「ドリーム」観て来ました。「ドリーム」は日本向けタイトルで、オリジナルは”Hidden Figures”みたいです。1961年の話で、当時アメリカはソ連に宇宙開発で完全に遅れを取っていて、ソ連から核ミサイルで攻撃されることを本気で心配していました。映画にも出て来ましたが、核攻撃を受けたら机の下に潜りましょう、なんて教育を本当にやっていたみたいです。(アニメの「アイアン・ジャイアント」にもそういうシーンが出て来ました。)そこにケネディが大統領になって、最初は巨額の費用がかかる宇宙開発に消極的でしたが、すぐに考えを改め、「10年以内に月に人を送り込む」ことを宣言します。そうした宇宙開発にはアメリカ中のthe best and the brightestと呼ばれた優秀な人員が集められましたが、その中に黒人女性も含まれていました。この映画は黒人女性の数学者がその能力を活かしてNASAで活躍しますが、公民権運動もまだ始まったばかりの頃で、エリート揃いのNASAでもしっかり差別が存在し、主人公達を悩ませます。しかし彼女たちはとてもたくましく差別を一つ一つ打ち破っていき、ついにはNASAの宇宙開発にとって無くてはならない存在になって行きます。後は1961年というのは私の生まれた年で、色んなものが懐かしかったですね。ケネディ大統領とキング牧師の姿が出て来ましたし、いかにも昔のアメ車といった自動車や、IBMのゴルフボールのタイプライターや初期のメインフレームとパンチカード。亡父は九州大学の数学科の出ですが、昔その同窓生名簿を見たら、コンピューター関係で働いている人がたくさんいました。この映画でもそうですが、初期のコンピューターをやっていた人は数学科の出身の人が多かったのだと思います。全体的にはとても良い映画でした。アメリカが本当の意味でグレートだった時代です。
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ジェームズ・アイヴォリーの「ハワーズ・エンド」
E. M. フォースターの「ハワーズ・エンド」の映画を視聴。監督はジェームズ・アイヴォリーで1992年の作品。同監督はフォースター作品の「眺めの良い部屋」「モーリス」も映画化しています。主演女優のエマ・トンプソンはこの作品でアカデミー主演女優賞を受賞しています。
フォースターの作品は作者がおそらく作品の映画化に否定的だったのか、生前は作られず、1980年代以降に巨匠デヴィッド・リーンが1984年に「インドへの道」を映画化したのを皮切りに、アイヴォリー監督によって3作品が映画化されています。共通して言えるのは、「原作を読んでから観るべき映画」だということで、「インドへの道」が封切られた時、「ぴあ」で「ムーア夫人が何故突然インドから帰国したのかがわからない」という批評がありましたが、原作を読んでいた人には自明なことで、省かれていただけだったと思います。(「インドへの道」はベストセラー小説でした。)
この「ハワーズ・エンド」は比較的原作に忠実な映画化ですが、時間の制約でどんどんストーリーが進み省かれている部分も多いです。ただ、ヘレンとバーストが愛し合ったということは原作では最後にならないとわからないのですが、この映画では明示的にラブシーンを入れていて、それはどうだか、と思いました。
日本語字幕版は入手できなかったので、アメリカから英語版を取り寄せました。英語の字幕がついているのと原作を読んでいるので何とかなりました。ただ、この字幕は明らかに聴覚障害者用で、BGMにまでいちいち「悲しげなオーケストラ音楽」とか解説が入るのは正直言ってうざかったですが。
この作品のストーリーをかいつまんで言ってしまうと、ウィルコックス夫人が死の間際にシュレーゲル姉妹の姉のマーガレットにハワーズ・エンド荘を譲ると遺言を残したのに対し、遺族が法的に無効と判断して故人の意向を無視してしまいます。しかし、色々な偶然が積み重なり、最終的にはハワーズ・エンド荘はシュレーゲル姉妹のものになるということです。
その話の背景に、イギリスとドイツ、イギリスの上流社会級と労働者階級のそれぞれ対立と結びつきを描いています。”Only connect…”はそういう意味に私は解釈しています。
ルパート・サンダースの「ゴースト・イン・ザ・シェル」
デミアン・チャゼルの「ラ・ラ・ランド」
「ラ・ラ・ランド」観てきました。映画としては心に残るものがないし、ミュージカルとしても記憶に残る名曲が無かったですね。
そういう訳でどうでもいい「気付き」のコメント。
ヒロインのミアが乗っている車がプリウス。昔はハリウッドのセレブが競ってハイブリッドカーに乗るという時代がありましたが、この映画では明らかに、売れていない女優の卵が乗るのに丁度いい安い車という感じで使われていました。
主人公のセブはオーディオマニアでもないのに、今時レコードプレーヤーを使っていましたが、使われていたカートリッジがオーディオテクニカでした。さすがカートリッジの世界シェアNo.1です。
またセブがバンドに参加して、それが売れて雑誌が取材に来るんですが、そのカメラマンが使っているカメラがSONY製。日本だとあり得ないですね。
ギャレス・エドワーズの「ローグ・ワン」
「ローグ・ワン」を観て来ました。
前半はかなりかったるい展開でしたが、後半は楽しめました。エピソードIVでレイアはどうやってデス・スターの設計図を手に入れたのか、デス・スターがああもあっさり反乱軍の攻撃で破壊されるのは何故かという誰もが考える疑問についてきちんとつながりの良い答を出していて、その点は好感を持ちました。
ちょっと疑問だったのは、「フォースの覚醒」に続いてまたもpolitically correctなスター・ウォーズだったことで、別に女性が主人公である必然性は無かったと思います。ちなみに「フォースの覚醒」はググってみたら、やはりpolitically correctnessを批判している人は多くいました。また、変なカンフー坊主が、”May the force be with us”をお経のように唱え続けて、フォースが宗教化していたのも変でした。後、現在スイッチメーカーに勤めている身としては、マンマシン・インターフェースがあまりにも進歩していなくて原始的なのが引っかかりました。今の現実のインターフェースの方がずっと進んでいるのでは。
ビリギャル
マーティン・スコセッシの「沈黙」
マーティン・スコセッシの「沈黙」を観ました。映画にするのに非常に難しい内容だと思いますが、スコセッシはロドリゴ神父の内面の葛藤をうまく映像化していたと思います。スコセッシの解釈はロドリゴはキリスト教を捨てたのではなく、むしろ試練を経て本当の信仰を発見したということだと思いますが、これは原作の解釈と隔たってはいないと思います。スコセッシはその解釈をよりはっきりさせるために、映画の最後でちょっとした仕掛けを入れています。キリスト教の歴史を考えると、地理的な範囲が広がる度に、常に新しい解釈が生まれ、たとえばキリスト教がギリシア哲学と出会ってグノーシス主義が生まれ、それは後に異端とされる訳ですが、プロテスタントの発生もある意味似たようなことだと思います。そういう意味でロドリゴがたどり着いた新たな信仰は、一種のプロテスタント的な新しい信仰と考えてもいいのではないかと思います。
J・J・エイブラムスの「スター・ウォーズ フォースの覚醒」
ジョージ・ルーカスの「スター・ウォーズ エピソード III/シスの復讐」
「スター・ウォーズ エピソード III/シスの復讐」を視聴。これで当初計画されていたエピソード6本はすべて視聴しました。エピソードIIでよく分からなかった話が、IIIを見て大体は理解できましたが、それでも映画を観ただけでは十分わからない部分が残りました。(例えば、サイフォ=ディアスってそもそも誰?)それよりイマイチだと思ったのが、アナキンがダークサイドに堕ちる上で、葛藤があまりなくて説得力がないことです。パメラが実際に死にそうになっているのならともかく、予知夢を見ただけであっさりダークサイドになびくのは納得できません。しかも、一回ダークサイドに堕ちると、それですぐに完全な悪の権化になって、子供たちまで虐殺してしまいます。普通はもっと善と悪との間での行きつ戻りつがあるんじゃないかと。パメラが「彼には善の心が残っている」と言っても、まったく真実味がないですし、エピソードVIで、ダース・ベイダーがルークを助けるというのの伏線としても不十分です。それで結局むしろアナキン自身のせいでパミラが死んでしまい、ダース・ベイダーとしてもショックを受ける訳ですが、その辺の葛藤はIIIとIVの間で何も描写されていません。
全体に、特撮の画面や音響は素晴らしいものがありましたが、ストーリーとしてはかなりちゃちでした。観る前はアシモフの「銀河帝国の興亡」みたいなドラマを期待していたんですが、まったく違いました。