スタートレックのファーストシーズンの”Where No Man Has Gone Before”を観ました。観始めて10分くらいで、「あー、これは『光るめだま』だな」と分りました。「宇宙大作戦」として放送された日本語吹き替え版は、せいぜい1/4くらいしか観ていませんが、大学時代に徳間書店から出ていた、全話のストーリーを解説したムック本を持っていました。
お話は、エンタープライズ号よりも200年も前に打ち上げられたヴァリアント号が、エンタープライズ号さえ初めて到達した銀河系外のエリアで、何かの緊急カプセルのような残骸を残していました。スポックがそのメモリーを解読すると、ヴァリアント号は何かのフォースでそこまで引っぱられて、何かの電磁波のようなものに襲われた後爆発していました。エンタープライズ号がその時発見されたフォースフィールドのようなものに接近すると、機器が火を吹き、ワープエンジンがブローアウトしてしまいます。この辺りの描写は何故か原子力潜水艦シービュー号のシーンみたいです。おまけにKelsoというエンジニアを演じているPaul Carrは原子力潜水艦シービュー号にも出ていた俳優です。その時にクルーの一部が電磁波のような衝撃波を受けて倒れ、その後眼が光り出して、超能力を発揮するようになります。特にカーク船長の旧友であるゲイリーが著しく、本を超早読みしてその中身を吸収したり、エンタープライズ号の操作盤を自由に操ったりします。スポックの勧めで、ゲイリーを殺すか、あるいは近くにある資源採掘用の星に置き去りにするか、ということでカークは後者を選びます。しかしゲイリーの能力は成長してほとんど神のような力を持ち始めます。同じような力を身につけ始めていた精神科医の女性がゲイリーと一緒にその星で暮し始めます。ゲイリーを殺そうとやって来たカークですが、まったく歯が立ちません。しかし女医に対して人間の弱さを持ったまま神となってはいけないと説得し、女医がゲイリーを攻撃し、ゲイリーの超能力が弱まっている間に、レザーガンで岩を砕いてゲイリーの上に落としてようやく殺すことに成功するという話です。しかし、前回のも超能力もので、こういう話が多そうですね。
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古関裕而の曲における印象的な下降音型
先日、NHKのヒストリアという番組で古関裕而が取上げられていました。その中で「露営の歌」が大ヒットした理由について、片山杜秀氏が「下降音型の部分が大衆に好まれた」みたいなことを行っていました。それは多分「勝って来るぞと」の「来るぞと」の部分だと思いますが、私はこの曲の特長としてはまずは前奏がいわゆる進軍ラッパのパロディー(長調→短調)とかの方が特長としては目立つと思います。それに何より、下降音型というなら、もっと他の古関の曲でより効果的に使われている例が沢山あります。
最初に挙げるべきは早稲田の応援歌の「紺碧の空」で「すーぐーりーしせーいえーいとーしはもーえーて」の所で2回強調音の後下降音型が続き、これが非常に印象的です。実際に、応援を受けた野球部の選手がこの部分で一番背中を押された感じがしたと言っています。この下降音型、音程を外さないように歌うのは結構大変で、実際に朝ドラのエールの早稲田の応援団はかなり音を外していました。(最初作曲した時に、現実の早稲田の応援団から「難しい」と言われたようですが、古関はこだわってそのままにしています。)
もう一つは、「高原列車は行くよ」で、サビの「高原列車はラララララ行くよ」のラララララの所が非常に印象的な下降音型です。バロックの音楽理論で音画(Tonmalerei)というのがあり、音で風景を活写する技法ですが、その一つで下降音型をカタバシスと言います。(ギリシア語で下降の意味)バッハの受難曲などで多用されていますが、古関のこの曲のここもまさしく列車が下りに入った感じを描写する見事なカタバシスの例だと思います。
他にも、「ラバウル航空隊の歌」、「黒百合の歌」、「君いとしき人よ」、「雨のオランダ坂」、「フランチェスカの鐘」など、下降音型が上手く使われている古関の曲は沢山あります。「フランチェスカの鐘」の半音下降は「バーイバイ」の所ですが、歌詞の中に出て来る「面倒くさくて」というダルな感じを良く描写しています。そういった多くの例の中で「露営の歌」だけ特に下降音型が印象的に使われているとは私は思いません。
(以下、楽譜は「ラバウル航空隊の歌」、「黒百合の歌」、「君いとしき人よ」、「雨のオランダ坂」、「フランチェスカの鐘」の順です。)
「巨人の惑星」の”The Golden Cage”
「巨人の惑星」の”The Golden Cage”を観ました。巨人の惑星に遭難した一行はある日、ガラスの瓶の中に入れられた若い女性を発見します。それはまさしく彼らと同じサイズの人間でした。ビジネスマンのマークが彼女を救おうとしましたが、それは以前行方不明になったマークの親友の娘マーナでした。しかし、マーナは自分が巨人達の実験動物として飼われていることに気付かず、巨人達が自分に良くしてくれているから、マーク達も一緒に住もうと誘います。しかしマークは彼女の家の壁の向こうに何やら実験装置のようなものがあることを察知し、彼女の家から出ます。その時マーナは巨人達からの贈り物だとして緑の箱を渡します。その中には巨大なダイヤが入っていましたが、実は箱の中に発信器がセットされていました。それでマークはやはり巨人達の悪意を確認し、発信器付の箱は野生の七面鳥(フィッチューが捕まえようとしていた)にくくりつけて、巨人達の追跡を躱すという話。でも結局マーナは巨人達の実験材料のままなのか何も説明もなく尻切れとんぼなお話でした。
NHK杯戦囲碁 清成哲也9段 対 富士田明彦7段
本日のNHK杯戦の囲碁は、黒番が清成哲也9段、白番が富士田明彦7段の対戦です。黒は布石で向かい小目の構えで更に辺の中央に打って、三連星と中国流を少し変えたような構えでした。白はその構えに両方とも内側からかかり、左右同型の面白い構えになりました。結局黒が地で先行し、白が厚みを築いて追いかける展開でした。この対局で白の打ち方は一貫して慌てず騒がず黒を追走し、途中でごく自然に黒を抜き去った打ち方は見事でした。黒の誤算は上辺の黒を逃げていく過程で、最初は軽く打って尻尾は捨てる筈だったのが、途中で方針を変えて全て連絡して打ったのが重く、白にじっくりと攻められ、特に中央に15目以上の白地を作られ、また左辺も地にされ、地合で追いつかれてしまいました。途中、白が左辺で左辺と上辺の黒を連絡させないため、通常はコスミの所を隅の黒に付けるという強手を打った時に、じつは黒が逆襲するチャンスがあったようですが黒は決行せず不発に終わりました。富士田7段の冷静な形勢判断が光った一局でした。
「エール」の事実との違い(2)
NHKの朝ドラ「エール」、今週は「露営の歌」と「暁に祈る」が登場しました。「露営の歌」がたった1回で終わりという扱いにびっくり。まあフィクションでドラマですから、事実と違うというのを言っても野暮ですが、曲だけは本物を使っているんで、誤解してもらいたくないです。・「露営の歌」は、古関夫妻が奥さんの金子さんのお兄さんが満州で会社をやっていた関係で満州を旅行し、日露戦争の戦地の跡を回って実際の戦争の陰惨さを身をもって理解したことが背景にあります。
・そして「露営の歌」の作曲は自宅ではなく、その満州からの帰国の時にコロンビアから電報が入り急いで作曲して欲しいものがあるので、船で神戸まで行かず、門司で下りて汽車で戻って欲しいという要請がありました。そして汽車の中ですることもなく退屈していたら新聞に「露営の歌」が載っていて、それで汽車の中で短時間で作曲したもの。
・それでコロンビアに出社したら、作曲して欲しいというのが「露営の歌」で、「それならもう出来ています」と差し出し、コロンビアのディレクターがびっくりして「どうして分ったんですか」と聞いたら、「そこは作曲家の第六感ですよ」と古関はとぼけて答えています。
・エールだと短調に難色を示されていますが、実際はコロンビアのディレクターも短調がいいと思っていました。
・「露営の歌」の歌手は、佐藤久志のモデルである伊藤久男も入っていますが、実際は5人での斉唱で、当時のコロンビアの男性歌手陣の総動員(中野忠晴、松平晃、伊藤久男、霧島昇、佐々木章)でした。コロンビアもこの曲がおそらく出征兵士の見送りの時に皆で斉唱されるんだろうということを想定していたんだと思います。この5人の中では後にジャズ系の軽快な歌をボーイズグループで歌った中野忠晴が軍歌を歌っているのがちょっと面白いです。
・「暁に祈る」を依頼した軍人は、硫黄島の戦いで守備隊長として戦死した栗林忠道陸軍大将で、当時は陸軍省兵務局馬政課長でした。
・「暁に祈る」の作詞で、野村俊夫が何度もダメ出しされたのは事実で、7回書き直しています。そして最後のダメ出しの時に「あー、もう嫌だ」と叫んだ結果で、その「ああ」という冒頭の歌詞につながっています。
・そしてその冒頭の「ああ」の歌詞に、今度は作曲の古関裕而がどんな旋律を付けるか悩むことになりますが、たまたま家で奥さんの金子さんが詩吟をうなっていて「あーあー」とうなったのを「これだ!」と思って採用したという嘘みたいな話があります。
・エールでも出て来ましたが、軍馬の飼育を奨励するのが目的の映画の主題歌なのに、「馬」は3番で「あーあー傷ついたこの馬と飲まず食わずの日も3日」と出て来るだけです。
・後、「露営の歌」については、古関が中国に慰問に行った時の感動的なエピソードがあるんですが、これは多分これから出てくるんだと期待しましょう。このエピソードを使わないのであれば、その脚本家は失格です。
本多猪四郎の「モスラ」
「モスラ」(本多猪四郎監督、1961年)を観ました。大体のストーリーは知っていますが、全部通して観るのは今回が初めて。これも音楽が古関裕而だから。
気付きなど。
1.女性の祈りで守護神が来る、というのは大魔神ですね。といっても大魔神は1966年なんでこちらの方が先ですが。
2.蛾というよりイメージはお蚕様ですね。養蚕の神様の「おしら様」というのが遠野物語に出て来ますが、それを思い出しました。
3.最後にモスラをおびき寄せるのに、鐘が使われますが、まさか音楽が古関裕而だから鐘を使ったのでは?と思いました。
4.シン・ゴジラでのゴジラが途中で変態するのは、このモスラへのオマージュなのかなと思いました。
5.インファント島の原住民は日本人俳優の顔黒塗りで、今では完全にアウト。
6.またロリシカ国のシーンでは、アフリカ系アメリカ人は一人も登場しません。1961年で公民権法が成立する前にはこのようにアフリカ系アメリカ人の俳優というのはきわめて例外的でした。
7.そのロリシカ国をモスラが襲う特撮はなかなか見応えがありました。
8.また東京のシーンでは、東京タワーの回りに高層ビルが一つも無いのに驚き。といってもよく考えたら霞が関ビルが1968年オープンなので、1961年だったら当たり前でした。
9.古関の「ドンドンドコドコ」のリズムは、例えば「三日月娘」とかにも使われていて、古関流のエキゾチズム描写ですが、ワンパターンといえばワンパターンです。
10.フランキー堺は3枚目的な新聞記者でしたが、達者な演技でした。
まとめて、東宝の怪獣映画の中ではかなり良く出来た方ではないかと思います。小美人のピーナッツも可愛かったし。
ヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」についての訳者コメント
ヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」について色々と記事をアップしましたが、最後のものとしての訳者コメントをアップしました。
十二分に検討したものではなくて、あくまでも約11ヵ月かけて訳して来た結果としての正直な気持ちという所で、学問的な批判のレベルにはなっていないです。
ただ、この論文のための各種ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの調査が後の「理解社会学のカテゴリー」においての、かなり特殊なゲマインシャフトとゲゼルシャフトの位置付け(テンニースのように対立する概念ではなく、ゲゼルシャフトは特殊なゲマインシャフトとするもの)につながったのではないか、というのはかなり本気でそう思っています。
ヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」の英訳の評価
ヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」のLutz Kaelber氏による英訳である、“The History of Commercial Parntership in the Middle Ages”, Rowman & Littelfiels Publishers, Inc., 2003、についての評価を公開しました。この英訳に感謝しながらも、私が理想とする翻訳からはほど遠く、やはり厳しい評価になっています。
山本嘉次郎監督の「雷撃隊出動」
山本嘉次郎監督の「雷撃隊出動」を観ました。これも主題歌が古関裕而だからというのが観た理由の一つですが、その主題歌は後半残り1/3の所で兵隊達が野原で酒盛りするシーンで少し聞えるというだけであまり主題歌らしい扱いではありませんでした。ちなみにこの主題歌は戦後、別の歌詞が登山家達によって付けられ「穂高よさらば」という替え歌に生まれ変わっています。
「ハワイ・マレー沖海戦」と同じ監督ですが、そちらが実話ベースで日本が勝つ話ですが、こちらは昭和19年11月製作、12月公開です。昭和19年8月には学童疎開が始まっており、大本営発表にもかかわらず敗色の濃さが国民にも実感されて来た頃です。そのためかこの映画もかなり暗く、南方の基地で、肝心の飛行機が来ず、それを待つ間がかなりの時間を占めています。そして後半残り1/3の所(酒盛りシーンと同じタイミング)でやっと戦闘機と艦攻機(天山と一式陸攻)が到着し、その時丁度発見された敵機動部隊(空母12隻)を基地と空母(瑞鶴)の両方から攻撃隊が発進して攻撃するという話です。基地からの攻撃は夜間雷撃になりましたが、そんなの可能だったのかと思いましたが、天山にはレーダーが装備されていて実際に夜間雷撃はあったようです。空母からの発艦シーンは、真珠湾攻撃に参加した空母6隻の内で最後まで残った瑞鶴で撮影されています。しかしこの映画が封切られた時は、レイテ湾攻撃に参加した瑞鶴は敵の攻撃で沈没し、既に存在していない艦でした。結局の所は、「一人で10人倒せばアメリカに勝てる」というやけくそ気味の思想で、攻撃隊はそれぞれ魚雷を命中させますが、被弾した後敵空母に自爆攻撃して果てる、という気持ちの良くないラストになっています。
大塚久雄氏の「中世合名・合資会社成立史」への言及への批判
ヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」についての日本人学者の言及として、大塚久雄氏の「株式会社発生史論」におけるそれについての批判をアップしました。私はマルクス主義のいわゆる「発展段階説」が大嫌いなので、自然と辛口の批判になりました。