「巨人の惑星」の”Sabotage”

「巨人の惑星」の”Sabotage”を観ました。この回で何と言っても嬉しかったのは、タイムトンネルのダグ役のロバート・コルバートがゲスト俳優で出て来たことです。そのコルバートがやっているのが、きわめて怪しげな警官で、地球人を捕まえてその科学力を得るために、地球人が鉄道の橋を爆破するというでっち上げの破壊工作を起こし(まるで昔の関東軍みたいです(^_^;))、それを使って地球人達が破壊活動を行っている証拠とし、国民を焚きつけて地球人達を捕まえさせようとします。そしてその悪徳警官の陰謀に対抗するために、キャプテン達は、巨人用の電話のダイヤルを回して上院議員に電話をかけ、その陰謀を暴こうとします。しかし、悪徳警官はそれを逆用して上院議員が鉄道の橋爆破を事前に知っていたとして脅迫します。最後は結局、非常にご都合主義でその悪徳警官の事務所の机の中にテープレコーダーがあり、キャプテンが実際に橋の爆破を行った人間を挑発して本当のことをしゃべらせ、それを録音して上院議員に渡して悪が暴かれるというオチです。ロバート・コルバートはタイムトンネルでもナチスの将官になったりしていましたが、悪役をやらせた方が上手いです。

スタートレックのファーストシーズンの”The Squire of Gothos”

スタートレックのファーストシーズンの”The Squire of Gothos”を観ました。エンタープライズ号が宇宙の砂漠ともいうべき何もない星系を航行していた時、突然惑星が姿を現します。その時、エンタープライズ号を操縦していたスールーが突然消え、それを確かめようと近付いたカークも消えてしまいます。スポック達は、生物の生存にはまったく適していないその星をスキャンして、一箇所だけ生物が生存出来そうなエリアを発見し、そこにドクターマッコイを含む4人を転送して、カークとスールーを探させます。一行が転送されたのは欧州のナポレオン時代の屋敷の中でした。カークとスールーはそこに連れ込まれていました。そこにいたのはナポレオン時代の騎士の格好をしたトレレーンと名乗る正体不明の男でした。スポックが一行の居場所を突き止め、一度は全員をエンタープライズ号にも転送して戻します。しかしトレレーンがエンタープライズ号の中に現れ、クルー一行を元の惑星の屋敷の中に連れて行きます。カーク達は、その男が操る不思議な力が何かの機械によって行われると思い、その男をわざと怒らせて決闘に持ち込みます。カークは渡されたピストルで男ではなく、鏡を撃ちそれを破壊します。そうすると屋敷が消え、カーク達は無事転送でエンタープライズ号に戻ることが出来ました。しかし、エンタープライズ号が全速でその惑星から離れようとすると、何とその惑星自体がエンタープライズ号を追ってきます。結局カークが単身でまたトレレーンの屋敷に戻りましたが、そこは法廷でカークは死刑を宣告され絞首刑にされそうになります。しかし、カークは別のゲームをもちかけ、トレレーンが森の中を逃げるカークを追うといことになります。カークは何とかトレレーンの刀を折りますが、簡単にそれは再生されてしまいます。あわやという所で空から2つの声が聞え、それはトレレーンの両親でした。その星は彼らがある意味トレレーンのおもちゃとして与えたものでしたが、あまりに悪戯が過ぎるということで、トレレーンは連れ戻され、カークは無事エンタープライズ号に戻って出発します。うーん、ちょっと説明不足でイマイチのお話でした。

「巨人の惑星」の”Terror-Go-Round”

「巨人の惑星」の”Terror-Go-Round”を観ました。今回もまた、メンバーの誰かが巨人に捕まって、それを残ったものが助けるというパターンのお話です。ただ、今回はキャプテン以外の全員が捕まってしまうというのと、捕まったのがサーカスの一団だという所がちょっと違います。それでサーカスの少年が、最初に地球人2人を捕まえたのはこの少年ですが、途中から気が変わって、地球人に味方しようとします。それで最終的にサーカスのトラックの荷台から逃げ出す手段が変っていて、サーカスの備品としてあった風船に都合良く置いてあったヘリウムガスを詰め、即席の気球を作って逃げ出すというのが今回の目玉です。ただ、ストーリーとしてはきわめて陳腐と言わざるを得ないものです。

NHK杯戦囲碁 張栩9段 対 安斎伸彰7段


本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が張栩9段、白番が安斎伸彰7段の対戦でした。本局は張栩9段の早碁の名局と言って良く、終始戦いながらも少しずつポイントを上げ、優勢を保ったまま勝ちきりました。しかも考慮時間を安斎7段が8回使ったのに対して、張9段は何と一度も使わずに勝ちきりました。この碁の焦点は左上隅で張9段が劫を仕掛けた時で、白が劫立てに左辺で黒の腹中にあった白1子を動き出し、結局振り替わりになり、黒が左上隅を地にし、白は左辺で活きました。しばらく後に黒が左上隅から左辺に対して打った手が機敏で地としても大きく、更に劫にして左辺で取られた黒を連れ戻す手が残りました。黒はしかし中央の石が孤立して眼が無く、攻められましたが、上手く白の包囲網の弱点を突き、また先ほどの左辺の劫狙いも活用し、白の寄り付きを最小限にしました。白は中央の黒への攻めとからめて右上隅に潜り込みましたが、黒も右辺を大きく地模様にし、差は縮まりませんでした。白は右辺に打ち込み、そのからみで右下隅に入りましたが、このタイミングで黒が左辺で劫を仕掛けました。白は結局左辺で謝らせられた格好になり、黒は右下隅の白を活かして、その代わり中央の黒と右辺の黒を地を持ちながら連絡し、これでほぼ逆転の可能性は無くなりました。結局黒の4目半勝ちでした。

倉田喜弘の「日本レコード文化史」

倉田喜弘の「日本レコード文化史」を読了。元は1979年に出た本のようです。なので丁度コンパクトディスクが登場する所で終っています。日本にフォノグラムが入って来たのが1879年とのことなので、それから丁度100年目に書かれた本です。その100年の歴史で結構色んな資料をあたっていて、情報源として貴重です。1979年から41年経っている訳ですが、その141年の間に、フォノグラム(蝋管式)→円盤形蓄音機(SPレコード)→電気録音によるSP→LP(Long Play)→LPのステレオ→(LPの4チャンネル)→コンパクトディスク→ダウンロード音源、と目まぐるしく変って来ています。私が生まれた1960年代初期は既にLPの時代で、SPというものを所有したことは一度もありません。(神田の中古屋で見たことはあります。)
円盤形蓄音機とSPレコードの歴史で興味深いのは、音楽だけでなく、結構政治家が自分の演説などを広めるのに使っていたということです。そういえば、大平洋戦争のいわゆる天皇による終戦の詔勅も、直接放送用マイクに喋ったのではなく、レコードにしたと聞きました。
後は戦前のレコード業界の事情が良く分るのが貴重で、最初は5000枚も売れると大ヒットだったのが、古関裕而がコロンビアに専属の作曲家で入った時は5万枚はいかないとヒットとは言えない、というのもこの本で裏付けが取れました。
しかし、日本人ほどこのレコードやCDというものを愛した国民はいないのではないでしょうか。世界の主流は既にダウンロード音源や定額聴き放題サービスに移行している中、日本だけがまだCDがそれなりに売れています。最近さらにブルーレイオーディオとかも出ていますが、個人的にはこれ以上円盤ものの音源を増やしたいとは思わなくなっています。

スタートレックのファーストシーズンの”The Galileo Seven”

スタートレックのファーストシーズンの”The Galileo Seven”を観ました。
(1)今回からカークのヨウマン(秘書みたいなの)が別の女優に変りました。
(2)「巨人の惑星」に出ている唯一のアフリカ系アメリカ人の俳優(ドン・マーシャル)が出ていました。
エンタープライズ号がある星への救援医療物資を運んでいる時にムラサキ312というクエーサーを発見し、カークはガリレオというシャトルにスポック、マッコイ他を乗り込ませて探査に向かわせます。しかし途中でイオンの嵐に襲われ、ガリレオは惑星に不時着し、通信も出来なくなります。その星には巨大な類人猿みたいなのがいて、2人のクルーが犠牲になります。ガリレオの燃料は無くなっていましたが、エンジニアのスコットが、フェーザーのエネルギーを使うことを考えつきます。エンタープライズ号はガリレオの行方を必死に探していましたが、医療物資の運送のため出発せざるを得なくなります。ガリレオはフェーザーのエネルギーで飛び立ち何とか衛星軌道に乗りました。しかし1回周回する分しか保ちません。そんな中突然スポックがなけなしの燃料を噴射して、飛行浮雲のように航跡を目立たせます。それはスポックには珍しい半分自棄な行動でしたが、カークがわざとゆっくりとエンタープライズ号を発進させていたおかげで、ガリレオは発見され、5人の生存者は無事転送される、という話です。今回の話ではスポックが命令を下す立場だったのですが、そのロジカルな命令振りが他のクルーの感情的な反発を何度も招く、という話でした。

巨人の惑星の”Brainwash”

巨人の惑星の”Brainwash”を観ました。キャプテン達が警官に追われて逃げ込んだ下水管の奥に、何故か最新鋭のコンピューターと通信装置がありました。それは以前やはりこの星に遭難したエンジニア達が地球と通信しようとして作ったものでした。警官達はこの装置がどこかにあることを知っており、キャプテン達を捕まえてその場所を聞きだそうとします。それで結局キャプテンが捕まりますが、その時に使われたのが、変なマッドサイエンティストが作ったフォーム状の自白剤でした。しかしそのフォームを囚人で試したら、確かに何でも喋りましたが、5分ぐらいでその囚人は死んでしまいました。キャプテンはそのフォームをかけられますが、マークが助けに来て、「今、地下でこのビルを吹っ飛ばす爆弾を仕掛けている」という嘘を言わせることに成功します。警官達がそれをチェックしている間に二人は逃げ出します。しかし、森の中で今度はフィッチューが捕まってフォームをかけられ、コンピューターと通信装置の場所を喋って場所の案内までしてしまいます。マークはその通信装置を修理して、後少しで地球に救援を依頼出来る所でしたが、キャプテンは自爆装置を作動させます。最後はコンピューターと通信装置が爆発して警官とマッドサイエンティストが亡くなり、地球人達は助かるという話です。しかし、自白剤って普通ガスかあるいは注射液じゃないのという疑問がありますが、小人にかけるためわざわざフォームという想定にしたのかと思います。

「古関メロディー カバー・コレクション」

「古関メロディー カバー・コレクション」というのを買って聴きました。文字通り、オリジナルの歌手以外のカバーです。都はるみの「船頭可愛や」とか藍川由美のは既に持っていて聴いています。良かった方でいくと、舟木一夫の「高原列車は行く」と「夢淡き東京」。舟木一夫ってある意味ちょっと神がかったような歌い方をする人ですが、古関メロディーとはマッチしていると思います。石川さゆりの「君の名は」もさすがに上手いですし、伊藤咲子の「黒百合の歌」も私はオリジナルの方が好きですが、こういう解釈もあってもいいかと思います。お千代さんの「愛国の花」もいいと思います。
それに対して最悪なのは新沼謙治の「イヨマンテの夜」。何と、冒頭の「アーホイヨー」以下の部分をまったく歌っていません。ここは歌に自信がある人なら絶対に歌いたくなる所で、それを飛ばすなんて信じられませんし、それ以下の部分もきわめて平凡です。また「若鷲の歌」(松方弘樹)、「暁に祈る」(杉良太郎)、「露営の歌」(村田英雄)の軍事歌謡は、何というか当時の雰囲気を無視した1960年代の大平洋戦争回顧ブームの産物という感じがしてあまり好きになれません。
八代亜紀の「フランチェスカの鐘」は、元々何だか面倒くさいので恋人と別れたという元の歌の意味では間違っていないのでしょうが、軽い歌い方で二葉あき子の格調には遠く及ばないです。
美空ひばりは2曲入っていますが、「とんがり帽子」はまったく歌と歌い方が合っていません。おそらく「東京キッド」などの類推から歌ったのかもしれませんが、美空ひばりの技巧的な歌い方は古関メロディーとは合いません。このCDには入っていませんが、「船頭可愛や」も同じです。

スタートレックのファーストシーズンの”Balance of Terror”

スタートレックのファーストシーズンの”Balance of Terror”を観ました。シリーズで初めての本格的なエイリアンとの戦いで、ロミュラン星人が登場します。ロミュラン星人と地球連邦とは100年ほど前にお互いの顔も知らないままで戦い停戦し、現在は非武装地帯が2つの境界を構成しています。ある日、その非武装地帯沿いにあった地球の基地が攻撃を受けます。それはロミュラン星人で宇宙船の姿を消す技術を持っており、また武器は地球の武器を上回る巨大なプラズマ球でバリアも役立ちません。カークは戦うことを決意し、相手が彗星の尻尾に入った時に姿を捉えられることを利用してフェーザーで攻撃します。(光子魚雷はファーストシーズンではまだ登場していません。)相手も巨大プラズマ球で攻撃して来ますが、一定距離逃げられれば威力が急激に落ちることが分り、何とか持ちこたえます。最後はほとんど潜水艦戦のような、お互いにエンジンを切って無音にして、相手が動くのを待つ、ということになります。(宇宙空間なんだから音が伝わる筈は無いのですが…)結局、スポックが間違えてブザーを鳴らしたのを逆に罠にして相手を誘い出し、フェーザーで撃って相手を動けなくしました。それでロミュラン星人なのですが、司令官がヴァルカン星人そっくり(レオナード・ニモイの一人二役)です。そのために、スポックはロミュラン星人のスパイではないかと皆に疑われますが、最後、フェーザーの発射室で火災が発生し煙りでクルーが倒れたのを、スポックが乗り込んでフェーザーを発射します。このエピソードの最初で、クルー同士が結婚式を挙げようとしていましたが、ロミュラン星人の攻撃で式は中止になり、しかも新郎が戦死してしまうというハードな展開でした。

P・B・シェムランの「博士と狂人」

P・B・シェムランの「博士と狂人」の映画を観てきました。原作を読んだのはもう20年近く前です。
OEDの編集者のジェームズ・マレー博士は、私にとってもっとも尊敬すべき学者の一人であり、以前日本語変換の辞書作りに関わっていて、また色々な外国語に手を出している私にとってある意味アイドルみたいな方です。
博士が大英博物館に採用を希望して送った手紙の一部が映画では博士自身の口で語られていました。そのオリジナルを原作から引用すると、博士が学んで来た言語は「アーリア語族およびシリア・アラビア語族の言語と文学に通じ、(中略)ロマンス諸語のうち、イタリア語、フランス語、カタロニア 語、スペイン語、ラテン語には詳しく、そこまではいかないものの、ポルトガル語やヴォー州方言、プロヴァンス語、その他さまざまな方言の知識もあります。 (中略、以下身につけた言語)オランダ語、ドイツ語、フランス語、フラマン語、デンマーク語、古英語、モエシアゴート語、ケルト語、ロシア語、ペルシア 語、サンスクリット、ヘブライ語、シリア語、アラビア語、コプト語、フェニキア語…」という恐るべきものでした。これだけの言語を大学にも行かず独力で学んだということについて、敬意以外の感情は湧いて来ません。
お話はマレー博士がOEDの編集を行っていた時、各単語の用例の収集が元のチームだけではまったく手が足りなかったため、外部にボランティアを募集します。その中の一人がアメリカの南北戦争の時の従軍外科医だったマイナー博士であり、博士は統合失調症であって被害妄想から殺人を犯します。裁判では心神喪失ということで無罪になりますが、一生を精神障害者用の収容施設で過ごすことになります。その時に、たまたま差し入れられた本の中に入っていたマレー博士のボランティア募集のチラシを見て、マイナー博士は、17~18世紀の英語文献を読んで膨大な数の単語用例カードを作り、マレー博士に郵送します。原作はマイナー博士の貢献に対して御礼のために、マイナー博士の手紙に書いてあった住所を訪ねてみると…という感じでマレー博士がマイナー博士の境遇を知る所がある意味クライマックスになっています。しかし映画はマイナー博士が誤って殺した男性の未亡人と交流するようになり、ついには恋愛関係に陥るといったストーリーが追加されています。まあ映画だからこういうサブストーリーを入れないと、というのは分りますが、私にはちょっと余計でした。もっと辞書作りの苦労をしっかり描いて欲しかったです。
それから、OED(当時はNED=New English Dictironary)の編集に協力したのが精神を病んでいて犯罪歴を持った男というのが新聞に載ってしまい、騒ぎになります。それを何とかするために、マレー博士達が利用するのが何とウィンストン・チャーチルで、マレー博士とチャーチルの生きた時代がかぶっていたのを改めて認識しました。
アメリカ人好みのすべてハッピーエンドではなく、万人向けとは言い難い渋い映画ですが、私には非常に意義のある映画でした。