白井喬二の「坊ちゃん羅五郎」

jpeg000-66白井喬二の「坊ちゃん羅五郎」を読了。雑誌「富士」で1934年3月から1935年11月まで連載されたもの。雑誌掲載時は「坊様羅五郎」で単行本の時に「坊ちゃん」に改められたようです。(「富士」を入手していないので、確かめてはいませんが、作中で家来の呂之吉が主人公のことを「坊様」と呼んでいますし、白井喬二自身も「さらば富士に立つ影」の中で「富士」に「坊ちゃん羅五郎」を連載したと書いていますので、「坊様」と「坊ちゃん」が同一作品なのは間違いないでしょう。)主人公の負田羅五郎はタイトル通り、お代官の一人息子で何一つ不自由なく育てられて、20歳にもなって朝は10時、11時どころか時には1時過ぎまで寝ているという怠け者でお坊ちゃんですが、これが初めての仕事で父の名代で海賊と土地の者が争ったのを仲裁するという役目を負わされます。ところが、その手打ち式の当日、父である代官の狭衣之助が、同僚の陰謀で失脚して代官ではなくなります。父が代官という後ろ盾が無くなったことを知った海賊は態度を豹変させて、羅五郎の仲裁を拒否するのですが、一旦引き上げた羅五郎は、役所の倉庫から大砲を取り出して、その海賊の家に一発ぶっぱなします。海賊の家は見事焼け落ち、その海賊も死んでしまいます。家に戻った羅五郎は、閉門の禁を破って母に会います。この大砲を勝手に引き出して民家にめがけてぶっぱなしたのと、閉門の禁を破った罪で、羅五郎はお尋ね者になります。ここからが、羅五郎は白井作品の主人公らしく、正義感にあふれ、また剣の腕も柔術の腕もなかなかの若者として活躍します。家来と一緒に薬屋に化けて代官所に乗り込み、見事父を救い出します。その後羅五郎は女性に化けて、ある女郎屋に乗り込みます。そこでやはり売られてきた女性と知り合い、その女性を抜け出させます。逃げる途中で色んな偶然で、旅芸人一座に入った羅五郎は、柔術の達人として人気を博しますが、仲間を投げたので嫌われ、旅芸人一座を首になります。そこへ女郎屋から追っ手がやってきて、羅五郎がうまく追っ手をまいて、というところで、「続」へ続きます。

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三遊亭圓生の「派手彦」

jpeg000-70本日の落語、三遊亭圓生の「派手彦」です。
圓生以外は演らない珍しい話で、確かに検索してみても圓生以外は出てきませんでした。
松浦佐用姫という伝説があって、Wikipediaによると、「537年、新羅に出征するためこの地を訪れた大伴狭手彦と佐用姫は恋仲となったが、ついに出征のため別れる日が訪れた。佐用姫は鏡山の頂上から領巾(ひれ)を振りながら舟を見送っていたが、別離に耐えられなくなり舟を追って呼子まで行き、加部島で七日七晩泣きはらした末に石になってしまった。」となります。「派手彦」はこの話をベースにして落語に仕立てたものです。もっとも男女は入れ替えられていて、「大伴狭手彦」にあたるのは、踊りの師匠の板東お彦=派手彦。「松浦佐用姫」にあたるのが、酒屋の松浦屋の左兵衛。左兵衛が派手彦に恋煩いして、めでたくこの二人は夫婦になります。二人は仲睦まじく暮らしていましたが、ある時木更津でお祭りがあって派手彦も呼ばれて踊ることになり、小網町から船に乗りますが、これを見送った左兵衛が固まって石のようになってしまいます。「女房孝行(香香=漬け物)で、重石になった」というオチです。