春風亭柳枝の「子ほめ、喜撰小僧、堪忍袋、元犬、宗論」

jpeg000 216今日の落語は、八代目春風亭柳枝の「子ほめ、喜撰小僧、堪忍袋、元犬、宗論」。
八代目春風亭柳枝は初めて聴きましたが、大変端正な語り口でそれでいておかしみがある、という語り口です。才能のある人でスピード出世をして5年くらいで真打ちに昇進していますが、53歳で若死にしています。
「子ほめ」は前座噺で一番よく語られるもの。
「喜撰小僧」は、「悋気の独楽」という噺の前半部を独立させたもので、小僧が長唄の「喜撰」を歌いながら女将さんの肩たたきをするので、このタイトルになっています。
「堪忍袋」は、明治時代に作られた噺です。
「元犬」はこれぞ落語というナンセンスな設定で、白犬が21日間の願をかけて人間になるが、色々とトンチンカンなことをしでかす噺です。
「宗論」はこれも明治時代に作られた噺ですが、商家の旦那が浄土真宗を信じ、その息子の若旦那がキリスト教信者で親子で論争をするという、ある意味ぶっ飛んだ落語です。

三遊亭圓生の「三人旅、小言幸兵衛、洒落小町」

jpeg000 209本日の落語、三遊亭圓生の「三人旅、小言幸兵衛、洒落小町」。
「三人旅」は、そのタイトル通り、三人で旅する噺で、圓生が演じているのはその一部です。中山道の宿屋で「おしくら」と呼ばれる女を買う噺です。
「小言幸兵衛」は家主の幸兵衛が、家を借りたいとやってくる人に対し、色々と難癖をつけて断る噺ですが、このCDでは仕立屋の所だけが語られています。
「洒落小町」は、亭主の浮気が頭に来ている女房が、在原業平の妻の例を教えてもらって、和歌で亭主を諫めようとするけど、間違えて別の歌を使ってしまう噺です。

古今亭志ん朝の「代脈、蔵前駕籠」

jpeg000 203「今日の落語、志ん朝の「代脈、蔵前駕籠」。
「代脈」は先日、三遊亭圓生でも聴いた噺。医者になるのに特に資格とかいらなかった江戸時代ならではの噺。
「蔵前駕籠」は、暗くなって追いはぎが出るというのを無理矢理に駕籠を仕立てて吉原に繰り出す客の噺です。短い噺ですが、オチがしゃれています。

柳家小さんの「青菜、不動坊、禁酒番屋」

jpeg000 200今日の落語は五代目柳家小さんの「青菜、不動坊、禁酒番屋」です。
「青菜」は、植木屋があるお屋敷でお酒をご馳走になって、つまみに青菜を出そうかと主人がいったら、その奥さんが「鞍馬から牛若丸が出でまして、名も九郎判官(くろうほうがん)。」と答え、それに対し主人が「ああ、義経にしておこう。」と返します。そのやりとりがなんなのかを聞いたら、「青菜は食べてしまってない」(九郎→くらう)、「それなら良し」(義経→良し)という意味でした。そのやりとりにすっかり感心した植木屋は、家に帰って知り合い相手にそっくり真似をしようとします。ところが植木屋の奥さんが、肝心のセリフを「鞍馬から牛若丸が出でまして、名も九郎判官義経」と「義経」の所まで言ってしまったので、植木屋は「弁慶にしておけ」と答えるサゲです。
「不動坊」は、死んでしまった講釈師の不動坊の未亡人が、利吉と再婚しようとするのを、利吉の友人達が不動坊の幽霊に化けて結婚を邪魔しようとする噺です。脅かしている筈が、利吉からお金をもらって幽霊があっさり引き下がろうとする所が面白いです。
「禁酒番屋」は、ある殿様が突然お酒を飲むことを禁止したけど、こっそり酒を飲むものは絶えず、出入りだった酒屋が番屋のチェックをくぐり抜けて何とか酒を配達しようとする噺です。カステラだと称してチェックをする抜けようとしますがばれて、酒を「水カステラ」だと言い逃れをするのが楽しいです。

柳家小さんの「将棋の殿様、お神酒徳利」

jpeg000 200今日の落語、五代目柳家小さんの「将棋の殿様、お神酒徳利」。
落語で、碁が出てくる噺は、「笠碁」「碁泥」「柳田格之進」とあります。しかし、将棋が出てくる噺は、一般的に演じられるのはこの「将棋の殿様」ぐらいみたいです。お噺は、ある時殿様が家来と将棋をやりだしたのはいいですが、駒は勝手に取ってはダメ、飛車が成り込んだらダメ、その一方で自分の飛車は金銀を飛び越えて成ってしまう。それで家来に勝っただけならいいが、負けた者を鉄扇で頭を打つということまでやりだす。ある日病で休んでいたご意見番の老侍が復帰し、殿様と将棋を指すけど、殿様の勝手なルールを軍学を持ち出してことごとく拒否、見事殿様に勝ち、鉄扇で殿様を殴る。これに懲りて殿様が将棋を止めるという噺です。
「お神酒徳利」は、ある野菜売りが、ある家で野菜を断られたのの腹いせにお神酒徳利を水瓶に沈めて隠し、その後易者のふりをしてそれを見事当ててみせたため、名人易者と思われてかえって苦労する噺です。

古今亭志ん朝の「四段目、風呂敷」

jpeg000 197今日の落語、古今亭志ん朝の「四段目、風呂敷」。
「四段目」は、芝居好きでしょっちゅう仕事をさぼって芝居を観ていた小僧が、とうとう旦那にばれて、蔵の中に閉じ込められたが、蔵の中で忠臣蔵の一幕を演じ始めて切腹の真似をしたのを、女中が見て勘違いして大騒ぎに…という噺です。
「風呂敷」は、間男が居るところに亭主が帰ってきたのを、うまく隠して逃がしてやる噺です。元々バレ噺だったのを、戦争中の禁演落語にひっかからないように、滑稽噺に変えられたもののようです。

三遊亭圓生の「真景累ヶ淵~勘蔵の死、蟇の油」

jpeg000 196今日の落語は、三遊亭圓生の「真景累ヶ淵~勘蔵の死、蟇の油」。
圓生の「真景累ヶ淵」は、「宗悦殺し」、「深見新五郎」、「豊志賀の死」、「お久殺し」、「お累の婚礼」、「勘蔵の死」、「お累の自害」、「聖天山」と全部で8話出ています。これまで「宗悦殺し」~「お久殺し」までを買って聴いていて、これで打ち止めにしておこうかと思ったのですが、成り行きで「勘蔵の死」の入ったCDを買ってしまいました。圓生はマクラでこれまでの噺のあらすじを語ってくれたので、「お累の婚礼」は聴いていませんが、噺はつながりました。「勘蔵の死」は新吉を育ててくれた勘蔵が死の間際で、新吉が実は深見新左衛門の次男であることを、迷子札を証拠に明らかにします。そして新吉は、たまたま迷い込んだ小塚原で、夢の中で兄の新五郎に出会います。新五郎はその夢の中で、新吉の義兄の三蔵は昔新五郎を訴えた男だと言います。
「蟇の油」はいわゆる蟇の油売りの噺ですが、マクラで、両国広小路あたりによく出ていた見世物の話が聴けます。また、蟇の油売りの圓生の口上が見事です。さらに酔っ払った蟇の油売りがもう一度油を売ろうとして、口上が目茶苦茶になってしまうのが楽しいお噺です。

古今亭志ん朝の「付き馬、三年目」

jpeg000 194本日の落語、志ん朝の「付き馬、三年目」。
「付き馬」は、吉原で遊んだけど、払いができなくて、取り立てに「牛」と呼ばれる店の男衆がついてきたのを、色々と引き回して逆に牛に金をつかわせて、あげくの果てはだましてトンズラしてしまうお噺。ちょっと居残り佐平次と似ています。多くの人の願望を反映した噺なんでしょうね。
「三年目」は、これで3回目で、今まで三遊亭圓楽(五代目)と志ん生で聴いています。志ん朝が一番うまいと思いますが、幽霊の髪が伸びるというサゲが今一つ好きになれないお噺です。

古今亭志ん生の「お化け長屋、もう半分、親子酒」

jpeg000 191本日の落語は古今亭志ん生の「お化け長屋、もう半分、親子酒」。志ん生の病前の録音です。
「お化け長屋」は既に志ん朝のを聴いていますが、志ん朝のは前半部だけです。後半部までやるのは志ん生と六代目柳橋ぐらいだそうです。前半部では、長屋の連中のお化け話には驚かなかった職人が、実際に長屋に入って、職人仲間にお化けを仕掛けられて逃げ出すのが後半です。実際にはさらに先があるそうです。
「もう半分」は、三遊亭圓朝作の怪談噺です。「文七元結」とも設定が少しかぶりますが、行商の老人が娘が吉原に身を売って作った50両を居酒屋に置き忘れますが、居酒屋の夫婦はそれを盗んでしまいます。老人はそれをはかなんで身投げしてしまいます。居酒屋の夫婦には子供が生まれますが、その容貌は老人にそっくりで、夜中に行灯の油をなめては、老人が酒を飲む時の口癖だった「もう半分…」を口にするというオチです。
「親子酒」は、親子で酒を止める誓いを立てるが、親子共にその誓いを破ってしまうお噺。サゲの双方のセリフが面白いです。

古今亭志ん朝の「井戸の茶碗、今戸の狐」

jpeg000 187今日の落語は、古今亭志ん朝の「井戸の茶碗、今戸の狐」。
「井戸の茶碗」は二度目で、一度目は志ん生のでしたので、親子聴き比べでした。この親子の聴き比べをするといつも思いますが、志ん朝の方が同じ噺でも細部が充実している感じで、私は志ん朝の方を好ましく思います。この噺は、悪い人が一人も出てこない、ある意味心が洗われるようないい噺です。
「今戸の狐」はある噺家の通いの弟子が、自活するのが大変なので師匠に内緒で今戸焼の狐の彩色を内職としてやっていましたが、そこにその師匠の家で「狐」というサイコロ博打をやっていると勘違いしたやくざ者が、「狐」なら師匠の家ではなく、その弟子の所だと教えられて、そこへ押しかけ、やくざ者と弟子とでトンチンカンな会話をするのがとても面白い噺です。