果として白は中央で黒1子を取り、上辺からの白が立派な形になりました。その代償として左辺の白を封鎖されましたが、この白は中央でウッテガエシをにらんだ利きで一眼あり、また左上隅に付けていって左辺で一眼あり、活きることが出来ました。この結果は白がポイントを挙げたようです。その後焦点は右上隅に移り白は黒の根拠を奪って中央の厚みを生かして攻めようとしました。しかし黒を追い立てた結果として中央が薄くなり、それを補強するため左上隅に付けたのですが、黒は跳ねだして反撃しました。この反撃は的確で結果として黒は白地が付きそうだった上辺に5目の地を持って活き、なおかつ左上隅もこれ以上ない形で白1子を飲み込んだまま確定地にしたので、黒が優勢になりました。しかし謝女流本因坊のその後の打ち方が優勢を意識してやや甘く、黒は中央に大きな地をまとめましたが、白も右下隅から下辺にかけて大きく地をまとめたため、ヨセ勝負になりました。黒は右上隅で劫を仕掛け、これに勝って右上隅の地を大きく増やしましたが、白も劫立てで下辺のヨセを打ち、形勢は微細でした。終わってみれば白の半目勝ちで、謝女流本因坊には惜しい一局でした。