今期のNHK杯戦(囲碁・将棋)危うし

コロナによる非常事態宣言で、NHK杯戦の将棋も囲碁も対局撮影が出来なくなっているようです。
今日のNHK杯戦の将棋は既に撮影ストックが無くなったようで、先期の決勝戦の再放送でしたし、囲碁も再来週の放送がやはり先期の決勝戦の再放送でそれ以降は未定です。
別に対局は三密には当たらないと思うので、両対局者がマスクして対局すればいいと思うのですが。あるいはいっそネット対局でそれを収録するとか、何かアイデアを出して欲しいです。

NHK杯戦囲碁 三村智保9段 対 上野愛咲美女流本因坊


本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が三村智保9段、白番が上野愛咲美女流本因坊の対戦でした。右上隅で白が上辺から掛かったのに小ゲイマで受けて白が隅に付けて二段バネで地を稼ぎに行った時、黒は押していって厚みを築きました。白は2度目の押しに受けずに右辺に打ち込みました。すかさず黒が上辺をハネ、白に受けさせてから右下隅を守りました。白は上辺でハネた黒を切って結局黒2子をポン抜き、上辺は厚くなりました。その代わり右辺には先着され、白1子のシノギが問題になりました。黒は右辺の白を攻めながら下辺をいっぱいに拡げました。すかさず白は下辺にも打ち込み、黒はこの石と右辺の石をカラミで攻める体制になりました。しかし下辺の黒で白が掛けた包囲網を脱出しようとした時に、俗手ぽく見える利かしを決めなかったため、すかさず白に割り込まれ、攻め取りながら黒5子を取られてしまいました。黒は気を取り直して右辺の白を攻め、結局白の一団の約半分を取り、右辺を大きく地にしました。白は右辺で取られた石の利きを利用して右下隅に打ち込みました。しかし下辺で黒の下がりが先ほど白が取り込んだ黒5子の攻め取りの関係で利いているのもあって白の策動は上手く行かず、右辺から右下隅が70目以上の黒地となり、黒が優勢になりました。しかし白は諦めずまず左辺で黒2子を取り込み、また上辺の白地模様に黒がケイマで進出した隙を捉えツケコシでこの1子を切り離しました。これに黒がまともに対応すると先にシチョウで取っていた白の逃げ出しが成立するという仕組みでした。この切り離しにより上辺の白地は大きくまとまりここで白が逆転しました。終わってみれば、白の3目半勝ちでした。上野愛咲美女流本因坊のチャンスを逃さず斬り込んでいく鋭い打ちぶりが光っていました。

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第22回目を公開

ヴェーバーの「中世合名会社史」の日本語訳の第22回目日本語訳の第22回目を公開しました。今回の箇所はラテン語の引用が2箇所、17世紀のイタリア語の引用が1箇所あり、かなり大変でした。しかし、家の相続ゲマインシャフトから後に合名会社となるソキエタスが発展してくるのだという、この論考の中心となる部分です。

アベノマスクは捨てるしかないかと。

不織布のマスクですが、今日(5月1日)の14時頃、行きつけのスーパー(川崎市多摩区)に行ったら普通に売っていました。5枚一組で、一人10枚までの限定でしたが、特に人が群がってもいませんでした。Amazonでも今日見たら、今日発注すれば2日後ぐらいに届くものがいくつかありました。アベノマスクはまだ都内だけの発送で、こちらに届くのは5月半ばくらいかなと思いますが、おそらく届く頃にはそこら中に不織布マスクがあふれている予感がします。

アベノマスクですが、私は絶対に使わないので(ハウスダスト{ダニ}とある種のカビ{カンジタ}のアレルギーなので、そういうものが付着していないという保証の無さそうなマスクは使えません)寄付しようかと思っていましたが、たかがマスク2枚を寄付しても大して意味なさそうだし、それより何よりマスクの衛生状態にきわめて疑問があり、そんな物を無責任に人にあげてもいいのかと思います。

週刊文春の記事によると今回マスクを供給した4社中最大手の興和は中国の業者に外注していますが、出張出来ないため向こうの製造ラインのチェックがまるでされていません。それでいてきわめて大量のマスクをこれまたきわめて短納期で作らせたのだから、どういう品質になるかきわめて容易に予想出来ます。また布マスクなので、クリーンルームではなく、ごく一般的な縫製のラインで作られた可能性が高いと思います。実際問題、汚れていたり、カビが生えていたり、虫が入っていたり、髪の毛が入っていたりとかそういうレベルです。今回のマスクは医薬部外品扱いでしょうから、バイオバーデン(製造装置等の細菌やウィルスによる汚染レベル)のチェックまでは求められないでしょうけど、少なくとも人が口に当てるものとしての衛生管理が行なわれた形跡は窺えません。
再検査するっていったってそれだけの数どうせ目視でチェックするだけだと思います。

結論としてこのアベノマスクを使うと却って別の健康被害を受ける可能性があります。それなら消毒して使えばいいのでしょうが、洗うと70%ぐらいに縮むという情報もあります。そもそも洗ってもあまり縮まないこと、という発注仕様もなかったようです。ともかくこのマスクは捨てるしかないかと。もったいないですが、元々安倍政権の愚かさ極まった無駄遣いなのですから。

The Bell in Nagasaki (Nagasaki no Kane; 長崎の鐘)

The Bell in Nagasaki was the theme song of the same name movie released in 1950. The Bell mentioned in this song was that of the Urakami Cathedral in Nagasaki city, which located just at the epicenter of the atomic-bomb’s explosion on August 9, 1945. The bell (Angelus bell) was miraculously digged up from the debris and ashes of the Cathedral without serious damage on the Christmas Eve of 1945.

The movie desribed the life of Dr. Takashi Nagai. He was a Christian (Catholic) and worked as a radiologist during the World War II and suffered from leukemia due to the poor shielding of X-ray at that time. By the atomic-bomb’s attack, he lost his wife and he also was seriously injured in his carotid artery but could fortunately survive. After the war, he contributed to the cure of many patients who suffered from the atomic-bomb diseases until he died in 1951. The Bell in Nagasaki was originally the title of his essay.

This song is extremely impressive and contains deep sense of prayer for peace. The lyrics were written by Hachiro Sato, who lost his younger brother also by the atomic-bomb dropped down on Hiroshima. The music was composed by Yuji Koseki. He was one of the most famous composers in Showa period, and he composed the march for the opening ceremony of the first Tokyo Olympic games in 1964. He also composed many war songs during the war time and composed this song in 1950 with deep regret and prayer as a kind of requiem for the victims of the war. In the last two lines of each section, the melody turns from minor to major and it leaves hope for those who listened to this music.

You can listen to the music here. (sung by Ichiro Fujiyama, the original singer)

I translated the lyrics into English for readers outside Japan:

こよなく晴れた青空を
悲しと思うせつなさよ
うねりの波の人の世に
はかなく生きる野の花よ
なぐさめはげまし長崎の
ああ長崎の鐘が鳴る

Even while looking to the brightest sky,
I painfully feel the deepest sorrow.
Within the ever undulating human world,
I am just an ephemeral wildflower.
Soothingly, cheeringly, in Nagasaki,
the Bell in Nagasaki resonantly rings.

召されて妻は天国へ
別れてひとり旅立ちぬ
かたみに残るロザリオの
鎖に白きわが涙
なぐさめはげまし長崎の
ああ長崎の鐘が鳴る

Summoned by God, my wife has returned to heaven,
leaving me alone in this world.
When I look at the rosary left as her memento,
I only find the traits of my tears.
Soothingly, cheeringly, in Nagasaki,
the Bell in Nagasaki resonantly rings.

こころの罪をうちあけて
更けゆく夜の月すみぬ
貧しき家の柱にも
気高く白きマリア様
なぐさめはげまし長崎の
ああ長崎の鐘が鳴る

While I confess sins in my heart,
the moon shines brightly in the deepening night.
Even on a pillar in a poor man’s house,
there hangs a statue of the Holy Virgin Mary.
Soothingly, cheeringly, in Nagasaki,
the Bell in Nagasaki resonantly rings.

(notes)
(1) The first two lines:”Even while looking to the brightest sky, I painfully feel the deepest sorrow.” are if literally translated, “It is usually delightful for most people to see clear and blue sky, but I cannot help feeling sad even if I do so. It is a pity for me to feel so.”
(2) Regarding the last line of each section: “the Bell in Nagasaki resonantly rings”, there is no word corresponding to “resonantly” in the original Japanese lyrics. But I added it so that the line can be easily sung in English. (“the Bell in Nagasaki rings” is too short for the melody.)

Let peace ring from the bell in Nagasaki!