スター・トレックの第2シーズンの”By Any Other Name”を観ました。エンタープライズ号はある惑星からの救助信号を受信してその星の上に4人が降り立ちます。すぐに男女2人を見つけますが、男は「降伏してエンタープライズ号を引き渡せ」と言います。抵抗しようとしたカーク達はパラライザーで動けなくされます。この2人はアンドロメダ星雲からやってきており、その星雲の放射能レベルが上がって住めなくなり、新しい住処を求めて銀河系にやってきたのが、銀河系の端にあるエネルギーのバリアで彼らの宇宙船が損傷し、一度アンドロメダに戻るため、エンタープライズ号を使おうとしたものでした。すぐに他のメンバーがエンタープライズ号に転送され、エンタープライズ号を制圧します。彼らはまたエンタープライズ号で星雲間飛行が出来るように改造までします。スコットとスポックは、反物質を使ってエンタープライズ号を自爆させることを提案しますが、カークはそれを実行しませんでした。結局エンタープライズ号は上手くエネルギーのバリアを突破し、アンドロメダ星雲に向かいます。カーク、スポック、マッコイ、スコットの4人以外は、食料が不足するとして中和され小さな岩石にされてしまいます。しかしカーク達はアンドロメダのエイリアンがエンタープライズ号を使うためには人間の形を取るしかないことを理解し、彼らが慣れていない人間的な感情を誘発して彼らの油断を引き出そうとします。カークは女性のケリンダに近づき、彼女にキスの仕方を教えます。それを見た一行のリーダーのロジャンはカークに激しい嫉妬を覚えるようになります。一方スコットはあるエイリアンに強い酒を勧め、酔い潰して見事パラライザーを奪いますが、自分も結局つぶれてしまいます。またマッコイはあるエイリアンに興奮剤を注射し、ロジャンと喧嘩するように仕向けます。カークがケリンダと愛しあっているのを見たロジャンは、パラライザーを使わずに肉体の力でカークと戦います。ロジャンを押さえ付けたカークは、このまま人間の体で旅を続ければアンドロメダに着く頃はすっかり人間と同じになり、つまり元の星の人にとってはエイリアンとして扱われると説得し、銀河系の中で最初にエイリアン達がいた星を住処とすることを提案し、エイリアンも結局それに従います。知性で敵わない相手を感情で混乱させるというのは、これまでもコンピューター相手とかで出てきていて、ワンパターンといえばワンパターンです。
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「巨人の惑星」の”Graveyard Of Fools”
「巨人の惑星」の”Graveyard Of Fools”を観ました。今までの中で一番デタラメでストーリーが無茶苦茶なお話でした。キャプテン達が二人組の巨人に捕まって、リモコン操縦の模型飛行機に乗り込まされて「馬鹿者どもの墓場」という場所に送られます。途中、キャプテン達がリモコン操作を出来なくして自分達で操縦し出したので、二人の巨人はパワーアクチュエイターという一種の物質転送機みたいなもので、キャプテン達を墓場に飛ばします。何で巨人達がそんな高度な技術を持っているかというと、異星人が置いていった、というだけの説明。もはや何でもありです。結局模型飛行機が運んだのはそのパワーアクチュエイターを修理する部品で、それをチューブの中に取り付けるのにキャプテン達が必要だったということです。しかしキャプテン達は捕まっている間にそのパワーアクチュエイターの動かし方を見つけ、再度模型飛行機に乗り込んで、元の出発場所にいるマークの力も借り、墓場を脱出します。パワーアクチュエイターはしかし加熱して最後は大爆発というオチですが、一体この話は何が言いたかったのかさっぱり分かりません。そういう意味でこれまでで最低です。それからまたもトカゲ恐竜登場、といっても「巨人の惑星」では単なる普通のトカゲがキャプテン達から見て巨大だというだけですが。またマークが捕まえられたフォースフィールドは以前出てきたものの転用ですし、パワーアクチュエイターもどうやら原子力潜水艦シービュー号の原子力エンジンの転用ではないかと思います。
「大魔神逆襲」
「大魔神逆襲」を観ました。これが三部作の最後で1966年の11月の公開です。今回は雪山の魔神で、冒頭では決して良いだけの神ではなく、人間に災害をもたらす荒ぶる魔神として描写されます。またこれまで2作は女性の涙で大魔神が呼ばれましたが、今回は悪い武士に捕まって労働をさせられている木こり達を探しに行く子供達4人(途中で一人溺れて3人になります)が、大魔神を呼び出すことになります。更には新機軸としては、大魔神の化身として鷹が登場します。子供たちが親たちを探しに魔の山に入って行く過程がちょっと長すぎて中間がだれます。また前2回のように悪者が直接魔神像に対して何か不敬なことをやるというのがなく、最後に悪者が大魔神にやられるシーンが今一つカタルシスに欠けるような気がします。今回人間側が大魔神を攻撃する武器として大砲が登場しますが、これも大魔神は蹴散らします。この第三作は興行的にはあまり良くなかったため、これが大魔神シリーズの最後になってしまいます。しかしこの三部作の成功は、何といっても大魔神の造形と特撮で、よくもここまで恐ろしい魔神を作れたものだと思います。
「大魔神怒る」
「大魔神怒る」を観ました。大魔神シリーズの2作目で、1966年のお盆に公開されたようです。夏の公開のせいか、今回の大魔神は湖の中の小島に鎮座しています。それでいつものパターンで悪逆な武士達が領民を苦しめ、大魔神の石像を爆破し、石像の破片は湖に沈みます。そしてあるお姫さま(藤村志保)の祈りと涙によって大魔神が登場する訳ですが、そのシーンでは湖の水が真っ二つに割れて、とこれは明らかにセシル・B・デミルの「十戒」の映画でモーセが海を割ってユダヤの人々を逃がすシーンのパクリです。パクリと言えるのはもう一つあって、最後に沈んだ大魔神の小島の鐘が湖の底から鳴り響くのですが、これはハウプトマンの「沈鐘」からのようです。後私にとってうれしかったのは、度々平と昇太の母親役で橘公子が出ていたことです。この時45歳くらいでしょうか。(橘公子は戦前の「富士に立つ影」や戦後すぐの「狐の呉れた赤ん坊」などで知られる美人女優です。)
それから今回は人間側の大魔神への攻撃もスケールアップして火薬で大魔神を爆破しようとしますが、大魔神はびくともしないのはお約束通り。しかし、この映画でも特撮の見事さは光っていて、大魔神と普通の人間がからむシーンで違和感がまったくありません。実際には大魔神は着ぐるみで中には人が入っているので、実サイズは等身大です。いわゆるブルーバック合成で画面を作っています。
スター・トレックの第2シーズンの”Patterns of Force”
スター・トレックの第2シーズンの”Patterns of Force”を観ました。1960年代のアメリカのSFものTVドラマには必ずといっていいほど登場するナチスドイツもの。エンタープライズ号は、エコスとジーオンという2つの星系の監視に派遣されていた、元カークのアカデミーでの先生だったジョン・ギルからの連絡が途絶えたのを調査するため、エコスに向かいます。エンタープライズ号からの呼びかけに対しギルからの返事は無く、カークとスポックは転送装置でエコスに降り立ちます。そこは何とナチスドイツそのものの社会で、2人はジーオンのスパイだとして捕まります。そしてジョン・ギルがエコスで「総統」と呼ばれて崇拝されているのを知ります。カーク達はジーオンの地下工作員と協力してなんとかギルに会って訳を聞こうとします。そして総統のジーオン攻略作戦のための最終スピーチが行われる会場に忍び込みます。カークはギルが薬物によって昏睡状態で強制的に喋らされていることを察知し、マッコイをナチの軍医の格好で転送するよう命じます。マッコイが打った気付け薬でギルはなんとか質問に答えられるようになり、ナチス式を導入した理由は、エコスの無法社会に対してはナチス式がもっとも短期間に有効な結果を残せるから選択したと答えます。しかし途中でメラコンという男がギルを裏切って自分でジーオン征服を進めようとし、ギルを昏睡状態にして操っていたということです。カークはギルに再度気付け薬を打ち、ジーオンへの侵略作戦を中止する演説をさせ、そしてメラコンこそ裏切り者であることを暴かせます。逆上したメラコンがギルのいる部屋に向かって銃を撃ち、ギルは倒れます。ギルはカークに向かって「歴史家が歴史に学べなかった」という言葉を残して息絶えます。なおこの回は1995年まではドイツでは放送されなかったそうです。日本でもタイムトンネルで真珠湾攻撃と硫黄島での戦いの2話は放送されませんでした。
「巨人の惑星」の”The Deadly Dart”
「巨人の惑星」の”The Deadly Dart”を観ました。SIDのコービッド捜査官は、失敗続きで左遷されたのか、今回はSIDの他の捜査官が登場します。その一人スワンにマークが弓矢を射かけられながら逃げています。しかしスワンは踵に毒針を刺されて死にます。他にも同じように殺された捜査官がいました。ラジオの女性ニュース記者のフライは一連の事故がすべて地球人達の仕業だということで大衆を煽ります。そうこうしている内に今度は市中で爆発事故が起きます。これについてもキャプテン達は、スピンドリフト号の非常用の爆薬が持ち出されていることを確認します。ダンは一度戻って来ましたが仲間達にも疑われたため逆上し、スピンドリフト号から出ていきますが、すぐに真犯人によって捕らえられてしまいます。キャプテン達はダンの無線機を手がかりにその位置を突き止めようとしますが、その途中でスワン捜査官が作った電磁トラップにひっかかったりします。しかし結局二方向でダンの無線機を追っていった線が交わる所はSIDの本部でした。結局の所はバーカーというSIDのヒラの捜査官が、自分が25年もSIDに勤めていたのに出世せず、元同期の捜査官にこきつかわれるのを恨んでの犯行で、最後バーカーがグレイソン捜査官を毒針で殺そうとしたのを、キャプテンが注意して知らせ、バーカーが捕まるという話です。犯人の意外性はありますが、途中の伏線が解決しないままになっていたりで、全体として出来がいいとは思いませんでした。
「大魔神」(1966年)
何となく観たくなって、「大魔神」三部作のブルーレイを購入。そしてまず安田公儀監督の(今初めて知りましたが、大魔神三部作は全部監督が違うんですね)「大魔神」(1966年)を観ました。脚本・俳優・特撮とそれぞれレベルが高く楽しめました。今のCGお手軽特撮と違って、セットを組んでブルーバック合成でと非常に手間がかかっていて、それでいて不自然な感じがほとんどない見事な特撮だと思います。大魔神も迫力満点で、子供の頃これを映画館の大スクリーンで観ていたら(私はこの映画は何故か小学校での上映会で観ました)結構トラウマになったのではないかと思います。ちなみにこの最初の話では大魔神は本当は魔神ではなく、山の中の悪い魔神を封じ込めている神として登場します。悪者の謀反を起した武将は、この程度であれば戦国時代ではごく普通であり、もう少し悪者ぶりの描写があればと思いました。音楽もゴジラの伊福部昭であり、見事でした。
スター・トレックのシーズン2の”Return to Tomorrow”
スター・トレックのシーズン2の”Return to Tomorrow”を観ました。もう何回目か忘れましたが、新しいエイリアンコンタクトものです。ただそのエイリアンが地球人の先祖ではないかとされているのがちょっと面白い所です。カーク達がある惑星の何かのエネルギーによってその惑星に呼び寄せられ、サーゴンという男の呼びかけを聴きます。その星は100万年前に何かの理由で生き物が住めない状態になり、そのままとなっていました。サーゴンはカーク、スポック、生物学者のアンとマッコイの4人に転送装置で地下の空間に来るように言います。そこに居たのは、純粋なエネルギー体として球形の保護装置の中に生きていた人間3人でした。サーゴンはカーク達の体を借りてアンドロイドを作り、その中に移るというプランを示し、それに協力してくれたらはるかに進んだ科学知識を教えてくれると言い、カークは承諾します。しかしスポックの体を借りて実体化したヘノックという男が、カークの体を借りたサーゴンに毒薬を注射して殺そうとします。まあこの展開は、元夫婦のサーゴンとタラッサ、そしてヘノックというアンバランスな組み合わせから容易に予想された展開でした。殺されたと思ったサーゴンは実はエンタープライズ号そのものに乗り移っており、結局スポックの体でエンタープライズを思いのままにしようとしたヘノックを策略で倒して、という話です。サーゴンとタラッサがカークとアンの体を借りて、束の間のラブシーンを演じるのがちょっと悲しくも美しい、というものです。
「巨人の惑星」の”Wild Journey”
「巨人の惑星」の”Wild Journey”を観ました。またしてもウェルチ脚本。まあ今回のはましな方でしたが、脈絡もなくまたタイムパトロールみたいなの(しかも前回出てきたのとはまったく別の)が出て来て何の説明も無いというのは、さすがウェルチです。キャプテンとダンが、巨人の警察官に追われていたどこかの星から来たタイムパトロールみたいな男女二人と知り合います。その二人は時空を自由に移動出来るガジェットを持っていて、それを偶然手に入れたキャプテン達は、スピンドリフト号が出発する前のロサンゼルス空港に移動します。要はスピンドリフト号をその日運航させなければ、全員が巨人の惑星に飛ばされることはない、ということです。しかしそれは過去を変えてしまうことになるため、タイムパトロールの二人がそれを阻止しようとする話です。途中で何故かキャプテン達は地球の上で小人サイズに縮められてしまいます。そして元のサイズに戻る時に飲んだ薬で結局記憶を消されて、最終的にはやはり元の歴史通りスピンドリフト号を運転してクラッシュする、という話です。
アン・バンクロフトの映画「卒業」
アン・バンクロフトの映画「卒業」を今さらながらに初めて観ました。観た理由ですが、サイモン&ガーファンクルの名曲「ミセス・ロビンソン」がどうもずっと思っていた歌詞の内容とは違うんではないかということを確かめたかったためです。まずミセス・ロビンソンは、この映画の主人公ベン(ダスティン・ホフマン)を誘惑し不倫を重ねる身持ちの悪い女性です。歌詞の内容はミセス・ロビンソンを褒め称えるようで、実は皮肉っているのが真相のようです。ただ、映画版の同曲はシングルカットされたのとアレンジが違い、歌い方にも皮肉る調子があり、また歌詞も少し違うようです。どうもシングルカットされる時に一般に受ける内容に変えたのではないかと思います。それから「サウンド・オブ・サイレンス」については「え、ここで使うの?」という感じで違和感がありました。逆に「スカボローフェア」については実にピッタリのシーンで登場します。何故かというと「スカボローフェア」は元々イギリスのバラードで、妖精の男性に結婚を迫る若い女性に対し、妖精が絶対に不可能なことを出来たら結婚すると言い、若い女性が負けず「じゃあこれをまずそちらが出来たら私もそれをやる」と不可能なことを要求し返す、という内容に基づいているからです。(「スカボローフェア」では、「針と糸を使わず縫い目が無いシャツを作ってくれ」「潮の満ち引きする間の砂地に家を建ててくれ」といったことが要求されます。)
また面白いのは、音楽でサイモン&ガーファンクル以外にデイブ・グルーシンが参加していることです。私はデイヴ・グルーシンは中本マリの「アフロディーテの祈り」で知りました。
映画の内容は非常に有名なのでコメントは省略します。