漱石と牡蠣

夏目漱石が「吾輩は猫である」の中で、主人公の猫が飼い主の苦沙弥先生のことを「牡蠣的主人」(寡黙であまり出歩かないという意味で)と呼んでいますね。ご承知の通り漱石は1900年5月から1902年12月までロンドンに留学しています。その当時は「牡蠣=寡黙、非社交的」のイメージは英語の中で確固としてあったのでしょうね。
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彼は性の悪い牡蠣のごとく書斎に吸い付いて、かつて外界に向って口を開いた事がない。

人間もこのくらい偏屈になれば申し分はない。そんなら早くから外出でもすればよいのにそれほどの勇気も無い。いよいよ牡蠣の根性をあらわしている。

主人のようなしなびかけた人間を求めて、わざわざこんな話しをしに来るのからして合点が行かぬが、あの牡蠣的主人がそんな談話を聞いて時々相槌を打つのはなお面白い。

そんな浮気な男が何故牡蠣的生涯を送っているかと云うのは吾輩猫などには到底分らない。

小説中の人間の名前をつけるに一日巴理を探険しなくてはならぬようでは随分手数のかかる話だ。贅沢もこのくらい出来れば結構なものだが吾輩のように牡蠣的主人を持つ身の上ではとてもそんな気は出ない。

「はあ賛成員にならん事もありませんが、どんな義務があるのですか」と牡蠣先生は掛念の体に見える。

原子力潜水艦シービュー号の”The Deadly Dolls”

原子力潜水艦シービュー号の”The Deadly Dolls”を観ました。シービュー号のクルーがクレーン艦長とネルソン提督を除いて、あやつり人形の化けたものに入れ替わるという設定で、第3シーズンの蝋人形とまったく同じで芸がありません。しかも蝋人形の時は室温を最大限上げて蝋を溶かして勝ちましたが、今回はバーナーで人形を「焼いて」倒す、というのもまったくひねりがありません。でそれらの人形を操っているのが、謎の宇宙生命体で、ヤドカリみたいに寄生する固い殻を必要としていて、シービュー号をそれにしようとするという話です。クレーン艦長はパペットが化けたクルーに追いかけられてシービュー号の空調ダクトの中を逃げ回りますが、このパターンももう何回目でしょう。何か変なネルソン提督人形がやたらと出てきてしゃべって狂言回しみたいな役を演じますが、だったら人形遣いみたいな教授がいる必要はないんじゃないかと。もしかするとサンダーバードのスーパーマリオネーションへの当てつけかとも思いましたが、サンダーバードは実はアメリカではTV放映されていないので、多分違うでしょう。