今日の落語、三代目三遊亭金馬の「転失気(てんしき)」。
転失気とは、放屁のことで、何でも傷寒論という書物に出てくる言葉だそうです。医者が和尚さんに、坊さんなら知っているだろうと「転失気はありますか」と尋ね、和尚が「転失気」という言葉を知らないのに、見栄を張って「ない」と答えたが、後で気になって小僧に色々探らせて、結局恥をかく噺です。私もよく知らない単語に会議中に遭遇したりしますが、そういう時はこっそりスマホで調べたりできるので、今は便利です。
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古今亭志ん朝の「崇徳院、御慶」
柳家小三治の「初天神、時そば」
今日の落語、柳家小三治の「初天神、時そば」。
「初天神」はある父親が、子供の金坊を初天神に連れて行くが、途中色々な食べ物をねだられて、あげくの果ては高い凧まで買わされてしまいます。ところが、いざ凧をやり出したら、親父の方が夢中になって子供に「親父なんか連れてくるんじゃ無かった」と言われるサゲです。昔、私が子供の時に、6石のトランジスターラジオのキットをお年玉のお金で買ってきたら、亡父が「お前が作ると壊す」とかいって取り上げて自分で作ってしまったのを思い出しました。
「時そば」はあまりにも有名なお噺。サゲは当然知っていましたが、それより面白いのは最初の夜の蕎麦屋と次の夜の蕎麦屋のあまりの対照ぶりでした。成功者を真似してやってみて失敗するっていうのは落語の一つのパターンですね。
古今亭志ん生の「まんじゅうこわい、三年目、三味線栗毛」
今日の落語は志ん生の「まんじゅうこわい、三年目、三味線栗毛」。昭和33年、31年、31年の録音で志ん生の病前。録音もリマスタリングしてあり、悪くないです。
まんじゅうこわい」はおなじみのお噺。前座噺ですが、志ん生が演じると独特の味があります。
「三年目」は先日五代目三遊亭圓楽でも聴いたもの。怪談噺ですが、あまり怖くない変な噺です。幽霊は毛が伸びるのだろうか?という素朴な疑問を感じます。
「三味線栗毛」は、実在の酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)にまつわるお噺。角三郎は酒井家の次男で部屋住みの身でしたが、按摩の錦木が按摩をやりながら落とし噺(落語)を語るのが気に入ります。ある時錦木が自分は検校になれる出世をする骨格をしていると人に言われましたが、角三郎も同じ骨格をしているので、大名になれる、と言います。角三郎はそれでは自分が大名になったら錦木を検校にしてやると約束します。で、角三郎は本当に大名になり…というお噺。落語というのは役に立つものですぞ、という所がミソみたいです。
古今亭志ん朝の「幾代餅、紙入れ」
三遊亭圓生の「茶の湯」
三遊亭圓生の「代脈、田能久」
三遊亭圓生の「淀五郎、紀州」
本日の落語、三遊亭圓生の「淀五郎、紀州」。
「淀五郎」は「中村仲蔵」と似ていて、というかこの噺に中村仲蔵自身も登場しますが、仮名手本忠臣蔵の歌舞伎を演じる役者の噺です。若手の役者の澤村淀五郎が市川團蔵に、塩冶判官の役に抜擢されたがいいが、舞台ではその團蔵にまともに演技の相手にしてもらえないで悩む噺です。その淀五郎の相談に乗ってアドバイスするのが中村仲蔵です。
「紀州」は先日、金馬でも聴きましたが、物音が人の言葉に聞こえるという聞きなしの噺で、圓生はこの聞きなしの噺を徹底的に膨らませています。もっとも本題の噺は実に大したストーリーがないので、そうせざるを得ないのでしょうが。金馬よりさすがにうまいと思いました。