ギャレス・エドワーズの「ローグ・ワン」

「ローグ・ワン」を観て来ました。
前半はかなりかったるい展開でしたが、後半は楽しめました。エピソードIVでレイアはどうやってデス・スターの設計図を手に入れたのか、デス・スターがああもあっさり反乱軍の攻撃で破壊されるのは何故かという誰もが考える疑問についてきちんとつながりの良い答を出していて、その点は好感を持ちました。
ちょっと疑問だったのは、「フォースの覚醒」に続いてまたもpolitically correctなスター・ウォーズだったことで、別に女性が主人公である必然性は無かったと思います。ちなみに「フォースの覚醒」はググってみたら、やはりpolitically correctnessを批判している人は多くいました。また、変なカンフー坊主が、”May the force be with us”をお経のように唱え続けて、フォースが宗教化していたのも変でした。後、現在スイッチメーカーに勤めている身としては、マンマシン・インターフェースがあまりにも進歩していなくて原始的なのが引っかかりました。今の現実のインターフェースの方がずっと進んでいるのでは。

ビリギャル

有村架純主演の「ビリギャル」を視聴。これを観たのは、何より有村架純のファンだからですが、後高校時代の自分の経験につながるから。高校は全国有数の進学校でしたが、高校から入学した時の試験成績は100人定員の所の108番で、いわば補欠合格で、「ビリ」でした。でも入学後、この「ビリギャル」と同じく猛勉強して、半年後の10月の実力テストでは高校入学組100人中3番になりました。またその後の12月のテストは今度は中学からの進学組150人とも一緒なのですが、その時は13番の成績を取れました。なので、この「ビリギャル」が大きく飛躍するのは十分あることだと思って観ていました。

マーティン・スコセッシの「沈黙」

マーティン・スコセッシの「沈黙」を観ました。映画にするのに非常に難しい内容だと思いますが、スコセッシはロドリゴ神父の内面の葛藤をうまく映像化していたと思います。スコセッシの解釈はロドリゴはキリスト教を捨てたのではなく、むしろ試練を経て本当の信仰を発見したということだと思いますが、これは原作の解釈と隔たってはいないと思います。スコセッシはその解釈をよりはっきりさせるために、映画の最後でちょっとした仕掛けを入れています。キリスト教の歴史を考えると、地理的な範囲が広がる度に、常に新しい解釈が生まれ、たとえばキリスト教がギリシア哲学と出会ってグノーシス主義が生まれ、それは後に異端とされる訳ですが、プロテスタントの発生もある意味似たようなことだと思います。そういう意味でロドリゴがたどり着いた新たな信仰は、一種のプロテスタント的な新しい信仰と考えてもいいのではないかと思います。

J・J・エイブラムスの「スター・ウォーズ フォースの覚醒」

「スター・ウォーズ フォースの覚醒」を視聴。
いやー、ひどかった。エピソードIV~VIの成功パターンを再びなぞっているだけの映画。ジョージ・ルーカスは新しい内容にしたかったらしいけど、ディズニー側が拒否して、ルーカスは外されてこんな内容になったみたい。後一つは、オバマ大統領時代のpolitically correctなスター・ウォーズで女性と黒人が主人公やってます。まったく、こんな映画作るからトランプが当選するんだよ。(って違うか。)良かったのは新しいドロイドのBB-8ぐらい。もう一つ驚いたのは、Wikipediaで見たら、アメリカの評論家がこの作品を絶賛していること。アホじゃなかろうか。

ジョージ・ルーカスの「スター・ウォーズ エピソード III/シスの復讐」

「スター・ウォーズ エピソード III/シスの復讐」を視聴。これで当初計画されていたエピソード6本はすべて視聴しました。エピソードIIでよく分からなかった話が、IIIを見て大体は理解できましたが、それでも映画を観ただけでは十分わからない部分が残りました。(例えば、サイフォ=ディアスってそもそも誰?)それよりイマイチだと思ったのが、アナキンがダークサイドに堕ちる上で、葛藤があまりなくて説得力がないことです。パメラが実際に死にそうになっているのならともかく、予知夢を見ただけであっさりダークサイドになびくのは納得できません。しかも、一回ダークサイドに堕ちると、それですぐに完全な悪の権化になって、子供たちまで虐殺してしまいます。普通はもっと善と悪との間での行きつ戻りつがあるんじゃないかと。パメラが「彼には善の心が残っている」と言っても、まったく真実味がないですし、エピソードVIで、ダース・ベイダーがルークを助けるというのの伏線としても不十分です。それで結局むしろアナキン自身のせいでパミラが死んでしまい、ダース・ベイダーとしてもショックを受ける訳ですが、その辺の葛藤はIIIとIVの間で何も描写されていません。
全体に、特撮の画面や音響は素晴らしいものがありましたが、ストーリーとしてはかなりちゃちでした。観る前はアシモフの「銀河帝国の興亡」みたいなドラマを期待していたんですが、まったく違いました。

ジョージ・ルーカスの「スター・ウォーズ エピソードII/クローンの攻撃」

「スター・ウォーズ エピソードII/クローンの攻撃」を視聴。前半部分はまったくといっていいほど面白くなかったです。あの可愛かったアナキン坊やがいまや中二病のクソガキになってしまって、ジェダイの癖に女に走るし。どうもスター・ウォーズの三部作の真ん中は中途半端でよくないと思います。またストーリーもワケワカで、なんでジェダイ・マスターが極秘裏にクローンの軍隊を用意していたのかその辺の事情がさっぱりでした。ただ、後半の戦いはまあ面白く、ヨーダが初めて戦うのを見れたのはちょっと良かったかも。ヨーダってどう見ても志村喬だよな、と思ってググってみたら、同様の意見はいっぱいありました。

ジョージ・ルーカスの「スター・ウォーズ エピソード I/ファントム・メナス」

「スター・ウォーズ エピソード I/ファントム・メナス」を視聴。このエピソードは割と楽しめました。ビームサーベルじゃなかった、ライトセーバーのチャンバラの「殺陣」が、エピソードIV、V、VIに比べるとかなり改善されたように思います。若干、カンフーぽくなってきた気もしますが…(「燃えよドラゴン」の”Don’t think, feel!”も使われていましたし…)しかし、相変わらず変な日本趣味は満載で、ダース・モールの顔はほとんど歌舞伎の隈取りだし、アミダラ女王の髪型はこれまた変な日本髪だったし…ポッド・レースは、「ベン・ハー」か「マッハGoGoGo」のパクリのように思いました。(「マッハGoGoGo」はアメリカでも”Speed Racer”の名前でテレビ放映されていて、結構人気がありました。)アナキン坊やはとても可愛かったですね。あれで将来ダークサイドに落ちるとはとても思えませんが。

リチャード・マーカンドの「スター・ウォーズ エピソードVI ジェダイの帰還」

「スター・ウォーズ エピソードVI ジェダイの帰還」を視聴。IV、V、VIと三本観てようやくどういうお話なのかが理解できました。結末はあまりにも予想通りでしたが、大衆小説的結末でまあいいかなと。どうでもいいけど帝国軍弱すぎ。精鋭を集めて待ち構えていた所でああもあっさりとやられるとは。また、初代のデススターも二代目も結局同じような攻撃で破壊されて、帝国軍に学習能力はないのかと。また、森の月のテディベアみたいな原住民の描写が何というか今時(といってもかなり前ですが)あまりにもステレオタイプな「未開民族」描写で笑ってしまいました。まあお話はわかりましたけど、良くわからないのは、アナキン・スカイウォーカーが何でフォースの暗黒面に落ちたかということで、それでI、II、IIIが作られたんだな、と理解しました。

アーヴィン・カーシュナーの「スター・ウォーズ エピソードV 帝国の逆襲」

「スター・ウォーズ エピソードV 帝国の逆襲」を視聴。IVはそれなりに楽しめましたが、Vは私的には全然ダメでした。「星間戦争」って言っている割りには、ちゃちな局地戦を繰り返しているだけだし、帝国軍のウォーキーとかいう兵器、モビルスーツとかモビルアーマーに慣れている目から見るととても原始的にしか見えないし、挙げ句の果ては親子喧嘩…
そのダース・ベイダーとルークのチャンバラも、日本の時代劇を見慣れているこちらからすると、低レベルで嫌になりますし。
正直、後5本観るのが辛くなってきました。

ジョージ・ルーカスの「スター・ウォーズ エピソードIV『新たなる希望』」

「スター・ウォーズ エピソードIV『新たなる希望』」をこの歳になって初めてブルーレイで視聴。今回、ブルーレイで、エピソードIV、V、VIとI、II、IIIとVIIをまとめて購入。全部で11,000円ちょっとで、映画館で7回観るより安かったです。
「スター・ウォーズ」シリーズについては、これまで映画館でもTVでも1回も観ていません。そもそもこの映画とは出会い方があまり良くなくて、1977年に日本で封切られた時は、ただでさえ半年早くアメリカで封切られて、大量に情報が事前に日本に流れ込んできたのに加え(日本人でハワイやグアムで観てきたという人がたくさんいました)、当時は鹿児島市にいました。今は映画は新作は全国同時封切りだと思いますが、当時はフィルムであったため、まず首都圏やその他大都市圏で公開され、その後徐々に地方に回ってくることになっており、鹿児島などは首都圏に比べると半年は公開が遅かったです。そういう訳で鹿児島で公開された時は、あまりにも情報があふれていて、映画館で改めて観ようという気持ちにはなれませんでした。それに当時は高校生で全国有数の進学校に入学して、授業についていくのに必死だった頃で、その意味でも映画館に行くことはなかったです。その後TVで放映されたりしましたが、この映画は映画館で観るべきという意見に従い、TVでも観ていません。今回、家でブルーレイで観たのは、今では42インチの大形TVを持っていますし、オーディオもサブウーファー付きの素晴らしいものがあるので、家で観てもまあいいかと思いました。
で、初公開作品のエピソードIVを今回初めて観たんですが、感想は「これって日本の時代劇映画じゃないの?」でした。この映画が黒澤明の「隠し砦の三悪人」に影響を受けていることは知っていますし、「隠し砦の三悪人」も観ていますが、それ以外に、
(1)主人公のルークの服装がほとんど柔道着
(2)ライトセーバーの斬り合いがフェンシングでなくて、ほとんどチャンバラそのもの
(3)お姫様を助け出すというストーリー
(4)主人公を助けるニヒルで腕が立つ脇役(ハン・ソロ)
(5)肉体面より精神面を重視する「フォース」
など、日本の時代劇映画の特徴が満載です。調べてみたら、ジェダイの騎士のジェダイは「時代」から取ったのだという説もあるみたいです。
そういう意味で、白井喬二作品など日本の大衆時代小説を読んでいた関心とこの映画は比較的無理なくつながっている訳です。