本日のNHK杯戦の囲碁は黒番が許家元8段、白番が山田規三生9段の対戦です。この碁の焦点となったのは左上隅からの戦いです。その前に上辺でのやり取りがあった時、黒は白に上辺を地にさせ、その代り中央に二間で進出しました。この後この黒が厚みとして働くか、それとも白に攻められるのかが勝敗の分かれ目でした。山田9段はその黒を攻めることを狙って左上隅から大ゲイマして左辺とこの黒の間を分断に行きました。黒はすかさずその大ゲイマの間を分断に行き、戦いが始まりました。白が左辺の黒に付けて、黒がハネ、白が伸びた時、通常は左辺の断点を継ぐのですが、ここで黒は中央から白全体を包囲する手を打ちました。この手が好判断で白は勢い左辺を切りましたが、黒が下から当てたのが好手で、白は黒の勢力圏の中で2つに分断され、どちらもある意味もがいて生きなければならなくなりました。まず上方の白は活きること自体なのは難しくありませんでしたが、後手活きになりました。そして先手を取った黒が今度は下方の白を攻撃しました。山田9段はこの白をただ活きる手は打たず、劫含みで反撃しました。しかし劫材が十分ではなかったため、結局下辺で2段バネしてまくって絞り、1線を渡って右下隅に連絡するということになりました。この方が単に中で活きるより若干でも地を持っておりかつ黒の模様も荒らしているので優りましたが、更に黒が右下隅で星の左下に打ち込んでいったのが、許8段のさすがというべきしつこさでした。この黒は単独で活きるかあるいは捨て石にして右辺に模様を築くのどちらも出来ましたが、結果的には右下隅は白地になり、その代わりに右辺に白の一段が取り残され、これが攻められることになりました。そのシノギで白は中央の黒の断点を覗きましたが、黒が継がずに右辺を取ってしまったのが好判断でした。勢い白も切っていきましたが、オイオトシで取られそうになっていた種石を愚形で当て込むのが先手であり、そこを白が継げば上方から脱出という見合いになり、黒が捕まることはありませんでした。こうなると右辺が全部黒地になって地合は大差となり、白の投了となりました。
日別アーカイブ: 2019年10月27日
白井喬二の「富士に立つ影」読み直し 孫代篇
白井喬二の「富士に立つ影」の読み直し、孫代篇を読了。さしもの好漢、熊木公太郎も佐藤兵之助の部下の銃弾により命を落とし、かたや佐藤兵之助の方も、鉄砲の名人の一つ玉の国蔵に狙われ、国蔵がやはり部下の銃弾に倒れたため弾が逸れ、命こそ助かったものの膝に銃弾を受け、哀れにもビッコになってしまいます。
一方で、その兵之助とお園の子兵吾は、武士を憎み船大工の修行をしていましたが、ふとしたことからをれを止めて、侠客上冊吉兵衛の配下に加わり、侠客として名を上げていきます。思えばこの兵吾こそ、熊木伯典と佐藤菊太郎の両方の孫であり、ある意味そのどちらの才覚も受け継いでいます。そして結局は佐藤家・熊木家のどちらもが本当の意味で達成出来なかった世俗的な成功をもっとも良く果たします。また成功した後は、母親お園のそれまでの苦労に感謝して楽な暮らしをさせてやるという、この物語の中では、熊木公太郎と並ぶ好漢として描かれます。
それと対照的なのが、その父親である兵之助であり、いまやビッコを引きながら、父親の仇を討たんとする熊木城太郎から逃げ回る惨めな存在に落ちぶれます。かつての仲間や部下からは煙たがられる存在になります。また兵之助は生きてきた証にしようと自伝のようなものを作成しようと一旦は決意し書き始めますが、その内容は自分の都合の良いように事実をねじ曲げたものでした。ある意味素直に過去をありのままに振り返り、兵吾やお園に詫びる気持ちでもあればまだ救いがあるのでしょうが、自分の才覚をただ自分の出世にだけ使って来た男の晩年はみじめこの上ないです。
また不思議なのが公太郎の子の城太郎で、調子のいい時と悪い時が交代する二重人格のような人間として描かれています。調子の良い勝ち番と呼ばれる時は、剣の腕で通っている道場の師範の腕をも上回ります。一種の双極性障害(躁鬱病)なのかもしれませんが、このことが城太郎の敵討ちを困難にします。(逆に言うと読者をはらはらさせるという意味では上手い設定です。)
その城太郎を助けるのが、公太郎の親友であった大竹源五郎です。しかし源五郎は熊木家に足繁く通う内に、公太郎の未亡人である貢に恋した自分に気づき、それを恥じて自殺してしまいます。豪放磊落に見えて実は潔癖であり、あまりにも悲しい結末です。
この篇の最後で、ようやく勝ち番になった城太郎は、源五郎の自害にも気がつかず、兵之助と光之助が話あっている所へ斬り込みます。